4. 機略に長じ経略に疎し
きりゃくにちょうじけいりゃくにうとし
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秀吉が中国の陣中に在つて本能寺の変を聞くや、立処に一切の事情を隠す所なく披瀝して毛利輝元と和議を講じた所なぞは、是又如何に秀吉の機略に富むかを示すに足るものであるが、秀吉には斯く機に臨み変に応じて事を処する機略があつても、部下の如何なる人物を如何なる部署に配置し、如何なる順序方法によつて全体の事業を進行さして行くべきかといふ事に就ての経略の才が無かつたやうに思はれる。その結果は、何でも才智に富んだ人物でさへあればその根本の精神如何を問ふの遑なく悉く之を信用して重用し、之に重要なる位置を与へたるかの如くに観られる。
石田治部少輔三成や小早川隆景などが重く用られて秀吉の信用を得たのは、全く秀でたる才智があつた為だが、秀吉は三成、隆景の如き才智のある人物のみを重用した結果は、加藤清正の如き忠誠無二の臣を疎んずるに至り、秀吉は三成、隆景等の才に魅せられて清正を卻ける気味があつたと云はれても弁解の辞が莫からうと思ふ。ただ片桐且元のみが忠誠無二の士でありながら、猶ほ且つ秀吉の信用を得て居つたのは寧ろ異数とするに足るが、且元の秀吉に信用せられたのはその無二の忠誠に因るよりも、寧ろ、その機略に富んだところにあつたらうかと思ふ。且元は清正の如く単に忠誠無二といふだけの人物では無い。元禄事変の大石良雄の如く、却々複雑した性格を有つた機略に富んだ人物である。
- デジタル版「実験論語処世談」(10) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.15-22
底本の記事タイトル:二〇六 竜門雑誌 第三三四号 大正五年三月 : 実験論語処世談(一〇) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第334号(竜門社, 1916.03)
初出誌:『実業之世界』第12巻第20,21,23号(実業之世界社, 1915.10.15,11.01,11.15)