デジタル版「実験論語処世談」(10) / 渋沢栄一

8. 晩年の振はざる所以

ばんねんのふるわざるゆえん

(10)-8

 秀吉如何に天下を一統するに鋭意し、家康と和睦を講ずるに急であつたからとて、天にも地にも懸け替の無い我が生みの母を家康の許に人質として遣すを意に介せず、之によつて僅に家康との和を調へたなどといふのは、実以て沙汰の限りで、人倫を無視するの甚しきものである。
 又、既に佐治若狭守の妻になつて居つた自分の妹を取り返し、家康と和睦したさの一念から、之を家康の妻として嫁せしめたなども随分乱暴な処置で、倫常を無視したものであると謂へる。人質や政略結婚は如何に戦国の習ひであるとは申しながら、斯く礼の大本を忘れて人倫を蹂躪し、乱暴無尽に挙動つては如何なる英雄と雖も決して其の終りを美しくしさうな筈がない。是が秀吉に気概あり、勇気あり、機智あり、而も非凡の勉強家なりしに拘らず、其晩年に至るや甚だ振はず豊臣家の末路なるものが悲惨を極むるに至つた所以である。
 秀吉の晩年に就て譬へ、豊臣家の末路に鑑みても、人は勢ひに乗じ好い気になつて、傍若無人、倫常を無視する如き挙動に出でてはならぬものである事が肯かれるだらうと思ふ。青年子弟諸君は能く此の消息を胸底にをさめ置かれ、如何なる場合に於ても礼の大本を忘れぬやうに心懸けて然るべきものである。然らずんば一敗再び起つ能はざる如き悲惨なる境遇に陥らねばならぬ事にもなる。

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キーワード
晩年, 振はざる, 所以
デジタル版「実験論語処世談」(10) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.15-22
底本の記事タイトル:二〇六 竜門雑誌 第三三四号 大正五年三月 : 実験論語処世談(一〇) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第334号(竜門社, 1916.03)
初出誌:『実業之世界』第12巻第20,21,23号(実業之世界社, 1915.10.15,11.01,11.15)