デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.13

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

6章 学術及ビ其他ノ文化事業
1節 学術
8款 財団法人理化学研究所
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正2年6月23日
(1913年)
第47巻 p.5-19(DK470001k)
是ヨリ先、高峰譲吉・高松豊吉等、国民科学研究所ノ設立ヲ提唱スルヤ、栄一之ニ賛成シ、是日、築地精養軒ニ於テ、次イデ七月三日、帝国ホテルニ於テ、協議会ヲ開キ、化学研究所ノ設立ヲ決議ス。栄一其規定及ビ予算ノ調査委員トナル。次イデ十二月十二日、東京商業会議所ニ於テ、第一回委員会ヲ開キ、翌三年三月十九日付ヲ以テ、貴族院及ビ衆議院ニ化学研究所設立ニ関スル請願書ヲ提出ス。
大正3年7月3日
(1914年)
第47巻 p.19-22(DK470002k)
是ヨリ先、化学研究所設立ニツキ、総理大臣大隈重信賛意ヲ表ス。仍ツテ、是日栄一等、農商務省付属工業試験所ニ於テ、政府側委員ト計画ヲ協議ス。偶々欧洲大戦勃発シ、是議一時中止トナル。
大正4年3月26日
(1915年)
第47巻 p.22-31(DK470003k)
是ヨリ先、農商務省ニ設置セラレタル化学工業調査会ハ、化学研究所設立ノ建議ヲナシ、後更ニ之ヲ拡張シテ理化学研究所ノ設立ヲ図ラントス。仍ツテ栄一等ノ発起セル化学研究所設立案ト合流シ、是日、理化学研究所設立案成ル。
大正4年6月19日
(1915年)
第47巻 p.31-34(DK470004k)
是日栄一、大隈重信邸ニ於テ開催セラレタル当研究所設立協議会ニ臨ミ、設立委員ニ選バル。
大正4年6月24日
(1915年)
第47巻 p.34-42(DK470005k)
是日栄一、農商務省ニ於テ開カレタル当研究所第一回設立委員会ニ出席シ、議長トナリ、従来ノ経過ヲ説明シ、資金・組織・方針等ニ関シテ協議ス。更ニ特別委員五名ヲ指名シ、自ラモマタ特別委員タリ。次イデ七月二日特別委員会ヲ開キ、本事業ニ対スル御下賜金並ニ国庫補助金ノ有無、及ビ民間醵金ニ就キ協議シ、前二項ハ栄一ヨリ大隈首相ニ協議スベキコトヲ決ス。
大正5年1月21日
(1916年)
第47巻 p.42-71(DK470006k)
是日、栄一等当研究所設立委員ヨリ総理大臣大隈重信・大蔵大臣武富時敏・農商務大臣河野広中ニ宛テ、当研究所設立ノ件ニツキ建議書ヲ提出シ、国庫補助ヲ申請ス。政府其議ヲ容レ、第三十七回帝国議会ノ協賛ヲ経テ、三月六日、向フ十年間ニ金二百万円ノ補助金下付ノ大正五年法律第十六号ヲ公布ス。
大正5年7月3日
(1916年)
第47巻 p.71-82(DK470007k)
是日、総理大臣官邸ニ於テ、六大都市ノ実業家等四十七名ヲ招キテ、当研究所第一回設立協議会開カル。栄一出席シテ従来ノ経過ヲ報告シ、発起人ノ選定ニ与ル。栄一モ亦発起人トナル。
大正5年10月5日
(1916年)
第47巻 p.82-94(DK470008k)
是日栄一、当研究所第二回設立協議会ニ出席、創立委員ニ選バル。次イデ十八日東京商業会議所ニ開カレタル創立委員会ニ於テ、推サレテ創立委員長トナリ、十九日常務委員ヲ指名ス。爾後当研究所設立ノタメニ政府トノ交渉、帝室御下賜金ノ請願及ビ東京其他各地富豪ニ対スル寄付金募集ニ奔走シ、十二月九日東京商業会議所ニ開カレタル常務委員会ニ出席シテ寄付ノ情況ニツキ説明ス。
大正6年1月5日
(1917年)
第47巻 p.94-100(DK470009k)
是日栄一、宮内省ニ宮内大臣波多野敬直ヲ訪ヒ、当研究所御下賜金ニツキ請願ス。尚、二月十六日、同二十七日、寄付行為審議ニツキ中野武営・桜井錠二等ト会談シ、三月三日、東京商業会議所ニ開カレタル常務委員会ニ出席シテ、寄付行為原案可決ニ参与ス。同日金三万円ノ寄付申込ヲナス。
大正6年3月12日
(1917年)
第47巻 p.100-107(DK470010k)
是月八日、栄一、東京商業会議所ニ於ケル常務委員会ニ出席、又是日、首相官邸ニ開カレタル設立協議会ニ出席シテ、創立委員長トシテ経過ノ大要ヲ述ブ。次イデ翌十三日、東京商業会議所ニ創立委員会ヲ開キ、栄一、寄付行為ニツキ説明シテ承認ヲ得。
大正6年3月20日
(1917年)
第47巻 p.107-110(DK470011k)
是日、当研究所財団法人トシテ設立許可セラレ、二十四日、大正五年法律第十六号ニ関スル勅令公布セラル。次イデ二十七日、東京商業会議所ニ於テ設立者総会開カル。栄一評議員ニ推サル。
大正6年3月28日
(1917年)
第47巻 p.110-117(DK470012k)
是日、伏見宮貞愛親王当研究所総裁ニ就任、同日栄一、副総裁ヲ委嘱セラレ、在任歿年ニ及ブ。
大正6年4月19日
(1917年)
第47巻 p.117-118(DK470013k)
是日、当研究所事務所ニ於テ、第一回理事会開カル。栄一出席シテ、創立費等ニ関スル説明ヲナシ、創立事務引継ヲ了シ、創立委員長ノ任務ヲ終ル。
大正6年4月26日
(1917年)
第47巻 p.118-122(DK470014k)
是日栄一、宮内省ニ出頭シテ、当研究所ニ対スル帝室御下賜金百万円ノ御沙汰書ヲ拝受ス。是月二十三日ノ理事会ニ於テ、栄一、所長トシテ菊池大麓ヲ、次長トシテ桜井錠二ヲ推ス。五月二日ノ理事会ニ於テ、両者就任ヲ受諾ス。
大正6年5月12日
(1917年)
第47巻 p.122-126(DK470015k)
是日栄一、当研究所理事会ニ出席シ、当研究所寄付行為ニツキ代表者タル所長ノ職制ヲ制定スベシト提議ス。次イデ六月十一日、当研究所寄付金募集ノタメ、首相官邸ニ於テ開催セラレタル総理大臣寺内正毅ノ富豪・篤志家招待会ニ臨ミ、当研究所設立ノ経過並ニ寄付金募集ノ状態ニツキ説明シ、資金募集方ヲ斡旋ス。
大正6年6月29日
(1917年)
第47巻 p.126-131(DK470016k)
是日当研究所評議員会ニ於テ、先ニ理事会ニテ決定セル事業計画案・寄付行為改正案及ビ当研究所規則案等ヲ可決、栄一理事ニ推サレ、在任歿年ニ及ブ。
大正6年7月10日
(1917年)
第47巻 p.132-136(DK470017k)
是日栄一、当研究所事務所ニ開カレタル理事会ニ出席、当研究所敷地トシテ、東京府立巣鴨病院跡ノ譲受方出願ノ件等ヲ決議ス。更ニ七月二十一日東京商業会議所ニ於ケル評議員会ニ出席、寄付行為及ビ規則一部改正等ヲ決議、引続キ当研究所事務所ニ於ケル理事会ニ出席ス。
大正6年8月23日
(1917年)
第47巻 p.136-138(DK470018k)
是月十九日、当研究所所長菊池大麓逝去ス。是日栄一、青山斎場ニ於ケル告別式ニ臨ミ、理事総代トシテ弔辞ヲ呈ス。
大正6年9月1日
(1917年)
第47巻 p.138-142(DK470019k)
是日栄一、当研究所事務所ニ開カレタル理事会ニ出席シ、後任所長銓衡委員トナル。次イデ十月三日ノ理事会ニ於テ、後任所長トシテ古市公威ヲ推ス。古市就任シ、十一月十九日理事会ニ於テ栄一ソノ経緯ヲ説明ス。
大正6年12月8日
(1917年)
第47巻 p.142-145(DK470020k)
是日栄一、当研究所所長古市公威ト共ニ、関西地方ノ寄付金募集ノ途ニ上リ、神戸・大阪・京都・名古屋ニ於テ協議会ヲ開キ、十二日帰京ス。次イデ十七日理事会ニ出席シテソノ報告ヲナス。
大正7年1月16日
(1918年)
第47巻 p.145-147(DK470021k)
是日栄一、当研究所理事会ニ出席シ、建設費予算案其他ヲ議ス。
大正7年3月6日
(1918年)
第47巻 p.147-148(DK470022k)
是日及ビ十二日・十九日、栄一貴族院ニ総理大臣寺内正毅ヲ訪ヒ、当研究所寄付金ニツキ陳述シ、次イデ二十二日開カレタル理事会ニ出席シテ、関西地方ノ寄付情況ヲ説明ス。
大正7年6月20日
(1918年)
第47巻 p.148-152(DK470023k)
栄一、是ヨリ先五月二十四日ノ当研究所理事会ニ出席シ、更ニ是日開カレタル理事会・評議員会ニ出席、評議員会ニテハ寄付情況ヲ説明ス。尚、引続キ関西地方ノ寄付募集ニツキ尽力ス。
大正7年9月20日
(1918年)
第47巻 p.152-154(DK470024k)
是日栄一、当研究所理事会ニ出席ス。更ニ十月二十六日・十二月二十日ノ理事会ニ出席ス。
大正8年1月27日
(1919年)
第47巻 p.154-158(DK470025k)
是日、東京商業会議所ニ於テ、当研究所評議員会開カル。栄一出席シテ、寄付金募集ニ関スル報告ヲナス。
大正8年6月25日
(1919年)
第47巻 p.158-162(DK470026k)
栄一、是ヨリ先四月三十日ニ開カレタル当研究所理事会、並ニ是月十六日ノ理事会・評議員会ニ出席、更ニ是日、帝国ホテルニ新聞記者ヲ招キテ開カレタル、当研究所第一回成績報告及ビ今後ノ計画発表会ニ出席シ、報告ヲナス。
大正8年7月8日
(1919年)
第47巻 p.162-163(DK470027k)
是日総理大臣原敬、当研究所資金募集ノタメ、官邸ニ東京・大阪・神戸・京都・名古屋及ビ福岡ノ有力者ヲ招待ス。栄一出席シテ勧誘演説ヲナス。次イデ九月三十日、当研究所理事会ニ出席ス。
大正8年11月26日
(1919年)
第47巻 p.163-168(DK470028k)
是日、帝国ホテルニ於テ、当研究所総裁伏見宮貞愛親王奉戴式挙行セラル。栄一列席シ、当研究所ノ沿革及ビ現況ヲ報告ス。
大正9年1月30日
(1920年)
第47巻 p.168-172(DK470029k)
是日栄一、帝国鉄道協会ニ於ケル当研究所評議員会ニ出席ス。六月十四日、評議員会ニ於テ、同月二十九日ヲ以テ任期満了ノ栄一ヲ、更ニ理事ニ推薦、栄一重任ス。次イデ栄一、十一月二十九日ノ理事会ニ出席ス。
大正10年1月29日
(1921年)
第47巻 p.172-174(DK470030k)
是日栄一、日本工業倶楽部ニ開カレタル当研究所理事会及ビ評議員会ニ出席ス。
大正10年2月24日
(1921年)
第47巻 p.174-177(DK470031k)
是日栄一、日本工業倶楽部ニ開カレタル当研究所理事会ニ出席、国庫補助増額申請書ノ文案ニツキ修正ヲ提議シテ一任セラル。次イデ五月三十日ノ理事会、六月二十九日ノ評議員会ニ出席ス。
大正10年9月20日
(1921年)
第47巻 p.177-183(DK470032k)
是ヨリ先、当研究所所長古市公威・副所長桜井錠二辞任ノ意アリ、是日、日本工業倶楽部ニ開カレタル理事会ニ於テ、栄一議長トナリ、ソノ辞任ヲ承認シ、併セテ後任所長トシテ大河内正敏推薦ノ議ヲ決ス。次イデ九月二十八日理事会・評議員会開カレ、栄一ソノ経緯ヲ報告ス。尚、十月七日ノ理事会ニ於テ、懸案タリシ国庫補助増額ニ関スル申請書草案ヲ新所長ニ引継グ。
大正11年4月4日
(1922年)
第47巻 p.183-188(DK470033k)
是日栄一、総裁伏見宮貞愛親王ノ実業家招待会ノ席上、当研究所ノ沿革ニツキ御前講演ヲナス。
大正11年5月25日
(1922年)
第47巻 p.188-191(DK470034k)
是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当研究所理事会開カレ、栄一出席ス。次イデ六月二十九日、同所ニ於テ、理事会及ビ評議員会開カレ、栄一出席ス。
大正11年10月2日
(1922年)
第47巻 p.191-193(DK470035k)
是日、総裁伏見宮貞愛親王、当研究所ニ台臨アリ、栄一出向シテ拝謁ス。
大正11年10月14日
(1922年)
第47巻 p.193-195(DK470036k)
是日、日本工業倶楽部ニ於テ当研究所理事会、十九日、当研究所第三号館ニ於テ臨時評議員会開カレ、栄一出席ス。次イデ十二月十五日、日本工業倶楽部ニ於テ理事会開カレ、栄一出席ス。
大正12年1月29日
(1923年)
第47巻 p.195-204(DK470037k)
是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当研究所理事会及ビ評議員会開カレ、栄一出席ス。
四月二日、当研究所ニ対スル国庫補助金増額ニ関スル法律第四十号公布セラル。
大正12年11月20日
(1923年)
第47巻 p.204-208(DK470038k)
是年二月四日、当研究所総裁伏見宮貞愛親王薨去セラル。栄一、所長大河内正敏トハカリ、新総裁ニ伏見宮博恭王奉戴ニ決ス。是日、当研究所第一号館ニ於テ、総裁奉戴式行ハレ、栄一列席ス。
大正12年12月10日
(1923年)
第47巻 p.208-209(DK470039k)
是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当研究所理事会開カレ、栄一出席ス。
大正13年1月19日
(1924年)
第47巻 p.209-211(DK470040k)
是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当研究所評議員会開カレ、栄一出席ス。次イデ四月三十日ノ理事会ニ出席ス。
大正13年6月14日
(1924年)
第47巻 p.211-215(DK470041k)
是日栄一、日本工業倶楽部ニ於ケル当研究所理事会ニ出席、次イデ開カレタル評議員会ニ於テ、農業ニ関スル研究ヲナスベキ旨提議ス。
大正14年1月30日
(1925年)
第47巻 p.215-218(DK470042k)
是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当研究所理事会及ビ評議員会開カレ、栄一出席ス。
大正14年12月10日
(1925年)
第47巻 p.218(DK470043k)
是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当研究所理事会開カレ、栄一出席ス。
大正15年1月27日
(1926年)
第47巻 p.218-220(DK470044k)
是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当研究所評議員開カレ、栄一出席ス。
大正15年6月4日
(1926年)
第47巻 p.220-221(DK470045k)
是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当研究所評議員会開カル。栄一出席シ、理事ニ再選セラル。十二月二日、日本工業倶楽部ニ於テ当研究所理事会開カレ、栄一出席ス。
昭和2年6月15日
(1927年)
第47巻 p.221-227(DK470046k)
是日栄一、日本工業倶楽部ニ開カレタル当研究所理事会・評議員会ニ出席ス。評議員会ニ於テ当研究所ノ発明ヲ工業化スル会社設立ニツキ報告アリ。七月二十七日開カレタル理事会・評議員会ハ、理化学興業株式会社設立賛同ノ決議ヲナス。栄一出席ス。次イデ十二月七日ノ理事会ニ出席ス。
昭和3年1月24日
(1928年)
第47巻 p.227-228(DK470047k)
是日栄一、日本工業倶楽部ニ開カレタル当研究所評議員会ニ出席ス。理化学興業株式会社成立ノ件報告セラル。十二月十四日、日本工業倶楽部ニ開カレタル理事会ニ出席ス。
昭和4年6月17日
(1929年)
第47巻 p.229(DK470048k)
是日栄一、当研究所理事ニ再選セラル。
昭和5年6月12日
(1930年)
第47巻 p.229-230(DK470049k)
是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当研究所理事会及ビ評議員会開カレ、栄一出席ス。
昭和6年11月15日
(1931年)
第47巻 p.230-232(DK470050k)
是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、当研究所所長大河内正敏弔詞ヲ贈ル。
昭和7年1月21日
(1932年)
第47巻 p.232-236(DK470051k)
是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当研究所理事会開カレ、栄一ノ功績ヲ記念スルタメ、当研究所講堂内ニ肖像写真ノ扁額ヲ掲ゲルコト、及ビ当研究所ニ於テ胸像ヲ鋳造シ、所内適当ノ個所ニ建設スルコトヲ決議ス。
9款 財団法人東照宮三百年祭記念会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正3年7月13日
(1914年)
第47巻 p.237-240(DK470052k)
是年五月、栄一、当会評議員トナル。是日、華族会館ニ於ケル第一回評議員会ニ出席シ、特別委員ヲ委嘱セラル。次イデ二十五日、麹町区内幸町貴族院議長官舎ニ於ケル当会賛助首唱者相談会ニ出席ス。
大正3年9月24日
(1914年)
第47巻 p.240-243(DK470053k)
是日栄一、華族会館ニ於ケル当会評議員会ニ出席シ、規則改訂ヲ議ス。
大正4年7月4日
(1915年)
第47巻 p.243(DK470054k)
是日、徳川家達邸ニ於テ開カレタル、当会常務理事会席上、栄一ノ寄付金千円報告セラル。
大正5年5月9日
(1916年)
第47巻 p.243-245(DK470055k)
是日栄一、華族会館ニ於ケル当会評議員会ニ出席ス。同七年四月九日、同ジク当会評議員会ニ出席ス。
大正12年3月29日
(1923年)
第47巻 p.245-247(DK470056k)
是日栄一、華族会館ニ於ケル当会評議員会ニ出席シ、寄付金募集ノ議ニ与ル。
大正15年3月30日
(1926年)
第47巻 p.247-252(DK470057k)
是ヨリ先、当会ハ財団法人組織ニ改メラレ、栄一引続キ評議員タリ。是日栄一、華族会館ニ於ケル当会評議員会ニ出席ス。尚寄付金募集ニ尽力ス。
昭和4年9月24日
(1929年)
第47巻 p.252-253(DK470058k)
是日栄一、当会寄付行為第二十五条ニヨリ、重ネテ評議員ヲ委嘱セラレ、在任歿年ニ及ブ。
10款 大日本文明協会・財団法人文明協会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正7年10月26日
(1918年)
第47巻 p.254-259(DK470059k)
是ヨリ先明治四十一年八月、栄一当協会特別賛助会員トナル。是日、大隈重信邸ニ於テ、当協会創立十周年記念会開催セラル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正8年7月13日
(1919年)
第47巻 p.259-260(DK470060k)
是日、東京高等商業学校講堂ニ於テ、当協会主催学術講演会挙行セラル。栄一出席シテ労資問題ニツキテ演説ヲナス。
大正9年11月7日
(1920年)
第47巻 p.260-261(DK470061k)
是日、大隈重信邸ニ於テ、当協会難関突破記念大会開催セラレ、栄一、評議員ヲ委嘱セラル。
大正10年4月9日
(1921年)
第47巻 p.261-262(DK470062k)
是日栄一、大隈重信邸ニ於テ開カレタル、当協会臨時評議員顧問賛助会員総会ニ出席ス。次イデ六月十一日、当協会第二十一回時局研究会ニ出席ス。
大正12年5月26日
(1923年)
第47巻 p.262-263(DK470063k)
是日栄一、大隈会館ニ於テ開カレタル、当協会第三十二回時局研究会ニ出席ス。
大正12年6月
(1923年)
第47巻 p.263-265(DK470064k)
是月、当協会ノ事務所及ビ倉庫ヲ牛込区早稲田町三十四番地ニ新設ス。栄一ソノ費用トシテ金五百円ヲ寄付ス。
大正13年5月4日
(1924年)
第47巻 p.265-267(DK470065k)
是日栄一、大隈信常邸ニ於テ開カレタル、当協会評議員会ニ出席シ、日米問題ニ関スル談話ヲナス。
大正13年7月20日
(1924年)
第47巻 p.267-285(DK470066k)
是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当協会会長大隈信常ノ主催ニヨリ、日米問題特殊研究会開カル。栄一出席シテ座長ニ推サレ、意見ヲ述ブ。
大正13年12月7日
(1924年)
第47巻 p.285-289(DK470067k)
是日当協会、早稲田大隈会館ニ於テ、明治文化発祥記念会ヲ挙行ス。尚、同日当協会発行ノ「明治文化発祥記念誌」ニ栄一ノ談話筆記『維新当時を顧みて』掲載セラル。
大正14年7月22日
(1925年)
第47巻 p.289-292(DK470068k)
是日当協会、組織ヲ財団法人ニ改メ、名称ヲ文明協会トス。栄一引続キ評議員トシテ参与ス。在任歿年ニ及ブ。
昭和2年5月10日
(1927年)
第47巻 p.293(DK470069k)
是ヨリ先、大正十五年五月渡英留学中ナリシ、当協会編輯理事宮島新三郎、是日帰国ス。栄一、留学ニ際シテ、学資トシテ金千円ノ援助ヲナス。
昭和3年6月24日
(1928年)
第47巻 p.293-295(DK470070k)
是年当協会、創立二十周年ニ当ルヲ以テ、明治昭和戊辰記念会ノ挙行ヲ企画シ、是日記念式ヲ早稲田大隈会館ニ行フト共ニ、引続キ三日間、明治戊辰記念展覧会ヲ同所ニ開催ス。栄一「大蔵省出仕時代着用ノ直垂」及ビ「明治以前佩用ノ刀剣」ヲ出陳ス。
昭和6年11月15日
(1931年)
第47巻 p.295(DK470071k)
是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、当協会ヨリ弔詞ヲ贈ル。
11款 日下奨学財団法人
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正13年6月
(1924年)
第47巻 p.296-309(DK470072k)
是月、故日下義雄ノ遺志ニ基キ当財団法人設立セラル。栄一ソノ寄付行為第四章第九条ニ依リ理事及ビ評議員ニ任ジ、在任歿年ニ及ブ。
12款 其他 1. 三田理財学会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治42年5月29日
(1909年)
第47巻 p.310-311(DK470073k)
是日栄一、慶応義塾教堂ニ於テ開催セラレタル、当学会総会ニ出席シ「外資輸入に就て」ト題スル講演ヲナス。
明治45年6月15日
(1912年)
第47巻 p.311-318(DK470074k)
是日栄一、慶応義塾講堂ニ於テ開催セラレタル、当学会大会ニ出席シ「現時の経済状態」ト題スル講演ヲナス。
大正3年11月14日
(1914年)
第47巻 p.318(DK470075k)
是日栄一、慶応義塾ニ於テ開催セラレタル、当学会大会ニ出席シテ講演ヲナス。
12款 其他 2. 大日本商業学会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年4月22日
(1910年)
第47巻 p.319-324(DK470076k)
是日栄一、大阪中之島公会堂ニ於テ開カレタル、当学会大会ニ出席シ、「商業道徳」ト題スル演説ヲナス。
12款 其他 3. 工業改良協会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年6月11日
(1910年)
第47巻 p.324-330(DK470077k)
是ヨリ先栄一、当協会ノ顧問トナル。是日、築地ノ東京府立工芸学校ニ於テ、当協会総会開催セラル。栄一出席シ、会則改正条項ニ関スル意見ヲ述ブ。会議終了後、荘田平五郎等ト共ニ工業改良ニ開スル演説ヲナス。大正六年七月、当協会顧問ヲ辞ス。
12款 其他 4. ローマ字ひろめ会
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明治44年11月24日
(1911年)
第47巻 p.330-337(DK470078k)
是ヨリ先栄一、当会維持会員トナル。是日、築地精養軒ニ於テ、当会秋期大会開催セラレ、栄一出席シテ阪谷芳郎等ト共ニ演説ヲナス。
12款 其他 5. 応用化学万国会議
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大正元年8月4日
(1912年)
第47巻 p.338-339(DK470079k)
是年九月、アメリカ合衆国ワシントン及ビニューヨークニ於テ、第八回応用化学万国会議開催セラルルニツキ、栄一、政府ヨリ派遣ノ委員ノ外、民間ヨリ代表三名ノ派遣ヲ斡旋ス。是日栄一、此等ノ人々ヲ招キテ注意ヲ与フ。
12款 其他 6. 財団法人明治聖徳記念学会
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大正4年5月14日
(1915年)
第47巻 p.339-345(DK470080k)
是日栄一、九段偕行社ニ於ケル、当学会第十九回研究会ニ出席シテ講演ヲナス。後、終身会員トシテ金三百円ヲ寄付ス。
12款 其他 7. 日本会計協会
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大正6年5月28日
(1917年)
第47巻 p.345(DK470081k)
是日当協会創立セラレ、栄一、名誉会員ニ推サル。
12款 其他 8. 全国化学工業家大会
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大正6年11月15日
(1917年)
第47巻 p.345-349(DK470082k)
是日栄一、上野精養軒ニ於テ開カレタル当大会ニ出席シ、演説ヲナス。
12款 其他 9. 八基村立青淵図書館
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大正8年2月
(1919年)
第47巻 p.349-352(DK470083k)
是月栄一、埼玉県大里郡八基村立図書館建築費等トシテ金一万五千円ヲ寄付ス。当館ハ同十四年八基村立青淵図書館ト称ス。
12款 其他 10. 三田社会学会
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大正10年6月11日
(1921年)
第47巻 p.352-358(DK470084k)
是日栄一、慶応義塾大学ニ於テ開催セラレタル、当学会講演会ニ出席シ「協調会と社会政策に就て」ト題スル演説ヲナス。
12款 其他 11. 静岡県立葵文庫
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大正14年3月28日
(1925年)
第47巻 p.358-361(DK470085k)
是ヨリ先、栄一、当文庫創設費ニ関シテ尽力スルトコロアリ。是日当文庫開館式ニ案内ヲ受ケタルモ、病気ノタメ出席セズ。
昭和5年5月21日
(1927年)
第47巻 p.361-362(DK470086k)
是日栄一、先ニ当文庫創設費中ニ寄付ヲナセルニヨリ、褒章条令ニヨリ、紺綬褒章ニ付スベキ金飾版一個ヲ下賜セラル。
昭和6年11月15日
(1931年)
第47巻 p.362(DK470087k)
是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、当文庫ヨリ弔詞ヲ贈ル。
12款 其他 12. 財団法人真鍋奨学財団
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昭和2年8月
(1927年)
第47巻 p.363-366(DK470088k)
是ヨリ先、東京帝国大学医学部教授真鍋嘉一郎ノ功績ヲ記念スルタメ、奨学資金設定ノ議起リ、是年六月、之ガ募集ヲ開始ス。是月栄一、金千円ヲ寄付ス。
12款 其他 13. 国際統計協会会議
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昭和5年3月25日
(1930年)
第47巻 p.366-369(DK470089k)
是年九月、東京ニ於テ開催セラルベキ第十九回国際統計協会会議ニツキ、是日栄一、当会議名誉委員長タル総理大臣浜口雄幸ヨリ名誉委員ニ推薦セラル。承諾ス。
12款 其他 14. 雑
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--第47巻 p.369-370(DK470090k)
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2節 演芸
1款 帝国劇場
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明治43年2月26日
(1910年)
第47巻 p.371-374(DK470091k)
是日栄一、東京商業会議所ニ於テ開カレタル、当劇場臨時株主総会ニヨリ、取締役ニ再選セラレ、更ニ互選ノ結果、取締役会長ニ就任ス。
明治43年7月1日
(1910年)
第47巻 p.374-375(DK470092k)
是日栄一、帝国ホテルニ於ケル当劇場主催、都下各新聞記者及ビ通信員招待会ニ出席シ、当劇場ノ披露演説ヲナス。翌二日、同ジク帝国ホテルニ開カレタル文士招待会ニ出席シテ演説ヲナス。
明治43年8月30日
(1910年)
第47巻 p.375-378(DK470093k)
是日、東京商業会議所ニ於テ、当劇場第七回定時株主総会開カレ、栄一出席ス。次イデ十月三日、帝国ホテルニ於テ、当劇場主催俳優招待会開カレ、栄一出席シテ演説ヲナス。
明治44年2月10日
(1911年)
第47巻 p.378-382(DK470094k)
是日、当劇場ニ於テ、新築落成披露会催サレ、栄一出席ス。
明治44年3月1日
(1911年)
第47巻 p.382-390(DK470095k)
是日及ビ翌二日両日ニ亘リ、当劇場ノ開場式挙行セラル。栄一出席シテ式辞ヲ述ブ。
明治44年6月28日
(1911年)
第47巻 p.390-393(DK470096k)
是月当劇場第五回興行ニ、栄一義子渋沢平九郎戦死ノ件ヲ脚色セル演劇「振武軍」上演セラル。是日栄一、同興行出演俳優慰労会ニ出席シテ、俳優一同ニ平九郎肖像入リノ扇子ヲ贈ル。次イデ七月三十一日当劇場重役会ニ出席シ、八月二十六日当劇場第九回定時株主総会ニ出席ス。
明治44年12月5日
(1911年)
第47巻 p.393-394(DK470097k)
是ヨリ先、当劇場ニ上演セラレタル第二回文芸協会演劇好評ニ終リタルヲ以テ、是日当劇場ニ於テ、出演者及ビ文芸協会幹部ヲ招待シテ慰労会催サル。栄一出席シテ挨拶ヲナス。次イデ是月二十八日当劇場重役会ニ出席ス。
明治45年1月1日
(1912年)
第47巻 p.394-398(DK470098k)
是日栄一、当劇場ニ赴キ、社員及ビ男女俳優他一同ト共ニ新年ヲ祝シ、年頭ノ訓示ヲナス。二月二十四日、当劇場第十回定時株主総会開カレ、栄一出席シテ専務取締役西野恵之助辞任、手塚猛昌就任ノ決議ニ与リ、二十五日更ニ当劇場ニ於テ社員ニ対シソノ交迭ノ理由ヲ説明ス。二十七日西野恵之助ノ洋行ヲ新橋停車場ニ送ル。
大正元年8月23日
(1912年)
第47巻 p.398-400(DK470099k)
是日栄一、当劇場第十一回定時株主総会ニ出席ス。次イデ十月十一日、管絃楽部ノ修業式ニ出席、訓示ヲナス。
大正2年2月28日
(1913年)
第47巻 p.400-401(DK470100k)
是日栄一、当劇場ニ於テ開カレタル、当劇場第十二回定時株主総会及ビ臨時株主総会ニ出席ス。
大正3年1月1日
(1914年)
第47巻 p.401-402(DK470101k)
是日栄一、当劇場ニ赴キ新年ヲ賀シ、演説ヲナス。次イデ二月二十八日、当劇場第十四回定時株主総会ニ出席ス。
大正3年7月23日
(1914年)
第47巻 p.402-405(DK470102k)
是日栄一、予テノ希望ニヨリ、当劇場取締役会長ヲ辞ス。依テ当劇場取締役会ニ於テ互選ノ結果、取締役大倉喜八郎ヲ後任ニ推薦ス。次イデ八月二十二日、栄一取締役ヲ辞ス。十一月五日、当劇場ニ於テ新旧会長及ビ重役送迎会開カレ、栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
大正3年9月18日
(1914年)
第47巻 p.405(DK470103k)
是日当劇場ハ取締役会ニ於テ、当劇場設立ニ功労多キ栄一ヲ、名誉顧問ニ推薦シ、当劇場内ニ栄一ノ胸像ヲ設置スルコトヲ決議ス。爾後栄一、名誉顧問トシテ尽力ス。
大正4年10月15日
(1915年)
第47巻 p.405-411(DK470104k)
是日、当劇場正面玄関ニ於テ、栄一ノ胸像除幕式行ハル。栄一コレニ臨席シ、取締役会長大倉喜八郎ノ式辞ノ後、謝辞ヲ述ブ。
昭和6年3月4日
(1931年)
第47巻 p.411-413(DK470105k)
是月当劇場ハ、明治四十四年開場以来二十周年ニ相当セルヲ以テ、是日東京会館ニ於テ、ソノ記念午餐会ヲ開催ス。栄一出席ス。
昭和6年11月15日
(1931年)
第47巻 p.413-414(DK470106k)
是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、当劇場取締役会長西野恵之助弔詞ヲ贈ル。
2款 帝国劇場付属技芸学校
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明治43年3月26日
(1910年)
第47巻 p.415-417(DK470107k)
是ヨリ先四十二年七月、帝国劇場ハ川上貞奴ノ経営セシ帝国女優養成所ヲ引継ギ、帝国劇場付属技芸学校ト改称ス。是日栄一、当校総長ニ就任ス。
明治43年9月16日
(1910年)
第47巻 p.417(DK470108k)
是日、当校第一回卒業式挙行セラル。栄一出席シテ生徒一同ニ卒業証書ヲ授与シ、後、訓示ヲナス。
明治44年10月1日
(1911年)
第47巻 p.417-419(DK470109k)
是日、当校第二回卒業式挙行セラル。栄一出席シテ生徒一同ニ卒業証書ヲ授与シ、後、訓示ヲナス。
大正2年3月18日
(1913年)
第47巻 p.419-423(DK470110k)
是日、帝国劇場二階大食堂ニ於テ、当校第一回卒業生森律子ノ渡欧送別会開カレ、栄一出席シテ送別ノ辞ヲ述ブ。
大正3年9月4日
(1914年)
第47巻 p.423-424(DK470111k)
是日、栄一ノ後任トシテ、大倉喜八郎当校総長ニ就任ス。
3款 円朝会
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大正15年3月
(1926年)
第47巻 p.425-429(DK470112k)
是ヨリ先、三遊亭円朝ノ伝記編纂及ビ全集ノ刊行、記念碑ノ建立等ヲ目的トスル円朝会設立セラル。
是月栄一、ソノ賛助員トナリテ之ヲ援助ス。
4款 講談奨励会
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大正15年7月
(1926年)
第47巻 p.430-436(DK470113k)
是ヨリ先、猫遊亭伯知・宝井馬琴・錦城斎典山・上杉慎吉・山口正剛等ノ発起ニ依リ、講談奨励会設立セラル。是月栄一、ソノ斡旋者山口正剛ヲ財界人ニ紹介シテ援助ス。
5款 坪内博士記念演劇博物館
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昭和2年6月8日
(1927年)
第47巻 p.437-442(DK470114k)
是ヨリ先、早稲田大学名誉教授坪内雄蔵ノ業績ヲ記念シ、同大学構内ニ、演劇博物館ヲ設立セントノ議アリ。是日栄一、ソノ設立発起人代表タルコトヲ承諾ス。
昭和3年10月27日
(1928年)
第47巻 p.442-446(DK470115k)
是日、当館ノ開館式挙行セラル。栄一出席シテ祝辞ヲ述ブ。
翌四年三月、当館後援会設立セラレ、栄一顧問トナル。
3節 美術
1款 財団法人大倉集古館
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大正5年11月
(1916年)
第47巻 p.447-453(DK470116k)
是ヨリ先、大倉喜八郎、授爵ヲ機ニソノ所有ニ係ル大倉美術館ヲ社会ニ提供セントノ意アリ。是月、財団法人大倉美術館ヲ設立スベキ旨ヲ発表シ、栄一並ニ末松謙澄・穂積陳重・阪谷芳郎・石黒忠悳ニソノ処置ヲ委任ス。
大正六年八月十五日、当館寄付行為作製セラレ、栄一立会証人トシテ署名捺印ス。爾後評議員トシテ歿年ニ及ブ。
大正7年5月1日
(1918年)
第47巻 p.453-457(DK470117k)
是日栄一、赤坂葵町ノ当館ニ開カレタル開館式ニ出席シ、理事長阪谷芳郎ニ代リテ挨拶ヲ述ブ。
昭和3年1月20日
(1928年)
第47巻 p.457-460(DK470118k)
是ヨリ先、大正十二年九月一日ノ関東大震火災ニヨリ当館類焼、同十五年三月新築起工、昭和二年八月竣工ス。是日栄一、東京会館ニ於ケル当館評議員会ニ出席シテ要務ヲ議決ス。
2款 財団法人帝室博物館復興翼賛会
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昭和3年9月7日
(1928年)
第47巻 p.461-472(DK470119k)
是ヨリ先栄一、当会発起関係者ノ依頼ニヨリ、徳川家達ニ当会会長就任方ヲ懇請ス。是日栄一、当会発起人会ニ出席シ、副会長ニ推薦セラル。後、金三万円ノ寄付申込ヲナス。
昭和4年4月1日
(1929年)
第47巻 p.472-475(DK470120k)
是ヨリ先、二月二十日、当会補助金下付申請書ヲ政府ニ提出ス。貴衆両院ノ議決ヲ経テ是日法律第四十二号公布セラル。栄一副会長トシテ之ニ与ル。
昭和4年6月11日
(1929年)
第47巻 p.475-480(DK470121k)
是ヨリ先四月四日、当会理事総会ニ於テ、当会ノ組織ヲ財団法人ニ改ムルノ件可決サレ、栄一新法人設立者ヲ委嘱セラル。五月十三日、法人設立許可申請書ヲ文部大臣ニ提出シ、六月十日設立許可セラル。是日設立者総会開カレ、栄一出席シ、新法人ノ副会長ニ推サレテ就任、歿年ニ及ブ。
昭和5年6月21日
(1930年)
第47巻 p.480-483(DK470122k)
是日栄一、当会第七回理事会及ビ第二十一回常務理事会ニ出席ス。
3款 其他 1. 伝教大師絵巻
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大正13年11月
(1924年)
第47巻 p.484-488(DK470123k)
是月栄一、土屋秀禾画伝教大師絵巻ノ副本頒布ニ関シテ、竹内喜太郎・長沢徳玄ノ懇請ニヨリ、古河虎之助等ニ、又同十四年二月中川末吉等ニ宛テ大倉喜八郎ト連署シテ紹介ノ労ヲ執ル。
3款 其他 2. 国際美術協会
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昭和4年9月
(1929年)
第47巻 p.488-493(DK470124k)
是月栄一、当会ノ顧問トナリ、在任歿年ニ及ブ。
3款 其他 3. 泰東書道院
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昭和6年
(1931年)
第47巻 p.493-496(DK470125k)
是年栄一、清浦奎吾ヲ会頭トスル泰東書道院ノ名誉会員トナル。
4節 編纂事業
1款 徳川慶喜公伝編纂
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明治42年6月8日
(1909年)
第47巻 p.497-505(DK470126k)
是日、渋沢事務所ニ於テ、第四回昔夢会開カレ、徳川慶喜及ビ栄一出席ス。
明治42年7月15日
(1909年)
第47巻 p.505-530(DK470127k)
是日、渋沢事務所ニ於テ、第五回昔夢会開カレ、徳川慶喜及ビ栄一出席ス。
明治42年10月11日
(1909年)
第47巻 p.530-537(DK470128k)
是日、渋沢事務所ニ於テ、第六回昔夢会開カレ、徳川慶喜出席ス。栄一ハ渡米中ニテ欠席。
明治42年12月8日
(1909年)
第47巻 p.537-551(DK470129k)
是日、渋沢事務所ニ於テ、第七回昔夢会開カレ、徳川慶喜出席ス。栄一ハ渡米中ニテ欠席。
明治43年1月25日
(1910年)
第47巻 p.551-577(DK470130k)
是日、渋沢事務所ニ於テ、第八回昔夢会開カレ、徳川慶喜及ビ栄一出席ス。
明治43年5月7日
(1910年)
第47巻 p.577-598(DK470131k)
是日、飛鳥山邸ニ於テ、第九回昔夢会開カレ、徳川慶喜及ビ栄一出席ス。
明治43年7月19日
(1910年)
第47巻 p.598-615(DK470132k)
是日、渋沢事務所ニ於テ、第十回昔夢会開カレ、徳川慶喜及ビ栄一出席ス。
明治43年10月18日
(1910年)
第47巻 p.615-634(DK470133k)
是日、渋沢事務所ニ於テ、第十一回昔夢会開カレ、徳川慶喜及ビ栄一出席ス。
明治44年4月6日
(1911年)
第47巻 p.634-648(DK470134k)
是日、渋沢事務所ニ於テ、第十二回昔夢会開カレ、徳川慶喜及ビ栄一出席ス。
明治44年6月14日
(1911年)
第47巻 p.648-663(DK470135k)
是日、渋沢事務所ニ於テ、第十三回昔夢会開カレ、徳川慶喜及ビ栄一出席ス。
明治44年11月9日
(1911年)
第47巻 p.663-669(DK470136k)
是日、飛鳥山邸ニ於テ、第十四回昔夢会開カレ、徳川慶喜及ビ栄一出席ス。
明治45年5月15日
(1912年)
第47巻 p.669-675(DK470137k)
是日、飛鳥山邸ニ於テ、第十五回昔夢会開カレ、徳川慶喜及ビ栄一出席ス。
大正元年11月9日
(1912年)
第47巻 p.675-678(DK470138k)
是日、飛鳥山邸ニ於テ、第十六回昔夢会開カレ、徳川慶喜及ビ栄一出席ス。
大正2年5月3日
(1913年)
第47巻 p.678-682(DK470139k)
是日、飛鳥山邸ニ於テ、第十七回昔夢会開カレ、徳川慶喜及ビ栄一出席ス。
大正2年11月22日
(1913年)
第47巻 p.683(DK470140k)
是日、徳川慶喜薨去ス。栄一、引続キ当伝記編纂ニ努力ス。
大正4年4月
(1915年)
第47巻 p.683-685(DK470141k)
是月栄一、十七回ニ亘ル昔夢会筆記及ビ八回ニ亘ル編纂員ノ徳川慶喜訪問筆記ヲ合シテ上中下三巻トナシ、二十五部ヲ限リテ印刷ノ上、当編纂関係者ノミニ頒ツ。
大正4年8月
(1915年)
第47巻 p.685-686(DK470142k)
是月栄一、箱根小涌谷三河屋旅館ニ避暑滞在中、当伝記稿本ヲ修正ス。
大正4年10月
(1915年)
第47巻 p.686-687(DK470143k)
是月二十三日、栄一渡米ノ途ニ就ク。船中ニ於テ当伝記稿本ヲ修正ス。
大正6年11月22日
(1917年)
第47巻 p.687-706(DK470144k)
当伝記ノ編纂完了シ、付録及ビ索引共全八冊ノ印刷成ル。是日、徳川慶喜ノ嗣子徳川慶久、谷中墓地内ノ徳川慶喜墓前ニ於テ、当伝記献呈奉告式ヲ執行ス。栄一参列、当伝記ヲ墓前ニ進献シ、且ツ献本ノ次第ヲ述ブ。
大正7年1月4日
(1918年)
第47巻 p.706-710(DK470145k)
是日栄一、当伝記ノ発行者ヲ竜門社トシテ、冨山房ヨリ発売セシム。
大正7年3月18日
(1918年)
第47巻 p.710-717(DK470146k)
是日栄一、都下ノ各新聞社及ビ雑誌社ノ人々ヲ帝国ホテルニ招キテ、当伝記ノ刊行ヲ披露ス。
1款 徳川慶喜公伝編纂 当伝記ニ関スル其他ノ諸資料
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第47巻 p.717-720(DK470147k)
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