デジタル版「実験論語処世談」(11) / 渋沢栄一

8. 大蔵省総務局の椿事

おおくらしょうそうむきょくのちんじ

(11)-8

 私が絶対に所謂円満な人間で無い、相応に角もあり、円満ならざる甚だ不円満な処もある人物だと申す事を証明するに足る――「証明」といふ語を用ゐるのも少し異様だが――実例を一寸談話して見ようかと思ふ。私は勿論少壮の頃より腕力に訴えて他人と争ふ如き事を致した覚えは無い。然し若い時分には、今日と違つて、容貌などにも余程強情らしいところのあつたものと存ずる。随つて、他人の眼からは今日よりも容易に争ひを致しさうに見えたかも知れぬ。是れまで申述べたうちにも屡〻談話し致して置いたやうに、大久保卿なぞとも争つたものであるが、私の争ひは若い時分から総て議論の上、推理の上での争ひで、腕力に流れた経験は未だ曾て一度も無い。
 明治四年、私が恰度三十三歳で大蔵省に奉職し、総務局長を勤めて居つた時代の頃であるが、大蔵省の出納制度に一大改革を施し、改正法を布いて西洋式の簿記法を採用し、伝票によつて金銭の出納をすることにした。処が当時の出納局長であつた人が――その姓名は憚りがあるから申上げかねるが――この改正法に反対の意見を持つて居つたのである。伝票制度の実施に当つて偶〻過失のある事を私が発見したので、当事者に対して之を責めて遣ると、元来私が発案実施した改正法に反対の意見を持つて居たその出納局長といふ男が、傲岸な権幕で一日、私の執務して居つた総務局長室に押しかけて来たのである。

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大蔵省, 総務局, 椿事
デジタル版「実験論語処世談」(11) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.22-30
底本の記事タイトル:二〇七 竜門雑誌 第三三五号 大正五年四月 : 実験論語処世談(一一) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第335号(竜門社, 1916.04)
初出誌:『実業之世界』第12巻第24,25号,第13巻第1号(実業之世界社, 1915.12.01,12.15,1916.01.01)