デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.13

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
1款 第一国立銀行 株式会社第一銀行
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治6年6月11日
(1873年)
第4巻 p.5-34(DK040001k)
栄一創立総会ニ出席シ、銀行営業方法、三井小野両組ヨリ役員撰任ノ件、総監役ヲ設クル件ノ三案ヲ提議シ、且ツ自ラ草案セル申合規則及ビ同増補ヲ一読シテ衆ニ詢リ株主ノ賛同ヲ受ク。席上取締役ニ推薦セラレシモ尚官職ニアルヲ以テ辞シ、翌十二日総監役就任ニ関スル契約ヲ締結ス。
明治6年6月
(1873年)
第4巻 p.34-41(DK040002k)
是月同行、大蔵省ト官金取扱ノ約定ヲ締結シ、爾来其事務ヲ取扱フ。尋イデ内務省・駅逓寮等ノ官金出納事務ニモ任ジ、明治九年六月ニ至ル。
明治6年8月1日
(1873年)
第4巻 p.41-52(DK040003k)
是ヨリ先、七月同行、資本金ヲ弐百四拾四万八百円ニ定メ、利益金配当定則、諸役員月給旅費支給定則其他ノ諸規則ヲ制定ス。七月二十日、仮開業免状ヲ下附セラレ即日開業ス。三十一日、本免状ヲ下附セラレコノ日株主会議開カル。栄一議長トナリテ創立総会以来開業以前ニ取扱ヘル諸般ノ事務其他ヲ報告シ、株主ノ承認ヲ受ク。引続キ開業式行ハレ紙幣頭芳川顕正祝詞ヲ述べ、栄一亦株主総代トシテ祝詞ヲ朗読ス。
明治6年8月2日
(1873年)
第4巻 p.52-55(DK040004k)
同行、是日ヨリ壱円・弐円・五円・拾円・弐拾円ノ五種ノ銀行紙幣ヲ発行ス。栄一総監役トシテ之ニ与ル。
明治6年10月12日
(1873年)
第4巻 p.55-57(DK040005k)
是日、同行、紙幣頭得能良介ニ、発行紙幣準備金並ニ預金準備ノ中三分ノ一ヲ金・銀・地金・其他古金銀・洋銀等ニ交換積立テンコトヲ請ヒ、更ニ十一月十七日、重ネテ明治七年一月二十八日申請スル所アリ、太政官之ヲ許可セズ。
明治6年
(1873年)
第4巻 p.57-62(DK040006k)
同行、七月二十日営業開始以来一般業務ニ於テモ諸般ノ改善ヲ計リ、営業ノ発展ヲ期ス。六年下半季拾壱万余円ノ純益ヲアグ。
明治7年1月21日
(1874年)
第4巻 p.62-67(DK040007k)
是日、同行株主総会ニ栄一頭取ニ代リテ議事ヲ司宰シ六年下半季ノ営業状態ヲ報告シ、更ニ資本金ヲ弐百五拾万円ニ増資スルノ儀議決セラレ、二月廿二日公許セラル。
明治7年2月23日
(1874年)
第4巻 p.67-73(DK040008k)
栄一種田誠一ヲシテ米国ニ派遣シテ銀行業務ヲ修学セシムルコトトシ、是日同行ト種田トノ間ニ締約ヲ結ブ。
明治7年2月
(1874年)
第4巻 p.73-77(DK040009k)
同行、在外公使館領事館ノ為替事務引受ノ事ヲ外務大蔵ノ二省ニ出願シ、海外発展ヲ画ス。政府之ヲ許可セズ。蓋シ大蔵省ニ於テ銀行指導ノ任ニ当リシ英人アレクサンダー・アーレン・シヤンドAlexander Allen Shandノ反対アリシガ為メナリ。
明治7年8月31日
(1874年)
第4巻 p.77-79(DK040010k)
金貨価格ノ騰貴ニヨリ同行ノ紙幣流通高ハ著減スルニ至ル。是ヲ以テ同行、是日国債寮ニ出願シ、新紙幣四拾万円ノ借入ヲ請ヒ、九月四日許可セラル。栄一総監役トシテ之ニ与ル。
明治7年9月12日
(1874年)
第4巻 p.79-82(DK040011k)
政府ニ於テ上海ニ新貨並ニ円銀交換所設立ノ議アリ。是日、同行、大蔵省ノ命ニ依リ行員松田源五郎、陽其二ヲ上海ニ派遣シ、上海・香港辺ニ於ケル墨銀、貿易銀並ニ新貨、円銀等ノ流通景況ヲ調査セシム。栄一之ニ与リ、自ラ上海交換所条例ヲ草按シ其衝ニ当ラントス。後、政府ノ議変ジ同所設立ハ実行ヲ見ルニ至ラザリキ。
明治7年11月20日
(1874年)
第4巻 p.83-132(DK040012k)
是ヨリ先、政府、府県為替手続上ノ改正ヲ行フ。小野組動揺シテ閉店シ、是日為替方赦免ノ儀ヲ大蔵省ニ出願ス。政府之ヲ許可ス。是ニ於テ各府県公納金其他ノ取扱ヲ同行ニ移ス。小野組ノ閉店ニ際シ栄一事態ノ収拾ニ奔走ス。
明治7年12月2日
(1874年)
第4巻 p.132-139(DK040013k)
十一月二十九日、同行、小野組古河市兵衛ヘノ貸付金抵当品ノ儀ニ付紙幣頭得能良介ニ願書ヲ呈出ス。是日、抵当品ノ内秋田県下鉱山ハ同行ニ於テ管理スベキ旨達セラル。
明治7年12月31日
(1874年)
第4巻 p.139-152(DK040014k)
小野組閉店ヲ機トシテ三井組ハ第一国立銀行ヲ其支配下ニ置カントシ、十二月二十日三井組三野村利左衛門同行ノ改組ヲ栄一ニ提案ス。栄一之ニ反対シ寧ロ同行ヲシテ三井組ノ支配ヨリ脱セシメントシ、是日其組織ヲ改革センコトヲ紙幣頭得能良介ニ具陳シ、翌八年一月十一日株主集会ニ於テ之ヲ株主一同ニ諮ル。同年六月二十七日紙幣頭ヨリ組織改正ノ方案ヲ開申スベキ旨達セラル。
明治7年
(1874年)
第4巻 p.153-156(DK040015k)
是年同行、預金制度ノ改善、荷為替取扱規則ノ制定、コルレスポンデンスノ開始等、営業上諸般ノ改善ヲ計ル。
明治8年7月11日
(1875年)
第4巻 p.156-168(DK040016k)
同行、八年上半季ニ於テ業務ノ伝習、コルレスポンデンスノ再開等営業上ノ発展ヲ計リ純益十二万円余ヲアグ。是日株主総会ヲ開催シ栄一頭取ニ代リ此季ノ営業状況ヲ報告ス。
明治8年8月1日
(1875年)
第4巻 p.168-191(DK040017k)
曩ニ紙幣頭ヨリ命ゼラレタル同行組織改正ニ関スル答申案ノ立案ヲ七月十一日ノ株主集会ニ於テ栄一ニ委嘱ス。是日、即チ株主臨時集会ヲ開キ栄一ノ立案セル資本金ヲ百五拾万円ニ減ズル件外五項目ヨリ成ル改正案可決セラル。尋イテ栄一選バレテ取締役トナリ、更ニ取締役ノ会議ニヨリ頭取ニ就任シ、改正案ノ実行ニ著手ス。
明治8年12月17日
(1875年)
第4巻 p.191-202(DK040018k)
八年三月八日、同行、第二・第四・第五ノ各国立銀行ト共ニ連署シテ紙幣寮ニ正貨兌換制廃棄ノ歎願書ヲ提出ス。紙幣頭得能良介、銀行救済ノ為メ予備紙幣七拾壱万円ノ貸下ゲヲ稟議シ且ツ同行ニモ意見ヲ徴ス。七月二十二日栄一之ニ対ヘテ建策シ、其結果是日ニ至リ銀行紙幣ヲ抵当トシテ新紙幣四拾五万円ノ貸下ゲ通達セラル。
明治9年1月11日
(1876年)
第4巻 p.202-209(DK040019k)
同行、八年下半季ニ於テハ振出手形ノ改正、代金取立手形・割引手形ノ拡伸、生糸荷為替ノ開始、コルレスポンデンスノ拡張等営業ノ発展ヲ期シ純益拾三万八千余円ヲアグ。是日株主総会開カレ栄一頭取トシテ営業状態ヲ報告ス。
明治9年3月5日
(1876年)
第4巻 p.210-224(DK040020k)
是ヨリ先大蔵省新ニ納金局及ビ実金局ヲ設ケ、三月一日ヲ期トシテ同行ノ官金取扱ヲ停止セントス。栄一是日紙幣頭得能良介ニ建議シテ官金取扱方改正ノ急激ニ為ス可ラザル所以ヲ述ブ。又コノ前後屡々大蔵卿大隈重信ニ書ヲ送リ拝借金ノ儀ヲ歎願セシカバ、政府其理ニ服シ、官金ノ完納ヲ六月迄延期シ、且ツ特典ヲ以テ七拾五万円ヲ十月ヲ限リトシテ貸下グ。
明治9年7月16日
(1876年)
第4巻 p.225-233(DK040021k)
同行、九年上半季ニ於テ、貸附金証書ノ改正、保護預リ品取扱手続ノ制定、利倍定期預リ金規則ノ制定等、営業ノ発展ヲ計リ、純益拾四万八千余円ヲアグ。
是日、株主総会ヲ開キ栄一頭取トシテ営業状態ヲ報告シ、続イテ本支店ノ役員ヲ減少シ、月給、旅費ヲ逓減シ、利益金配当定則ヲ改正センコトヲ提案ス。蓋シ官金ノ取扱停止セラレシニヨリ、同行ヲ将来純然タル民間銀行トシテ発達セシメンタメ先ヅ経営ノ合理化ヲ企図シタルナリ。此儀実現サル。
明治9年8月
(1876年)
第4巻 p.233-239(DK040022k)
同行、三陸地方ニ於ケル米穀荷為替取扱ノ為メ仙台・石ノ巻両地ニ出張所ヲ開設ス。以来明治十三四年ニ至ル間盛岡ニ支店ヲ開ク等、東北地方ノ金融ニ力ヲ尽セリ。
明治9年10月1日
(1876年)
第4巻 p.239-282(DK040023k)
八月一日改正国立銀行条例公布セラル。同月二十日同行臨時株主集会ヲ開キ改正条例ニ拠リ経営ヲ続クベキ事等十二件ヲ議シ、九月十二日新タニ創立証書及定款ヲ制定ス。同月二十六日開業免状下附セラレ是日ヨリ新条例ニ基キ営業ヲ開始ス。
明治9年
(1876年)
第4巻 p.282-293(DK040024k)
同行、国立銀行条例改正以来明治十三年頃マデ延金代価割引、及ビ売懸代金割引ノ開始、割引手形取扱規則ノ制定、当座預リ金小切手方式ノ制定、貯蔵預リ金規則ノ制定等、一般銀行行務ノ発達ヲ計ルト共ニ、官金出納事務ニ於テモ新ニ之ヲ命ゼラレシモノ又ハ其範囲ヲ拡張セルモノ尠カラズ。
栄一頭取トシテ之ニ与ル。
明治9年
(1876年)
第4巻 p.293-314(DK040025k)
国立銀行条例改正後国立銀行ノ開業セルモノ多ク爾後数年間同行ハ之等新設銀行ノ指導者タル役割ヲ果シタリ。栄一、当時「中外銀行説一斑」ヲ著ハシ、ソノ育成ニ資スル所アリ。
明治10年1月7日
(1877年)
第4巻 p.314-319(DK040026k)
株主総会ニ出席シ、栄一頭取トシテ九年下半季ノ営業状態ヲ報告ス。
明治10年1月26日
(1877年)
第4巻 p.319-351(DK040027k)
是ヨリ先、清国政府我政府ニ壱千万円ノ借款ヲ要請ス。栄一之ニ応ぜンコトヲ大蔵卿大隈重信ニ慫慂シ、其方法ヲ建案ス。此ニ基キ政府ハ栄一並ニ三井物産会社長益田孝ニ借款ノ交渉ヲ委任シ、同行ノ名儀ヲ以テ契約スベキ旨ヲ命ズ。更ニ清国招商局ヨリモ借款ノ交渉アリシカバ政府ハ之ヲモ両人ニ委託セリ。
是日栄一、益田孝ト共ニ上海ニ赴ク。二月十二日海関銀弐百五拾万両ヲ政府ヘ貸付クルノ約成立シテ調印ヲ了セルモ、招商局ヘノ借款ハ不調ニ終リ二十六日帰朝ス。後清国政府モ前約ヲ破棄ス。
明治10年5月
(1877年)
第4巻 p.351-356(DK040028k)
同行荷為替貸附ノ業ヲ拡張センガ為メ銀行受合状ノ業ヲ開キ、売買品受合営業規則ヲ制定ス。尋イデ受合状及ビ巡回手形ノ制ヲ設ク。
明治10年6月4日
(1877年)
第4巻 p.356-357(DK040029k)
同行、当座預金通帳ノ印税ヲ低減センコトヲ請願ス。許サレズ。
明治10年7月2日
(1877年)
第4巻 p.357(DK040030k)
銀行業者ノ親睦ヲ目的トシ択善会組織セラル。栄一同行ヲ代表シテ之ニ加ハル。
明治10年8月
(1877年)
第4巻 p.357-363(DK040031k)
同行栄一ノ唱導ニ基キ荷為替物品ノ海上受合ヲ開始ス。蓋シ本邦ニ於ケル海上保険業ノ嚆矢ナリ。
明治10年
(1877年)
第4巻 p.363-366(DK040032k)
栄一上海ニ同行ノ支店ヲ設ケントス。英人アレクサンダー・アーレン・シャンドAlexander Allen Shandノ勧告ニヨリ中止ス。
明治11年3月11日
(1878年)
第4巻 p.366(DK040033k)
是ヨリ先択善会ハ同行ノ提案ニ基キ敗裂銀行紙幣交換法ニ関シ審議中ナリシガ、是日同行同盟銀行ノ委托ヲ受ケ交換法案ヲ大蔵省銀行課ニ上申ス。栄一之ニ与ル。
明治11年4月
(1878年)
第4巻 p.366-378(DK040034k)
同行代理店ヲ三井物産会社ノ上海・香港両支店ニ開設シ、我定位銀貨及貿易銀ヲ清国地方ニ流通セシメントス。十四年二月ニ至リ代理店契約ヲ改メテ為替取引約定トナス。栄一之ニ尽力ス。
明治11年5月2日
(1878年)
第4巻 p.378-394(DK040035k)
政府産業発展ノ為メ新タニ壱千弐百五拾万円ノ起業公債ヲ起スニ決シ、是日其募集方ヲ同行並ニ三井銀行ニ命ズ。栄一択善会会同ニ於テ同盟銀行ニ応募ヲ勧ムルト共ニ東海・東山両道及ビ京阪ニ出張シ、募集勧誘ニ努ム。
明治11年6月8日
(1878年)
第4巻 p.394(DK040036k)
同行釜山ニ支店ヲ開業ス。爾後明治四十二年韓国銀行ノ設立ニ至ル迄同行ノ朝鮮金融ニ尽スコト頗ル多シ。栄一頭取トシテ之ヲ指導ス。
明治12年1月19日
(1879年)
第4巻 p.394-398(DK040037k)
栄一殖産興業ノ急務ナルニ思ヒヲ致シ、同行ヲシテ余贏ヲ減少スルコトアルトモ、ソレニ金融ノ道ヲ開カセシメントシ、十年七月十五日、及ビ是日ノ株主総会ニ於テ其決意ヲ述ブ。
明治13年
(1880年)
第4巻 p.398-415(DK040038k)
西南戦役ニ於ケル紙幣下落・物価騰貴ノ趨勢ハ本年ニ至リ特ニ顕著ニシテ一時商工業ノ繁栄ヲ来セリ。同行ノ成績マタ好況ヲ示シ、純益金モ明治十年上半季拾四万円ヨリ十三年下半季ハ二拾二万円ニ達ス。栄一之ヲ以テ全ク一時ノ現象ト見做シ、将来ノ反動ニ備ヘテ業務ノ堅実・基礎ノ鞏固ヲ計ラシメ、本年末ニハ三拾三万円余ノ積立金ヲナシ其高資本金ノ五分ノ一以上ニ達スルニ至ル。
明治14年11月1日
(1881年)
第4巻 p.415-421(DK040039k)
同行内務省会計局ヨリ会計局為替方ヲ命ぜラル。
明治14年
(1881年)
第4巻 p.421-440(DK040040k)
是年ヨリ明治十九年上期ニ至ル間、紙幣整理ノ進捗ニ伴ヒ経済界ハ不況ノ極ニ沈衰ス。同行モ亦概シテ営業不振ナリシカド、栄一ヨク之ヲ指導シ基礎ノ鞏固ヲ計ラシメシヲ以テ、此間積立金ハ倍近ク増加ヲ見、六拾参万余円ニ達シタリ。
明治15年4月17日
(1882年)
第4巻 p.440-446(DK040041k)
同行三井銀行ト共ニ大蔵省出納局及大阪支局ニ於ケル現金取扱方申付ケラル。
明治16年5月30日
(1883年)
第4巻 p.446-450(DK040042k)
政府日本銀行ヲ設立シテ兌換制度ヲ確立セントシ、五月五日国立銀行条例ノ改正ヲ布告ス。是ニ於テ国立銀行ノ営業期間ハ開業許可日ヨリ向フ二十年後ト制定サレ、其期間内ニ銀行紙幣ヲ銷却スルコトヽナレリ。同行此変革ニ処シテ合同紙幣銷却法ヲ提唱シ、是日政府ノ容ルヽ所トナル。栄一本件ニ尽力スル所多シ。
明治16年
(1883年)
第4巻 p.451-460(DK040043k)
是ヨリ先同行生糸・米穀ノ荷為替取扱ノ為メ仙台外四ケ所ニ支店ヲ設ケタリシガ、是年福島出張所ヲ支店ニ改メ、翌十七年更ニ秋田地方ニ出張所ヲ設ケ、租税徴収ノ任ニ当リ、以後東北ヲ始メ、北陸・東海・近畿各地方ニ支店出張所ヲ設ケテ開拓ニ努ム。後明治二十六年以後東北・北陸地方ノ支店ヲ整理ス。
明治20年3月
(1887年)
第4巻 p.460-472(DK040044k)
明治十六年以来同行行務ノ改善ニ努力シ、是月申合規則ヲ改正セルヲ始メトシ、明治二十五六年ニ至ル迄ニ定款諸規則ノ制定及改正・協議役ノ新設、全国支店長会議ノ開設・支払保証事務ノ開始等、金融機関トシテノ完全ナル発達ヲ期ス。
明治20年4月3日
(1887年)
第4巻 p.472-487(DK040045k)
明治十九年一月政府紙幣ノ正貨交換ヲ機トシ経済界ハ数年来ノ不況ヨリ脱シ二十三年ニ至ル迄好況ヲ呈セリ。同行モ亦是日株主臨時総会ヲ開キ資本金ヲ増加シテ参百万円トナスノ儀ヲ決定シ、爾来頗ル順調ナル発達ヲ遂グ。栄一頭取トシテ之ヲ指導ス。
明治23年7月
(1890年)
第4巻 p.487-498(DK040046k)
是年経済界ハ稀有ノ恐慌ニ遭遇シ、爾後明治廿五六年ニ至ル迄不況期ヲ経過セリ。カヽル情勢ナルヲ以テ同行ガ曩ニ決定セル増資額ノ払込ヲ期スル能ハズ。是月一株ノ額面百円ヲ五拾円ニ改メ、払込資本金弐百弐拾五万円ヲ四万五千株ニ分チ、新旧両株共払込済ノモノトナス。他方、同行ノ営業モ此間著シク不振、純益金ノ如キモ二十三年上半季弐拾五万七千円ヨリ二十六年下半季拾六万参千円ニ逓減シ、配当率モ一割八分ヨリ一割二分ニ減ズ。栄一、恐慌克服ノ為メニ尽力スルト共ニ、頭取トシテ此間ニ於ケル同行ノ業務ヲ指導ス。
明治23年9月12日
(1890年)
第4巻 p.498(DK040047k)
是ヨリ先、政府ノ国立銀行紙幣銷却方法ノ違算明ラカトナリ国立銀行間ニ紙幣銷却期限延期問題起ル。同行マタ延期ニ賛成シ、栄一東京同盟銀行ヲ代表シテ此問題ニツキ屡々陳述スル所アリシガ是日遂ニ紙幣銷却年限五ケ年延長案ヲ田尻銀行局長ニ提出シ、尚大蔵大臣松方正義ニ面謁シテ其要旨ヲ陳ブ。
明治26年10月23日
(1893年)
第4巻 p.498-499(DK040048k)
是ヨリ先七月二十二日、栄一ノ奔走ニヨリテ田尻大蔵次官ヨリ国立銀行紙幣消却方案ヲ内示セラレシガ該案内容ニ就キ各国立銀行ト日本銀行間ニ意見ノ一致ヲ見ズ、其後追加約定書案モ不成立ニ帰セリ。依テ全国ノ銀行者一致シテ之ガ善後策ヲ講スルノ外ナキニ至リ、関東ニテハ関東銀行会ヲ創立シ之ガ協議ヲ為スニ決ス。是日関東銀行会創立セラレ栄一同行ヲ代表シテ之ニ加ハル。
明治27年6月5日
(1894年)
第4巻 p.499(DK040049k)
国立銀行紙幣銷却延期問題ニ関聯シ関西・中国・四国・九州等ノ各銀行同盟会国立銀行延期ノ儀ヲ提唱ス。是日全国国立銀行交渉委員会開カレ、十ケ年延期説ニ決シ同月全国国立銀行六団体ノ名ニ於テ国立銀行延期ノ趣意書ヲ発表ス。同行ハ延期説ニ不賛成ナリシモ大勢ニ順ジ関東同盟銀行ノ一員トシテ之ニ参加ス。栄一陳情委員及趣意書起草委員ニ撰バレ其任ヲ果ス。
明治27年9月
(1894年)
第4巻 p.499(DK040050k)
日清戦役ニ際シ栄一軍事公債ノ募集ニ尽力シ、率先シテ金参拾万円ヲ応募シ、別ニ同行ハ金七拾万円ヲ応募ス。
明治27年
(1894年)
第4巻 p.499-505(DK040051k)
日清戦役ニ際シ同行戦時金融ニ力ヲ致シ前後二回ニ亘ル軍事公債ノ募集ニ応募セシノミナラズ、京城・仁川・釜山ノ在鮮支店皆中央金庫ノ代理店トナリテ専ラ軍資ノ授受ニ従事ス。此間ニ於ケル同行ノ成績モ亦頗ル良好ニシテ二十六年下半季拾六万余円ニ逓下セシ純益金モ二十八年下半季ニハ二拾五万円ニ増大セリ。栄一頭取トシテ之ヲ指導ス。
明治28年9月6日
(1895年)
第4巻 p.505-509(DK040052k)
国立銀行満期後ノ処分方法未ダ決定ニ至ラズ。是ニ於テ栄一同行ヲ代表シテ満期後ノ営業継続ノ儀ヲ提出シ、各行ニ同意ヲ求メ、是日連署シテ書ヲ大蔵大臣ニ呈シ処分ノ決定ヲ促ス。明治二十九年一月遂ニ営業満期国立銀行処分法案第九帝国議会ヲ通過シ、三月公布セラル。
明治29年5月17日
(1896年)
第4巻 p.509-529(DK040053k)
営業満期国立銀行処分法ノ公布ニヨリ、本年九月二十五日ヲ以テ営業満期トナルベキニツキ、是日臨時株主総会ヲ開キ、資本金ヲ倍加ノ上株式会社第一銀行トシテ営業ヲ継続スルニ決シ、新定款ヲ議決ス。栄一議長トシテ議事ヲ司宰ス。尋イデ五月十九日東京府知事ヲ経テ大蔵大臣ヘ営業継続ヲ申請シ、六月二十六日許可セラル。
明治29年7月19日
(1896年)
第4巻 p.529-538(DK040054k)
株主総会ヲ開キ、予メ営業継続後ニ於ケル株式会社第一銀行ノ取締役監査役ヲ選挙ス。栄一頭取ニ上任ス。
明治29年9月26日
(1896年)
第4巻 p.538-544(DK040055k)
是日ヨリ株式会社第一銀行ト改称シ、第一国立銀行ノ権利義務ヲ継承シテ営業ヲ開始ス。依リテ十月十七日栄一、王子別業ニ於テ園遊会ヲ開キ営業継続ヲ披露ス。
明治30年1月24日
(1897年)
第4巻 p.544-555(DK040056k)
株主総会ヲ開キ本店新築ノ為毎期積立金ヲ設クベキ事ヲ議決ス。栄一之ニ出席シテ営業継続後ノ諸要件及ビ前年下半期ノ営業景況ヲ報告ス。同期後半以降経済界漸ク日清戦後ノ反動期ニ入リ金融逼迫ヲ告グ。偶前年十月大阪ニ於テ逸身銀行ノ危機ヲ大阪同盟銀行救済セントスルニ際シ、同行大阪支店ハ、救済額予定ノ十倍ニ達セシ故ヲ以テ、之ガ加入ヲ拒否シ、為ニ大阪同盟銀行ヨリ同店除名問題起ル。
明治31年7月24日
(1898年)
第4巻 p.555-560(DK040057k)
経済界ノ反動猶改ラズ、金融ノ渋滞愈甚シキモ、着着改善ノ実ヲ挙ゲ営業ヲ拡張ス。是日株主総会ヲ開キ、兵庫・伏見各出張所ノ開設其他ニ伴フ定款変更及ビ本店新築費予算ヲ議決ス。栄一議長トシテ議事ヲ司宰ス。
明治32年4月12日
(1899年)
第4巻 p.560-562(DK040058k)
是日ヨリ五日間ニ亘リ本店ニ於テ支店長会議ヲ開キ、改正商法実施ニ伴フ事務上ノ諸要件其他ニツキ協議ス。
明治32年7月23日
(1899年)
第4巻 p.562-573(DK040059k)
経済界ノ反動漸ク改ラントシ、私立銀行トシテノ基礎モ次第ニ鞏固トナリシヲ以テ、是日株主総会ヲ開キ、資本金五拾万円増加ノ件、東京市内ニ新大阪町支店開設ノ件及ビ改正商法実施ニ伴フ定款改正ノ件ヲ議決ス。栄一議長トシテ議事ヲ司宰ス。
明治33年4月12日
(1900年)
第4巻 p.573-594(DK040060k)
輸入超過ニ伴フ正貨流出ノ影響ヲ受ケテ金融界大ニ憂慮スベキモノアリタルヲ以テ、四月九日ヨリ本店ニ於テ支店長会議開カレ、是日栄一金融事情並ニ営業ノ方針ニ就キ協議ス。
本年末ヨリ金融恐慌ヲ惹起シ、翌三十四年上半季ニ及ビシモ、同行ハ資金ノ運用ニ注意シ、以テ良好ノ成績ヲ挙グ。
明治33年5月15日
(1900年)
第4巻 p.594-602(DK040061k)
五月十日栄一男爵ニ叙セラルヽヤ、是日第一銀行行員有志ヨリ花瓶一対ヲ添ヘテ賀表ヲ呈ス。
明治34年2月26日
(1901年)
第4巻 p.602-603(DK040062k)
是日本店新築ニ付上棟式ヲ挙行ス。栄一之ニ出席シテ一場ノ演説ヲナス。
明治34年6月13日
(1901年)
第4巻 p.603-605(DK040063k)
是ヨリ先五月栄一王子ノ新邸ニ移ル。同行栄一ニ請フテ兜町旧邸二階ヲ借リテ年少行員ノ為メニ学習部ヲ開ク。是日栄一青年者ノ修学ヲ一覧シ、一場ノ訓誡ヲ為ス。尋イデ同行ハ尚同所ノ空室ヲ利用シテ倶楽部ヲ設ケ、九月二日開館式ヲ挙行ス。
明治35年4月3日
(1902年)
第4巻 p.605-608(DK040064k)
本店新築披露ヲ行ヒ、兼ネ其中庭ニ建設セル栄一銅像ノ除幕式ヲ行フ。支配人佐々木勇之助ノ祝詞アリ。栄一答辞及行員一同ニ訓戒ノ演説ヲナス。
明治35年4月24日
(1902年)
第4巻 p.608-617(DK040065k)
四月十五日ヨリ本店ニ於テ支店長会議ヲ開催ス。
是日、栄一会議ニ出席シテ行務ニ開スル訓諭ヲ述ブ。
明治36年1月24日
(1903年)
第4巻 p.617-620(DK040066k)
株主総会ヲ開キ韓国ニ於ケル支店出張所ノ開設及ビ損益計算ニ関スル定款改正ヲ議決ス。栄一之ニ出席シテ前年視察シタル欧米諸国銀行ノ状況ヲ報告ス。
明治36年7月27日
(1903年)
第4巻 p.620-630(DK040067k)
是日株主総会ヲ開クニ当リ、従来ノ慣習ヲ改メ、予メ貸借対照表・損益計算書・利益金分配等ノ諸計数ヲ株主ニ通知スルコトヽナス。
明治38年1月28日
(1905年)
第4巻 p.630-635(DK040068k)
日露開戦後同行営業ノ諸項著シク増進シ、韓国ニ於ケル業務モ亦大ニ拡張シタルニヨリ、是日株主総会ヲ開キ資本金五百万円ヲ増加シテ一千万円トナス事ヲ議決ス。栄一之ニ出席シテ議事ヲ司宰ス。
明治38年5月20日
(1905年)
第4巻 p.635-647(DK040069k)
臨時株主総会ヲ開キ、支店出張所ノ廃止新設ノ件及ビ是年三月発布セラレタル同行ノ韓国ニ於ケル業務ニ関スル勅令第七十三号ニ基ク定款改正ノ件ヲ議決ス。栄一議長トシテ議事ヲ司宰ス
明治39年
(1906年)
第4巻 p.647-711(DK040070k)
日露平和克復後是年企業大ニ勃興シタルモ、翌四十年ニ至リ経済界ソノ反動ヲ受ケテ恐慌状態ヲ呈シ、以後沈衰期ニ入ル。此間同行ハ健実ナル経営下ニ毎期利益ヲ増加ス。栄一頭取トシテ之ガ指導ニ任ズ。