デジタル版「実験論語処世談」(11) / 渋沢栄一

10. 争はぬ青年は卑屈となる

あらそわぬせいねんはひくつとなる

(11)-10

 その後、その男の進退に関し種々と申出る者もあり、又官庁の内で上官に対し暴力を揮はんとしたのは怪しからぬなぞと騒ぎ立てる者もあつたが、私は当人さへ自分の非を覚り悔悟したといふ事ならば、依然在職させて従来の如く使つてゆく積であつた。然し省中の者共が当の私よりも却て憤慨し、右の事情を詳細太政官に内申に及んだので、太政官でも放つて置くわけにも行かず、その男も遂に免職せらるるに至つたのは、私が今猶ほ甚だ気の毒に存ずる処である。
 私のやうに、既に七十の坂を越してしまつた老人ですらも、世間の方々が御覧になつて御考へ下されて居るほどに所謂円満の人物でなく争はねばならぬ時には何処までも争ふに躊躇せぬほどのものであるとしたら、況んやまだ年齢の若い元気の充満した青年子弟諸君が、一にも二にも争ひを避けよう避けようといふやうな精神ばかりを持つて、世に立たうとせらるるのは以ての外の事で、さうなれば什麽しても卑屈に流れ、取り柄の無い人間になつてしまふものである。老人になつてからは兎も角としたところで、青年のうちは他人の気色ばかりを窺つて争ひを避けようなぞとせず、争ふ処は何処何処までも争つて行かうとの決心を絶えず胸の中に持つて居る必要がある。此の精神が無ければ青年は死んだも同じになつてしまふ。漫りに他に屈せず、能く他と争つて勝たうといふ精神があればこそ、人には進歩発達が伴ふのである。卑屈で反撥心の無い青年は、譬へば塩が其味を失つてしまつたのと同じで、如何とも致し方が無くなる。青年子弟諸君は能く此の消息を心得置かるべき筈のものである。独立独歩とか、艱難の間に道を切り開いて立身出世をするとかいふ事も、本を訊せば争ひを辞せぬ覚悟のある処より来るものである。争ひを辞さぬ覚悟が無ければ、青年は決して世の中に立つて成功し得るもので無い。私が今日如何にかなつて居るのも、信ずる処は曲げないで、飽くまで争ふ処は争つて来たのに基く事だらうと思ふ。

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キーワード
争ひ, 青年, 卑屈
デジタル版「実験論語処世談」(11) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.22-30
底本の記事タイトル:二〇七 竜門雑誌 第三三五号 大正五年四月 : 実験論語処世談(一一) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第335号(竜門社, 1916.04)
初出誌:『実業之世界』第12巻第24,25号,第13巻第1号(実業之世界社, 1915.12.01,12.15,1916.01.01)