11. 時期を待つ要あり
じきをまつようあり
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私は今日とても、勿論争はざるべからざる処は争ひもするが、半生以上の長い間の経験によつて些か悟つた処があるので、若い時に於けるが如く争ふ事を余り多く致さぬやうになつたかの如くに、自分ながら思はれる。此れは、世の中の事は斯くすれば必ず斯くなるものであるといふ因果の関係を能く呑み込んでしまつて、既に或る事情が因を成して或る結果を生じてしまつて居る処に、突然横から現れて形勢を転換しようとし、争つてみた処で、因果の関係は俄に之を断ち得るものでなく、或る一定の時期に達するまでは、人力で到底形勢を動かし得ざるものである事に想ひ到つたからである。人が世の中に処して行くのには、形勢を観望して、気永に時期の到来を待つといふ事も決して忘れてはならぬ心懸である。正しきを曲げんとする者、信ずる処を屈せしめんとする者あらば断じて之と御争ひなさいと、青年子弟諸君に御勧めする傍ら、私は又気永に時期の到来を待つ忍耐も無ければならぬ事を、是非青年子弟諸君に考へて置いて戴きたいのである。
- デジタル版「実験論語処世談」(11) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.22-30
底本の記事タイトル:二〇七 竜門雑誌 第三三五号 大正五年四月 : 実験論語処世談(一一) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第335号(竜門社, 1916.04)
初出誌:『実業之世界』第12巻第24,25号,第13巻第1号(実業之世界社, 1915.12.01,12.15,1916.01.01)