デジタル版「実験論語処世談」(11) / 渋沢栄一

12. 官尊民卑の弊止まず

かんそんみんぴのへいやまず

(11)-12

 私は、日本今日の現状に対しても極力争つて見たいと思ふことが無いでも無い。幾干もある。就中日本の現状で私の最も遺憾に思ふのは官尊民卑の弊が未だに止まぬ事である。官にある者ならば如何に不都合な事を働いても大抵は看過せられてしまふ。偶〻世間物議の種を作つて裁判沙汰となつたり、或は隠居をせねばならぬやうな羽目に遇ふ如き場合も無いでは無いが、官にあつて不都合を働いて居る全体の者に比較すれば、実に九牛の一毛、大海の一滴にも当らず、官にあるものの不都合なる所為は、或る程度まで黙許の姿であると申しても敢て過言で無いほどである。
 之に反し、民間にある者は、少しでも不都合な所為があれば直に摘発されて、忽ち縲紲の憂き目に遇はねばなら無くなる。不都合の所為ある者は総て罰せねばならぬとならば、その間に朝にあると野にあるとの差別を設け、一方に寛に、一方に酷であるやうな事があつてはならぬ。若し大目に看過すべきものならば、民間にある人々に対しても官にある人々に対すると同様に、之を看過して然るべきものである。然るに、日本の現状は、今以て官民の別により寛厳の手心を異にして居る。
 又、民間にあるものが如何に国家の進運に貢献する功績を挙げてもその功が容易に天朝に認められぬに反し、官にある者は寸功があつたのみでも、直ぐに其れが認められて恩賞に与るやうになる。是等の点は、私が今日に於て極力争つて見たいと思ふ所だが、仮令私が如何に争つたからとて、或る時期の到来するまでは到底大勢を一変するわけにゆかぬものと考へて居るので、目下の処私は、折に触れ不平を漏らすぐらゐにとどめ、敢て争はず、時期を待つてるのである。

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デジタル版「実験論語処世談」(11) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.22-30
底本の記事タイトル:二〇七 竜門雑誌 第三三五号 大正五年四月 : 実験論語処世談(一一) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第335号(竜門社, 1916.04)
初出誌:『実業之世界』第12巻第24,25号,第13巻第1号(実業之世界社, 1915.12.01,12.15,1916.01.01)