デジタル版「実験論語処世談」(11) / 渋沢栄一

6. 克己復礼は争ひにあり

こっきふくれいはあらそいにあり

(11)-6

 揚足を取つて呉れ、自分を罵り責めて呉れる先輩を上に持つてるといふ事は、国家で申さば敵国外患あるに等しく、人の発達進歩に裨益する処の甚だ多いもので、これも一種の争ひであると謂ひ得るが、論語の「顔淵篇」には「克己復礼」の語がある。己れに克つて礼に復るといふ事も、つまりは争ひである。私利私慾と争ひ、善を以て悪に勝たなければ、人は決して礼に復り人の人たる道を履んで行けるやうになれぬものである。されば人は徳を修めて立派な人間にならうとするには、什麽しても争ひを避けるわけには参らぬといふ事になる。品性の向上発展は、悪との争ひによつて始めて遂げ得らるるものである。絶対に争ひを避け、悪とも争はず己れに克たうとする心懸けさへ無くなつてしまふやうでは、品性は堕落する一方になる。争ひは決して絶対に避くべきものでは無い。社会の進歩の上にも国家の進歩の上にも個人の発達の上にも品性の向上の上にも無ければならぬものである。

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デジタル版「実験論語処世談」(11) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.22-30
底本の記事タイトル:二〇七 竜門雑誌 第三三五号 大正五年四月 : 実験論語処世談(一一) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第335号(竜門社, 1916.04)
初出誌:『実業之世界』第12巻第24,25号,第13巻第1号(実業之世界社, 1915.12.01,12.15,1916.01.01)