デジタル版「実験論語処世談」(10) / 渋沢栄一
13. 父は見識のあつた人
ちちはけんしきのあったひと
(10)-13
父は平常多く書籍を読んで居つたといふほどの人でなかつたが、四書や五経ぐらゐは充分に読め、傍ら俳諧などもやるまでの風流気のあつたもので、何時でも自分相当の見識を備へ、漫りに時勢を追ひ、流行にかぶれるといふやうな事は無かつたものである。随つて私にも十四五歳までは読書、撃剣、習字等の稽古をさせたが、当時の時勢にかぶれて武士風にばかりなつても困るからとて、家業の藍を作つたり、之を買入れたり、又養蚕の事などにも身を入れるやうにせねばならぬと、常々私を戒められたものである。それで、私も父の命に負かず十七歳から二十二歳までの間に、毎年二度藍の商業の為信州へ出かけたほどであるが、世間が段々騒々しくなつて来たので、既に是まで申述べ置いた中にもある通り、私は隠忍して家業に勉強ばかりして居られなくなり、国事に奔走して見たいとの気を起したものだから、それとなく父に話もしたが、父は飽くまで「其位にあらずんば親らせず」の意見で、ただ国事の評論をするだけならば如何に農を業とする者でも之を敢てして拘はぬが、実際の政治向の事は、その位にある人に任して置くが可いと申され、私が国事に奔走せんとするのには不同意であつたものである。然し私は飽くまで国事に奔走し、幕府を倒してしまはねばならぬとの決心を棄てるわけにゆかず、甚麽しても郷里より江戸に出ようと心を定めたのである。
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- デジタル版「実験論語処世談」(10) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.15-22
底本の記事タイトル:二〇六 竜門雑誌 第三三四号 大正五年三月 : 実験論語処世談(一〇) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第334号(竜門社, 1916.03)
初出誌:『実業之世界』第12巻第20,21,23号(実業之世界社, 1915.10.15,11.01,11.15)