デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.13

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
13款 社団法人国際聯盟協会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正15年1月20日
(1926年)
第37巻 p.5-28(DK370001k)
是ヨリ先、国際聯盟協会聯合会ヨリ、近ク国際聯盟ガ招集スベキ国際経済会議ニ提案スベキ意見ヲ徴シ来ル。是日、当協会主催ノ下ニ、日本工業倶楽部ニ於テ、右ニ関スル懇談会開カル。栄一出席シテ座長トナル。
大正15年1月25日
(1926年)
第37巻 p.28(DK370002k)
是日、当協会関西学院学生支部ハ、神崎驥一ヲ其支部長ニ推薦ス。後、栄一、会長トシテ挨拶状ヲ発ス。
大正15年2月20日
(1926年)
第37巻 p.29(DK370003k)
是日、当協会主催当協会前主事堀内謙介招待会、東京銀行倶楽部ニ催サレ、栄一出席ス。
大正15年3月16日
(1926年)
第37巻 p.29-35(DK370004k)
是日、当協会第五十九回理事会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ、国際聯盟常任理事国増員問題ヲ議ス。
大正15年3月22日
(1926年)
第37巻 p.35-36(DK370005k)
是日栄一、当協会会長トシテ、アメリカ合衆国前トルコ駐箚特命全権大使ヘンリー・モルゲンソート、東京銀行倶楽部ニ会談ス。
大正15年3月26日
(1926年)
第37巻 p.36-68(DK370006k)
是日、当協会第六十回理事会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ、近クベルギー国ブリュッセルニ開カルベキ国際聯盟協会聯合会特別委員会ニ出席スル当協会代表ニ対スル訓電其他ニ関シテ協議ス。
大正15年4月20日
(1926年)
第37巻 p.68-70(DK370007k)
是日、当協会第六十一回理事会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ、年賦寄付金継続ノ件其他ヲ協議ス。
大正15年4月26日
(1926年)
第37巻 p.70-74(DK370008k)
是日栄一、当協会ノ主ナル賛助員ヲ、東京銀行倶楽部ニ請ジテ、従来ノ年賦寄付継続ノコトヲ勧説シ、ソノ賛成ヲ得。
大正15年5月8日
(1926年)
第37巻 p.74-90(DK370009k)
是日午前、当協会第二回全国支部長会議、貴族院議長官舎ニ開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。午後、当協会第六回通常総会、丸ノ内日本工業倶楽部ニ開カル。引続キ出席シテソノ議長トナル。
大正15年5月31日
(1926年)
第37巻 p.90-91(DK370010k)
当協会幹事大熊真、近ク東北及ビ北陸各地ニ当協会支部設立準備ノタメ出張セントス。栄一、是日付ヲ以テ、大熊ニ福島県知事川淵洽馬外八名ニ対スル紹介状ヲ与フ。
大正15年6月17日
(1926年)
第37巻 p.91-96(DK370011k)
是日、当協会ハ、当協会役員ト教育界諸団体代表者トノ懇談会ヲ、飛鳥山邸ニ催ス。栄一出席シテ平和思想ノ普及ニ就イテ意見ヲ述ブ。
大正15年7月21日
(1926年)
第37巻 p.96-98(DK370012k)
是日、当協会第六十二回理事会、日本工業倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ婦人・児童売買禁遏国民委員会設置ノ件ヲ議ス。引続キ、当協会理事、新任ドイツ国駐箚特命全権大使長岡春一及ビ同理事頭本元貞渡欧並ニ前当協会主事加藤外松渡支並ニ当協会幹事青木節一帰朝ニツキ、ソノ歓送迎午餐会ニ移ル。
大正15年9月3日
(1926年)
第37巻 p.98-109(DK370013k)
是日、当協会第六十三回理事会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ、主事選任ノ件其他ヲ議ス。
大正15年9月21日
(1926年)
第37巻 p.109-110(DK370014k)
是日、当協会第六十四回理事会及ビ同主催、国際聯盟交換研究派遣員送別兼万国議員商事会議参列員歓迎午餐会開カル。栄一、病気ノタメ出席スルヲ得ズ、阪谷芳郎代リテ挨拶ヲ述ブ。
大正15年11月11日
(1926年)
第37巻 p.110-118(DK370015k)
是日午前、第八回平和記念日ニ方リ、栄一、当協会会長トシテ東京放送局ヨリ記念放送ヲ行フ。午後、当協会主催国際聯盟デー、上野公園内産業文化博覧会内ニ開カル。栄一出席シテ講演ヲナス。後、当協会ハ栄一ノ放送ヲ英訳シテ刊行頒布ス。
大正15年11月18日
(1926年)
第37巻 p.118-119(DK370016k)
是日、当協会第六十五回理事会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。後、当協会理事頭本元貞及ビ国際聯盟事務局次長杉村陽太郎帰朝歓迎午餐会ニ移ル。
大正15年11月23日
(1926年)
第37巻 p.119-122(DK370017k)
是日、当協会主催第二回東洋赤十字会議参列者招待茶話会、飛鳥山邸ニ開カル。栄一臨席シテ挨拶ヲ述ブ。
大正15年11月27日
(1926年)
第37巻 p.122-123(DK370018k)
是日、当協会主催国際聯盟事務局次長杉村陽太郎招待会、生命保険会社協会ニ開カレ、栄一出席ス。
昭和2年3月30日
(1927年)
第37巻 p.123-130(DK370019k)
是日、当協会第六十七回理事会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。次イデ先ニ帰朝シタル新渡戸稲造及ビ近ク国際経済会議ニ出席スベキ志立鉄次郎他三名ノ歓送迎晩餐会ニ移リ、栄一挨拶ヲ述ブ。翌三十一日、国際経済会議ニ関スル談話会同所ニ開カル。尚四月二日、当協会主催新渡戸稲造歓迎会、四月六日、日本工業倶楽部並ニ日本経済聯盟会合同主催同招待午餐会催サレ、栄一ソレゾレ出席ス。
昭和2年4月16日
(1927年)
第37巻 p.131(DK370020k)
是日、当協会主催国際問題大講演会、東京帝国大学大講堂ニ開カル。栄一臨場シテ挨拶ヲ述ブ。
昭和2年4月23日
(1927年)
第37巻 p.131-132(DK370021k)
是日、当協会第六十八回理事会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席ス。
昭和2年5月2日
(1927年)
第37巻 p.132-133(DK370022k)
是日、外務大臣田中義一ヨリ、当協会ニ交付スベキ昭和二年度分国庫補助金ニ関スル命令書ヲ交付セラル。
昭和2年5月11日
(1927年)
第37巻 p.133-142(DK370023k)
是日午前、当協会第三回支部長会議、貴族院議長官舎ニ開カル。次イデ第七回通常総会、生命保険会社協会ニ開カレ、後、晩餐会開カル。栄一各会ニ出席ス。
昭和2年5月19日
(1927年)
第37巻 p.142-145(DK370024k)
是日栄一、当協会第七回通常総会ノ依嘱ニヨリ、評議員七十七名ヲ推薦ス。
昭和2年5月21日
(1927年)
第37巻 p.145-147(DK370025k)
是日、当協会日本女子大学校学生支部発会式、同校ニ催サル。栄一臨席シテ挨拶ヲ述ブ。
昭和2年5月
(1927年)
第37巻 p.147-153(DK370026k)
当協会第七回通常総会ノ決議ニ依リ、是月栄一、当協会会長トシテ、文部大臣三土忠造ニ対シ、青少年ニ対スル国際聯盟知識普及ニ関スル建議書ヲ提出ス。
昭和2年6月2日
(1927年)
第37巻 p.153-155(DK370027k)
是日、当協会欧文法典起草委員会発会式、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
昭和2年6月13日
(1927年)
第37巻 p.156-162(DK370028k)
是日栄一、当協会会長トシテ、外務大臣田中義一ニ対シ昭和三年度国庫補助金請願書ヲ提出ス。
昭和2年6月25日
(1927年)
第37巻 p.162-163(DK370029k)
是日、当協会第三回評議員会、生命保険会社協会ニ開カル。栄一出席シテ議長トナリ、同会議ノ委嘱ニヨリテ理事・監事及ビ会計監督ヲ指名ス。
昭和2年7月16日
(1927年)
第37巻 p.163-164(DK370030k)
是日、当協会第六十九回理事会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席ス。
昭和2年7月19日
(1927年)
第37巻 p.164-166(DK370031k)
是日、当協会理事会ヲ開キ、ソノ決議ニヨリ、即日会長栄一ノ名ニ於テ、スウィス国ジュネーブニ在ル、軍備縮小会議日本全権斎藤実及ビ石井菊次郎ニ対シ、激励ノ電報ヲ発ス。
昭和2年9月26日
(1927年)
第37巻 p.167-170(DK370032k)
是日栄一、当協会宣伝ノタメ、東北地方ニ派遣セントスル当協会幹事大熊真ヲ東京銀行倶楽部ニ招キテ送別午餐会ヲ開ク。
昭和2年10月8日
(1927年)
第37巻 p.170-175(DK370033k)
是日、当協会第七十一回理事会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席ス。後、国際労働総会ニ出席帰朝セル政府代表長岡隆一郎、同労働代表鈴木文治及ビ国際聯盟交換教授トシテ渡欧帰朝セル佐伯矩、他三名ヲ招待シ、当協会主催午餐会ヲ開ク。
昭和2年10月28日
(1927年)
第37巻 p.175(DK370034k)
是日、当協会主催フランス共和国駐箚特命全権大使石井菊次郎帰朝歓迎午餐会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席ス。
昭和2年10月
(1927年)
第37巻 p.175-178(DK370035k)
是月栄一、国際聯盟協会聯合会副議長ノ任期満了ス。又、是月七日ヨリブルガリア国ソフィアニ開カレタル同聯合会幹部会ニ於テ、新ニ二ケ年ノ任期ヲ以テ、栄一ヲ幹部会名誉会員ニ選挙ス。
昭和2年11月9日
(1927年)
第37巻 p.178-179(DK370036k)
是日、当協会理事会主催、外務大臣田中義一及ビ関係外務省高官招待晩餐会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
昭和2年11月11日
(1927年)
第37巻 p.179-181(DK370037k)
是日栄一、当協会会長トシテ、芝区愛宕山ノ東京中央放送局ヨリ、第九回平和記念日ノ記念講演ヲ放送ス。
昭和2年11月12日
(1927年)
第37巻 p.181-186(DK370038k)
是日、当協会理事会主催、国際経済会議参列員志立鉄次郎他二名及ビ随員招待帰朝歓迎午餐会、生命保険会社協会ニ開カレ。栄一出席ス。午後、当協会会員主催同歓迎茶話会、同所ニ開カレ、引続キ出席ス。
昭和2年11月15日
(1927年)
第37巻 p.186(DK370039k)
是ヨリ先十一月九日ニ開カレタル、当協会臨時理事会ノ決議ニヨリ、是日栄一、山田三良等七名ヲ当協会ノ活動審議特別委員会委員トシテ依嘱ス。
昭和2年12月2日
(1927年)
第37巻 p.187(DK370040k)
是日、当協会第七十二回理事会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シ、当協会事務所ヲ麹町区八重洲町一丁目一番地ニ移転ノコトヲ決議ス。
昭和3年1月19日
(1928年)
第37巻 p.187-195(DK370041k)
是ヨリ先、是月十四日、栄一、当協会事務所ニ副会長阪谷芳郎・添田寿一、理事山川端夫、主事奥山清治等ト、理事会ニ提出スベキ議案協議会ヲ開ク。是日、先ニ帰朝セル当協会理事佐分利貞男歓迎午餐会ヲ兼ネ当協会第七十三回理事会、日本工業倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ昭和三年度事業計画案其他ヲ議決ス。
昭和3年1月21日
(1928年)
第37巻 p.195-196(DK370042k)
是日、当協会第六十回談話会、当協会事務所ニ開カル。栄一出席シテ、挨拶ヲ述ブ。
昭和3年1月31日
(1928年)
第37巻 p.196-197(DK370043k)
是日、当協会主催「日本児童の生活画」展覧会審査員会、日本橋三越ニ開カル。栄一出席ス。
昭和3年2月25日
(1928年)
第37巻 p.197-202(DK370044k)
是日栄一、当協会事務所ニ於ケル阿片問題調査会ニ臨席ス。
昭和3年3月8日
(1928年)
第37巻 p.202-203(DK370045k)
是日、当協会第七十四回理事会、丸ノ内日本工業倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。後、国際聯盟ノ招請ニヨリテ渡欧スル長与又郎・同秦佐八郎及ビ南崎雄七等ノ送別午餐会ニ移ル。
昭和3年4月2日
(1928年)
第37巻 p.203-212(DK370046k)
是日、当協会第七十五回理事会、丸ノ内日本工業倶楽部ニ開カル。栄一出席、昭和三年度予算ヲ審議ス。後、常設国際司法裁判所判事織田万等送迎午餐会ニ移ル。
昭和3年5月24日
(1928年)
第37巻 p.212-213(DK370047k)
是日栄一、当協会会長トシテ外務大臣田中義一ヨリ、昭和三年度分補助金ニ関シ命令書ノ交付ヲ受ク。
昭和3年5月26日
(1928年)
第37巻 p.213-215(DK370048k)
是日、当協会支部長会議・評議員会・通常総会開カル。栄一欠席ス。評議員会ニ於テ、理事・監事ノ選任ヲ会長タル栄一ニ一任ス。仍ツテ六月二十二日ニ至リ理事十三名、同補欠一名、監事補欠一名ヲ依嘱ス。
昭和3年7月27日
(1928年)
第37巻 p.215-218(DK370049k)
是ヨリ先、昭和二年八月四日ヨリ六日マデ、当協会埼玉支部創立記念夏季大学、羽生町小学校ニ開催セラレ、是日以後八月下旬ニ至ルマデ、東京日日新聞社後援ノ下ニ再ビ夏季大学ヲ忍町他三カ所ニ催ス。翌四年重ネテ開催セリ。栄一、斡旋スル所多シ。
昭和3年9月7日
(1928年)
第37巻 p.218-219(DK370050k)
是日、当協会主催新任駐米大使出淵勝次送別、外務次官吉田茂帰朝歓迎、国際聯盟保健委員鶴見三三送別及ビ当協会理事頭本元貞帰朝歓迎ヲ兼ネタル晩餐会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一臨席シテ挨拶ヲ述ブ。
昭和3年9月29日
(1928年)
第37巻 p.219-221(DK370051k)
是日栄一、当協会会長トシテ当協会巡回講演ニ関シ東北地方関係官民有力者ニ、ソレゾレ書状ヲ発シテ其斡旋ヲ依頼ス。
又、当協会ハ近ク静岡県下ニ巡回講演ヲ行ハントスルニアタリ、是日、同県知事長谷川久一及ビ各地ノ市長及ビ商工会議所会頭ニ宛テ、其援助ニ対スル依頼状ヲ発ス。
昭和3年11月11日
(1928年)
第37巻 p.221-227(DK370052k)
是日栄一、当協会会長トシテ、芝区愛宕山ノ東京中央放送局ヨリ、第十回平和記念日ノ記念講演ヲ放送ス。
昭和3年12月1日
(1928年)
第37巻 p.227-236(DK370053k)
是日、当協会第六十五回談話会、丸ノ内中央亭ニ開カル。栄一出席シテ、ソヴェト聯邦駐箚特命全権大使田中都吉ノ講話ヲ聴ク。
昭和3年12月8日
(1928年)
第37巻 p.236-243(DK370054k)
是日、当協会主催国際聯盟労働局長アルベール・トーマ歓迎講演会、学士会館ニ開カル。栄一出席ス。
昭和3年12月27日
(1928年)
第37巻 p.243-248(DK370055k)
是日栄一、当協会会長トシテ、当協会阿片委員会ノ議定ニ基キ「阿片及痲薬物取締に関する建議書」ヲ内閣総理大臣田中義一・外務大臣田中義一○兼任・内務大臣望月圭介及ビ司法大臣原嘉道ニ提出ス。
昭和4年3月2日
(1929年)
第37巻 p.248-249(DK370056k)
是ヨリ先、アメリカ合衆国ニ於テハーバート・シー・フーヴァー、大統領ニ就任ス。是日栄一、当協会ヲ代表シテ当協会総裁徳川家達ト連名祝電ヲ発ス。
昭和4年4月
(1929年)
第37巻 p.249(DK370057k)
是月、当協会ハ理事会ノ決議ニヨリ、栄一ニ対シ、米寿祝賀ノ意ヲ表シテ銀製地球儀ヲ贈ル。
昭和4年5月4日
(1929年)
第37巻 p.249-253(DK370058k)
来ル十一日、当協会第九回総会開催セラルルニ就キ、是日副会長阪谷芳郎、当日栄一会長トシテナスベキ演説試案ヲ示ス。栄一、総会ニハ欠席セリ。
昭和4年6月29日
(1929年)
第37巻 p.253-255(DK370059k)
是日、当協会第五回評議員会、当協会事務所ニ開カレ、栄一出席ス。後、右評議員会ノ委嘱ニヨリ役員ヲ指名ス。
昭和4年7月7日
(1929年)
第37巻 p.255-256(DK370060k)
是ヨリ先、本月四日当協会副会長添田寿一逝去ス。臨時理事会ノ決議ニヨリ、是日葬儀ニ当リ、栄一当協会会長トシテ弔詞ヲ贈リ、又其告別式ニ参列ス。
昭和4年7月9日
(1929年)
第37巻 p.256-264(DK370061k)
是ヨリ先、当協会内ニ海軍軍縮研究委員会ヲ設ク。是日栄一、会長トシテ其委員ヲ委嘱ス。
昭和4年7月10日
(1929年)
第37巻 p.264-265(DK370062k)
是日、当協会第八十四回理事会丸ノ内日本工業倶楽部ニ開カル。栄一出席ス。終テ当協会新任理事武者小路公共等歓迎午餐会ニ移ル。引続キ出席ス。
昭和4年7月20日
(1929年)
第37巻 p.265-268(DK370063k)
是日、当協会臨時理事会当協会事務所ニ開カレ、栄一出席シテ故添田副会長後任者ノ件其他ニ就キ協議シ、副会長詮考ハ総裁及ビ会長一任ニ決ス。仍ツテ山川端夫ニ就任ヲ求メ、八月十六日ニ至リ山川是ヲ承引ス。
昭和4年9月18日
(1929年)
第37巻 p.268-269(DK370064k)
是年十月催サルベキ当協会名誉副会長石井菊次郎、副会長山川端夫等ノ北越・北陸巡回講演ニツキ、是日栄一、当協会宣伝部主任奈良正造ニ、石川県知事中野邦一ニ対スル紹介状ヲ与フ。
昭和4年9月28日
(1929年)
第37巻 p.269-270(DK370065k)
是月、国際聯盟協会聯合会幹部会、スウィス国チューリッヒニ開カル。是日同幹部会ニ於テ、栄一其名誉会員ニ再選セラル。
昭和4年10月1日
(1929年)
第37巻 p.270(DK370066k)
是日、当協会会計ニ関スル相談会、当協会事務所ニ開カル。栄一出席ス。
昭和4年11月4日
(1929年)
第37巻 p.270-271(DK370067k)
是日、当協会第八十五回理事会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。引続キ当協会主催外務大臣幣原喜重郎並ニ同省幹部招待午餐会ニ出席ス。
昭和4年11月11日
(1929年)
第37巻 p.271-275(DK370068k)
是日栄一、当協会会長トシテ、芝区愛宕山東京中央放送局ヨリ、第十一回平和記念日ノ記念放送ヲナス。
昭和4年11月22日
(1929年)
第37巻 p.275-277(DK370069k)
是日、当協会寄付者招待午餐会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
昭和4年11月26日
(1929年)
第37巻 p.277-278(DK370070k)
昭和五年一月、アメリカ合衆国ワシントンニ開カルベキ国際婦人会議ニ関シ、是日栄一、当協会会長トシテ右大会ニ送ルベキメッセージ及ビ推薦書ヲガーントレット恒子ニ委託ス。
昭和5年3月10日
(1930年)
第37巻 p.278-283(DK370071k)
是日栄一、当協会会長トシテ、国際聯盟事務局次長杉村陽太郎ヲ飛鳥山邸ニ招キ、当協会ノ委嘱ニヨリ各地ニ於テ国際聯盟ノタメニ講演ヲナセル労ヲ謝ス。
昭和5年3月18日
(1930年)
第37巻 p.283-284(DK370072k)
是日、当協会名誉総裁イギリス国人アーサー・ジェー・バルフォア逝去ス。後、栄一当協会会長トシテ総裁徳川家達トノ連名ヲ以テ弔電ヲ発ス。
昭和5年4月18日
(1930年)
第37巻 p.285-290(DK370073k)
是月十七日開カレタル当協会第八十八回理事会ノ決議ニヨリ、是日栄一、当協会会長トシテ、イギリス国ロンドンニ催サレタル軍備縮小会議ノ協定成立ヲ賀シテ、日本全権ニ謝電ヲ発ス。
昭和5年5月3日
(1930年)
第37巻 p.290-298(DK370074k)
是日、当協会第七十六回談話会、当協会事務所ニ開カル。栄一出席シテ、ロンドン軍備縮小会議日本全権随員東京帝国大学教授横田喜三郎ノ講話ヲ聴ク。
昭和5年5月4日
(1930年)
第37巻 p.298(DK370075k)
是日、当協会理事粕谷義三逝去ス。後、栄一、当協会会長トシテ弔詞ヲ贈ル。
昭和5年5月16日
(1930年)
第37巻 p.298-303(DK370076k)
是日、当協会第六回評議員会、生命保険会社協会ニ開カレ、引続キ第十回通常総会開カル。栄一出席ス。次イデ是月二十四日右総会ノ決議ニ依リ、栄一、当協会会長トシテロンドン会議終結ニ就イテノ宣言、日米両国間ニ調停及ビ仲裁裁判条約締結ニ関スル決議、並ニ常設司法裁判所応訴義務受諾ニ関スル三個ノ決議ヲ総理大臣浜口雄幸・外務大臣幣原喜重郎・司法大臣渡辺千冬ニ提出ス。
七月十九日ニ至リ、右評議員会ノ委嘱ニヨリ栄一会長トシテ理事ノ半数ヲ指名ス。
昭和5年5月17日
(1930年)
第37巻 p.303-305(DK370077k)
是日栄一、当協会各地支部長ヲ飛鳥山邸ニ招キテ茶会ヲ開ク。
昭和5年6月29日
(1930年)
第37巻 p.305-309(DK370078k)
是ヨリ先、四月十三日ヨリ、東京中央放送局ニ於テ、国際聯盟成立十週年記念ラジオ連続国際講座、放送セラル。是日最終日ニ際シ、栄一、当協会会長トシテ終了ノ辞「平和に対する努力」ヲ放送ス。
昭和5年6月30日
(1930年)
第37巻 p.309-310(DK370079k)
是日、当協会第八十九回理事会、当協会事務所ニ開カレ、栄一出席ス。
昭和5年7月7日
(1930年)
第37巻 p.310(DK370080k)
是日栄一、当協会関西学院学生支部委員長他五名ヲ、丸ノ内渋沢事務所ニ引見ス。
昭和5年7月12日
(1930年)
第37巻 p.310-311(DK370081k)
是日、当協会第七十七回談話会、当協会事務所ニ開カル。栄一出席シテ、ロンドン会議ヨリ帰朝セル、当協会副会長山川端夫ノ談話ヲ聴ク。
昭和5年7月19日
(1930年)
第37巻 p.311-320(DK370082k)
是ヨリ先七月十五日、当協会第九十回理事会ニ於テ可決セル応訴義務受諾ニ関スル決議、及ビ国際聯盟規約改正案ニ対スル決議ヲ、是日栄一、当協会会長ノ名ニ於テ、内閣総理大臣浜口雄幸及ビ外務大臣幣原喜重郎ニ建議ス。
昭和5年11月5日
(1930年)
第37巻 p.320-334(DK370083k)
是日、当協会第九十一回理事会、当協会事務所ニ開カレ、栄一出席ス。尚、国際聯盟映画「建設」ノ一部トシテ、右栄一ノ出席セル同理事会ノ実況ヲ撮影ス。
是日夕、イギリス国経済使節来訪ニヨル当協会経済委員会トノ懇談会、丸ノ内中央亭ニ開カレ、栄一、会長トシテソノ招請ヲナス。
昭和6年1月17日
(1931年)
第37巻 p.335-339(DK370084k)
是日、当協会婦人部発会式催サル。栄一出席スルヲ得ズ。副会長阪谷芳郎祝辞ヲ代読ス。
昭和6年4月10日
(1931年)
第37巻 p.339-351(DK370085k)
是日栄一、当協会会長トシテ、当協会軍縮問題委員会委員ニ阪谷芳郎等二十二名ヲ委嘱ス。
昭和6年4月11日
(1931年)
第37巻 p.351(DK370086k)
当協会名誉会長石井菊次郎及ビ副会長山川端夫、近畿及ビ岐阜地方ニ巡廻講演ヲナサントスルニヨリ、其準備ノタメ当協会宣伝部主任奈良正造ヲ派遣ス。是日栄一、当協会会長トシテ奈良ニ対シ十日付ヲ以テ奈良県知事小栗一雄等四名ニ宛テタル紹介状ヲ交付ス。
昭和6年5月8日
(1931年)
第37巻 p.352-357(DK370087k)
是ヨリ先、当協会第十一回通常総会ノ決議ニヨリ、評議員改選ヲ会長ノ指名ニ任ス。仍テ是日栄一、百四十九名ノ評議員ヲ指名ス。
昭和6年5月30日
(1931年)
第37巻 p.357-358(DK370088k)
是日、当協会第七回評議員会、当協会事務所ニ開カル。栄一出席ス。後、右評議員会ノ委嘱ニヨリ理事ノ半数、監事・会計監督ヲ指名ス。
昭和6年10月30日
(1931年)
第37巻 p.358-363(DK370089k)
是年九月十八日、満洲事変勃発ス。当協会ハ九月二十三日臨時理事会、二十九日第九十六回理事会ニ続イテ、是日第九十七回理事会ヲ開キテ右ニ付キ慎重審議ヲ重ネ、第一回決議ヲ可決シ、之ヲ国際聯盟理事会並ニ各国国際聯盟協会ニ送致ス。栄一当協会会長トシテ此等理事会ヲ招集ス。
昭和6年11月11日
(1931年)
第37巻 p.363-364(DK370090k)
是日、栄一逝ク。当協会ハ例年ノ平和記念日ノプログラムヲ変更シ、東京市ト共同主催ニテ「平和記念日と渋沢子爵追憶の夕」ヲ、東京朝日新聞社講堂ニ於テ開催ス。
昭和6年11月15日
(1931年)
第37巻 p.364-366(DK370091k)
是日、栄一ノ葬儀ニ際シ当協会ヨリ弔詞ヲ贈ル。是ヨリ先、同月十二日、栄一死去ニ就キ臨時理事会ヲ当協会事務所ニ開ク。
昭和6年12月12日
(1931年)
第37巻 p.366(DK370092k)
是日、東京市・協調会・中央社会事業協会及ビ当協会共同主催、故渋沢子爵追悼講演会、東京市公会堂ニ開カル。
昭和7年2月1日
(1932年)
第37巻 p.367-368(DK370093k)
当協会機関誌「国際知識」二月号ヲ「故子爵渋沢栄一翁追悼号」トス。
昭和7年11月11日
(1932年)
第37巻 p.368-383(DK370094k)
是日、栄一ノ一周忌ニ際シテ、当協会及ビ東京市共同主催「平和記念と渋沢翁追憶の夕べ」、日本工業倶楽部ニ開カル。当協会会長石井菊次郎、日本女子大学校長井上秀子及ビ東京帝国大学教授穂積重遠講演ヲナス。
14款 婦人平和協会
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大正10年5月3日
(1921年)
第37巻 p.384-385(DK370095k)
是日、婦人平和協会発会式如水会館ニ挙ゲラル。栄一出席シテ演説ヲナス。
15款 ルーヴェン国際事業委員会
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大正12年7月27日
(1923年)
第37巻 p.386-395(DK370096k)
千九百十四年八月、第一次世界大戦ノ戦禍ヲ蒙リテ、ベルギー国ルーヴァン大学図書館壊滅ス。戦後、当時ノ連合国協力シテソノ復興ヲ計ル。我国ニ於テモ、有志ノ発起ニヨリ当委員会成立シ、是日栄一、ソノ会長ニ推薦サル。大正十五年九月ニ至リテ事業終了ス。
大正15年11月13日
(1926年)
第37巻 p.395-396(DK370097k)
是日、ベルギー国日本駐箚特命全権大使バッソン・ピエール、同国皇帝ノ使者トシテ、栄一ヲ飛鳥山邸ニ訪レ、皇帝ヨリ栄一ニ贈ラレタル自署ノ写真ヲ伝達ス。
16款 汎太平洋倶楽部
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大正12年12月7日
(1923年)
第37巻 p.397(DK370098k)
是日、帝国ホテルニ於テ、汎太平洋倶楽部主催ノアメリカ合衆国人オー・エム・クラーク招待会開催セラル。栄一出席シテ歓迎ノ演説ヲナス。
大正13年4月17日
(1924年)
第37巻 p.397-404(DK370099k)
是ヨリ先四月十二日、アメリカ合衆国下院ニ於テ、千九百二十四年移民法案通過ス。是日、汎太平洋倶楽部例会帝国ホテルニ開カレ、栄一臨席シテソノ非ナルヲ説ク。
17款 日波協会
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大正13年2月4日
(1924年)
第37巻 p.405-411(DK370100k)
是日、日波協会設立発会式、華族会館ニ挙行セラル。栄一臨席シ其発起人ニ列ス。翌十四年三月ニ到リ、当協会評議員トナリ、在任歿年ニ及ブ。
18款 PAN-PACIFIC UNION
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大正13年4月5日
(1924年)
第37巻 p.412-420(DK370101k)
是ヨリ先、栄一、アメリカ合衆国ハワイ、ホノルルニ在ルPAN-PACIFIC UNION(汎太平洋同盟)ノ名誉副会頭トナリ、ソノ活動情況ニツキ報告ヲ受ケ来リシガ、是日付ヲ以テ、同盟理事アレグザンダー・エッチ・フォードヨリ、本年七月末ヨリ開催セラルル汎太平洋食糧保存会議ニ代表者派遣方ノ要請ヲ受ク。
大正15年4月7日
(1926年)
第37巻 p.420-429(DK370102k)
是日栄一、二重国籍問題解決ニ対シ謝意ヲ表セントシテ来日セルハワイ日系市民代表者招待午餐会ヲ、東京銀行倶楽部ニ催ス。
昭和2年12月15日
(1927年)
第37巻 p.429-432(DK370103k)
PAN-PACIFIC UNION主催ニ係ル第二回汎太平洋商業会議開催ニ関シ、開催予定地ロス・アンジェルスノ商業会議所ヨリ栄一ニ宛テ、是日付ヲ以テ、報告ト共ニ援助ヲ求メ来ル。
19款 汎太平洋協会
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大正13年4月17日
(1924年)
第37巻 p.433-434(DK370104k)
是日栄一、帝国ホテルニ於ケル、当協会ノ午餐会ニ出席シテ、演説ヲナス。
大正13年7月16日
(1924年)
第37巻 p.434-454(DK370105k)
是日、当協会幹事河井弥八、同年七月末ヨリアメリカ合衆国ハワイニ於テ開催セラルベキ、太平洋食物保存会議参列本邦代表委員岸上鎌吉派遣費ノ件ニ関シ、栄一ニ書通ス。栄一、古河虎之助・森村開作ニ勧説シテ各一千円、計三千円ヲ同月二十日当協会ニ寄付ス。
20款 太平洋問題協議会
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大正14年3月24日
(1925年)
第37巻 p.455-478(DK370106k)
是年七月一日、アメリカ合衆国ハワイニ開カルル太平洋問題協議会第一回大会ニ出席スベキ日本代員ニ関シ、昨年来同会ハワイ協議会会長フランク・シー・アサートンヨリ栄一ニ折衝シ来リシガ、是日ソノ選定ヲ依頼シ来ル。六月八日、栄一、確定人名ヲ回報ス。
大正14年3月31日
(1925年)
第37巻 p.478-485(DK370107k)
是日、外務省通商局長佐分利貞男、飛鳥山邸ニ来訪シ、外務大臣幣原喜重郎ノ旨ヲ伝ヘテ、栄一ニ当協議会ニ関スル斡旋ヲ依頼ス。栄一尽力スル所多シ。
大正14年5月
(1925年)
第37巻 p.485-488(DK370108k)
是月栄一、太平洋問題協議会第一回大会参加費用ノ寄付ヲ有力者ニ勧誘ス。ソノ結果三万二千余円ヲ得。
大正14年6月12日
(1925年)
第37巻 p.488-491(DK370109k)
是日栄一、太平洋問題協議会第一回大会ニ出席スル沢柳政太郎・斎藤惣一・高木八尺ヲ飛鳥山邸ニ招キテ、日米問題ニ関シテ懇談ス。翌十三日、日米関係委員会主催ノ送別午餐会、東京銀行倶楽部ニ開カル。
大正14年7月1日
(1925年)
第37巻 p.491-519(DK370110k)
是日ヨリ十五日マデ太平洋問題協議会第一回大会ハワイ、ホノルルニ開カル。沢柳政太郎他数名日本代員トシテ出席ス。栄一祝辞ヲ贈ル。
大正14年7月31日
(1925年)
第37巻 p.519(DK370111k)
是日、日米関係委員会主催、太平洋問題協議会参列代員帰朝歓迎会、丸ノ内日本工業倶楽部ニ開カル。栄一病気ニヨリ出席セズ。
大正14年10月22日
(1925年)
第37巻 p.519(DK370112k)
是日、太平洋問題協議会ノ報告会ヲ神田区基督教青年会館ニ開ク。
21款 太平洋問題調査会
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大正14年12月8日
(1925年)
第37巻 p.520-523(DK370113k)
是日栄一、東京銀行倶楽部ニ於テ、阪谷芳郎・沢柳政太郎・添田寿一・高柳賢三・鶴見祐輔・高木八尺等ト会合シ、太平洋問題調査会ノ組織ニ関スル件ヲ協議ス。
大正15年3月2日
(1926年)
第37巻 p.523-526(DK370114k)
是日栄一、当調査会評議員会会長ニ就任ヲ依頼セラル。後、之ヲ承諾ス。
大正15年4月6日
(1926年)
第37巻 p.526-539(DK370115k)
是日、当調査会第一回評議員会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、調査会成立ス。ハワイ中央事務局幹事ジェー・マール・デーヴィス歓迎午餐会ヲ兼ヌ。栄一出席シテ理事及ビ監事ヲ推薦シ、引続キ第一回理事会ヲ開ク。
大正15年6月28日
(1926年)
第37巻 p.539-540(DK370116k)
是日、当調査会第三回理事会、丸ノ内東京銀行集会所ニ開カル。栄一出席シテ議長トナル。
大正15年7月21日
(1926年)
第37巻 p.541-542(DK370117k)
是日栄一、アメリカ合衆国ハワイヨリ帰朝セル原田助及ビ渡欧セントスル頭本元貞ノタメ、丸ノ内常盤家ニ於テ送迎会ヲ催ス。
大正15年10月1日
(1926年)
第37巻 p.542-545(DK370118k)
是日、当調査会第四回理事会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
大正15年11月5日
(1926年)
第37巻 p.545-548(DK370119k)
是日、太平洋問題調査会第二回大会準備協議会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。夜、同調査会主催太平洋学術会議ニ出席ノタメ来朝セル同調査会所属学者歓迎晩餐会、丸ノ内日本工業倶楽部ニ開カレ、引続キ出席ス。
昭和2年3月28日
(1927年)
第37巻 p.548-551(DK370120k)
是日、当調査会第七回理事会、丸ノ内日本工業倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。ソノ席上ニ於テ寄付金ノ募集ヲ栄一及ビ理事長井上準之助ニ委任ス。
昭和2年4月15日
(1927年)
第37巻 p.552-559(DK370121k)
是日、太平洋問題調査会第二回大会準備協議会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
昭和2年5月7日
(1927年)
第37巻 p.560-561(DK370122k)
是日、当調査会第八回理事会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席ス。続イテ安藤広太郎ノ講演会ニ移ル。
昭和2年5月16日
(1927年)
第37巻 p.561-562(DK370123k)
是日、当調査会研究部会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ、井上雅二ノ移民問題ニ関スル講演ヲ聴ク。
昭和2年6月28日
(1927年)
第37巻 p.562-563(DK370124k)
是日、外務大臣田中義一主催第二回太平洋問題調査会出席者招待午餐会、同大臣官邸ニ開カレ、栄一臨席ス。
昭和2年7月15日
(1927年)
第37巻 p.563-579(DK370125k)
是日ヨリ二十九日マデ太平洋問題調査会第二回大会、アメリカ合衆国ハワイ、ホノルルニ開カル。是ヨリ先栄一、六月二十八日付ヲ以テフランク・シー・アサートンニ書翰ヲ送リ、同大会ニ栄一ノ挨拶ヲ伝ヘンコトヲ請フ。
昭和2年8月9日
(1927年)
第37巻 p.580-584(DK370126k)
是日、太平洋問題調査会第二回大会ニ出席ノイギリス国代員サー・フレデリック・エヌ・ホワイト、支那代員及ビ日本代員歓迎午餐会、並ニ報告会東京会館ニ催サル。栄一出席ス。
昭和2年9月20日
(1927年)
第37巻 p.584-585(DK370127k)
是日、当調査会第十一回理事会及ビゼローム・ディ・グリーン招待午餐会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席ス。本理事会ニ於テ当調査会ノ財務一切ヲ栄一及ビ理事長井上準之助ノ両人ニ委任ス。
昭和2年10月11日
(1927年)
第37巻 p.586-588(DK370128k)
是日、当調査会及ビ東京朝日新聞社合同主催太平洋問題講演会、東京朝日新聞社講堂ニ開カル。栄一、臨場シテ挨拶ヲ述ブ。
昭和2年11月1日
(1927年)
第37巻 p.588-590(DK370129k)
是日、当調査会主催ハワイ中央事務局調査部主任コンドリフ歓迎、鶴見祐輔送別午餐会、丸ノ内日本工業倶楽部ニ開カル。栄一出席ス。
昭和3年1月25日
(1928年)
第37巻 p.590-593(DK370130k)
是日、当調査会第十二回理事会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席ス。
昭和3年11月6日
(1928年)
第37巻 p.593-596(DK370131k)
是日、太平洋問題調査会中央事務局幹事チャールズ・エフ・ルーミス飛鳥山邸ニ来訪シ、栄一ト会見ス。
昭和4年10月11日
(1929年)
第37巻 p.596-600(DK370132k)
是日、太平洋問題調査会第三回京都大会ニ出席ノタメ来朝セル中央事務局幹事長ジェー・マール・デーヴィス、新渡戸稲造、斎藤惣一ト共ニ飛鳥山邸ニ来訪シ、同大会ニ於テ、栄一ノステートメント発表ヲ請フ。
昭和4年10月28日
(1929年)
第37巻 p.600-641(DK370133k)
是日、太平洋問題調査会第三回大会京都市ニ開カル。栄一、当調査会評議員会長トシテ、秘書小畑久五郎ヲ派遣シテ「太平洋上の平和」ト題スルメツセージヲ代読セシム。文中、アメリカ合衆国千九百二十四年移民法ノ改正ニ言及ス。
昭和4年11月12日
(1929年)
第37巻 p.641-647(DK370134k)
是日栄一、太平洋問題調査会第三回大会ニ出席シタル各国ノ代員等約三百名ヲ、東京会館ニ招キテ歓迎午餐会ヲ催ス。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
昭和5年11月28日
(1930年)
第37巻 p.647-648(DK370135k)
是日、当調査会第六回評議員会開カレ、会員ノ改選並ニ明年秋中華民国ニ開催サルベキ、第四回聯合大会ニ就キ協議ス。栄一評議員会長ニ重任ス。
昭和6年10月21日
(1931年)
第37巻 p.648-656(DK370136k)
是日ヨリ十一月四日マデ、太平洋問題調査会第四回大会ヲ準会議トナシ、中華民国上海ニ開カル。新渡戸稲造外二十余名日本代員トシテ出席ス。栄一、阪谷芳郎ト連名ニテ祝電ヲ送ル。是ヨリ先栄一、代員ノ出張費及ビ其他ノ経費ヲ勧募ス。