デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.13

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

1章 社会事業
4節 保健団体及ビ医療施設
1款 社団法人東京慈恵会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治42年6月7日
(1909年)
第31巻 p.5-26(DK310001k)
是日、当会第二回総会開催セラレ、栄一副会長トシテ之ニ出席シ会計報告ヲナス。爾後昭和五年ニ至ル間、大正九年・同十四年・昭和三年ヲ除ク外毎回出席ス。
明治43年10月21日
(1910年)
第31巻 p.26-27(DK310002k)
是日栄一、当会附属医学専門学校卒業式ニ出席シ、一場ノ演説ヲナス。後年当校ハ医科大学ニ昇格ス。昭和三年十月六日、栄一、同大学七教授在職二十五年祝賀会ニ出席ス。
明治44年3月30日
(1911年)
第31巻 p.27-49(DK310003k)
是日栄一、当会評議会ニ出席ス。爾後晩年ニ至ルマデ屡々理事会・評議会・委員会ニ出席ス。大正十五年以降特ニ当会医院ノ建築復興資金募集ニ尽力ス。
大正9年4月16日
(1920年)
第31巻 p.49-51(DK310004k)
是ヨリ先四月十二日高木兼寛逝ク。是日青山斎場ニ於テ葬儀行ハレ、栄一之ニ参列ス。
昭和5年11月1日
(1930年)
第31巻 p.51-54(DK310005k)
是日当会付属医院新築落成開院式挙行セラレ、栄一副会長トシテ之ニ臨ム。次イデ七日皇太后陛下当会ヘ行啓ニ付キ栄一出向ス。
昭和6年11月15日
(1931年)
第31巻 p.54-55(DK310006k)
是日、栄一ノ葬儀ニ際シ、当会会長徳川家達弔詞ヲ贈ル。
2款 社団法人同愛社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治42年6月
(1909年)
第31巻 p.56-57(DK310007k)
是月栄一、当社特別社員ニ推サル。
明治45年4月27日
(1912年)
第31巻 p.57-59(DK310008k)
是日栄一、上野精養軒ニ開カレタル当社社長高松凌雲ノ寿宴ニ出席シ、祝辞ヲ述ブ。
3款 恩賜財団済生会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年5月30日
(1911年)
第31巻 p.60-84(DK310009k)
是ヨリ先二月十一日、皇室ヨリ施薬救療ノ資金トシテ百五十万円ノ下賜金アリ。爾来栄一、内閣総理大臣桂太郎・内務大臣平田東助等ト恩賜財団法人設立ノ協議ヲ重ネ、五月九日桂総理大臣ハ富豪ヲ首相官邸ニ招集シテ協力ヲ求ムル所アリ、是日財団法人済生会設立認可サル。栄一、寄附金募集ニ世話人トシテ尽力シ金十万円ヲ寄附ス。
明治44年8月21日
(1911年)
第31巻 p.84-91(DK310010k)
是日栄一、当会顧問ニ嘱託セラレ、翌二十二日同ジク評議員トナリ、爾後屡々評議員会ニ出席ス。
大正5年5月30日
(1916年)
第31巻 p.91-92(DK310011k)
是日芝区赤羽橋町ノ済生会病院開院式挙行セラレ、栄一之ニ出席シテ演説ス。
昭和2年4月19日
(1927年)
第31巻 p.92(DK310012k)
是日栄一、当会ヘノ寄附ニ就キ賞勲局総裁ヨリ表彰セラル。
4款 東京市施療病院
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年6月
(1911年)
第31巻 p.93-95(DK310013k)
是月栄一、東京市施療病院ノ評議員ニ就任ス。
5款 救世軍病院
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治45年6月30日
(1912年)
第31巻 p.96-99(DK310014k)
是ヨリ先救世軍総督ブース大将来朝ノ際、貧民病院建設ノ議起ル。栄一其発起人トシテ大隈重信・清浦奎吾等ト謀リ、明治四十四年六月以降前後二回貧民病院建設慈善観劇会ヲ催シ、ソノ利益金計八千余円ヲ寄附ス。是日同院、救世軍病院トシテ開院式ヲ挙行、栄一之ニ出席シテ祝辞ヲ述ブ。
6款 財団法人日本結核予防協会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正2年2月11日
(1913年)
第31巻 p.100-108(DK310015k)
是日日本結核予防協会設立セラレ、栄一之ガ副会頭トナル。大正十年五月ニ至リ当協会其ノ組織ヲ改メテ財団法人トナリ、栄一会頭ニ就任、歿年ニ及ブ。
7款 全生病院
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正3年7月5日
(1914年)
第31巻 p.109-110(DK310016k)
是日栄一、安達憲忠ト共ニ当病院ヲ訪フ。後チ、当病院患者ノ為メ演劇用衣裳・小道具ヲ贈ル。
大正11年11月3日
(1922年)
第31巻 p.110-118(DK310017k)
是日栄一、ハワイ大学総長アーサー・ディーン博士ヲ案内シテ当病院ヲ視察シ、患者・職員ニ対シ一場ノ慰問演説ヲナス。
昭和4年9月28日
(1929年)
第31巻 p.118-121(DK310018k)
是日当病院創立二十周年記念式挙行セラレ、栄一之ニ出席シ祝辞ヲ述ブ。
8款 救世軍療養所
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正5年11月23日
(1916年)
第31巻 p.122-124(DK310019k)
是ヨリ先救世軍ブース大将ノ永眠記念事業トシテ結核療養所設置ノ議起ル。栄一其寄附金募集ニ尽力シ、自ラモ千五百円ヲ寄附セシガ、是日当療養所ノ設立成ル。
大正7年9月24日
(1918年)
第31巻 p.124-126(DK310020k)
是日、東京府下堀之内ニ、当療養所病棟増築落成式行ハレ、栄一之ニ出席シテ演説ス。
9款 社団法人日本赤十字社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正7年6月14日
(1918年)
第31巻 p.127(DK310021k)
是日当社聯合軍慰問特使徳川慶久ノ一行出発ス。栄一之ヲ東京駅ニ見送ル。
大正12年11月20日
(1923年)
第31巻 p.127-128(DK310022k)
是ヨリ先関東大震災ニ際シ、アメリカヨリテント病院ノ寄贈ヲ受ケ、当社之ヲ経営シ来リシガ、同病院撤廃ノ議起リ、是日栄一、実務担当者ヨリ之ガ存続ヲ依頼サル。仍ツテ栄一当社社長平山成信及ビ外務大臣ニツキ斡旋セシモ、十二月ニ至リ予定ノ如ク廃止サル。
大正15年11月3日
(1926年)
第31巻 p.128-129(DK310023k)
是日栄一、当社創立五十年祝典及ビ通常総会ニ出席ス。
10款 財団法人泉橋慈善病院
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正8年4月11日
(1919年)
第31巻 p.130-142(DK310024k)
是日栄一、当病院評議員副会長ニ選任セラレ、爾後屡々評議員会並ニ記念式或ハ産婆看護婦養成所卒業式等ニ出席ス。
大正9年4月7日
(1920年)
第31巻 p.142-145(DK310025k)
泉橋慈善病院設立ノ趣旨ヲ翼賛シ、其事業ヲ幇助スルノ目的ヲ以テ、同院賛助婦人会設立セラレ、是日発会式挙行セラル。栄一之ニ出席シ挨拶ヲナス。
大正9年6月15日
(1920年)
第31巻 p.145-147(DK310026k)
是日当病院賛助婦人会常議員会開カレ、同会規約ニ依リ栄一之ガ顧問ヲ嘱託セラル。爾後屡々会合ニ出席ス。
昭和5年7月4日
(1930年)
第31巻 p.147-149(DK310027k)
是ヨリ先昭和四年十一月三日、当病院評議員会長井上勝之助卒ス。是日評議員会開カレ、栄一之ガ後任トシテ同会長ニ選バル。
11款 社団法人実費診療所
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正12年4月1日
(1923年)
第31巻 p.150-159(DK310028k)
是日栄一、当診療所浅草支部病院落成披露会ニ出席シ、祝辞ヲ述ブ。
大正15年11月28日
(1926年)
第31巻 p.159-160(DK310029k)
是日栄一、当診療所浅草支部病院講堂ニ於ケル当診療所ノ創立十五周年祝賀会ニ出席ス。
12款 有限責任滝野川共立病院組合
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正12年11月28日
(1923年)
第31巻 p.161-173(DK310030k)
東京府滝野川町ハ震災後組合組織ニ依ル病院設置ノ計画ヲナシ、助役有馬浅雄ヲ以テ王子飛鳥山邸地所ノ一部借用ヲ申入ル。仍ツテ、是日栄一、右ヲ同族会ニ諮リ、申入レ受諾ヲ希望ス。右計画ハ成就セズシテ終ル。
13款 日本住血吸虫病撲滅費寄付
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正12年12月1日
(1923年)
第31巻 p.174-176(DK310031k)
栄一、昨十一年七月広島県地方病日本住血吸虫病撲滅費トシテ金参百円寄付セルニ対シ、是日広島県知事ヨリ表彰サル。
14款 浅草寺病院
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正13年11月12日
(1924年)
第31巻 p.177-180(DK310032k)
是日栄一、浅草寺社会事業報告式ニ出席シ、信徒総代トシテ一場ノ挨拶ヲナス。
大正15年5月26日
(1926年)
第31巻 p.180-185(DK310033k)
是日栄一、当病院賛助会特別会員トナリ、評議員ニ推薦セラル。
15款 仏眼協会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正14年10月
(1925年)
第31巻 p.186-191(DK310034k)
是月栄一、仏眼協会ノ評議員ニ就任ス。
16款 財団法人熊本回春病院
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和4年5月21日
(1929年)
第31巻 p.192-194(DK310035k)
栄一、当病院ニ対シテ、明治四十三年以後引続キ尽力スル処アリ、是日、東京会館ニエッチ・リデル女史慰労午餐会ヲ開ク。
17款 財団法人癩予防協会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和5年10月21日
(1930年)
第31巻 p.195-198(DK310036k)
栄一兼ネテ癩予防並ニ該病者救護ニ尽力シ来リシガ、是日、内務大臣官邸ニ大臣安達謙蔵ヲ訪ヒ、当会設立ニツキ協議ス。
昭和6年1月21日
(1931年)
第31巻 p.198-203(DK310037k)
是日、当会発起人会ヲ内務大臣官邸ニ開キ、栄一会頭並ニ理事ニ就任ス。次イデ三月十八日、正式ニ設立ヲ許可サル。
昭和6年5月5日
(1931年)
第31巻 p.203-205(DK310038k)
是日、当会第一回評議員会ヲ内務大臣官邸ニ開キ、栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。次イデ是月二十六日第一回理事会ヲ飛鳥山邸ニ開キ、栄一議長トシテ議事ヲ宰ス。
昭和6年5月12日
(1931年)
第31巻 p.205-210(DK310039k)
是ヨリ先、皇太后陛下ヨリ当会ニ対シ御下賜金アリ、是日栄一、陛下ニ拝謁シテ当会ニツキ言上ス。
昭和6年11月15日
(1931年)
第31巻 p.210(DK310040k)
是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ当会弔詞ヲ呈ス。
18款 其他ノ関係諸事業 1. 社団法人白十字会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第31巻 p.211-212(DK310041k)
--
18款 其他ノ関係諸事業 2. 在ホノルル日本人慈善会附属日本人病院
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第31巻 p.212(DK310042k)
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18款 其他ノ関係諸事業 3. 東京府立松沢病院
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第31巻 p.212-213(DK310043k)
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18款 其他ノ関係諸事業 4. 錦糸病院
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第31巻 p.213-216(DK310044k)
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5節 災害救恤
1款 東京水災善後会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年8月20日
(1910年)
第31巻 p.217-245(DK310045k)
東京府下ニ於ケル水災後ノ一般衛生施設並ニ疾病者施療等ヲ目的トシ是日当会組織セラレ、栄一之ガ常務委員長トナリ、種々尽力ス。
2款 臨時水害救済会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年8月23日
(1910年)
第31巻 p.246-251(DK310046k)
是月未曾有ノ洪水起リ、其被害東京府ヲ初メ二府二十八県ニ及ブ。是日当会設立セラレ、栄一副総裁トナリ、会務ニ尽力ス。
明治43年9月5日
(1910年)
第31巻 p.251-265(DK310047k)
是日栄一、当会副総裁トシテ東京ヲ発シ、大阪・神戸・京都及ビ名古屋ニ赴キ、当会ノ寄附金募集ニ勉メ、十一日帰京ス。
3款 東北九州災害救済会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正3年1月15日
(1914年)
第31巻 p.266-289(DK310048k)
是ヨリ先、東北地方凶作ニシテ被害民ノ窮状甚シキヲ以テ、栄一等相謀リテ東北凶作救済会ヲ設立セントシ、是月十三日発起人会ヲ開ク。偶々同十二日鹿児島県桜島山噴火シテ同県ノ被害甚シ。因テ両者ヲ併セ救済セントシ、是日当会設立セラル。栄一之ガ副総裁トナリ会務ニ尽力ス。
大正3年1月31日
(1914年)
第31巻 p.289-305(DK310049k)
是日栄一、当会副総裁トシテ、寄附金勧誘ノ目的ヲ以テ東京ヲ発シ、途中井上馨ヲ興津ニ訪ヒ、大阪・京都・神戸並ニ名古屋ヲ巡回ノ上、二月八日帰京ス。
大正3年2月15日
(1914年)
第31巻 p.305-306(DK310050k)
是日及ビ翌十六日、栄一当会ニ下賜サレタル救恤金ニ対シ御礼言上ノ為メ、各宮家ニ伺候ス。
大正4年10月19日
(1915年)
第31巻 p.306(DK310051k)
栄一、大正二年北海道他六県凶作並ニ大正三年桜島爆発ニ際シ、罹災民救恤トシテ金五千円寄附シタルニツキ、是日、賞勲局総裁ヨリ金杯一個ヲ下賜サル。
4款 東京風水害救済会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正6年10月4日
(1917年)
第31巻 p.307-327(DK310052k)
是月一日暴風雨ノタメ東京府下ノ被害甚シ。是日栄一等相謀リテ、当会ヲ設立シ、栄一之ガ会長トナリ、会務ニ尽力ス。
5款 大震災善後会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正12年9月11日
(1923年)
第31巻 p.328-346(DK310053k)
是日栄一、関東地方大震災ノ被害ニ対処スルタメ、貴衆両院ノ議員及ビ実業界ノ有志者ト謀リテ当会ヲ組織シ、ソノ副会長トナル。
大正12年9月12日
(1923年)
第31巻 p.346-387(DK310054k)
是日栄一、東京商業会議所ニ於テ開催セラレタル当会経済部会・救済部会・常務委員会ニ出席シ議事ニ与ル。爾後屡々諸会合ニ出席シ、且種々会務ニ尽力ス。
大正13年3月13日
(1924年)
第31巻 p.387-397(DK310055k)
是日、当会解散シ、残務委員会設置セラル。栄一、之ガ委員トナリ、同月二十二日副委員長ニ選任セラル。
昭和4年2月16日
(1929年)
第31巻 p.397(DK310056k)
是日栄一、大正十二年十二月大震災善後会及ビ同年九月滝野川町ヘノ救恤寄附ニツキ、賞勲局総裁ヨリ表彰サル。
6款 在京罹災埼玉県人救護団
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正12年9月7日
(1923年)
第31巻 p.398-407(DK310057k)
関東大震災ニ際シ、在京埼玉県人罹災者救護ノ目的ヲ以テ、山口六郎次等ノ斡旋ニヨリ当救護団設立サル。栄一之ヲ援助ス。同年十二月一日当救護団ハ組織ヲ変更ス。栄一其顧問トナリ、翌十三年七月ノ解散ニ及ブ。
7款 深川区内諸救恤
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年8月
(1910年)
第31巻 p.408-410(DK310058k)
是月ノ水害ニ際シ、栄一、当区内罹災窮民ヘ金弐百円賑恤セルニヨリ、同四十五年一月十一日、賞勲局総裁ヨリ木杯壱組ヲ下賜セラル。
大正8年1月27日
(1919年)
第31巻 p.410-411(DK310059k)
是日栄一、太田信次郎ノ招待ニヨル築地ノ精養軒ニ於ケル、深川区風水害防備ニ関スル協議会ニ臨ミ、意見ヲ述ブ。
8款 災害救恤関係諸資料 1. 大阪市火災
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治42年7月31日
(1909年)
第31巻 p.412-414(DK310060k)
是日、大阪市北区ニ火災発生ス。栄一、罹災者ニ対シ、金壱千円ヲ賑恤ス。大正二年三月右ニツキ賞勲局総裁ヨリ銀杯一個下賜サル。
8款 災害救恤関係諸資料 2. 滋賀県下震災
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治42年8月14日
(1909年)
第31巻 p.414-415(DK310061k)
是日、滋賀県下ニ地震発生ス。栄一、罹災民ニ対シ、金壱百円ヲ賑恤ス。同四十三年三月右ニツキ、賞勲局総裁ヨリ木杯一組下賜サル。
8款 災害救恤関係諸資料 3. 青森市火災
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年5月
(1910年)
第31巻 p.415(DK310062k)
是月、青森市ニ火災発生ス。栄一、罹災者ニ対シ金弐百円ヲ賑恤ス。大正二年一月右ニツキ、賞勲局総裁ヨリ木杯一組下賜サル。
8款 災害救恤関係諸資料 4. 血洗島水害
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年8月
(1910年)
第31巻 p.415-417(DK310063k)
是月、埼玉県下ニ水災発生ス。栄一、同県大里郡八基村ニ対シ、救恤金トシテ金壱千円、避病院及ビ小学校復旧費トシテ金弐千円ヲ寄附ス。
8款 災害救恤関係諸資料 5. 浅草区火災
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年4月9日
(1911年)
第31巻 p.417-418(DK310064k)
是日、東京市浅草区及ビ下谷区ニ火災発生ス。栄一、浅草区罹災者ニ対シ主食・副食物ヲ賑恤ス。大正元年十一月二日右ニツキ、賞勲局総裁ヨリ木杯一組下賜サル。
8款 災害救恤関係諸資料 6. 米沢市火災
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正6年5月22日
(1917年)
第31巻 p.418-419(DK310065k)
是日、米沢市ニ火災発生ス。栄一、之ガ罹災者ニ対シ金五百円ヲ賑恤費及ビ同市営住宅建設費トシテ寄付ス。翌七年七月九日右ニツキ、銀杯一個下賜サル。
2章 労資協調及ビ融和事業
1節 労資協調
1款 友愛会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正4年6月1日
(1915年)
第31巻 p.420-436(DK310066k)
是ヨリ先、アメリカ合衆国カリフォルニア州ニ排日問題起ルヤ、シドニー・エル・ギューリック等ノ請ニヨリ、米国労働大会ヘ代表ヲ派遣センガ為メ、栄一、安部磯雄・添田寿一ト謀リ、当会会長鈴木文治ヲシテ列席セシムベク尽力ス。是日当会主催全国労働大会ニ出席シ送別演説ヲナス。爾後当会並ニ鈴木文治ニ対シ絶エズ激励援助ヲ与フ。
大正4年6月17日
(1915年)
第31巻 p.436-437(DK310067k)
当会ノ鈴木文治及ビ吉松貞弥ノ両名、労働代表者トシテ渡米スルニ際シ、是日栄一、之ヲ兜町事務所ニ招キテ送別会ヲ催ス。
大正5年6月20日
(1916年)
第31巻 p.437-438(DK310068k)
是日栄一、当会江東支部聯合講演会ニ出席シ、一場ノ講演ヲナス。
大正6年4月8日
(1917年)
第31巻 p.438-440(DK310069k)
是月六日ヨリ当会創立五周年祝賀大会開カレ、是日栄一、飛鳥山邸ニ於テ園遊会ヲ催ス。
大正8年8月31日
(1919年)
第31巻 p.440-450(DK310070k)
是ヨリ先栄一、協調会設立ニ際シ労働団体ノ代表ヲモ其発起人中ニ加ヘントシ、当会会長鈴木文治ト種々折衝セシガ、是日当会七周年大会ノ開カルルニ際シ鈴木文治協調会入会ヲ拒絶ス。
大正8年9月22日
(1919年)
第31巻 p.450-456(DK310071k)
第一回国際労働会議労働側代表委員選定ニ関シ事態紛糾スルヤ、是日栄一、当会会長鈴木文治ヲ招キテ代表委員選定協議員会ノ経過ヲ聴取シ、当会側ノ主張ヲ認メ、之ヲ支持ス。
2款 財団法人協調会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正7年11月9日
(1918年)
第31巻 p.457-464(DK310072k)
是ヨリ先労働問題漸ク擡頭スルニ及ビ政府亦之ガ対策ヲ講セントス。是日栄一、内務大臣床次竹二郎ノ請ニ応ジテ其ノ意見ヲ開陳ス。次イデ貴族院議長公爵徳川家達・衆議院議長大岡育造・子爵清浦奎吾等ト屡々資本労働問題協議会ヲ開キテ、民設ノ労資協調機関ノ設立ヲ計リ、翌八年七月二十五日銀行集会所ニ都下新聞社代表者ヲ招待シテ当会設立趣意内示会ヲ開ク。
大正8年8月16日
(1919年)
第31巻 p.464-484(DK310073k)
是日栄一、貴族院議長公爵徳川家達・衆議院議長大岡育造・子爵清浦奎吾等ト謀リテ帝国ホテルニ当会発起人会ヲ催ス。
大正8年8月31日
(1919年)
第31巻 p.484(DK310074k)
是ヨリ先栄一、当会設立ニ際シ労働団体ノ代表ヲモ其発起人中ニ加ヘントシ、友愛会会長鈴木文治ト種々折衝セシガ、是日友愛会七周年大会ノ開カルルニ際シ、鈴木文治ハ当会入会ヲ拒絶ス。
大正8年9月13日
(1919年)
第31巻 p.484-489(DK310075k)
是日首相官邸ニ於テ当会ヲ財団法人トセンガ為メノ寄附金募集ニ関スル協議会開カレ、次イデ十月二十三日同ジク首相官邸ニ第二回協議会開カル。栄一両回トモ出席シ、発起人代表トシテ挨拶ス。
大正8年12月22日
(1919年)
第31巻 p.489-493(DK310076k)
是ヨリ先、当会ハ主務大臣ニ対シ財団法人ノ認可申請ヲナシ、是日認可ヲ受ク。栄一評議員・常議員・理事・副会長ニ就任、歿年ニ至ル。
大正9年1月9日
(1920年)
第31巻 p.493-496(DK310077k)
是日栄一、当会主催ノ職業紹介所員招宴ニ出席ス。
大正9年2月3日
(1920年)
第31巻 p.496(DK310078k)
是日栄一、当会主催ノ、国際労働会議参列者鎌田栄吉・岡実・枡本卯平等ノ帰朝歓迎会ニ出席ス。
大正9年2月3日
(1920年)
第31巻 p.496-507(DK310079k)
是日栄一、当会理事会ニ出席ス。爾後理事会・評議員会・常議員会・幹部会等ニ屡々出席ス。
大正9年4月12日
(1920年)
第31巻 p.507-511(DK310080k)
是日当会主催社会政策講習所開所式行ハル。栄一之ニ出席シテ告辞ヲ述ブ。次イデ同年十二月ノ第二回講習会ニハ、科外講義トシテ「社会道徳ニ就テ」ト題スル講演ヲナス。
大正9年7月21日
(1920年)
第31巻 p.511-516(DK310081k)
是ヨリ先、富士瓦斯紡績株式会社押上工場対友愛会紡織労働組合押上支部ノ争議勃発ス。同社長和田豊治当会理事タルヲ以テ、友愛会本部ハ当会ニ対シ公開状ヲ発ス。是日当会、理事会ヲ開キ、友愛会ノ公開状ニ対シテハ答弁ノ必要ナク、争議ニ関シテモ当会ノ干与スベキモノニ非ザル旨ノ宣明書ヲ発表ス。栄一、当会副会長トシテ之ニ与ル。
大正9年9月
(1920年)
第31巻 p.516-524(DK310082k)
是月当会機関雑誌「社会政策時報」発刊セラル。栄一創刊号ニ「労働問題解決ノ根本義」ナル論説ヲ発表シ、十一月ニ公表セラレシ「協調会宣言」ト共ニ長ク当会ノ根本主義トナル。
大正9年10月2日
(1920年)
第31巻 p.524-528(DK310083k)
是ヨリ先、当会事業部長松岡均平・調査部長桑田熊蔵相次イデ辞任ス。是日栄一、内務大臣床次竹二郎ト協議シ、地方局長添田敬一郎・元鉄道省経理局長永井亨・内務書記官田沢義鋪ヲ入会セシメ、以テ内部ノ刷新ヲ図ル。
大正10年2月11日
(1921年)
第31巻 p.528-529(DK310084k)
是日当会主催ノ下ニ松岡均平ノ帰朝談会開催セラレ、栄一之ニ出席ス。
大正10年4月1日
(1921年)
第31巻 p.529-532(DK310085k)
是日当会、労働雑誌「人と人」創刊号ヲ発刊ス。栄一、同号ニ労資両者ノ自覚ヲ促セル論説ヲ掲グ。
大正10年4月6日
(1921年)
第31巻 p.532-533(DK310086k)
是日栄一、伏見宮家ノ実業家招待会ニ出席シ、当会ノ沿革ソノ他ニ関スル講演ヲナス。
大正10年5月6日
(1921年)
第31巻 p.533-534(DK310087k)
是日栄一、当会主催ノ地方長官招待会ニ出席ス。
大正10年7月28日
(1921年)
第31巻 p.534(DK310088k)
是日栄一、当会主催ノ国際労働会議参列者送別会ニ出席ス。
大正11年6月1日
(1922年)
第31巻 p.534-537(DK310089k)
是日、当会経営ニカカル善隣館開館式挙行セラレ、栄一之ニ出席ス。尚栄一、当会ノ為メ尽力スル所多シ。
大正12年6月23日
(1923年)
第31巻 p.537-539(DK310090k)
栄一、引続キ当会ノ為メ尽瘁シ来リシガ、是日当会ノ経営ニカカル協調会館開館式挙行セラレ、之ニ出席ス。
大正12年9月21日
(1923年)
第31巻 p.539-545(DK310091k)
関東大震災ニ際シ内務大臣後藤新平ノ請ニヨリ、栄一、協調会ヲ代表シテ応急救護ニ尽力シ、是日協調会館ニ開カレタル当会主催ノ震災善後策協議会ニ出席シテ一場ノ演説ヲナス。
大正13年10月11日
(1924年)
第31巻 p.545-559(DK310092k)
是ヨリ先九月下旬、当会内務省ノ事務監査ヲ受ク、蓋シ世評ニ依ル所ナリ。其ノ復命要綱写ヲ交付サレタルニ付、是日当会常務理事添田敬一郎之ヲ栄一ニ送達ス。
大正15年7月2日
(1926年)
第31巻 p.559-571(DK310093k)
是ヨリ先当会内部ニ関シ種々ノ世評ヲ招ク。栄一之ヲ廓清セントシ、副会長床次竹二郎等ト謀リ、理事永井亨辞任ヲ機トシ、是日、理事会ニ於テ事務分掌規定ヲ改メ、爾後社会問題ノ調査研究ニ主力ヲ注グ事ニ定ム。
昭和3年4月19日
(1928年)
第31巻 p.572-584(DK310094k)
是ヨリ先、野田醤油株式会社ニ争議起リ、既ニ二百余日ニ及ブ。栄一之ヲ憂ヘ、鈴木文治・松岡駒吉ト種々折衝シ、当会常務理事添田敬一郎ヲシテ調停ニ立タシメ、是日解決ス。
昭和6年12月12日
(1931年)
第31巻 p.584-594(DK310095k)
是年十一月十一日栄一歿スルヤ、当会、東京市・中央社会事業協会・国際聯盟協会ト共同主催ノ下ニ、日比谷公会堂ニ追悼講演会ヲ開催ス。席上当会ヲ代表シテ副会長床次竹二郎、「渋沢翁と労働問題」ト題スル追悼演説ヲナス。
3款 其他 1. 財団法人日本労働慰安会
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大正7年9月1日
(1918年)
第31巻 p.595-598(DK310096k)
是日栄一、当会慰安講演会ニ出席、演説ヲナス。次イデ同九年二月十五日同ジク之ニ出席シ、演説ヲナス。
3款 其他 2. 東京労働聯合会
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大正8年7月15日
(1919年)
第31巻 p.598(DK310097k)
是日栄一、東京労働聯合会発会式ニ出席、祝辞ヲ述ブ。
3款 其他 3. 労働問題懇談会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第31巻 p.598-600(DK310098k)
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3款 其他 4. 商工青少年向上助成会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第31巻 p.600(DK310099k)
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3款 其他 5. 商工青年慰安会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第31巻 p.600-602(DK310100k)
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3款 其他 6. 労働自治会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第31巻 p.602-604(DK310101k)
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4款 労働問題ニ対スル栄一ノ意見
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大正6年6月18日
(1917年)
第31巻 p.605-662(DK310102k)
是ヨリ先明治四十五年、栄一、ソノ著書「青淵百話」中ニ「当来の労働問題」ト題シテ労働問題ニ対スル意見ヲ発表、更ニ是日、竜門社評議員会談話会ニ於テ、労資協調問題ニ就テノ談話ヲナス。爾後屡々之ニ就テノ意見ヲ諸会合ノ席上又ハ雑誌新聞紙等ニ発表ス。
2節 融和事業
1款 帝国公道会
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大正2年10月9日
(1913年)
第31巻 p.663-677(DK310103k)
是日「帝国公道会」首唱者協議会、東京商業会議所ニ開催セラル。栄一出席シ、座長席ニ就キ議事ヲ宰ス。
2款 同愛会
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大正12年
(1923年)
第31巻 p.678-719(DK310104k)
是ヨリ先大正十年、同愛会組織セラル。同会主宰者有馬頼寧ヲ後援スル目的ヲ以テ、是年栄一等相謀リテ「有馬頼寧氏後援会」ヲ結成ス。爾後栄一昭和二年同会解散ニ至ル迄種々援助ス。
3款 財団法人中央社会事業協会地方改善部
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大正13年2月7日
(1924年)
第31巻 p.720-726(DK310105k)
是日、地方改善融和促進事業ニ就イテノ懇談会、丸ノ内中央亭ニ開催セラル。栄一財団法人中央社会事業協会会長トシテ之ニ与ル。
大正13年4月15日
(1924年)
第31巻 p.726-728(DK310106k)
是日、当部大正十三年度事業計画ニ関スル協議会中央亭ニ開催セラル。栄一、中央社会事業協会長トシテ之ニ与ル。
大正13年9月11日
(1924年)
第31巻 p.728-733(DK310107k)
是日栄一、当部事業ニ関スル打合会ニ出席ス。
大正14年5月16日
(1925年)
第31巻 p.733-734(DK310108k)
是日並ニ翌十七日、当部事業ノ一トシテ全国融和事業大会、協調会館ニ於テ開催セラル。栄一、当協会会長トシテ之ニ与ル。
4款 中央融和事業協会
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大正14年10月
(1925年)
第31巻 p.735-739(DK310109k)
是月栄一、当協会会長平沼騏一郎ノ懇請ニヨリ、当協会顧問ニ就任ス。
5款 融和事業関係諸資料 1. 埼玉県大里郡融和会
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大正10年4月10日
(1921年)
第31巻 p.740(DK310110k)
是日、埼玉県大里郡融和会創立総会開催セラル。栄一之ニ祝辞ヲ贈ル。
5款 融和事業関係諸資料 2. 雑
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第31巻 p.740-744(DK310111k)
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3節 内鮮融和
1款 大東同志会
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大正10年4月6日
(1921年)
第31巻 p.745-750(DK310112k)
是日鮮于〓、栄一ヲ訪問シテ、大東同志会ノ事ヲ談ス。爾来栄一、ソノ事業ヲ援助シテ、寄附金等ヲ斡旋ス。
2款 財団法人相愛会
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大正10年12月23日
(1921年)
第31巻 p.751-759(DK310113k)
内地ニ渡来セル朝鮮人ノ救済並ニ内鮮融和ヲ企図シテ李起東・朴春琴等、是日相愛会ヲ組織ス。栄一之ガ顧問ヲ依嘱セラレ、種々尽力ス。
3款 同民会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正13年4月15日
(1924年)
第31巻 p.760-767(DK310114k)
是日、安藤又三郎・朴泳孝等ニ依リテ組織セラレタル当会ノ発会式京城ニ於イテ催サレ、栄一顧問ニ推サル。在任歿年ニ及ブ。
4款 日鮮懇話会
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大正13年7月18日
(1924年)
第31巻 p.768-770(DK310115k)
是ヨリ先栄一、内鮮融和ノタメノ一機関ヲ設立セントシ、是日銀行倶楽部ニ会員ニ予定セル人々ヲ招請、会ノ成立ヲ見、名称ヲ日鮮懇話会ト定ム。
5款 光明会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正15年6月12日
(1926年)
第31巻 p.771-778(DK310116k)
是ヨリ先三月四日、中華民国間島ニ於テ当会ヲ経営セル日高丙子郎、朝鮮総督子爵斎藤実ノ紹介ニヨリ栄一ヲ訪ヒ、当会ヘノ援助ヲ乞フ。仍ツテ、是日栄一、工業倶楽部ニ日鮮懇話会会員ヲ招集シテ援助ノ件ヲ議シ、金一万六千余円ヲ醵集シテ同会ニ贈ル。
6款 向上会館
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正15年6月12日
(1926年)
第31巻 p.779-786(DK310117k)
是ヨリ先四月、京城ニ於テ向上会館ヲ経営セル青森徳英・渓内弌恵等、朝鮮総督子爵斎藤実ノ紹介ニヨリ栄一ヲ訪ヒ、当会館ヘノ援助ヲ乞フ。仍ツテ、是日栄一、日鮮懇話会ニ謀リテ寄附金ヲ募リ、八月之ヲ贈ル。
7款 内鮮融和関係諸資料
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第31巻 p.787-788(DK310118k)
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