1. 争ふが是か争ふが非か
あらそうがぜかあらそうがひか
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子曰。君子無所争。必也射乎。揖譲而升。下而飲。其争也君子。【八佾第三】
(子曰く、君子は争ふ所無し、必ずや射か。揖譲して升り、下つて飲む、其の争ひや君子なり。)
この章句は「祭るには在すが如くにす」の章句よりも少し前にあるのだが、談話の都合で却て少し後廻しにしたのである。大体の意味は苟も君子は漫りに他人と争ふやうな事を致さぬものだが、弓を射て争ふが如き、礼儀正しき正々堂々たる争ひならば之を敢てするに躊躇せぬものだといふにある。「君子は争ふ所無し、必ずや射か」とはこの意を伝へたるに外ならぬ。周の礼法に於て、弓術の競技を行ふ際は之に参加する面々まず一同勢揃ひをした上で、揖譲と申して競技場に至る階段に登るに先ち、北面して互ひ一礼し、愈よ階段に登らうとする時に又更に重ねて互に一礼し、それから階段を登つて競技場に入り、競技を終り階段を降つた所で又登段の時と同一の礼を互ひに交換し、それから敗けた方の者が、罰杯として酒を飲むといふのが慣習であつたのである。孔夫子御教訓の趣旨は、斯く礼儀正しく行ふ争ひならば之を致しても差支ないが、怒号咆吼して一時の快を取る如き争ひは之を致しては成らぬものだと戒められたのである。(子曰く、君子は争ふ所無し、必ずや射か。揖譲して升り、下つて飲む、其の争ひや君子なり。)
- デジタル版「実験論語処世談」(11) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.22-30
底本の記事タイトル:二〇七 竜門雑誌 第三三五号 大正五年四月 : 実験論語処世談(一一) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第335号(竜門社, 1916.04)
初出誌:『実業之世界』第12巻第24,25号,第13巻第1号(実業之世界社, 1915.12.01,12.15,1916.01.01)