デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.13

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
6節 製紙業
1款 抄紙会社・製紙会社・王子製紙株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治5年6月
(1872年)
第11巻 p.5-8(DK110001k)
是月栄一、井上馨・上野景範ト連名ニテ、製紙事業ヲ興サンコトヲ正院ニ建議ス。尋イデ三井・小野・島田三組、其他ヲ慫慂シ、渋沢才三郎ヲモ加ヘ、合本組織ヲ以テ抄紙会社ヲ設立センコトヲ計画ス。
明治5年11月
(1872年)
第11巻 p.8-13(DK110002k)
是月三野村利助・古河市兵衛ノ名ヲ以テ抄紙会社設立願書ヲ大蔵省ニ提出ス。翌六年二月十二日許可セラル。抄紙会社ト称シ、資本金十五万円ト定ム。尋イデ三月二十三日栄一立会ノ下ニ、機械買入ニツキ在横浜亜米一商会ト正式ノ契約ヲ結ブ。
明治7年1月
(1874年)
第11巻 p.13-24(DK110003k)
是ヨリ先六年五月、栄一官ヲ辞シテ実業界ニ入リ、是月抄紙会社ノ社務ヲ委任セラル。尋イデ三月景締社ヲ買収シテ抄紙分社トナシ、印刷業ヲ兼営シテ洋紙ノ需要ヲ興スヲ努メ、又、機械技師フランク・チースメン、製紙技師トーマス・ボトムレーヲ雇入レ、更ニ七月谷敬三ヲ聘シテ支配人トナス。
明治7年9月
(1874年)
第11巻 p.24-30(DK110004k)
抄紙会社工場ヲ東京府北豊島郡王子村ニ設クルニ決ス。
明治7年12月
(1874年)
第11巻 p.30-32(DK110005k)
抄紙会社資金ヲ増シテ金二十五万円ト為ス。
明治8年6月
(1875年)
第11巻 p.32-45(DK110006k)
抄紙会社工場成リ業務ヲ開始ス。然レドモ成績挙ガラズ、栄一苦心経営スルコト半歳、稍成功ノ域ニ達セルヲ以テ十二月開業式ヲ行フ。此間本社ヲ王子ニ移シ、第一国立銀行内仮会社ヲ東京分社ト改称シテ、印刷・製本並ニ本社製紙ノ販売ヲ掌ラシム。
明治9年5月
(1876年)
第11巻 p.45(DK110007k)
紙幣寮ノ命ニヨリ抄紙会社ヲ製紙会社ト改称ス。
明治9年8月
(1876年)
第11巻 p.45-47(DK110008k)
製紙会社、紙幣寮ノ註文ヲ受ケ地券紙ノ製造ニ従事ス。是ヨリ漸次創立以来ノ損失ヲ補塡スルコトヲ得タリ。
明治12年7月
(1879年)
第11巻 p.47-59(DK110009k)
是ヨリ先、製紙会社技師フランク・チースメン、トーマス・ボトムレー二人ノ任期満了ヲ以テ解雇シ、日本人技師養成ノ為メ是月社員大川平三郎ヲ米国ニ派遣ス。翌年十月大川帰朝シ大ニ設備ヲ改善シ良品ヲ出スニ至ル。
明治13年6月
(1880年)
第11巻 p.59-67(DK110010k)
製紙会社、申合略則ヲ廃シ定款ヲ設ケテ職制ヲ定ム。七月栄一外二名株主総代ト為ル。
明治17年5月
(1884年)
第11巻 p.67-71(DK110011k)
製紙会社社員大川平三郎ヲ欧洲ニ派遣シ、木材ヲ原料トスル製紙方法ヲ研究セシム。
明治20年3月27日
(1887年)
第11巻 p.71-75(DK110012k)
製紙会社、資本金ヲ増シテ五十万円ト為ス。尋イデ本社ノ隣接地ニ第二工場ヲ増設、又大川平三郎ヲ米国ニ派シテ製紙器械ヲ買入レシメ、星野錫ヲ米国ニ派シテ印刷業ヲ研究セシム。
明治22年12月
(1889年)
第11巻 p.75-78(DK110013k)
製紙会社、気田分工場ヲ設ク。
明治26年9月24日
(1893年)
第11巻 p.78-84(DK110014k)
製紙会社、商法ノ施行ニ因リテ王子製紙株式会社ト改称ス。栄一取締役会長ニ就任ス。此後毎期重任シテ明治三十一年九月ニ至ル。
明治27年10月28日
(1894年)
第11巻 p.84-92(DK110015k)
栄一当会社創業二十年祝賀式ニ臨ミ祝辞ヲ述ブ。
席上感謝状及ビ記念品ヲ贈ラル。
明治31年9月18日
(1898年)
第11巻 p.92-107(DK110016k)
是ヨリ先、当会社ノ重役中三井家ヲ代表スル一派ト栄一等ノ一派トノ間ニ紛争アリ、栄一仲裁斡旋ニ努メタレドモ効ナク、専務取締役大川平三郎遂ニ辞職ス。因リテ是日栄一モ亦取締役会長ヲ辞ス。
明治32年6月27日
(1899年)
第11巻 p.107-108(DK110017k)
是日栄一、飛鳥山別邸ニ徳川慶喜ノ来臨ヲ請ヒ、ソレニ先立ツテ当会社工場ノ一覧ヲ乞フ。慶喜、新村猛雄ト伴ニ工場ニ着シ、藤山雷太ノ嚮導ニテ工場ヲ巡覧シ、後、飛鳥山別邸ニ至ル。
明治35年4月
(1902年)
第11巻 p.108-120(DK110018k)
是月栄一、当会社善後策ニ関シテ井上馨・朝吹英二・早川千吉郎・益田孝・大川平三郎等ト謀ル所アリ。尋イデ七月ニ至リ、鈴木梅四郎専務取締役ニ就任シ、ソノ財政整理案ヲ翌三十六年一月ノ株主総会ニ提出セントシテ、先ヅ三井家ノ賛意ヲ得ントセシモ果サズ。仍ツテ該案ヲ栄一ニ示シテ援助ヲ請フ。栄一コレヲ認メテ尽力ス。
明治35年7月26日
(1902年)
第11巻 p.120(DK110019k)
是日栄一、当会社定時株主総会ニ於テ相談役ニ推サル。三十七年十月辞ス。
2款 四日市製紙株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治20年12月
(1887年)
第11巻 p.121-124(DK110020k)
是月、三重県四日市浜町、四日市工業会社ノ紙質製造部ヲ独立セシメテ四日市製紙会社設立サル。栄一当社ノ株主タリシガ、設立以来援助スル所大ナリ。
3款 中央製紙株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治39年5月10日
(1906年)
第11巻 p.125-128(DK110021k)
栄一、大川平三郎・田中栄八郎等ト共ニ岐阜県恵那郡中津町ニ製紙会社ヲ設立センコトヲ計画シ、是日発起人会ヲ開ク。後起業ノ不利ナルヲ見テ一時其計画ヲ延期ス。
明治39年10月5日
(1906年)
第11巻 p.128-131(DK110022k)
栄一、大川平三郎・田中栄八郎等ト中央製紙株式会社ノ設立ヲ発起シ、是日名古屋商業会議所ニ於テ創立総会ヲ開ク。栄一推サレテ相談役トナル。
明治42年6月6日
(1909年)
第11巻 p.131-132(DK110023k)
是年栄一、古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日当会社相談役ヲ辞ス。
4款 木曾興業株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治41年10月10日
(1908年)
第11巻 p.133-134(DK110024k)
栄一、大川平三郎・大沢辰次郎等ト木曾興業株式会社ノ設立ヲ発起シ、是日創立総会ニ於テ座長トナリ重役ヲ指名ス。栄一推サレテ相談役トナル。
明治42年6月6日
(1909年)
第11巻 p.134-135(DK110025k)
是年栄一、古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日当会社相談役ヲ辞ス。
5款 製紙所聯合会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治13年12月26日
(1880年)
第11巻 p.136-139(DK110026k)
栄一、製紙所聯合会ヲ興シ、是日上野精養軒ニ集会ヲ開キ、条規ヲ制定シ、紙価ノ協定ヲ試ム。
明治15年4月
(1882年)
第11巻 p.139-140(DK110027k)
栄一、製紙所聯合会ヲ代表シ、洋紙輸入税ヲ引上ゲンコトヲ外務卿井上馨・大蔵卿佐野常民ニ請願ス。
明治16年7月27日
(1883年)
第11巻 p.140-141(DK110028k)
是ヨリ先、会員中紙価ノ低落ニ関シ聯合会ノ之ヲ防遏スル能ハサルヲ見テ会ノ解散ヲ唱フル者アリ。栄一等之ニ反対シ、是日大阪・梅津両製紙所ノ脱会ヲ承認シ、条規ヲ改正シ以テ当会ノ維持ニ努ム。
明治18年3月
(1885年)
第11巻 p.142-146(DK110029k)
栄一、当会ノ請ニ因リ、印刷局抄紙部ノ製品ヲ市場ニ売出サザランコトヲ大蔵卿伯嚼松方正義ニ請願ス。大蔵卿之ヲ容レ、二ケ年間其ノ発売ヲ止ム。
7節 製革業
1款 依田西村組・桜組
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治12年4月
(1879年)
第11巻 p.147-158(DK110030k)
是ヨリ先、西村勝三、其ノ経営スル所ノ依田西村組ノ製革製靴ノ事業困難ニ陥レルヲ以テ、東京府権知事楠本正隆ノ勧告ニ従ヒ勧業資金十万円ノ貸下ヲ大蔵省ニ請願シ、是月其ノ半額ヲ貸下ゲラル。是ニ於テ栄一、西村ノ請ニ依リ同組ニ対スル債権者ト会シテ借入金年賦償還ノ方法ヲ定メ、以テ其ノ倒産ヲ防止ス。後、明治十七年桜組ト改称ス。
明治31年11月
(1898年)
第11巻 p.158-164(DK110031k)
日清戦役起ルニ際シテ製品ノ需要激増シ、事業大イニ拡張セリ。依リテ是月、栄一等十七名ノ出資ニヨリ合資会社組織トナス。出資総額三十四万円ナリ。
2款 日本熟皮会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治20年12月22日
(1887年)
第11巻 p.165-171(DK110032k)
是日栄一、西村勝三・益田孝等八名と連署シテ日本熟皮会社ノ設立ヲ東京府知事男爵高崎五六ニ出願ス。二十四日追テ会社条例制定セラルルマデ人民相対ニ任ス義ト心得ベシト指令セラル。翌二十一年三月十五日栄一相談役ト為ル。当会社ハ創立以来連年損失ヲ重ネ資金ノ不足ヲ告ゲタル為メ、二十五年九月遂ニ解散ス。
3款 熟皮株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治25年
(1892年)
第11巻 p.172(DK110033k)
日本熟皮会社解散後、伊藤長次郎・三宅忠三等有志株主ハ同社ノ財産ヲ引受ケ熟皮株式会社ヲ設立ス。栄一株主タリ。当会社ハ三十一年ニ至リ解散ス。
4款 日本皮革株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治40年4月1日
(1907年)
第11巻 p.173-176(DK110034k)
合名会社大倉組皮革製造所・東京製皮合資会社及ビ桜組合併シテ日本皮革株式会社ヲ創立ス。栄一相談役ト為ル。
明治42年6月6日
(1909年)
第11巻 p.176-177(DK110035k)
是年栄一、古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日当会社相談役ヲ辞ス。
8節 製糖業
1款 精糖事業調査会・日本精糖株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治27年2月16日
(1894年)
第11巻 p.178-180(DK110036k)
是ヨリ先、明治二十二年佐野常樹、綿業事情視察ノ為メ印度ニ派遣サルルニ際シ、栄一之ニ南洋糖業事情ノ調査ヲモ亦依頼シタリシガ、是年ニ至リ我国ニ精製糖業ヲ興サントシ、是日大阪ニ於テ松本重太郎等ト供ニ、先ヅ精糖事業調査会ヲ組織シテ精糖試験及海外調査ニ従事ス。
明治28年12月22日
(1895年)
第11巻 p.180-198(DK110037k)
精糖事業調査会ニ於テ日本精糖株式会社ヲ設立スルニ決シ、是日創業総会ヲ開催ス。尋イデ是月二十六日設立免許申請書ヲ提出シ、翌二十九年一月十五日免許セラル。栄一取締役タリ。当会社ハ英国ヨリ精糖用諸機械ヲ購入シ、明治三十一年六月十五日操業ヲ開始ス。
明治39年5月8日
(1906年)
第11巻 p.199-201(DK110038k)
日露戦役後ノ経済界勃興期ニ際シ、当会社及ビ日本精製糖株式会社ノ株主中ニ両社ヲ合併シテ事業ヲ拡張センコトヲ謀ル者アリ。両社ノ重役之ニ反対シテ総辞職ヲ為ス。是日栄一亦当会社ノ取締役ヲ辞ス。
2款 八重山糖業株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治28年11月18日
(1895年)
第11巻 p.202-222(DK110039k)
栄一、大江卓・鳥海清左衛門等ト共ニ八重山糖業株式会社ノ設立ヲ発起シ、是日東京日本橋倶楽部ニ於テ創業総会ヲ開ク。栄一議長トナリ取締役・監査役ヲ指名ス。栄一亦監査役ニ選バル。当会社ハ石垣島ニ於ケル中川農場並ニ八重山開墾組合ノ設備ヲ引継ギ事業ヲ開始ス。
明治31年8月20日
(1898年)
第11巻 p.222-243(DK110040k)
当会社ハ創立以来成績挙ガラズシテ毎期損失ヲ重ネ、更ニ事業拡張ノ為資本金増加ヲ計リタルモ資金ヲ得ルコト困難ナルニヨリ、遂ニ是日株主総会ヲ開キ事業ノ整理ヲ議決ス。栄一之ニ出席シテ所感ヲ述ブ。後明治三十五年四月ニ至リ当会社解散ス。
3款 帝国精糖株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治29年10月10日
(1896年)
第11巻 p.244-250(DK110041k)
加東徳三・鳥海清左衛門・殿木善兵衛等ノ発起ニ依リ、是日帝国精糖株式会社創立セラル。栄一株主タリ。当会社ハ翌三十年二月二十六日設立ノ免許ヲ得タルモ、外国糖輸入ノ増進ニ直面シテ到底成算ノ見込ナキ為メ、同年十月二十一日解散ス。
4款 台湾製糖株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治33年6月13日
(1900年)
第11巻 p.251-266(DK110042k)
台湾製糖業ノ振興ヲ計ル為メ新式機械ニヨル台湾製糖株式会社ヲ設立スルノ計画熟シ、是日三井集会所ニ於テ発起人会ヲ兼テ発起披露ノ宴ヲ開ク。栄一来賓トシテ之ニ出席ス。是年十二月十日当会社創立セラル。栄一株主タリ。
5款 明治製糖株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治39年10月6日
(1906年)
第11巻 p.267-272(DK110043k)
是ヨリ先、相馬半治・小川䤡吉等ニヨリ計画サレタル明治製糖株式会社ノ設立ハ、栄一・森村市左衛門等ノ賛助ノ下ニ具体化シ、是日第一回発起人会ヲ開ク。栄一創立委員長トナル。
明治39年12月29日
(1906年)
第11巻 p.272-282(DK110044k)
是日当会社創立総会ヲ開ク。栄一議長トナリ、取締役及ビ監査役ノ指名ヲナス。栄一亦相談役トナル。
明治42年6月6日
(1909年)
第11巻 p.282-283(DK110045k)
是年栄一、古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ、諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日当会社相談役ヲ辞ス。
6款 大日本製糖株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治39年11月5日
(1906年)
第11巻 p.284-305(DK110046k)
是日、日本精製糖株式会社ハ臨時株主総会ニ於テ日本精糖株式会社ト合併スルノ件ヲ議決シ、新役員ヲ選挙ス。栄一相談役ニ推薦サル。十一日合併成リ社号ヲ大日本製糖株式会社ト攻ム。社長ハ酒匂常明ニシテ栄一ノ推挙スル所ナリ。
明治42年1月11日
(1909年)
第11巻 p.305-312(DK110047k)
当会社ハ諸製糖会社合同以来経営困難ニ陥リ、其内容ニ関シ種々ノ風説アリ、前年十一月瓜生震等ヲ監査役ト為シテ之ヲ調査セシメタル結果、紊乱ノ状態明カトナリ、社長酒匂常明以下各役員相前後シテ連袂辞職ス。是日栄一亦酒匂ヲ推薦シタル責ヲ引キ相談役ヲ辞ス。
明治42年1月
(1909年)
第11巻 p.312-316(DK110048k)
監査役瓜生震、整理案ヲ立テテ第一銀行頭取タル栄一及ビ三井銀行常務取締役早川千吉郎、三菱合資会社銀行部長豊川良平ニ救済ヲ請フ。栄一等之ヲ拒絶ス。
明治42年4月27日
(1909年)
第11巻 p.317-337(DK110049k)
是ヨリ先三月八日、栄一、大株主会ヨリ後継役員候補者ヲ詮衡センコトヲ請ハル。栄一乃チ委員ト共ニ之ガ詮衡ニ努メ、是日臨時株主総会ニ於テ藤山雷太等七名ヲ指名ス。栄一亦相談役トナル。
明治42年6月6日
(1909年)
第11巻 p.337-339(DK110050k)
是年栄一、古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日一旦当会社相談役ヲ辞シタルモ、後間モナク委嘱サレテ三度相談役ト為ル。
9節 麦酒醸造業
1款 ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治18年2月
(1885年)
第11巻 p.340-346(DK110051k)
是月栄一、後藤象二郎・岩崎弥之助・増島六一郎・独逸人カールローデ等内外人ト共ニ出資シ、横浜ニ於テ米人コープランドノ経営スル麦酒醸造所スプリング・ヴァレイ・ブリユワリーヲ継承シ、新タニ株式組織ヲ以テ資本金五万弗ノジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッドヲ設立ス。
明治22年7月
(1889年)
第11巻 p.346(DK110052k)
是月栄一、当会社理事員ニ推撰セラル。明治二十九年十二月ニ至リ之ヲ辞ス。
2款 札幌麦酒株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治20年12月28日
(1887年)
第11巻 p.347-362(DK110053k)
是ヨリ先栄一、浅野総一郎等ト共ニ麦酒会社ヲ設立セントシ、是月二十四日札幌麦酒醸造所所有者大倉喜八郎ト同場譲渡ノ約定ヲ結ビ、北海道庁長官岩村通俊ニ会社設立ノ出願ヲ為ス。是日許可セラレ翌二十一年一月会社成立ス。栄一委員長タリ。
明治23年2月25日
(1890年)
第11巻 p.362-368(DK110054k)
是ヨリ先二十二年十月十日、札幌麦酒会社地所建物器械備品等払下年賦金ヲ一時ニ上納スベキコトヲ請願シ、是日許可セラレ。命令書下附サル。尋イデ北海道庁技師マツクス・ポールマン是年七月雇傭期間満了スルヲ以テ当会社ハ同人ヲ継続シテ貸与サレンコトヲ再願シ、二十三年九月十一日許可セラル。
明治27年5月24日
(1894年)
第11巻 p.368-381(DK110055k)
札幌麦酒会社商法ノ実施ニ因リテ札幌麦酒株式会社ト改称ス。栄一取締役会長ニ就任シ、植村澄三郎ヲ推薦シテ専務取締役ニ就任セシム。栄一、重任シテ明治三十九年三月同社合併解散ニ至ル迄其ノ地位ニアリ。
明治33年3月21日
(1900年)
第11巻 p.381-391(DK110056k)
是日栄一、当会社重役会ニ出席シ、東京市本所区中ノ郷瓦町一番地(旧佐竹邸)五千三百三十余坪ニ建設スベキ分工場敷地ノ件ヲ決ス。
3款 大日本麦酒株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治39年3月26日
(1906年)
第11巻 p.392-407(DK110057k)
是日、札幌麦酒株式会社・日本麦酒株式会社・大阪麦酒株式会社ノ三社合同シテ大日本麦酒株式会社ヲ設立セントシ、東京銀行集会所ニ創立総会ヲ開ク。栄一議長トシテ議事ヲ宰シ、且ツ取締役ニ推サル。
明治42年6月6日
(1909年)
第11巻 p.408-409(DK110058k)
是年栄一、古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日当会社取締役ヲ辞任ス。
10節 陶器製造業
1款 京都陶器会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治20年5月
(1887年)
第11巻 p.410-416(DK110059k)
是月栄一、田中源太郎・浜岡光哲等ト京都陶器会社ヲ設立ス。当会社ハ二十五年ニ至ツテ解散セリ。
2款 旭焼組合
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治23年2月
(1890年)
第11巻 p.417-430(DK110060k)
是ヨリ先、栄一、東京磁器会社ヲ創立セントセシガ、是ニ至リ前計画ヲ中止シテ独人ワグネルノ発明セル陶器旭焼ヲ製造セントシ、浅野総一郎等ト謀リテ旭焼組合ヲ組織ス。当組合ハ、二十九年ニ至リテ解散ス。
3款 友玉園製陶所
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治40年
(1907年)
第11巻 p.431-439(DK110061k)
明治十五年加藤友太郎ニヨリ創立サレタル友玉園製陶所ハ、是年匿名組合ニ組織ヲ変更シ業務ノ発展ヲ図ル。栄一、郷誠之助・植村澄三郎等ト共ニ組合員トナリ、大正五年ニ及ブ。
11節 硝子製造業
1款 磐城硝子会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治20年9月
(1887年)
第11巻 p.440-442(DK110062k)
栄一、益田孝・浅野総一郎等ト共ニ磐城硝子会社ヲ創立セシモ、二十三年ニ至リ解散ス。
2款 品川硝子会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治21年6月
(1888年)
第11巻 p.443-459(DK110063k)
是月栄一、西村勝三・益田孝・柏村信等ト謀リ、従来西村ノ個人経営タリシ品川硝子製造所ヲ引受ケテ、資本金十五万円ヲ以テ品川硝子会社ヲ設立ス。栄一相談役タリ。当会社ハ翌二十二年六月事業拡張ノタメ資本金ヲ六十万円ニ増加シタルモ、二十六年六月解散ス。
3款 東洋硝子製造株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治39年9月
(1906年)
第11巻 p.460-466(DK110064k)
是月栄一、仏国人ロバート・ルーネン等ト共ニ東洋硝子製造株式会社ヲ設立シ、其相談役・顧問ト為リシモ、四十二年二月ニ至ツテ解散ス。
4款 関係会社諸資料 1. 田中工場(東洋硝子株式会社)
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治23年9月
(1890年)
第11巻 p.467-479(DK110065k)
是月、田中栄八郎ハ畑喜十郎ヲ資ケテ田中工場ヲ創立ス。後、明治三十一年ニ至リ組織ヲ拡大シテ東洋硝子株式会社ト為ス。栄一長男篤二株主タリ。
4款 関係会社諸資料 2. 日本板硝子株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第11巻 p.479-482(DK110066k)
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12節 煉瓦製造業
1款 品川白煉瓦株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治9年
(1876年)
第11巻 p.483-485(DK110067k)
是年、東京瓦斯局、瓦斯製造用ノ石炭調査ノ為メ同局傭技師アンリー・ペレゲレンヲ群馬県乗付村ニ派遣ス。同地ノ石炭ハ良質ナラザリシガ附近ニ耐火煉瓦用ノ粘土アルヲ発見ス。依ツテ同局事務副長西村勝三ハペレゲレント謀リ、試験ノ結果舶来品ニ劣ラザル製品ヲ得タリ。栄一、西村勝三ヲ援助シテ同局構内ニ白煉瓦製造所ヲ起サシム。
明治9年12月25日
(1876年)
第11巻 p.485-486(DK110068k)
是日栄一、瓦斯局事務長トシテ瓦斯製造竈増設ニ要スベキ耐火煉瓦石ヲ、製造主西村勝三ヨリ買上度旨、其約定事案ヲ添ヘテ府庁ニ伺出デ許サル。
明治14年1月28日
(1881年)
第11巻 p.486-491(DK110069k)
是迄本局構内空地ヲ無代貸与セル耐火煉瓦製造所ノ借地期間ヲ更ニ五ケ年間延期セラレンコトヲ製造主西村勝三ヨリ願出デタルガ、府庁之ヲ許サザルニ依リ、西村勝三再願ニ及ベリ。是日栄一瓦斯局長トシテ、其事情巳ムヲ得ザルニ因リ明治十五年中ヲ限リ該地所ヲ貸与セラレ、且尚同人ヘ耐火煉瓦石壱万本ヲ注文シ度旨府知事松田道之ニ伺出デ許サル。而シテ明治十五年十二月満期トナルヤ西村勝三再ビ尚六ケ月間延期サレンコトヲ出願シ又許サル。
明治33年7月20日
(1900年)
第11巻 p.491-496(DK110070k)
西村勝三ノ経営ニ係ル、伊勢勝白煉瓦製造所、栄一・益田孝・馬越恭平・団琢磨等十八名ノ出資者ヲ得テ、資本本金八万円ノ品川白煉瓦合資会社ヲ組織ス。
明治36年6月25日
(1903年)
第11巻 p.496(DK110071k)
当会社組織ヲ更メ株式会社トナス。栄一株主タリ。
明治40年3月30日
(1907年)
第11巻 p.496-500(DK110072k)
是ヨリ先、西村勝三歿スルニ臨ミ、当会社ノ後事ヲ栄一ニ遺嘱ス。栄一乃チ是日相談役ト為リ、其営業ヲ監督ス。
明治40年10月25日
(1907年)
第11巻 p.500-511(DK110073k)
是日栄一、当会社株主臨時総会ニ出席ス。栄一ノ推挙セル郷隆三郎専務取締役ニ就任セリ。尋イデ十一月二十五日帝国ホテルニ於ケル披露会ニ出席シ一場ノ演説ヲナシ、当会社創立以来ノ沿革ヲ述ブ。
明治42年6月6日
(1909年)
第11巻 p.511-513(DK110074k)
是年栄一、古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ、諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日当会社相談役ヲ辞ス。
2款 日本煉瓦製造株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治20年10月25日
(1887年)
第11巻 p.514-535(DK110075k)
是日栄一、池田栄亮等四人ト連署シテ資本金二十万円ノ日本煉瓦製造会社ノ設立ヲ東京府知事高崎五六ニ出願ス。同二十九日認許ノ指令ヲ受ケ、尋イデ栄一理事ト為ル。当会社ハ独逸ヨリ新式焼成窯ヲ輸入シ、工場ヲ埼玉県大里郡大寄村上敷免ニ設ケテ本邦最初ノ機械製煉瓦ノ製造ヲ開始ス。
明治23年5月10日
(1890年)
第11巻 p.535-542(DK110076k)
是ヨリ先、当会社設備不完全ニシテ所期ノ成績ヲ得ズ、且ツ製品ノ帝都ヘノ運輸便ナラザルヲ以テ窮境ニ陥ル。栄一自ラ理事長トナリ、諸井恒平ヲ支配人ニ抜擢シテ改善ニ努メシガ、是日更ニ資本金二万円ヲ増シテ二十二万円トナシ、別ニ社債ヲ募集シテ設備ヲ改良シ回漕部新設ノ資ニ充ツ。
明治24年6月
(1891年)
第11巻 p.542-545(DK110077k)
当会社臨時総会ヲ開キ、第二社債金二万円募集ノ議ヲ決セシガ応ズル者無シ、栄一乃テ侯爵蜂須賀茂韶ト謀リテ各金一万円ヲ出資ス。
明治26年8月8日
(1893年)
第11巻 p.545-549(DK110078k)
当会社商法ノ施行ニ因リテ定款ヲ改正シ、日本煉瓦製造株式会社ト改称ス。尋イデ栄一取締役会長ニ就任シ、此後毎期重任シテ明治四十二年六月ニ至ル。
明治27年4月13日
(1894年)
第11巻 p.549-553(DK110079k)
是ヨリ先明治二十三年、当会社、回漕部ヲ新設シテ水運ニヨル輸送ヲ計リシモ当今ニ至リテ漸クソノ不完全ナルヲ示ス。依ツテ新タニ社債ヲ募集シテ深谷・工場間ニ鉄道ヲ布設セントシ、是年一月九日諸井・北川両人ハ栄一ヲ深川邸ニ訪ヒ陳情スル所アリ。栄一コレヲ了承シ、是日開カレタル株主総会ニ於テ該案議決サル。栄一右鉄道敷設ニ尽力シ、明治二十八年七月十八日開通ス。
明治31年1月26日
(1898年)
第11巻 p.553-556(DK110080k)
当会社営業状態漸ク順境ニ入リ、連年ノ損失ヲ補塡シ負債ヲ消却シ、始メテ年一割ノ利益配当ヲ行フ。此ノ間栄一、会長トシテ尽力スル所多シ。
明治42年6月6日
(1909年)
第11巻 p.556-558(DK110081k)
是年栄一、古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ、諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日当会社取締役会長ヲ辞ス。
3款 東武煉瓦株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治40年2月
(1907年)
第11巻 p.559(DK110082k)
栄一、根津嘉一郎・日比谷平左衛門・末延道成・諸井恒平等ト共ニ資本金百万円ノ東武煉瓦株式会社設立ヲ発起ス。然ルニ戦後ノ財界不況ニ遭ヒ遂ニ成立セズ。
13節 セメント製造業
1款 浅野セメント株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治16年4月16日
(1883年)
第11巻 p.560-569(DK110083k)
是日工部省工作局深川セメント工場貸下浅野総一郎ニ許可セラル。此件ニ付栄一、政府当局者ニ交渉斡旋ヲ為ス。明年七月八日更ニ同人ニ払下許可セラレ、浅野セメント工場成立ス。栄一其経営ヲ援助ス。
明治31年2月17日
(1898年)
第11巻 p.569-572(DK110084k)
浅野セメント工場其組織ヲ改メ資本金八十万円ノ浅野セメント合資会社ヲ設立ス。栄一、出資社員ト為リ、是日第一回社員総会ニ於テ監査役ニ選バレ、此後重任シテ同四十二年六月ニ至ル。明治四十年三月当会社資本金ヲ五百万円ニ増加ス。
明治42年6月6日
(1909年)
第11巻 p.573(DK110085k)
是年栄一、古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ、諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日当会社監査役ヲ辞ス。
2款 門司セメント株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治22年3月27日
(1889年)
第11巻 p.574-581(DK110086k)
栄一、発起人総代ト為リ浅野惣一郎・大倉喜八郎・大川平三郎等ト共ニ門司セメント会社ヲ設立セントシ、是日創立願書ヲ東京府知事男爵高崎五六ニ提出ス。当会社ハ資本金二十万円ニシテ、本店ヲ東京市深川区清住町一番地ニ置キ、製造所ヲ福岡県豊前国企救郡柳浦村ニ設置セントス。四月一日設立認許ヲ得タレドモ、金融逼迫ノ時勢ニ遭ヒ、未ダ工場建設ニ至ラズシテ解散ス。
3款 三河セメント工場
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治24年5月
(1891年)
第11巻 p.582-589(DK110087k)
栄一、第一国立銀行ノ所有ニ係ル在愛知県渥美郡田原町三河セメント工場ノ経営ニ就キ嚮導ス。
明治28年9月28日
(1895年)
第11巻 p.590-592(DK110088k)
是日栄一、名古屋市ニ於テ同市岡谷惣助・山内正義・祖父江重兵衛等ト当工場ニ就キ要談ス。三十一年六月三河セメント株式会社設立サレ、全ク第一国立銀行ノ所有ヲ離ル。
14節 製煉業
1款 東洋亜鉛煉工所
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治39年11月12日
(1906年)
第11巻 p.593(DK110089k)
栄一、中野武営・浅田正文・堀田連太郎等ト東洋亜鉛煉工所ヲ設立セントシ、是日帝国ホテルニ開カレタル発起人会ニ出席ス。尋イデ翌年一月資本金三百万円ノ株式募集ニ着手ス。
2款 日本中央製錬株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治40年2月18日
(1907年)
第11巻 p.594-595(DK110090k)
栄一、前島密初メ百六十余名ト資本金一千万円ヲ以テ日本中央製錬株式会社ヲ創立セントシ、是日銀行集会所ニ於ケル発起人会ニ出席、創立委員トシテ前島密・日下義雄等十二名ヲ指名ス。
3款 製鉄関係資料 1. 農商務省発起製鉄所招待会
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--第11巻 p.596-598(DK110091k)
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15節 造船・船渠業
1款 株式会社東京石川島造船所
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治19年
(1886年)
第11巻 p.599-606(DK110092k)
是ヨリ先明治十五年頃、平野造船所経営者平野富二ノ為メニ栄一第一国立銀行ヨリ資金ノ融通ヲ計レリ。後更ニ華族宇和島ノ伊達家・鍋島家ニ説キテ出資ヲ促シ、共ニ其経営ヲ援ク。然レドモ更ニ資金ヲ必要トセルヲ以テ前二者ニ梅浦精一等ヲ加ヘテ是年同所ノ為メニ匿名組合ヲ組織ス。
明治22年1月10日
(1889年)
第11巻 p.606-616(DK110093k)
石川島平野造船所其組織ヲ改メ有限責任東京石川島造船所ヲ設立セントシ、是日東京府庁ニ出願ス。同月十七日許可ヲ得。栄一委員タリ。
明治24年4月23日
(1891年)
第11巻 p.616-619(DK110094k)
是ヨリ先、海軍省ノ所管ニ属セシ当造船所ノ地所宮内省ニ移管セラレシヲ以テ宮内省ヨリ之ヲ拝借センコトヲ願出デシガ、同省御料局ガ許可セントスル拝借年限短キタメ、栄一御料局長子爵品川弥二郎ニ斡旋シテ是日三十ケ年間拝借ヲ許可セラル。
明治26年9月5日
(1893年)
第11巻 p.619-632(DK110095k)
是日当造船所臨時株主総会ヲ開キ、株式会社東京石川島造船所ト改称ス。栄一取締役会長ニ選バレ、爾後重任シテ明治四十二年七月十三日ニ至ル。
明治32年6月11日
(1899年)
第11巻 p.632-640(DK110096k)
是ヨリ先、神奈川県浦賀ニ当造船所分工場ヲ設ク。三十一年十一月竣工シ、是日開業式ヲ挙グ。栄一之ニ臨席シ取締役会長トシテ演説ス。
明治34年8月28日
(1901年)
第11巻 p.640-643(DK110097k)
当造船所浦賀分工場始メテ遠洋航海用汽船交通丸ヲ建造シ、是日進水式ヲ行フ。栄一之ニ臨ミ演説ス。
明治34年10月22日
(1901年)
第11巻 p.643-652(DK110098k)
是ヨリ先、当造船所ト浦賀船渠株式会社トノ間ニ激烈ナル競争起ル。栄一之ヲ憂ヒ海軍当局者ノ調停ノ下ニ両会社ヲ合併センコトヲ図リタルモ、浦賀船渠株式会社之ニ応ゼズシテ合併ノ議調ハズ。
是日特ニ当造船所臨時株主総会ヲ開キテ之ヲ報告ス。
明治35年5月4日
(1902年)
第11巻 p.652-658(DK110099k)
当造船所浦賀分工場ヲ浦賀船渠株式会社ニ売却シ、資本金百五十万円ヲ六十万円ニ減資ス。因リテ重役一同其責ヲ負ヒテ辞任ス。然レドモ栄一ハ再ビ選バレテ取締役会長トナル。
明治40年4月27日
(1907年)
第11巻 p.658-661(DK110100k)
当造船所創立満三十年祝賀式ヲ挙グ。栄一之ニ臨ミ演説ス。
明治42年6月6日
(1909年)
第11巻 p.661-665(DK110101k)
是年栄一、古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日当造船所取締役会長ヲ辞ス。