デジタル版「実験論語処世談」(10) / 渋沢栄一

14. 文久三年九月十三日

ぶんきゅうさんねんくがつじゅうさんにち

(10)-14

 然し、私は全く父に何も打明けず、突然郷里を逃げて出発しても宜しく無いと思つたものだから、それとなく訣別のつもりで文久三年九月十三日の夜、月見の宴にかこつけ、尾高藍香と渋沢喜作と私との三人が、父と一坐して月を見ながら天下の形勢を談り、愈よ私が国事に奔走せんとする決心のほどを仄めかして打ち明けることにしたが、父は依然として矢張り不同意で、其の位にあらざる者が如何に田舎から駆け出して単身奔走して見たところで、何の効果も挙るもので無いと諄々として説かれ、私の決心を翻させようとせられたのである。之に対し私は楠正成湊川戦死の例を引き、楠公とても必ず彼の戦で勝てるものとは思はなかつたらうが、死ぬまでも戦はれた処に楠公としての豪い処があるやうに、自分とても微力を以てして奔走したのでは、或は到底その目的を達し得られずに終るやも測り難いが、楠公の如く戦死しても厭はぬゆゑ、やれる処までやつて見る気であると、私が語を痛切にして決心の次第を父に物語ると、父も到底私の決心の翻し難きを見、それほどまでの決心ならば思ふままに行るが可い、私は干渉せぬからと、私の国事に奔走するのを許されたことは、既に是まで申述べ置いた所にもある通りである。私は是処が父の豪い所だと思うて感服せざるを得ぬのである。

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文久三年, 九月十三日
デジタル版「実験論語処世談」(10) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.15-22
底本の記事タイトル:二〇六 竜門雑誌 第三三四号 大正五年三月 : 実験論語処世談(一〇) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第334号(竜門社, 1916.03)
初出誌:『実業之世界』第12巻第20,21,23号(実業之世界社, 1915.10.15,11.01,11.15)