大正2年6月23日 (1913年) | 第47巻 p.5-19(DK470001k) 是ヨリ先、高峰譲吉・高松豊吉等、国民科学研究所ノ設立ヲ提唱スルヤ、栄一之ニ賛成シ、是日、築地精養軒ニ於テ、次イデ七月三日、帝国ホテルニ於テ、協議会ヲ開キ、化学研究所ノ設立ヲ決議ス。栄一其規定及ビ予算ノ調査委員トナル。次イデ十二月十二日、東京商業会議所ニ於テ、第一回委員会ヲ開キ、翌三年三月十九日付ヲ以テ、貴族院及ビ衆議院ニ化学研究所設立ニ関スル請願書ヲ提出ス。 | |
大正3年7月3日 (1914年) | 第47巻 p.19-22(DK470002k) 是ヨリ先、化学研究所設立ニツキ、総理大臣大隈重信賛意ヲ表ス。仍ツテ、是日栄一等、農商務省付属工業試験所ニ於テ、政府側委員ト計画ヲ協議ス。偶々欧洲大戦勃発シ、是議一時中止トナル。 | |
大正4年3月26日 (1915年) | 第47巻 p.22-31(DK470003k) 是ヨリ先、農商務省ニ設置セラレタル化学工業調査会ハ、化学研究所設立ノ建議ヲナシ、後更ニ之ヲ拡張シテ理化学研究所ノ設立ヲ図ラントス。仍ツテ栄一等ノ発起セル化学研究所設立案ト合流シ、是日、理化学研究所設立案成ル。 | |
大正4年6月19日 (1915年) | 第47巻 p.31-34(DK470004k) 是日栄一、大隈重信邸ニ於テ開催セラレタル当研究所設立協議会ニ臨ミ、設立委員ニ選バル。 | |
大正4年6月24日 (1915年) | 第47巻 p.34-42(DK470005k) 是日栄一、農商務省ニ於テ開カレタル当研究所第一回設立委員会ニ出席シ、議長トナリ、従来ノ経過ヲ説明シ、資金・組織・方針等ニ関シテ協議ス。更ニ特別委員五名ヲ指名シ、自ラモマタ特別委員タリ。次イデ七月二日特別委員会ヲ開キ、本事業ニ対スル御下賜金並ニ国庫補助金ノ有無、及ビ民間醵金ニ就キ協議シ、前二項ハ栄一ヨリ大隈首相ニ協議スベキコトヲ決ス。 | |
大正5年1月21日 (1916年) | 第47巻 p.42-71(DK470006k) 是日、栄一等当研究所設立委員ヨリ総理大臣大隈重信・大蔵大臣武富時敏・農商務大臣河野広中ニ宛テ、当研究所設立ノ件ニツキ建議書ヲ提出シ、国庫補助ヲ申請ス。政府其議ヲ容レ、第三十七回帝国議会ノ協賛ヲ経テ、三月六日、向フ十年間ニ金二百万円ノ補助金下付ノ大正五年法律第十六号ヲ公布ス。 | |
大正5年7月3日 (1916年) | 第47巻 p.71-82(DK470007k) 是日、総理大臣官邸ニ於テ、六大都市ノ実業家等四十七名ヲ招キテ、当研究所第一回設立協議会開カル。栄一出席シテ従来ノ経過ヲ報告シ、発起人ノ選定ニ与ル。栄一モ亦発起人トナル。 | |
大正5年10月5日 (1916年) | 第47巻 p.82-94(DK470008k) 是日栄一、当研究所第二回設立協議会ニ出席、創立委員ニ選バル。次イデ十八日東京商業会議所ニ開カレタル創立委員会ニ於テ、推サレテ創立委員長トナリ、十九日常務委員ヲ指名ス。爾後当研究所設立ノタメニ政府トノ交渉、帝室御下賜金ノ請願及ビ東京其他各地富豪ニ対スル寄付金募集ニ奔走シ、十二月九日東京商業会議所ニ開カレタル常務委員会ニ出席シテ寄付ノ情況ニツキ説明ス。 | |
大正6年1月5日 (1917年) | 第47巻 p.94-100(DK470009k) 是日栄一、宮内省ニ宮内大臣波多野敬直ヲ訪ヒ、当研究所御下賜金ニツキ請願ス。尚、二月十六日、同二十七日、寄付行為審議ニツキ中野武営・桜井錠二等ト会談シ、三月三日、東京商業会議所ニ開カレタル常務委員会ニ出席シテ、寄付行為原案可決ニ参与ス。同日金三万円ノ寄付申込ヲナス。 | |
大正6年3月12日 (1917年) | 第47巻 p.100-107(DK470010k) 是月八日、栄一、東京商業会議所ニ於ケル常務委員会ニ出席、又是日、首相官邸ニ開カレタル設立協議会ニ出席シテ、創立委員長トシテ経過ノ大要ヲ述ブ。次イデ翌十三日、東京商業会議所ニ創立委員会ヲ開キ、栄一、寄付行為ニツキ説明シテ承認ヲ得。 | |
大正6年3月20日 (1917年) | 第47巻 p.107-110(DK470011k) 是日、当研究所財団法人トシテ設立許可セラレ、二十四日、大正五年法律第十六号ニ関スル勅令公布セラル。次イデ二十七日、東京商業会議所ニ於テ設立者総会開カル。栄一評議員ニ推サル。 | |
大正6年3月28日 (1917年) | 第47巻 p.110-117(DK470012k) 是日、伏見宮貞愛親王当研究所総裁ニ就任、同日栄一、副総裁ヲ委嘱セラレ、在任歿年ニ及ブ。 | |
大正6年4月19日 (1917年) | 第47巻 p.117-118(DK470013k) 是日、当研究所事務所ニ於テ、第一回理事会開カル。栄一出席シテ、創立費等ニ関スル説明ヲナシ、創立事務引継ヲ了シ、創立委員長ノ任務ヲ終ル。 | |
大正6年4月26日 (1917年) | 第47巻 p.118-122(DK470014k) 是日栄一、宮内省ニ出頭シテ、当研究所ニ対スル帝室御下賜金百万円ノ御沙汰書ヲ拝受ス。是月二十三日ノ理事会ニ於テ、栄一、所長トシテ菊池大麓ヲ、次長トシテ桜井錠二ヲ推ス。五月二日ノ理事会ニ於テ、両者就任ヲ受諾ス。 | |
大正6年5月12日 (1917年) | 第47巻 p.122-126(DK470015k) 是日栄一、当研究所理事会ニ出席シ、当研究所寄付行為ニツキ代表者タル所長ノ職制ヲ制定スベシト提議ス。次イデ六月十一日、当研究所寄付金募集ノタメ、首相官邸ニ於テ開催セラレタル総理大臣寺内正毅ノ富豪・篤志家招待会ニ臨ミ、当研究所設立ノ経過並ニ寄付金募集ノ状態ニツキ説明シ、資金募集方ヲ斡旋ス。 | |
大正6年6月29日 (1917年) | 第47巻 p.126-131(DK470016k) 是日当研究所評議員会ニ於テ、先ニ理事会ニテ決定セル事業計画案・寄付行為改正案及ビ当研究所規則案等ヲ可決、栄一理事ニ推サレ、在任歿年ニ及ブ。 | |
大正6年7月10日 (1917年) | 第47巻 p.132-136(DK470017k) 是日栄一、当研究所事務所ニ開カレタル理事会ニ出席、当研究所敷地トシテ、東京府立巣鴨病院跡ノ譲受方出願ノ件等ヲ決議ス。更ニ七月二十一日東京商業会議所ニ於ケル評議員会ニ出席、寄付行為及ビ規則一部改正等ヲ決議、引続キ当研究所事務所ニ於ケル理事会ニ出席ス。 | |
大正6年8月23日 (1917年) | 第47巻 p.136-138(DK470018k) 是月十九日、当研究所所長菊池大麓逝去ス。是日栄一、青山斎場ニ於ケル告別式ニ臨ミ、理事総代トシテ弔辞ヲ呈ス。 | |
大正6年9月1日 (1917年) | 第47巻 p.138-142(DK470019k) 是日栄一、当研究所事務所ニ開カレタル理事会ニ出席シ、後任所長銓衡委員トナル。次イデ十月三日ノ理事会ニ於テ、後任所長トシテ古市公威ヲ推ス。古市就任シ、十一月十九日理事会ニ於テ栄一ソノ経緯ヲ説明ス。 | |
大正6年12月8日 (1917年) | 第47巻 p.142-145(DK470020k) 是日栄一、当研究所所長古市公威ト共ニ、関西地方ノ寄付金募集ノ途ニ上リ、神戸・大阪・京都・名古屋ニ於テ協議会ヲ開キ、十二日帰京ス。次イデ十七日理事会ニ出席シテソノ報告ヲナス。 | |
大正7年1月16日 (1918年) | 第47巻 p.145-147(DK470021k) 是日栄一、当研究所理事会ニ出席シ、建設費予算案其他ヲ議ス。 | |
大正7年3月6日 (1918年) | 第47巻 p.147-148(DK470022k) 是日及ビ十二日・十九日、栄一貴族院ニ総理大臣寺内正毅ヲ訪ヒ、当研究所寄付金ニツキ陳述シ、次イデ二十二日開カレタル理事会ニ出席シテ、関西地方ノ寄付情況ヲ説明ス。 | |
大正7年6月20日 (1918年) | 第47巻 p.148-152(DK470023k) 栄一、是ヨリ先五月二十四日ノ当研究所理事会ニ出席シ、更ニ是日開カレタル理事会・評議員会ニ出席、評議員会ニテハ寄付情況ヲ説明ス。尚、引続キ関西地方ノ寄付募集ニツキ尽力ス。 | |
大正7年9月20日 (1918年) | 第47巻 p.152-154(DK470024k) 是日栄一、当研究所理事会ニ出席ス。更ニ十月二十六日・十二月二十日ノ理事会ニ出席ス。 | |
大正8年1月27日 (1919年) | 第47巻 p.154-158(DK470025k) 是日、東京商業会議所ニ於テ、当研究所評議員会開カル。栄一出席シテ、寄付金募集ニ関スル報告ヲナス。 | |
大正8年6月25日 (1919年) | 第47巻 p.158-162(DK470026k) 栄一、是ヨリ先四月三十日ニ開カレタル当研究所理事会、並ニ是月十六日ノ理事会・評議員会ニ出席、更ニ是日、帝国ホテルニ新聞記者ヲ招キテ開カレタル、当研究所第一回成績報告及ビ今後ノ計画発表会ニ出席シ、報告ヲナス。 | |
大正8年7月8日 (1919年) | 第47巻 p.162-163(DK470027k) 是日総理大臣原敬、当研究所資金募集ノタメ、官邸ニ東京・大阪・神戸・京都・名古屋及ビ福岡ノ有力者ヲ招待ス。栄一出席シテ勧誘演説ヲナス。次イデ九月三十日、当研究所理事会ニ出席ス。 | |
大正8年11月26日 (1919年) | 第47巻 p.163-168(DK470028k) 是日、帝国ホテルニ於テ、当研究所総裁伏見宮貞愛親王奉戴式挙行セラル。栄一列席シ、当研究所ノ沿革及ビ現況ヲ報告ス。 | |
大正9年1月30日 (1920年) | 第47巻 p.168-172(DK470029k) 是日栄一、帝国鉄道協会ニ於ケル当研究所評議員会ニ出席ス。六月十四日、評議員会ニ於テ、同月二十九日ヲ以テ任期満了ノ栄一ヲ、更ニ理事ニ推薦、栄一重任ス。次イデ栄一、十一月二十九日ノ理事会ニ出席ス。 | |
大正10年1月29日 (1921年) | 第47巻 p.172-174(DK470030k) 是日栄一、日本工業倶楽部ニ開カレタル当研究所理事会及ビ評議員会ニ出席ス。 | |
大正10年2月24日 (1921年) | 第47巻 p.174-177(DK470031k) 是日栄一、日本工業倶楽部ニ開カレタル当研究所理事会ニ出席、国庫補助増額申請書ノ文案ニツキ修正ヲ提議シテ一任セラル。次イデ五月三十日ノ理事会、六月二十九日ノ評議員会ニ出席ス。 | |
大正10年9月20日 (1921年) | 第47巻 p.177-183(DK470032k) 是ヨリ先、当研究所所長古市公威・副所長桜井錠二辞任ノ意アリ、是日、日本工業倶楽部ニ開カレタル理事会ニ於テ、栄一議長トナリ、ソノ辞任ヲ承認シ、併セテ後任所長トシテ大河内正敏推薦ノ議ヲ決ス。次イデ九月二十八日理事会・評議員会開カレ、栄一ソノ経緯ヲ報告ス。尚、十月七日ノ理事会ニ於テ、懸案タリシ国庫補助増額ニ関スル申請書草案ヲ新所長ニ引継グ。 | |
大正11年4月4日 (1922年) | 第47巻 p.183-188(DK470033k) 是日栄一、総裁伏見宮貞愛親王ノ実業家招待会ノ席上、当研究所ノ沿革ニツキ御前講演ヲナス。 | |
大正11年5月25日 (1922年) | 第47巻 p.188-191(DK470034k) 是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当研究所理事会開カレ、栄一出席ス。次イデ六月二十九日、同所ニ於テ、理事会及ビ評議員会開カレ、栄一出席ス。 | |
大正11年10月2日 (1922年) | 第47巻 p.191-193(DK470035k) 是日、総裁伏見宮貞愛親王、当研究所ニ台臨アリ、栄一出向シテ拝謁ス。 | |
大正11年10月14日 (1922年) | 第47巻 p.193-195(DK470036k) 是日、日本工業倶楽部ニ於テ当研究所理事会、十九日、当研究所第三号館ニ於テ臨時評議員会開カレ、栄一出席ス。次イデ十二月十五日、日本工業倶楽部ニ於テ理事会開カレ、栄一出席ス。 | |
大正12年1月29日 (1923年) | 第47巻 p.195-204(DK470037k) 是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当研究所理事会及ビ評議員会開カレ、栄一出席ス。 四月二日、当研究所ニ対スル国庫補助金増額ニ関スル法律第四十号公布セラル。 | |
大正12年11月20日 (1923年) | 第47巻 p.204-208(DK470038k) 是年二月四日、当研究所総裁伏見宮貞愛親王薨去セラル。栄一、所長大河内正敏トハカリ、新総裁ニ伏見宮博恭王奉戴ニ決ス。是日、当研究所第一号館ニ於テ、総裁奉戴式行ハレ、栄一列席ス。 | |
大正12年12月10日 (1923年) | 第47巻 p.208-209(DK470039k) 是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当研究所理事会開カレ、栄一出席ス。 | |
大正13年1月19日 (1924年) | 第47巻 p.209-211(DK470040k) 是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当研究所評議員会開カレ、栄一出席ス。次イデ四月三十日ノ理事会ニ出席ス。 | |
大正13年6月14日 (1924年) | 第47巻 p.211-215(DK470041k) 是日栄一、日本工業倶楽部ニ於ケル当研究所理事会ニ出席、次イデ開カレタル評議員会ニ於テ、農業ニ関スル研究ヲナスベキ旨提議ス。 | |
大正14年1月30日 (1925年) | 第47巻 p.215-218(DK470042k) 是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当研究所理事会及ビ評議員会開カレ、栄一出席ス。 | |
大正14年12月10日 (1925年) | 第47巻 p.218(DK470043k) 是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当研究所理事会開カレ、栄一出席ス。 | |
大正15年1月27日 (1926年) | 第47巻 p.218-220(DK470044k) 是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当研究所評議員開カレ、栄一出席ス。 | |
大正15年6月4日 (1926年) | 第47巻 p.220-221(DK470045k) 是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当研究所評議員会開カル。栄一出席シ、理事ニ再選セラル。十二月二日、日本工業倶楽部ニ於テ当研究所理事会開カレ、栄一出席ス。 | |
昭和2年6月15日 (1927年) | 第47巻 p.221-227(DK470046k) 是日栄一、日本工業倶楽部ニ開カレタル当研究所理事会・評議員会ニ出席ス。評議員会ニ於テ当研究所ノ発明ヲ工業化スル会社設立ニツキ報告アリ。七月二十七日開カレタル理事会・評議員会ハ、理化学興業株式会社設立賛同ノ決議ヲナス。栄一出席ス。次イデ十二月七日ノ理事会ニ出席ス。 | |
昭和3年1月24日 (1928年) | 第47巻 p.227-228(DK470047k) 是日栄一、日本工業倶楽部ニ開カレタル当研究所評議員会ニ出席ス。理化学興業株式会社成立ノ件報告セラル。十二月十四日、日本工業倶楽部ニ開カレタル理事会ニ出席ス。 | |
昭和4年6月17日 (1929年) | 第47巻 p.229(DK470048k) 是日栄一、当研究所理事ニ再選セラル。 | |
昭和5年6月12日 (1930年) | 第47巻 p.229-230(DK470049k) 是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当研究所理事会及ビ評議員会開カレ、栄一出席ス。 | |
昭和6年11月15日 (1931年) | 第47巻 p.230-232(DK470050k) 是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、当研究所所長大河内正敏弔詞ヲ贈ル。 | |
昭和7年1月21日 (1932年) | 第47巻 p.232-236(DK470051k) 是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当研究所理事会開カレ、栄一ノ功績ヲ記念スルタメ、当研究所講堂内ニ肖像写真ノ扁額ヲ掲ゲルコト、及ビ当研究所ニ於テ胸像ヲ鋳造シ、所内適当ノ個所ニ建設スルコトヲ決議ス。 | |