デジタル版「実験論語処世談」(11) / 渋沢栄一

5. 私に益を与へし従兄

わたしにえきをあたえしいとこ

(11)-5

 之に就て私が一身上に親しく実験致した好い例がある。私が壮年の頃郷里に二人の従兄があったが、両人は全く性質の異つた人物で一人は飽くまで私に同情し、親切懇情のあるつたけを私に対して尽して呉れたものであるが、他の一人は全く其の反対で、私の顔さへ見れば私を罵り「貴様の如き馬鹿者は世の中に余り有るもので無い」とか或は又「貴様のやうに生意気な人間は親類中の面穢である」とかと私を目前に置きながら口を極めて私を罵倒したものである。それでこの従兄には又不思議なところがあつて、世間に出ると「己れの親類には栄一のやうな那的いふ豪い男もある」なぞと誇り気に語るを例としたものである。私はこの従兄に有象罔象のやうに罵らるるのを耳にする毎に口惜くつて口惜くつて堪らず、世間に出て誇る時には栄一の名を担ぎ私に面と向へば天下のヤクザ者の如く罵るとは何事だと腹が立つて致方の無かつたものであるが、今になつて考へてみれば、私に取つて二人の従兄の中何方が裨益になつたかと云ふに、私に飽くまで同情を表して呉れた従兄の方よりも、私を見る度に私を罵倒した従兄の方が私の裨益になつて居る。彼奴に揚足を取られては口惜しいからと思ふ気が、自然私を奮発させ、不肖ながら今日あるに至らしめたと言ひ得るのである。

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キーワード
渋沢栄一, , 従兄
デジタル版「実験論語処世談」(11) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.22-30
底本の記事タイトル:二〇七 竜門雑誌 第三三五号 大正五年四月 : 実験論語処世談(一一) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第335号(竜門社, 1916.04)
初出誌:『実業之世界』第12巻第24,25号,第13巻第1号(実業之世界社, 1915.12.01,12.15,1916.01.01)