2. 処世上に於ける争ひの利害
しょせいじょうにおけるあらそいのりがい
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私一己の意見と致しては、争ひは決して絶対に排斥すべきものでなく、処世の上にも甚だ必要のものであらうかと信ずるのである。私に対し、世間では余りに円満過ぎるなぞとの非難もあるらしく聞き及んでるが、私は漫りに争ふ如き事こそせざれ、世間の皆様達が御考へになつて居る如く、争ひを絶対に避けるのを処世唯一の方針と心得て居るほどに、さう円満な人間でも無い。
孟子も「告子章句下」に於て「敵国外患なき者は国恒に亡ぶ」と申されて居るが、如何にも其の通りで、国家が健全なる発達を遂げて参らうとするには、商工業に於ても、学術技芸に於ても、外交に於ても常に外国と争つて必ず之に勝つて見せるといふ意気込みが無ければならぬものである。啻に国家のみならず一個人におきましても、常に四囲に敵があつて之に苦しめられ、その敵と争つて必ず勝つて見せようとの気が無くては、決して発達進歩するもので無い。
- デジタル版「実験論語処世談」(11) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.22-30
底本の記事タイトル:二〇七 竜門雑誌 第三三五号 大正五年四月 : 実験論語処世談(一一) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第335号(竜門社, 1916.04)
初出誌:『実業之世界』第12巻第24,25号,第13巻第1号(実業之世界社, 1915.12.01,12.15,1916.01.01)