デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.13

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

1章 家庭生活
1節 同族・親族
1款 同族
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年12月16日
(1910年)
第57巻 p.5-10(DK570001k)
是日、栄一三女愛子、明石照男ニ嫁ス。
明治44年7月9日
(1911年)
第57巻 p.10-12(DK570002k)
是日栄一、渋沢事務所ニ於テ、スイス国ベルンニ開カルルカーネギー平和財団主催万国経済学者会議ニ出席スル阪谷芳郎ノ送別会ヲ催シ、十一日出発ニ際シ新橋駅ニ見送ル。是年十月二十一日帰京、栄一新橋駅ニ出迎フ。
明治45年4月14日
(1912年)
第57巻 p.12-13(DK570003k)
是日栄一、埼玉県入間郡黒山ニ養子平九郎戦歿ノ遺跡ヲ訪フ。翌十五日帰京ス。
大正3年11月10日
(1914年)
第57巻 p.13-15(DK570004k)
是日、栄一三男武之助、福原有信四女美枝子ヲ娶ル。
大正4年1月6日
(1915年)
第57巻 p.15-17(DK570005k)
是日、栄一四男正雄、池田勝吉二女鄰子ヲ娶ル。
大正4年7月11日
(1915年)
第57巻 p.17-18(DK570006k)
是日、上野精養軒ニ於テ、穂積陳重ノ還暦祝賀会ヲ兼ネ、法理研究会創立二十年記念式挙行セラル。栄一、出席シテ祝辞ヲ述ブ。
大正4年12月1日
(1915年)
第57巻 p.18-19(DK570007k)
是日、穂積陳重、男爵ヲ授ケラル。
大正5年4月25日
(1916年)
第57巻 p.19-24(DK570008k)
是日栄一、総理大臣官邸ニ於ケル、総理大臣大隈重信主催ノ聯合国経済会議特派委員長阪谷芳郎送別晩餐会ニ出席シ、五月一日出発ニ際シ東京駅ニ見送ル。是年十一月三日帰国、五日栄一、阪谷芳郎ヲ其邸ニ訪フ。
大正6年4月13日
(1917年)
第57巻 p.24-25(DK570009k)
是日、栄一五男秀雄、竹田政智長女たけ子ヲ娶ル。
大正7年3月22日
(1918年)
第57巻 p.25-27(DK570010k)
是日栄一、中華民国政府ノ招聘ニヨリ北京ニ赴ク阪谷芳郎ヲ、東京駅ニ見送ル。六月二十五日中国ヨリ帰国、翌二十六日、栄一、阪谷芳郎ヲ其邸ニ訪フ。
大正7年5月23日
(1918年)
第57巻 p.27-34(DK570011k)
是ヨリ先、栄一、養子平九郎ノ五十年忌ニ当リ、谷中渋沢家墓地内ニ追懐碑ヲ建テ、是日、ソノ除幕式ヲ挙行ス。
大正7年7月14日
(1918年)
第57巻 p.34(DK570012k)
是日栄一、上野寛永寺ニ於テ、先夫人千代子ノ三十七回忌法要ヲ営ム。
大正11年5月23日
(1922年)
第57巻 p.34-37(DK570013k)
是日、栄一嫡孫敬三、木内重四郎二女登喜子ヲ娶ル。
大正11年8月2日
(1922年)
第57巻 p.37-38(DK570014k)
是日、渋沢事務所ニ於テ、栄一嫡孫敬三ノ渡欧送別会開カレ、栄一出席ス。
大正14年2月27日
(1925年)
第57巻 p.38-39(DK570015k)
是日、ロンドンニ於テ、栄一嫡孫敬三ノ長男生ル。栄一電報ヲ以テ雅英ト命名ス。
大正14年10月1日
(1925年)
第57巻 p.39-41(DK570016k)
是日穂積陳重、枢密院議長ニ就任ス。栄一、王元之撰「待漏院記」ノ全文ヲ手写シ、賀詞ヲ撰文自書シテ贈ル。
大正15年4月7日
(1926年)
第57巻 p.41-43(DK570017k)
是日、穂積陳重逝ク。
大正15年9月10日
(1926年)
第57巻 p.43-45(DK570018k)
是日、栄一四男正雄欧米旅行ノ途ニツキ、昭和二年五月十二日帰国ス。同日飛鳥山邸ニ於テ、歓迎会開カレ、栄一出席ス。
昭和5年10月22日
(1930年)
第57巻 p.45-46(DK570019k)
是日栄一、上野寛永寺ニ於テ、先夫人千代子ノ五十回忌法要ヲ営ム。
昭和7年1月31日
(1932年)
第57巻 p.46-47(DK570020k)
是日、栄一長女穂積歌子逝ク。
昭和7年10月6日
(1932年)
第57巻 p.47-50(DK570021k)
是日、栄一長男篤二逝ク。法諡シテ篤信院殿閑林自照大居士ト曰フ。
昭和9年3月1日
(1934年)
第57巻 p.50-58(DK570022k)
是日、栄一夫人かね子逝ク。法諡シテ承徳院慈雲謙室大姉ト曰フ。
2款 親族
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年3月16日
(1910年)
第57巻 p.59(DK570023k)
是日、栄一外孫阪谷敏子、堀切善次郎ト結婚ス。十八日、栄一、阪谷家ニ於ケル里開キ祝宴ニ出席ス。
明治43年5月27日
(1910年)
第57巻 p.59-66(DK570024k)
是日、栄一妹渋沢貞子逝ク。翌四十四年十一月、栄一、長女穂積歌子ニ墓誌ヲ撰バシメテ自書ス。
明治43年7月4日
(1910年)
第57巻 p.66-67(DK570025k)
是日、栄一ノ従兄渋沢喜作長男作太郎逝ク。
明治43年11月4日
(1910年)
第57巻 p.67-68(DK570026k)
是ヨリ先、栄一外孫穂積貞三、札幌市ニ於テ逝ク。是日栄一、上野精養軒ニ於ケル一週年祭ニ列シテ、追悼ノ辞ヲ述ブ。
明治44年4月1日
(1911年)
第57巻 p.68(DK570027k)
是日栄一、従兄渋沢喜作ノ三男義一ノ結婚式ニ列シ、七日、築地精養軒ニ於ケル披露会ニ出席シテ、祝辞ヲ述ブ。
明治44年4月5日
(1911年)
第57巻 p.68-69(DK570028k)
是日、栄一外孫阪谷和子、高嶺俊夫ト結婚ス。栄一、日比谷太神宮ニ於ケル結婚式ニ列シ、二十三日、築地精養軒ニ於ケル披露宴ニ出席シテ、祝辞ヲ述ブ。
明治44年7月1日
(1911年)
第57巻 p.69(DK570029k)
是ヨリ先、栄一甥渋沢元治、工学博士ノ称号ヲ受ク。是日、渋沢家一族富士見軒ニ於テ祝賀会ヲ催ス。栄一、出席シテ祝辞ヲ述ブ。
明治44年11月1日
(1911年)
第57巻 p.70-71(DK570030k)
是日、栄一外孫穂積律之助、榊季子ト結婚ス。栄一、日比谷太神宮ニ於ケル結婚式、五日、帝国ホテルニ於ケル披露宴ニ出席シテ、祝辞ヲ述ブ。
大正元年8月30日
(1912年)
第57巻 p.71-77(DK570031k)
是日、栄一ノ従兄渋沢喜作逝ク。九月四日栄一、芝増上寺ニ於ケル葬儀ニ列シテ、追悼ノ辞ヲ述ブ。
大正3年12月10日
(1914年)
第57巻 p.77-78(DK570032k)
是日、栄一外孫穂積真六郎、芳賀敏子ト結婚ス。
大正5年3月13日
(1916年)
第57巻 p.78(DK570033k)
是日、栄一外孫阪谷希一、三島寿子ト結婚ス。二十六日栄一、帝国ホテルニ於ケル披露宴ニ出席シテ、祝辞ヲ述ブ。
大正5年4月3日
(1916年)
第57巻 p.78-79(DK570034k)
是日、栄一外孫阪谷八重子、中村貫之ト結婚ス。
大正5年10月15日
(1916年)
第57巻 p.79(DK570035k)
是日、栄一外孫穂積晴子、市河三喜ト結婚ス。栄一、日比谷太神宮ニ於ケル結婚式ニ列席ス。
大正5年12月31日
(1916年)
第57巻 p.79-81(DK570036k)
是日、栄一外孫明石静子逝ク。翌六年十二月、栄一墓誌ヲ撰書ス。
大正6年1月19日
(1917年)
第57巻 p.81-83(DK570037k)
是日、栄一義弟渋沢市郎逝ク。翌七年一月、栄一墓誌ヲ撰書ス。
大正9年2月4日
(1920年)
第57巻 p.83-84(DK570038k)
是日、栄一従兄尾高惇忠ノ次男、次郎逝ク。翌十年十月、栄一墓誌ヲ撰書ス。
大正9年4月4日
(1920年)
第57巻 p.84-87(DK570039k)
是日、栄一嫡孫敬三・外孫穂積重遠等ノ発起ニヨリ、栄一ノ長寿ヲ祝シ、三田綱町渋沢邸ニ於テ、栄一ノ孫及ビ曾孫等、子供会ヲ催シ、各自手書ノ名札ヲ貼付セル賀帖ヲ贈ル。
大正9年8月6日
(1920年)
第57巻 p.87(DK570040k)
是日、栄一孫渋沢俊三逝ク。
大正9年12月18日
(1920年)
第57巻 p.87(DK570041k)
是日、栄一外孫阪谷千重子、秋庭義衛ト結婚ス。栄一、日比谷太神宮ニ於ケル結婚式及ビ帝国ホテルニ於ケル披露宴ニ出席シテ、祝辞ヲ述ブ。
大正10年6月22日
(1921年)
第57巻 p.87-88(DK570042k)
是日、栄一外孫堀切敏子逝ク。是月十九日、栄一ソノ病床ヲ見舞ヒ、二十八日上野精養軒ニ於ケル、法要後ノ晩餐会ニ出席シテ、追悼ノ辞ヲ述ブ。
大正11年3月28日
(1922年)
第57巻 p.88(DK570043k)
是日、栄一外孫阪谷俊作、八十島文子ト結婚ス。栄一、日比谷太神宮ニ於ケル結婚式及ビ帝国ホテルニ於ケル披露宴ニ出席シテ、祝辞ヲ述ブ。
大正12年5月27日
(1923年)
第57巻 p.88-98(DK570044k)
是日栄一、上野精養軒ニ於テ、渋沢元治ノ営メル渋沢市郎七回忌及ビ渋沢貞子十三回忌ノ法要ニ参列シテ、追懐談ヲナス。
大正12年9月8日
(1923年)
第57巻 p.98(DK570045k)
是月一日ノ関東大震災ニヨリ、栄一外孫高嶺和子鎌倉ニ於テ逝ク。是日栄一、阪谷家ヲ弔問ス。
大正12年10月28日
(1923年)
第57巻 p.98-101(DK570046k)
是日栄一、上野寛永寺ニ於テ、従兄尾高惇忠二十三年忌並ニ同長七郎ノ五十六年忌追悼会ヲ営ミ、追懐談ヲナス。
大正12年12月14日
(1923年)
第57巻 p.101-102(DK570047k)
是日、栄一外孫阪谷総子、伊藤熊三ト結婚ス。翌十三年三月二日、栄一、帝国ホテルニ於ケル披露宴ニ出席シテ、祝辞ヲ述ブ。
大正15年5月1日
(1926年)
第57巻 p.102(DK570048k)
是日、栄一外孫明石謙六郎逝ク。
昭和2年2月25日
(1927年)
第57巻 p.102-103(DK570049k)
是日、栄一女大川照子逝ク。
昭和3年11月18日
(1928年)
第57巻 p.103-114(DK570050k)
是日栄一、上野寛永寺ニ於テ、従兄尾高惇忠・同長七郎ノ法要ヲ営ミ、引続キ上野精養軒ニ於テ午餐会ヲ開キ、追懐談ヲナス。
昭和4年9月9日
(1929年)
第57巻 p.114(DK570051k)
是日、栄一孫智雄分家シ、是月十六日、中村長吉三女節子ト結婚ス。
昭和5年10月12日
(1930年)
第57巻 p.114-118(DK570052k)
是ヨリ先栄一、父市郎右衛門手写ノ習字手本・俳句草稿等ヲ集メテ石版印刷ニ付シ、「晩香遺薫」ト題シテ刊行ス。
是日、飛鳥山邸ニ於テ、ソノ贈与式ヲ挙行シ、同族各家及ビ近親ノ児孫ニ頒ツ。
昭和6年1月14日
(1931年)
第57巻 p.118-119(DK570053k)
是日、栄一孫信雄分家シ、四月十三日斎藤秀三郎女敦子ト結婚ス。
2節 健康
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年11月9日
(1910年)
第57巻 p.120(DK570054k)
栄一、是日ヨリ感冒ノ気味ニテ静養シ、十二月七日ヨリ平素ノ活動ニ復ス。
大正2年3月23日
(1913年)
第57巻 p.120-121(DK570055k)
是日栄一、東京ヲ発シ、静岡県島田町ニ赴キ修養団島田支部一週年記念大会ニ出席、演説中脳貧血ヲ起シ、演説ヲ中止、応急手当ヲ受ケ、翌二十四日帰京ス。翌四月中旬ニ至ル迄静養ス。
大正3年5月28日
(1914年)
第57巻 p.121-122(DK570056k)
是月二日、栄一東京ヲ発シ、中国旅行ノ途ニツキシガ、発病シ、是日、宿願ノ曲阜孔子廟参拝ヲ廃シテ天津ヨリ帰国スベキヲ決ス。
大正5年1月31日
(1916年)
第57巻 p.122(DK570057k)
是月四日、栄一渡米ヲ終ヘテ帰国、是日ヨリ流行性感冒ニテ静養、三月中旬ニ至ル。
大正5年8月
(1916年)
第57巻 p.122-123(DK570058k)
是月、雑誌「実業之世界」ノ保健法等ニ関スル質問ニ対シ、栄一、詳細ナル回答ヲ寄ス。
大正8年2月15日
(1919年)
第57巻 p.123-127(DK570059k)
是日以後、栄一感冒ノタメ静養、四月下旬ニ至リテ回復ス。
大正9年10月25日
(1920年)
第57巻 p.127(DK570060k)
栄一、是日ヨリ感冒ノ気味ニテ静養シ、十一月下旬ニ至リ回復、十二月二日ヨリ大磯ニ転地シ、翌年二月下旬ニ及ブ。
大正12年4月13日
(1923年)
第57巻 p.127-128(DK570061k)
栄一、是日以降感冒ノタメ引籠リ静養シ、五月二日大磯明石別邸ニ転地、十二日帰京ス。
大正14年1月―9月
(1925年)
第57巻 p.128-135(DK570062k)
栄一、宿痾ノ喘息療養ノタメ、十三年十二月二十七日以降湯河原ニ転地シ、是年三月二日更ニ大磯ニ転地シ、二十日帰京ス。爾後栄一、九月マデ飛鳥山邸ニ引籠リ、専ラ静養ニ努ム。
大正15年12月12日
(1926年)
第57巻 p.136-138(DK570063k)
是日以降栄一、宿痾ノ喘息ノタメ飛鳥山邸ニ引籠リテ静養シ、翌昭和二年一月ニ至ル。
昭和3年4月―7月
(1928年)
第57巻 p.138-146(DK570064k)
栄一、一月以降感冒気味回復セズ、四月ニ至リ喘息ヲ併発シ、五月更ニ胆嚢炎ヲ併発シ、七月下旬マデ飛鳥山邸ニ於テ、専ラ療養ニ努ム。
昭和4年2月
(1929年)
第57巻 p.146-151(DK570065k)
栄一、是月下旬ヨリ約二ケ月間、感冒ノタメ飛鳥山邸ニ引籠リタルモ、爾後、各種ノ会合ニ出席スル等活動ヲ続ク。
昭和5年1月12日
(1930年)
第57巻 p.151-153(DK570066k)
栄一、感冒ニ罹リ、飛鳥山邸ニ引籠リ静養シ四月中旬ニ至ル。
昭和5年11月8日
(1930年)
第57巻 p.154-155(DK570067k)
是日栄一、救護法実施促進期成同盟会委員ノ請ニ応ジ、病ヲ押シテ内務大臣安達謙蔵ヲ訪フ。
昭和6年1月
(1931年)
第57巻 p.155-157(DK570068k)
栄一、去ル十二月下旬以降感冒ノ気味ニテ静養シ、二月ニ至ル。
昭和6年10月14日
(1931年)
第57巻 p.157-158(DK570069k)
栄一宿痾ノ腸疾患漸ク重ク、是日、東京帝国大学教授塩田広重執刀ノ下ニ腹部切開手術ヲ受ク。
3節 家庭教育
1款 克己学寮
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年9月18日
(1910年)
第57巻 p.159-161(DK570070k)
是ヨリ先、当寮、青山南町ヨリ小石川白山御殿町ヘ移転ス。
是年、栄一三男武之助東京帝国大学ヘ入学、四男正雄第一高等学校三年ニ進級、五男秀雄第一高等学校ヘ入学ヲ機トシテ、当寮ノ解散ヲ決ス。是日栄一、小学校以来ノ教員・学友及ビ近親ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ謝恩会ヲ催ス。
次イデ二十四日、栄一、今後ノ修学上ノ監督ヲ矢作栄蔵ニ托ス。
2款 聖書講読会・基督教講演会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年10月13日
(1910年)
第57巻 p.162-164(DK570071k)
是日、飛鳥山邸ニ於テ、牧師皆川晃雄ノ聖書講読開始セラレ、栄一聴講ス。引続キ大正二年ニ及ブ。
大正3年1月10日
(1914年)
第57巻 p.164-165(DK570072k)
是日栄一、海老名弾正ヲ飛鳥山邸ニ聘シテ、キリスト教ニ関スル講話ヲ聴ク。引続キ大正六年ニ及ブ。
3款 論語会・孟子会付曙町学寮
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年
(1911年)
第57巻 p.166-171(DK570073k)
是年秋ヨリ、栄一、東京帝国大学教授宇野哲人ヲ講師トシテ、毎月一・二回、飛鳥山邸又ハ曙町学寮ニ於テ、論語ノ講読会ヲ開キ、大正六年ニ及ブ。次イデ孟子ノ講読会、兜町渋沢事務所ニ開カレ、大正十二年九月ノ関東大震災以後止ム。
4節 趣味
1款 和歌
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治42年5月
(1909年)
第57巻 p.172-173(DK570074k)
是月栄一、千葉県安房郡船形町ニ於ケル、東京市養育院安房分院ノ開院式ニ出席ノタメ同地方ニ旅行シ、各所ニ於テ和歌ヲ詠ズ。
明治42年9月―10月
(1909年)
第57巻 p.173-175(DK570075k)
栄一、渡米実業団一行ヲ率イテアメリカ合衆国各地ヲ旅行シ、所々ニ於テ和歌ヲ詠ズ。
明治43年8月
(1910年)
第57巻 p.175-177(DK570076k)
是月栄一、阪谷朗廬夫人恭子ノ病ヲ訪ヒ、飛鳥山邸庭前ノ花ニ添ヘテ和歌二首ヲ贈ル。
明治43年
(1910年)
第57巻 p.177(DK570077k)
是年栄一、古稀ノ齢ヲ迎ヘテ和歌ヲ詠ズ。
大正2年4月
(1913年)
第57巻 p.177-178(DK570078k)
慶応二年八月、栄一、一橋家家臣タリシ時、長州征伐ノ事アリテ、出征ス。ソノ折遺品トシテ書翰ト短刀ヲ郷里ノ夫人ニ送レリ。右二品ヲ所蔵セル穂積歌子、是月コノ故ヲ示ス一文ヲ草ス。栄一、和歌ヲ詠ジテソノ箱蓋ニ識ス。
大正8年9月
(1919年)
第57巻 p.178(DK570079k)
是月栄一、棚橋絢子ノ乞ヒニ応ジ、魚形ノ木片ニ遊魚銘及ビ和歌ヲ題ス。
大正13年
(1924年)
第57巻 p.178-179(DK570080k)
是年栄一、皇后陛下ノ御沙汰ヲ蒙リ、養蚕ニ関スル和歌ヲ詠進ス。
昭和4年11月
(1929年)
第57巻 p.179-181(DK570081k)
是月栄一、田島武平持参ノ、明治初年宮中養蚕所設立当時ニ於ケル出殻繭ヲ見テ「出がら繭の記」ヲ綴リ、ソノ終ニ一首ノ和歌ヲ付ス。
--第57巻 p.181-182(DK570082k)
--
2款 漢詩
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治42年―昭和6年
(1909-1931年)
第57巻 p.183-192(DK570083k)
是間栄一、内外各地ノ旅行ニ際シ、或ハ病気静養中ニ於テ、或ハ又徳川慶喜・渋沢喜作等ノ死ヲ哭シテ、賦シタル漢詩少ナカラズ。毎年元旦ニ当リテモ亦、漢詩ニヨリテ感懐ヲ托スルコト、歿年ニ及ブ。
2章 栄誉
1節 恩賜・褒賞
1款 恩賜
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正3年8月27日
(1914年)
第57巻 p.193(DK570084k)
是日栄一、昭憲皇太后ノ御遺品ヲ賜ハル。九月五日、御礼ノタメ青山御所ニ伺候シ、権殿ニ参拝ス。
大正8年1月10日
(1919年)
第57巻 p.193-194(DK570085k)
是日栄一、八十歳ノ高齢者トシテ、御紋付銀盃一組並ニ酒肴料ヲ賜ハル。
大正11年12月16日
(1922年)
第57巻 p.194(DK570086k)
是日栄一、皇后陛下ヨリ紅白縮緬各一巻及ビ御紋章付蒔絵手函一個ヲ賜ハル。
大正15年6月30日
(1926年)
第57巻 p.194-195(DK570087k)
是日、皇后陛下、皇后宮大夫大森鐘一ヲ、飛鳥山邸ニ差遣ハサレ、栄一ニ、宮中紅葉山養蚕所生産ノ真綿一包及ビ白絹一巻ヲ賜フ。
昭和3年11月10日
(1928年)
第57巻 p.195-196(DK570088k)
是日、即位礼ニ際シ、栄一、八十歳以上高齢者トシテ養老木杯並ニ酒肴料ヲ賜ハル。
昭和4年1月15日
(1929年)
第57巻 p.196(DK570089k)
是日栄一、九十歳ノ高齢者トシテ、御紋付銀盃一組、御絹並ニ酒肴料ヲ賜ハル。
昭和4年2月5日
(1929年)
第57巻 p.196-197(DK570090k)
是ヨリ先栄一、即位礼大饗ノ節不参ニ付、是日、記念品ヲ賜ハル。
昭和6年1月10日
(1931年)
第57巻 p.197-198(DK570091k)
是日栄一、皇太后陛下ヨリ病気御尋トシテ、饂飩・鶏卵・重詰等ヲ賜ハル。同日嫡孫敬三、御礼ノタメ皇太后宮職ヘ出頭ス。
2款 褒賞
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治42年―昭和4年
(1909-1929年)
第57巻 p.199-205(DK570092k)
是間ニ栄一ガ、賞勲局及ビ東京府其他ヨリ受ケタル褒賞六十二件ニ及ブ。
昭和2年4月11日
(1927年)
第57巻 p.205(DK570093k)
是日栄一、大日本蚕糸会第二十二回総会ニ於テ、我国蚕糸業界功労者トシテ恩賜賞ヲ授与セラル。
2節 叙位・叙勲・記念章
1款 叙位
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正8年7月10日
(1919年)
第57巻 p.206(DK570094k)
是日栄一、正三位ニ叙セラル。
昭和4年7月15日
(1929年)
第57巻 p.206(DK570095k)
是日栄一、従二位ニ叙セラル。
昭和6年11月10日
(1931年)
第57巻 p.206(DK570096k)
是日栄一、正二位ニ叙セラル。
2款 叙勲
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年8月24日
(1911年)
第57巻 p.207(DK570097k)
是日栄一、勲一等ニ叙セラレ瑞宝章ヲ授ケラル。
大正4年11月10日
(1915年)
第57巻 p.207-208(DK570098k)
是日栄一、旭日大綬章ヲ授ケラル。
昭和3年11月10日
(1928年)
第57巻 p.208-209(DK570099k)
是日栄一、旭日桐花大綬章ヲ授ケラル。
3款 外国叙勲
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大正3年5月26日
(1914年)
第57巻 p.210(DK570100k)
是日栄一、中華民国政府ヨリ、一等嘉禾章ヲ贈与セラレ、四年五月三日、之ガ受領及ビ佩用ヲ、賞勲局ヨリ允許セラル。
大正8年5月15日
(1919年)
第57巻 p.210-211(DK570101k)
是日栄一、フランス共和国政府ヨリ、ル・コンネサンス・フランセーズ第一等記章ヲ贈与セラレ、十月八日、之ガ受領及ビ佩用ヲ、賞勲局ヨリ允許セラル。
大正9年2月15日
(1920年)
第57巻 p.211(DK570102k)
是日栄一、ベルギー国皇帝ヨリ、王冠第一等勲章ヲ贈与セラレ、三月十三日、之ガ受領及ビ佩用ヲ、賞勲局ヨリ允許セラル。
大正9年4月15日
(1920年)
第57巻 p.211-212(DK570103k)
是日栄一、セルブ・クロアート・スロヴェーヌ国皇帝ヨリ贈与セラレタル、サン・サヴァ第一等勲章ヲ受領シ及ビ佩用スルコトヲ、賞勲局ヨリ允許セラル。
大正9年7月28日
(1920年)
第57巻 p.212(DK570104k)
是日栄一、ベルギー国皇帝ヨリ贈与セラレタル、ロワ・アルベール記章ヲ受領シ及ビ佩用スルコトヲ、賞勲局ヨリ允許セラル。
大正12年7月3日
(1923年)
第57巻 p.212(DK570105k)
是日栄一、中華民国政府ヨリ贈与セラレタル、一等大綬宝光嘉禾章ヲ受領シ及ビ佩用スルコトヲ、賞勲局ヨリ允許セラル。
大正15年11月12日
(1926年)
第57巻 p.212-215(DK570106k)
是日栄一、フランス共和国政府ヨリ贈与セラレタルグラン・クロア・ド・ロルドル・ナショナル・ド・ラ・レジョン・ドノール勲章ノ受領及ビ佩用スルコトヲ、賞勲局ヨリ允許セラル。
昭和2年3月2日
(1927年)
第57巻 p.215-216(DK570107k)
是日栄一、ドイツ国大使館ニ於テ、特命全権大使ヴィルヘルム・ゾルフヨリ、ドイツ赤十字第一等記章ヲ伝達セラル。
4款 記念章
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大正元年8月1日
(1912年)
第57巻 p.217(DK570108k)
是日栄一、韓国併合記念章ヲ授与セラル。
大正4年11月10日
(1915年)
第57巻 p.217(DK570109k)
是日栄一、大礼記念章ヲ授与セラル。
昭和6年10月
(1931年)
第57巻 p.217-218(DK570110k)
是月栄一、帝都復興記念章ヲ下付セラル。
3節 陞爵
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大正9年9月4日
(1920年)
第57巻 p.219(DK570111k)
是日栄一、子爵ニ陞授セラル。
大正9年9月29日
(1920年)
第57巻 p.220-233(DK570112k)
是日、帝国ホテルニ於テ、京浜実業界ノ有志者ニヨリ、栄一ノ陞爵祝賀会開カル。尚、是月二十日交詢社、十月七日東京商業会議所各主催ノ祝賀会開カレ、栄一、ソレゾレ出席シテ、謝辞ヲ述ブ。
大正9年10月25日
(1920年)
第57巻 p.233(DK570113k)
是日、如水会館ニ於テ、社団法人如水会主催、栄一ノ陞爵祝賀会開カル。栄一病気ノタメ、嫡孫敬三、代理トシテ出席ス。
大正10年4月23日
(1921年)
第57巻 p.233(DK570114k)
是日、上野精養軒ニ於テ、埼玉県人会主催、栄一ノ陞爵祝賀会開カル。栄一、出席シテ謝辞ヲ述ブ。
大正10年5月1日
(1921年)
第57巻 p.233-237(DK570115k)
是日栄一、飛鳥山邸ニ於テ、陞爵祝賀答礼園遊会ヲ開ク。
4節 参内・伺候
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明治44年11月15日
(1911年)
第57巻 p.238(DK570116k)
是日栄一、赤坂離宮ニ於ケル観菊御宴ニ召サレテ参入ス。
大正元年7月31日
(1912年)
第57巻 p.238-240(DK570117k)
是日栄一、大正天皇践祚後朝見ノ儀ニ参列ノタメ参内ス。
大正元年8月13日
(1912年)
第57巻 p.240-241(DK570118k)
是日栄一、明治天皇霊柩殯宮移御ノ儀ニ、十四日、殯宮移御翌日祭ニ参列ノタメ参内シ、十五日、二十八日及ビ九月九日、殯宮ニ伺候ノタメ参内ス。
大正元年9月13日
(1912年)
第57巻 p.241(DK570119k)
是日栄一、青山葬場殿ニ於ケル、明治天皇大葬ニ参列ス。
大正3年1月5日
(1914年)
第57巻 p.241-242(DK570120k)
是日栄一、宮中新年宴会ニ召サレテ参内ス。
大正4年4月23日
(1915年)
第57巻 p.242(DK570121k)
是日栄一、浜離宮ニ於ケル観桜御宴ニ召サル。
大正4年7月30日
(1915年)
第57巻 p.242-243(DK570122k)
是日栄一、皇霊殿ニ於ケル、明治天皇三年式年祭ニ参列ノタメ参内ス。
大正6年1月18日
(1917年)
第57巻 p.243(DK570123k)
是日栄一、東京市養育院院長トシテ参内シ、皇后陛下ニ拝謁ス。
大正7年1月5日
(1918年)
第57巻 p.243(DK570124k)
是日栄一、宮中新年宴会ニ召サレテ参内ス。
大正8年1月5日
(1919年)
第57巻 p.243-244(DK570125k)
是日栄一、宮中新年宴会ニ召サレテ参内ス。
大正9年1月5日
(1920年)
第57巻 p.244(DK570126k)
是日栄一、宮中新年宴会ニ召サレテ参内ス。
大正10年8月3日
(1921年)
第57巻 p.244(DK570127k)
是日、中華民国大総統徐世昌特使朱啓鈐ニ宮中賜餐ノ事アリ。栄一、召サレテ参内ス。
大正11年3月8日
(1922年)
第57巻 p.244-248(DK570128k)
是日栄一、東宮御所ニ伺候シ、皇太子殿下ニ拝謁ノ上、日米問題ニ関シテ言上シ、十三日、東宮御所ニ召サレ賜餐ノ栄ニ浴ス。
大正11年3月18日
(1922年)
第57巻 p.248-249(DK570129k)
是日栄一、芝離宮ニ於テ開催ノ皇族講話会ニ、講師トシテ召サレ、最近ノ外遊所感ヲ述ブ。
大正11年12月16日
(1922年)
第57巻 p.249(DK570130k)
是日栄一、東京市養育院院長トシテ参内シ、皇后陛下ニ拝謁ス。
大正12年6月18日
(1923年)
第57巻 p.249(DK570131k)
是日栄一、東京市養育院院長トシテ参内シ、皇后陛下ニ拝謁ス。
大正15年7月1日
(1926年)
第57巻 p.249-256(DK570132k)
是年六月三十日、皇后陛下ヨリ栄一ニ御下賜品アリ、是日栄一、御礼ノタメ参内シ、拝謁ス。
昭和4年12月19日
(1929年)
第57巻 p.256-264(DK570133k)
是日栄一、天皇陛下ヨリ単独御陪食ノ栄ニ浴ス。
昭和6年5月12日
(1931年)
第57巻 p.264(DK570134k)
是日栄一、青山ノ大宮御所ニ伺候シ、皇太后陛下ニ拝謁ノ上、癩予防協会ニ関シ言上ス。
款 [--] 宮家伺候
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年―大正10年
(1910-1921年)
第57巻 p.264-267(DK570135k)
是間、伏見宮貞愛親王、栄一等実業家ヲ、屡々同宮邸ニ於ケル午餐会又ハ園遊会ニ召サル。栄一ソレゾレ出席ス。
大正12年2月23日
(1923年)
第57巻 p.267(DK570136k)
是日、伏見宮宮邸ニ於テ、伏見宮貞愛親王二十日祭執行セラル。栄一、井上準之助等実業家ト共ニ伺候参列ス。
昭和4年4月9日
(1929年)
第57巻 p.267-268(DK570137k)
是日、東久邇宮稔彦王、栄一等実業家ヲ同宮邸ニ召サル。栄一伺候ス。
3章 賀寿
1節 七十寿
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年10月23日
(1910年)
第57巻 p.269(DK570138k)
是日、財団法人竜門社ハ、飛鳥山邸ニ於テ、第四十四回秋季総集会ヲ開キ、栄一ノ七十寿祝賀式ヲ挙行ス。来賓大隈重信ノ演説アリ、栄一謝辞ヲ述ブ。
明治44年2月13日
(1911年)
第57巻 p.269-291(DK570139k)
是ヨリ先、佐々木勇之助・星野錫・八十島親徳等発起人トナリテ「青淵先生七十寿祝賀会」ヲ組織シ、是日、帝国ホテルニ於テ同祝賀会ヲ開ク。栄一出席シテ謝辞ヲ述ブ。
2節 喜寿
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正5年9月25日
(1916年)
第57巻 p.292(DK570140k)
是日、東京銀行集会所、栄一ノ喜寿ヲ記念シテ同所内ニ設置セル栄一ノ寿像ノ除幕式ヲ挙行ス。栄一、出席シテ謝辞ヲ述ブ。
大正5年10月1日
(1916年)
第57巻 p.292-295(DK570141k)
是ヨリ先、埼玉県大里郡八基村大字血洗島ノ有志、栄一ノ喜寿ヲ祝シテ、同村諏訪神社境内ニ、喜寿碑ヲ建設シ、是日除幕式ヲ挙行ス。栄一、出席シテ謝辞ヲ述ブ。
大正5年10月22日
(1916年)
第57巻 p.295(DK570142k)
是日、私立高千穂学校ニ於テ、栄一ノ喜寿祝賀式ヲ挙行ス。栄一、出席シテ謝辞ヲ述ブ。
大正5年+月
(1916年)
第57巻 p.295-298(DK570143k)
是月、合資会社清水組社員清水満之助、栄一ノ喜寿記念トシテ、飛鳥山邸内ニバンガロー式小亭ヲ建築スルコトトシ、其目録及ビ賀詞ヲ献呈ス。
大正5年11月12日
(1916年)
第57巻 p.298(DK570144k)
是ヨリ先、第一銀行本支店行員、栄一ノ喜寿ヲ記念スルタメ、玉川清和園内ニ記念館誠之堂ヲ建設ス。是日、帝国ホテルニ於テ、ソノ開館式ヲ兼ネ、賀寿ノ宴ヲ催ス。栄一、出席シテ謝辞ヲ述ブ。
大正5年11月13日
(1916年)
第57巻 p.298-299(DK570145k)
是日、東洋生命保険株式会社主催、十七日、山下亀三郎主催、二十一日、堀越善重郎主催ノ栄一喜寿祝賀会催サル。栄一、ソレゾレ出席ス。
大正5年11月25日
(1916年)
第57巻 p.299(DK570146k)
是日、東京高等商業学校同窓会、秋季総会ヲ機トシ、帝国ホテルニ於テ、栄一ノ喜寿祝賀会ヲ催ス。栄一病気ノタメ、三男武之助ヲ代理トシテ出席セシム。
大正5年11月26日
(1916年)
第57巻 p.299(DK570147k)
是日、財団法人竜門社、帝国ホテルニ於テ、栄一ノ喜寿祝賀ヲ兼ネ、第五十六回秋季総集会ヲ開キ、林泰輔ニ依嘱シテ編纂セル「論語年譜」ヲ栄一ニ贈ル。栄一、病気ノタメ出席セズ。
大正5年12月5日
(1916年)
第57巻 p.299-300(DK570148k)
是日、銀行員同攻会、東京銀行集会所ニ於テ、栄一ノ喜寿祝賀記念講演会ヲ催ス。栄一、病気ノタメ出席セズ。
大正6年1月9日
(1917年)
第57巻 p.300(DK570149k)
是日栄一、飛鳥山邸ニ於テ、渋谷正吉ノ来訪ニ接シ、喜寿祝トシテ洋画ヲ贈ラル。
大正6年2月3日
(1917年)
第57巻 p.300(DK570150k)
是日、早稲田大学、帝国ホテルニ於テ、春季校友大会ヲ兼ネ、栄一ノ喜寿祝賀会ヲ催ス。栄一、出席シテ謝辞ヲ述ブ。
大正6年2月13日
(1917年)
第57巻 p.300(DK570151k)
是ヨリ先、埼玉学生誘掖会ハ、栄一ノ喜寿ヲ記念スル奨学資金ノ募集ヲナシ、是日、栄一ノ誕辰日ニ当リ、上野精養軒ニ於テソノ贈呈式ヲ挙行ス。栄一、出席シテ謝辞ヲ述ベ、之ニ金五千円ヲ加ヘテ同会ニ寄付ス。
大正6年5月1日
(1917年)
第57巻 p.300-302(DK570152k)
是日栄一、飛鳥山邸ニ於テ、喜寿祝賀答礼宴ヲ催ス。
3節 八十寿
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正8年2月3日
(1919年)
第57巻 p.303(DK570153k)
是日、浜町常盤屋ニ於テ、東京帽子株式会社主催、栄一ノ八十寿祝賀会開カル。次イデ二十四日、同所ニ於テ、旧渡米実業団員主催ノ祝賀会開カル。栄一、ソレゾレ出席ス。
大正8年11月23日
(1919年)
第57巻 p.303(DK570154k)
是日、埼玉学生誘掖会舎友会、埼玉学生誘掖会寄宿舎ニ於テ、栄一ノ八十寿祝賀式ヲ催ス。栄一、出席シテ謝辞ヲ述ブ。
大正9年11月6日
(1920年)
第57巻 p.303-304(DK570155k)
是日、二松学舎、麹町区富士見軒ニ於テ、栄一ノ八十寿祝賀会ヲ催ス。栄一、病気ノタメ出席セズ。
大正9年11月23日
(1920年)
第57巻 p.304(DK570156k)
是日、財団法人竜門社、築地精養軒ニ於テ、第六十四回秋季総集会ヲ兼ネ、栄一ノ八十寿並ニ陞爵祝賀会ヲ開キ、飛鳥山邸内ニ記念書庫建設ノ目録ヲ贈ル。栄一、出席シテ謝辞ヲ述ブ。十五年十一月七日、栄一、之ニ対スル謝意ヲ表スルタメ、右寄贈者ヲ飛鳥山邸ニ招キテ、答礼園遊会ヲ催ス。
4節 米寿
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和2年2月15日
(1927年)
第57巻 p.305(DK570157k)
是日、渋沢事務所所員一同、同事務所ニ於テ、栄一ノ米寿祝賀会ヲ催ス。
昭和2年3月24日
(1927年)
第57巻 p.305(DK570158k)
是日、早稲田大学維持員会ニ於テ、栄一ノ米寿祝賀ノタメ、島田墨仙揮毫ノ三聖之図(三幅対)贈呈ノ件ヲ議決ス。
昭和2年10月22日
(1927年)
第57巻 p.305-308(DK570159k)
是日、埼玉県八基村村民、八基小学校ニ於テ、栄一ノ米寿祝賀記念品献呈式ヲ挙行ス。栄一出席ス。尚、是ヨリ先、同村、栄一米寿記念事業トシテ、公民学校ノ設置ト青淵図書館ノ充実トヲ決ス。
昭和2年11月1日
(1927年)
第57巻 p.308(DK570160k)
是ヨリ先、栄一、ハワイ在住ノ原田助等五名ヨリ、米寿祝トシテ椅子一脚ヲ贈ラレタルニ対シ、是日、謝礼ノ書翰ヲ発ス。
昭和3年4月
(1928年)
第57巻 p.308-309(DK570161k)
是月、アメリカ合衆国サン・フランシスコノスターズ・アンド・サン誌、「渋沢子爵米寿記念号」ヲ発行ス。
昭和3年9月9日
(1928年)
第57巻 p.309-311(DK570162k)
是ヨリ先、栄一、養魚家秋山吉五郎ヨリ、米寿祝トシテ二万五千尾ノ鯉ヲ贈ラレ、是日、之ヲ宮城前ノ濠ニ放ツ。
昭和3年9月29日
(1928年)
第57巻 p.311(DK570163k)
是日、財団法人竜門社、帝国ホテルニ於テ、栄一ノ米寿祝賀会ヲ開キ、祝賀記念トシテ刊行セル斯文会編訳「国訳論語」ヲ贈ル。栄一、出席シテ謝辞ヲ述ブ。
昭和3年10月1日
(1928年)
第57巻 p.311-341(DK570164k)
是ヨリ先、全国実業界ノ有志、「子爵渋沢栄一閣下米寿祝賀会」ヲ組織シ、是日、帝国劇場ニ於テ祝賀会ヲ、東京会館ニ於テ賀宴ヲ催ス。会員総代団琢磨ノ賀詞及ビ来賓総代内閣総理大臣田中義一ノ祝辞ニ対シ、栄一謝辞ヲ述ブ。
右祝賀会席上ニ於テ、発起人代表郷誠之助、記念事業トシテ栄一ノ寿像建設ヲ発議シ、満場ノ賛同ヲ博ス。
昭和3年10月21日
(1928年)
第57巻 p.341(DK570165k)
是日、埼玉県人会、飛鳥山邸ニ於テ、栄一ノ米寿祝賀会ヲ催ス。栄一病気ノタメ、代理トシテ嫡孫敬三出席シ、謝辞ヲ述ブ。
昭和3年10月
(1928年)
第57巻 p.341-355(DK570166k)
是月、「青淵先生米寿祝賀記念号」トシテ特輯セル「竜門雑誌」ニ、外国人及ビ在外邦人ノ寄セタル祝賀ノ書翰及ビ電報掲載セラル。
昭和3年11月11日
(1928年)
第57巻 p.355(DK570167k)
是日、埼玉学生誘掖会舎友会、神田学士会館ニ於テ、栄一ノ米寿祝賀会ヲ催ス。栄一出席シテ謝辞ヲ述ブ。五年五月二十四日、栄一、同会ヨリ米寿祝賀記念トシテ贈ラレタル、清水良雄ノ描ケル肖像画ヲ受領シ、同日之ヲ埼玉学生誘掖会寄宿舎ニ寄贈ス。
昭和3年
(1928年)
第57巻 p.355-363(DK570168k)
栄一、米寿ニ際シ、徳川達孝外数十人ヨリ賀寿ノ漢詩・和歌・俳句其他ヲ贈ラル。
昭和4年4月
(1929年)
第57巻 p.363(DK570169k)
是月、社団法人国際聯盟協会、理事会ノ決議ニヨリ、栄一ニ対シ、米寿祝賀ノ意ヲ表シテ銀製地球儀ヲ贈ル。
昭和4年5月
(1929年)
第57巻 p.363(DK570170k)
是月栄一、米寿祝賀答礼ノ書翰ヲ自書シ、是ヲ石版印刷ニ付シテ関係各方面ニ発送ス。
5節 九十寿
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和4年1月
(1929年)
第57巻 p.364(DK570171k)
是月、財団法人斯文会会員、栄一ノ九十寿ヲ祝シ、同会会誌「斯文」新年号ニ、栄一ノ元旦所感詩ニ次韻セル漢詩ヲ掲載ス。
昭和4年6月25日
(1929年)
第57巻 p.364(DK570172k)
是日、如水会、同会館ニ於テ、栄一ノ九十寿祝賀会ヲ催ス。栄一近親ト共ニ出席シ、謝辞ヲ述ブ。
昭和4年7月6日
(1929年)
第57巻 p.364(DK570173k)
是日、日本女子大学校、渋沢子爵九十寿祝賀会ヲ同校ニ於テ催ス。栄一、出席シテ謝辞ヲ述ブ。
4章 同族会・同族会社
1節 同族会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年―大正3年
(1910-1914年)
第57巻 p.365-372(DK570174k)
是間、渋沢事務所・飛鳥山邸又ハ三田綱町邸ニ於テ、屡々当会開カレ、栄一、殆ンド毎回出席ス。明治四十五年一月二十八日、栄一、飛鳥山邸ニ於テ開カレタル当会ニ出席シテ、遺言書ヲ示シ其趣旨ヲ述ブ。
大正4年―昭和6年
(1915-1931年)
第57巻 p.372-384(DK570175k)
大正四年一月三十日、当会ニ於テ、家法改正ニツキ協議シ、三月三十一日、同族財産ノ管理運用ヲ目的トスル渋沢同族株式会社設立ニ決ス。右設立後モ当会ハ依然存続シ、栄一、殆ンド毎回出席ス。
2節 渋沢同族株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正4年4月1日
(1915年)
第57巻 p.385-393(DK570176k)
是日、当会社設立セラレ、栄一嫡孫敬三社長トナル。爾後昭和六年ニ至ルマデ、渋沢事務所又ハ飛鳥山邸ニ開カレタル、当会社株主総会及ビ重役会ニ、栄一、屡々出席ス。
5章 交遊
節 [--]
款 [--] 1. 徳川慶喜
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明治43年12月23日
(1910年)
第57巻 p.394-395(DK570177k)
是ヨリ先、徳川慶喜隠居シ、嗣子慶久襲爵ス。栄一、依嘱ヲ受ケ同家顧問兼会計監督トナル。是日、華族会館ニ於テ、襲爵披露会催サレ、栄一出席ス。
明治44年4月28日
(1911年)
第57巻 p.395-396(DK570178k)
是日栄一、徳川慶喜及ビ徳川慶喜公伝編纂関係者等ヲ飛鳥山邸ニ招待ス。
明治45年4月5日
(1912年)
第57巻 p.396(DK570179k)
是日栄一、国府津ニ転地静養中ノ徳川慶喜ヲ見舞フ。
大正2年11月22日
(1913年)
第57巻 p.396-410(DK570180k)
是日徳川慶喜逝去ス。栄一、葬儀委員総裁トナル。
大正2年12月12日
(1913年)
第57巻 p.410(DK570181k)
是日、東京高等商業学校ニ於テ、東京市講演会主催ノ、徳川慶喜公追悼講演会開催セラル。栄一、出席シテ追悼演説ヲナス。
大正6年11月22日
(1917年)
第57巻 p.410-417(DK570182k)
是ヨリ先、栄一著「徳川慶喜公伝」成ル。是日、谷中墓地内ノ徳川慶喜墓前ニ於テ、徳川慶久、其献呈奉告式ヲ執行ス。栄一参列シテ、当伝記ヲ墓前ニ進献シ、且ツ献本ノ次第ヲ述ブ。
款 [--] 2. 伊藤博文
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治42年10月26日
(1909年)
第57巻 p.417-419(DK570183k)
是日栄一、渡米実業団ノ団長トシテ、アメリカ合衆国内ヲ旅行中、スプリング・フィールドニ於テ、伊藤博文遭難逝去ノ報ニ接ス。
明治43年5月19日
(1910年)
第57巻 p.420(DK570184k)
是日、東京帝国大学集会所ニ於テ、国家学会主催ノ故伊藤公爵追悼会開カル。栄一、出席シテ追悼演説ヲナス。
昭和2年12月20日
(1927年)
第57巻 p.420-423(DK570185k)
是日栄一、渋沢事務所ニ開カレタル雨夜譚会ニ出席シ、伊藤博文ニ関シテ往事ヲ述ブ。
款 [--] 3. 井上馨
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年5月8日
(1910年)
第57巻 p.423-424(DK570186k)
是日栄一、井上馨邸ノ園遊会ニ出席ス。
明治45年2月23日
(1912年)
第57巻 p.424(DK570187k)
是日栄一、井上馨寿像由来碑ノ撰文並ニ揮毫ヲナス。次イデ四月四日、興津ノ井上邸ニ於ケル園遊会ニ出席ス。
大正4年4月18日
(1915年)
第57巻 p.424-425(DK570188k)
是月二日、栄一、関西ヘ赴ク途次、興津ノ別邸ニ井上馨ヲ訪ヒ、次イデ是日、同邸ニ開カレタル園遊会ニ出席シ、来賓ヲ代表シテ祝辞ヲ述ブ。
大正4年9月2日
(1915年)
第57巻 p.425-435(DK570189k)
是日栄一、井上馨ノ訃音ニ接シ、興津ノ同家別邸ニ弔問ス。四日正式ニ発喪セラレ、栄一、葬儀副委員長トナル。
昭和5年10月
(1930年)
第57巻 p.435-438(DK570190k)
是月栄一、「世外井上公伝」ノ序文ヲ撰ス。
款 [--] 4. 大隈重信
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年10月23日
(1910年)
第57巻 p.438(DK570191k)
是日、飛鳥山邸ニ於テ、栄一ノ古稀祝賀会ヲ兼ネ、竜門社第四十四回秋季総集会開カル。大隈重信来賓トシテ出席シ、祝賀演説ヲナス。
大正5年11月5日
(1916年)
第57巻 p.438(DK570192k)
是日栄一、芝公園内ニ建設セラレタル、大隈重信寿像除幕式ニ参列シテ祝詞ヲ述ブ。
大正9年11月23日
(1920年)
第57巻 p.438-439(DK570193k)
是日、築地精養軒ニ於テ、竜門社主催栄一八十寿並ニ陞爵祝賀会開カレ、大隈重信来賓トシテ出席シ、祝辞ヲ述ブ。
大正11年1月10日
(1922年)
第57巻 p.439-440(DK570194k)
是日栄一、アメリカ合衆国ノ旅行ヲ終リ、サン・フランシスコヨリ帰国ノ途ニツク。同日大隈重信逝ク。
昭和2年1月
(1927年)
第57巻 p.440(DK570195k)
是月栄一、「大隈侯八十五年史」ノ序文ヲ撰ス。
款 [--] 5. 大倉喜八郎
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年4月2日
(1911年)
第57巻 p.440(DK570196k)
是日栄一、赤坂葵町ノ本邸ニ、大倉喜八郎ノ病床ヲ訪フ。
大正2年10月23日
(1913年)
第57巻 p.440-441(DK570197k)
是日、大倉美術館構内ニ於テ、大倉喜八郎ノ寿像除幕式挙行セラル。栄一出席シテ、祝辞ヲ述ブ。
大正2年
(1913年)
第57巻 p.441(DK570198k)
是年、大倉喜八郎、喜寿ノ記念トシテ、知人ヨリ贈ラレタル祝賀ノ詩文書画ヲ一巻トシテ印行ス。栄一、ソノ題言ヲ撰ス。
大正4年4月15日
(1915年)
第57巻 p.441-444(DK570199k)
是日栄一、向島大倉喜八郎別邸ノ感涙会ニ出席ス。
大正4年7月4日
(1915年)
第57巻 p.444-445(DK570200k)
是日栄一、大倉美術館構内ニ建設ノ鶴彦翁略伝碑建碑式ニ列ス。
大正9年4月8日
(1920年)
第57巻 p.445-446(DK570201k)
是日栄一、向島大倉喜八郎別邸ノ感涙会ニ出席ス。
大正10年4月23日
(1921年)
第57巻 p.446(DK570202k)
是日栄一、帝国劇場内ニ設置ノ大倉喜八郎寿像除幕式ニ列シ、祝辞ヲ述ブ。
大正13年9月9日
(1924年)
第57巻 p.446(DK570203k)
是日栄一、鶴友会編纂ノ「大倉鶴彦翁」ノ序文ヲ撰ス。
昭和3年4月8日
(1928年)
第57巻 p.446-448(DK570204k)
是日栄一、向島大倉喜八郎別邸ノ感涙会ニ出席シ、病中ノ大倉喜八郎ト懇談ス。
昭和3年4月18日
(1928年)
第57巻 p.448-450(DK570205k)
是日栄一、赤坂ノ本邸ニ大倉喜八郎ノ病床ヲ見舞フ。二十二日大倉喜八郎逝ク。二十八日葬儀ニ際シ、栄一、嫡孫敬三ヲ代理トシテ参列セシム。
款 [--] 6. 古河家
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年10月20日
(1911年)
第57巻 p.450-451(DK570206k)
是日栄一、浜町常盤屋ニ於テ開カレタル、古河虎之助叙勲祝宴ニ出席ス。
大正15年3月
(1926年)
第57巻 p.451(DK570207k)
是月栄一、「古河市兵衛翁伝」ノ序文ヲ撰ス。
款 [--] 7. 三井家
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第57巻 p.451-453(DK570208k)
--
款 [--] 8. 清水家
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第57巻 p.453-456(DK570209k)
--
款 [--] 9. 浅野総一郎
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年5月9日
(1911年)
第57巻 p.456-457(DK570210k)
是日栄一、浅野総一郎邸ニ於ケル園遊会ニ出席シ、来賓ヲ代表シテ謝辞ヲ述ブ。
大正4年7月5日
(1915年)
第57巻 p.457(DK570211k)
是日栄一、浅野総一郎長男泰治郎ト板垣退助女千代子トノ結婚ノ媒妁ヲナス。
大正5年5月22日
(1916年)
第57巻 p.457(DK570212k)
是日栄一、浅野総一郎次男良三ト武田恭作女寿子トノ結婚ノ媒妁ヲナス。
大正8年3月5日
(1919年)
第57巻 p.457-458(DK570213k)
是日栄一、浅野総一郎三男八郎ト若尾璋八女富美トノ結婚ノ媒妁ヲナスベキトコロ、病気ノタメ婚儀ニ列スルコトヲ得ズ。
大正12年6月7日
(1923年)
第57巻 p.458(DK570214k)
是日栄一、浅野総一郎氏寿像建設会ノ会長トナル。十三年五月十八日、横浜市子安ケ岡ニ於テ、同寿像除幕式挙行セラレ、栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
昭和5年11月9日
(1930年)
第57巻 p.458-462(DK570215k)
是日、浅野総一郎逝ク。栄一、夫人兼子ト共ニ同家ヲ弔問ス。十三日栄一、其葬儀ニ参列ス。
款 [--] 10. 岩崎家
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第57巻 p.462-463(DK570216k)
--
款 [--] 11. 益田孝
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正15年3月11日
(1926年)
第57巻 p.463(DK570217k)
是日、益田孝夫人栄子ノ告別式、青山斎場ニ行ハル。栄一参列ス。
昭和4年8月
(1929年)
第57巻 p.463(DK570218k)
是月栄一、益田孝ト共同シテ、上野公園内ニグラント将軍植樹記念碑ヲ建設スルコトヲ決シ、翌五年五月落成ス。
款 [--] 12. 皆川四郎
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年6月30日
(1910年)
第57巻 p.463-464(DK570219k)
是日栄一、皆川四郎ノ病気ヲ見舞フ。
款 [--] 13. 梅浦精一
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年3月6日
(1910年)
第57巻 p.464(DK570220k)
是日栄一、大磯ノ梅浦精一別荘ニ赴キ、九日帰京ス。
明治45年3月16日
(1912年)
第57巻 p.464-465(DK570221k)
是日栄一、大磯ニ於テ、病気療養中ノ梅浦精一ヲ見舞フ。十七日、梅浦精一逝ク。二十二日栄一、浅草本願寺ニ於ケル葬儀ニ参列ス。
款 [--] 14. 佐々木勇之助
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年4月29日
(1911年)
第57巻 p.465(DK570222k)
是日栄一、精養軒ニ開カレタル佐々木家婚儀披露会ニ出席ス。
大正4年4月15日
(1915年)
第57巻 p.465(DK570223k)
是日栄一、本郷ノ佐々木家ヲ訪ヒ、婚儀ニツキ祝詞ヲ述ブ。
大正4年4月25日
(1915年)
第57巻 p.465-466(DK570224k)
是日栄一、帝国ホテルニ於テ開カレタル佐々木勇之助還暦祝賀会ニ出席シ、懐旧演説ヲナス。
大正13年2月11日
(1924年)
第57巻 p.466(DK570225k)
是日栄一、帝国ホテルニ於テ開カレタル、佐々木勇之助古稀寿祝賀会ニ出席シ、祝辞ヲ述ブ。
昭和6年11月11日
(1931年)
第57巻 p.466-468(DK570226k)
是日、栄一歿ス。佐々木勇之助、葬儀委員長トナル。
款 [--] 15. 三島毅
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年1月
(1910年)
第57巻 p.468-469(DK570227k)
是月、三島毅、栄一ノ古稀ヲ祝シ、栄一所蔵ノ論語算盤之図ニ題スル一文ヲ草ス。
明治43年8月15日
(1910年)
第57巻 p.469-470(DK570228k)
栄一、日本女子大学校校長成瀬仁蔵等ト共ニ、女子高等教育奨励ノタメ信越地方ヲ巡歴、是日上諏訪ニアリ。偶々同地ニアリシ三島毅、東京帝室博物館総長股野琢等ト湖上ニ舟遊シ、交々詩ヲ賦ス。
明治43年11月3日
(1910年)
第57巻 p.470-471(DK570229k)
是ヨリ先、栄一ヨリ三島毅ニ撰文ヲ依嘱セル、移建愛蓮堂記及ビ祭枯松ノ二文ノ稿成ル。是日栄一、之ヲ揮毫ス。
大正3年5月2日
(1914年)
第57巻 p.471-472(DK570230k)
是日栄一、中国旅行ノ途ニ上ル。三島毅、送別ノ詩ヲ賦ス。
大正5年1月9日
(1916年)
第57巻 p.472-473(DK570231k)
是月四日、栄一、第三回米国旅行ヨリ帰国ス。是日三島毅、之ヲ祝シテ詩ヲ贈ル。
大正5年8月
(1916年)
第57巻 p.473(DK570232k)
是年五月、栄一喜寿ヲ期トシテ実業界ヨリ引退ス。是月三島毅、是ヲ祝シテ賀詩ヲ贈ル。
大正6年6月3日
(1917年)
第57巻 p.473-474(DK570233k)
是日、赤坂三会堂ニ於テ、中洲先生米寿祝賀会開催セラル。栄一、二松義会会長トシテ出席、シ祝辞ヲ述ブ。
大正8年5月15日
(1919年)
第57巻 p.474(DK570234k)
是月十二日、三島毅逝ク。是日葬儀ニ際シ、栄一、青山斎場ニ於テ弔辞ヲ述ブ。
款 [--] 15. 三島毅 補遺
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治15年8月5日
(1882年)
第57巻 p.474-477(DK570235k)
是ヨリ先栄一、亡母ゑい招魂碑ノ文案並ニ亡妻千代子墓碑ノ撰文ヲ三島毅ニ依嘱ス。
是日及ビ爾後数次ニ亘リ三島毅、右ニ関シテ、栄一ニ書翰ヲ送ル。
明治38年11月18日
(1905年)
第57巻 p.477-478(DK570236k)
是日栄一、三島毅・中村秋香等ヲ飛鳥山邸ニ招待シテ、観楓会ヲ催ス。
明治40年5月6日
(1907年)
第57巻 p.478-479(DK570237k)
是日栄一、三島毅ヲ飛鳥山邸ニ招キテ、庭園ノ牡丹ヲ賞ス。
明治40年7月
(1907年)
第57巻 p.479-480(DK570238k)
是ヨリ先、栄一、三島毅ニ尾高惇忠頌徳碑ノ撰文ヲ依嘱シ、是月ソノ稿成ル。
款 [--] 16. 水野幸吉
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年3月28日
(1910年)
第57巻 p.480-486(DK570239k)
是日栄一、飛鳥山邸ニ於テアメリカ合衆国ニュー・ヨーク駐在日本総領事水野幸吉ノ送別会ヲ催ス。
大正3年6月16日
(1914年)
第57巻 p.486(DK570240k)
是日栄一、青山斎場ニ於ケル、水野幸吉ノ葬儀ニ参列ス。
大正4年6月16日
(1915年)
第57巻 p.486-487(DK570241k)
是日栄一、帝国ホテルニ於ケル、水野幸吉追悼会ニ出席シデ追悼演説ヲナス。
款 [--] 17. 徳川昭武
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年7月3日
(1910年)
第57巻 p.487(DK570242k)
是日、徳川昭武逝去ス。四日栄一、同家ヲ弔問シ、十日、谷中斎場ニ於ケル葬儀ニ参列ス。
款 [--] 18. 牛島謹爾
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正2年4月
(1913年)
第57巻 p.487-488(DK570243k)
是月栄一、アメリカ合衆国カリフォルニア州在住ノ牛島謹爾ノタメニ、「別天地園記」ヲ撰書ス。
大正15年1月
(1926年)
第57巻 p.488-493(DK570244k)
是ヨリ先、牛島謹爾、ソノ著「別天詩稿」ノ序文ヲ栄一ニ乞フ。是月栄一、右跋文並ニ題言ヲ寄ス。同詩集ハ是年三月牛島歿後、東京ニ於テ、栄一ノ尽力ニヨリ刊行セラル。
大正15年3月15日
(1926年)
第57巻 p.493-497(DK570245k)
是日栄一、牛島謹爾危篤ノ報ニ接シ、見舞ノ電報ヲ発ス。二十八日死去ノ報ニ接シ、弔電ヲ発ス。
大正15年5月12日
(1926年)
第57巻 p.497(DK570246k)
是日栄一、日本工業倶楽部ニ於テ挙行セラレタル、牛島謹爾追悼会ニ出席シ、追悼式後ノ演説会ニ於テ、司会並ニ追悼演説ヲナス。
大正15年9月2日
(1926年)
第57巻 p.497-502(DK570247k)
是日栄一、牛島謹爾ノ遺族ヲ飛鳥山邸ニ招キテ懇談シ、爾後種々助力ス。
昭和2年3月
(1927年)
第57巻 p.502-510(DK570248k)
是月栄一、牛島謹爾ノ碑文ヲ撰書ス。
款 [--] 19. 中野武営
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正7年10月12日
(1918年)
第57巻 p.510-514(DK570249k)
是日、青山斎場ニ於テ、中野武営ノ葬儀行ハレ、栄一、葬儀委員長トシテ告別ノ辞ヲ述ブ。
款 [--] 20. 和田豊治
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正11年5月23日
(1922年)
第57巻 p.514(DK570250k)
是日、栄一嫡孫敬三、和田豊治夫妻ノ媒妁ニヨリ、木内重四郎次女登喜子ト結婚式ヲ挙グ。
大正11年11月23日
(1922年)
第57巻 p.514-516(DK570251k)
是日栄一、和田豊治ニソノ手写シタル孝経ヲ贈ル。
大正13年3月4日
(1924年)
第57巻 p.516-517(DK570252k)
是日、和田豊治逝ク。八日栄一、麻布飯倉ノ同邸ニ於ケル告別式ニ列ス。
大正13年6月4日
(1924年)
第57巻 p.517(DK570253k)
是日栄一、日本女子大学校ニ於ケル、故和田豊治追悼会ニ出席シ、追悼演説ヲナス。
大正13年6月15日
(1924年)
第57巻 p.517-519(DK570254k)
是日栄一、日本工業倶楽部ニ於テ開カレタル、和田豊治母堂米寿祝賀会ニ出席シ、発起人総代トシテ祝辞ヲ述ブ。
大正14年3月
(1925年)
第57巻 p.519(DK570255k)
栄一、是月発行セル三木作次郎編纂「偉人和田豊治翁」ノ題字トシテ「至誠不息」ノ四字ヲ揮毫ス。
款 [--] 21. 其他ノ交遊関係 [1]相楽総三関係
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正1月-2年
(1922-1923年)
第57巻 p.519-525(DK570256k)
栄一、木村亀太郎ノ来訪ヲ受ク。木村ハ明治維新ノ際、祖父相楽総三及ビ其部下ガ偽官軍ノ汚名ノ下ニ処刑セラレタル冤ヲ雪ガンタメ年来努力セル者ナリ。栄一助力ヲ約ス。
款 [--] 21. 其他ノ交遊関係 [2]其他ノ諸資料
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第57巻 p.525-544(DK570257k)
--
6章 旅行
1節 国内旅行
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年3月5日
(1910年)
第57巻 p.545(DK570258k)
是日栄一、静岡商業会議所ノ招キニヨリ、東京ヲ発シ静岡ニ赴キ、県立商品陳列所ニ於テ、渡米旅行談ヲナシ、帰途大磯ニ立寄リ、七日帰京ス。
明治43年4月4日
(1910年)
第57巻 p.545(DK570259k)
是日栄一、埼玉県大里郡八基村ニ赴キ、八基尋常高等小学校ニ開カレタル同村教育会総会、並ニ尚歯会ニ出席、教育会ヨリ頌徳状ヲ贈ラル。栄一謝辞ヲ述ブ。
明治43年4月9日
(1910年)
第57巻 p.546-552(DK570260k)
是日栄一、東京ヲ発シ名古屋ニ赴キ、渡米実業団第一回記念会ニ出席、中津・四日市ヲ経テ宇治山田ニ到リ両宮ニ参拝、吉野山・高野山ヲ訪ヒ、更ニ大阪・神戸・京都ニ赴キ、関係事業ヲ視察シ、二十七日帰京ス。
明治43年5月21日
(1910年)
第57巻 p.552-553(DK570261k)
是日栄一、東京ヲ発シ名古屋ニ赴キ、共進会ヲ観覧、愛知県県会議事堂ニ於ケル、全国感化救済事業大会ニ出席シテ演説ヲナシ、二十三日帰京ス。
明治43年6月2日
(1910年)
第57巻 p.553-556(DK570262k)
是日栄一、東京ヲ発シ桐生・足利・館林ニ赴キ、各所ニ於テ講演ヲナシ、四日帰京ス。
明治43年8月4日
(1910年)
第57巻 p.556-557(DK570263k)
是日栄一、東京ヲ発シ、日本女子大学校ヘノ寄付金募集並ニ女子教育振興ノタメ、信越地方ニ赴キ、十六日帰京ス。
明治43年9月4日
(1910年)
第57巻 p.557(DK570264k)
是日栄一、埼玉県川越町ニ赴キ、埼玉学友会川越支部ノ講演会ニ臨ミ、演説ヲナシ、即日帰京ス。
明治43年9月5日
(1910年)
第57巻 p.557(DK570265k)
是日栄一、臨時水害救済会ノ寄付金募集ノタメ、東京ヲ発シ、大阪・神戸・京都及ビ名古屋ニ赴キ、十一日帰京ス。
明治43年10月4日
(1910年)
第57巻 p.557-558(DK570266k)
是日栄一、東京ヲ発シ前橋ニ赴キ、共進会ヲ観覧、同会場ニ於ケル一府十四県商業会議所聯合会ニ出席シテ演説ヲナシ、五日帰京ス。
明治44年3月7日
(1911年)
第57巻 p.558(DK570267k)
是日栄一、東京ヲ発シ大阪ニ赴キ、岩本栄之助ノ公益事業ニ対スル寄付金発表ノ会合及ビ国学院大学維持資金募集講会ニ出席シテ挨拶ヲ述ベ、十日帰京ス。
明治44年5月14日
(1911年)
第57巻 p.558-559(DK570268k)
是日栄一、東京ヲ発シ、日本女子大学校ヘノ寄付金募集並ニ女子教育振興ノタメ、大阪・神戸・岡山・京都ノ各地ニ赴キ、二十二日帰京ス。
明治44年10月15日
(1911年)
第57巻 p.559(DK570269k)
是日栄一、東京ヲ発シ伊勢崎ニ赴キ、同地伊勢崎尋常高等小学校ニ於ケル、佐波教育会講演会ニ臨ミテ演説ヲナシ、十六日帰京ス。
明治45年4月14日
(1912年)
第57巻 p.559-560(DK570270k)
是日栄一、東京ヲ発シ埼玉県越生町ニ赴キ、同地小学校ニ於テ、銀行関係者及ビ織物業者等ノタメ演説ヲナシ、更ニ黒山ニ赴キテ、渋沢平九郎ノ遺跡ヲ探リ、十五日帰京ス。
明治45年4月15日
(1912年)
第57巻 p.560-561(DK570271k)
是日栄一、東京ヲ発シ大阪ニ赴キ、関西銀行大会及ビ其他ノ会合ニ出席、大阪築港及ビ神戸大倉山ヲ視察シ、十八日帰京ス。
明治45年4月20日
(1912年)
第57巻 p.561-563(DK570272k)
是日栄一、東京ヲ発シ仙台ニ赴キ、奥羽同盟銀行大会ニ出席シテ演説ヲナシ、更ニ、仙台商業学校講堂及ビ県会議事堂ニ於テ、ソレゾレ演説ヲナシ二十三日帰京ス。
明治45年4月28日
(1912年)
第57巻 p.563(DK570273k)
是日栄一、東京ヲ発シ埼玉県粕壁町ニ赴キ、粕壁中学校父兄会ニ於テ講演ヲナシ、即日帰京ス。
大正2年3月23日
(1913年)
第57巻 p.563(DK570274k)
是日栄一、東京ヲ発シ静岡県島田町ニ赴キ、修養団島田支部一週年紀念大会ニ出席、二十四日帰京ス。
大正2年7月27日
(1913年)
第57巻 p.563-564(DK570275k)
是日栄一、東京ヲ発シ長瀞ニ赴キ、二十八日帰京ス。
大正2年10月1日
(1913年)
第57巻 p.564(DK570276k)
是日栄一、東京ヲ発シ栃木県宇都宮市ニ赴キ、日光東照宮三百年祭奉斎会下野支部発会式ニ出席シ、同奉斎会創立ノ趣旨ヲ演説シ、即日帰京ス。
大正2年10月7日
(1913年)
第57巻 p.564-570(DK570277k)
是日栄一、東京ヲ発シ飯能・川越ニ赴キ、八日帰京ス。
大正2年10月12日
(1913年)
第57巻 p.570-572(DK570278k)
是日栄一、東京ヲ発シテ西下シ、比叡山延暦寺ニ於ケル慈覚大師千五十年忌法会ニ参列シ、桃山御陵ニ参拝シ、伏見商業会議所ニ於テ演説ヲナシ、十六日帰京ス。
大正3年1月31日
(1914年)
第57巻 p.572(DK570279k)
是日栄一、東北九州災害救済会寄付金募集ノタメ、東京ヲ発シ、大阪・神戸・京都及ビ名古屋ニ赴キ、二月八日帰京ス。
大正3年3月14日
(1914年)
第57巻 p.572(DK570280k)
是日栄一、東京ヲ発シ名古屋ニ赴キ、市立名古屋商業学校創立三十年記念祝典ニ出席シ、十六日帰京ス。
大正3年10月10日
(1914年)
第57巻 p.572(DK570281k)
是日栄一、郷里血洗島ニ赴キ、村社諏訪神社ノ祭典ニ参列シ、渋沢市郎宅ニ一泊ス。
大正4年4月2日
(1915年)
第57巻 p.572-578(DK570282k)
是日栄一、国産奨励会ノ用件其他ノタメ、東京ヲ発シ、大阪・神戸・京都及ビ名古屋等ノ各地ニ赴キ、十四日帰京ス。
大正4年4月18日
(1915年)
第57巻 p.578(DK570283k)
是日栄一、東京ヲ発シ興津ニ赴キ、井上馨別邸ニ於ケル園遊会ニ出席シ、更ニ静岡ニ赴キ、静岡県教育会ニ於テ講演ヲナシ、十九日帰京ス。
大正4年4月24日
(1915年)
第57巻 p.578(DK570284k)
是日栄一、東京ヲ発シ千葉市ニ赴キ、同市ニ於テ開カレタル関東・東北・北海道感化院長協議会ニ出席シ、感化事業ニツイテ演説シ、即日帰京ス。
大正4年6月2日
(1915年)
第57巻 p.578(DK570285k)
是日栄一、東照宮三百年祭参列ノタメ、東京ヲ発シ日光ニ赴キ、四日帰京ス。
大正4年9月29日
(1915年)
第57巻 p.578-594(DK570286k)
是日栄一、第一銀行広島及ビ熊本支店開設披露ソノ他ノタメ、東京ヲ発シ神戸・松山・広島・熊本ニ赴キ、帰途大阪・京都ニ立寄リ、十月十一日帰京ス。
大正5年5月28日
(1916年)
第57巻 p.594(DK570287k)
是日栄一、東京ヲ発シ水戸市ニ赴キ、同市ニ開カレタル関東・東北・北海道感化院長協議会ニ出席、感化事業ニ対スル所感ヲ演説シ、翌二十九日、県立商業学校ニ於テ演説シテ帰京ス。
大正5年9月26日
(1916年)
第57巻 p.594(DK570288k)
是日栄一、郷里血洗島ニ赴キ、翌二十七日、村社諏訪神社ノ拝殿落成奉告祭ニ出席シ、演説ノ後、記念植樹ヲナシ、二十八日帰京ス。
大正5年10月1日
(1916年)
第57巻 p.594(DK570289k)
是日栄一、郷里血洗島ニ赴キ、村社諏訪神社境内ニ建設セラレタル、栄一ノ喜寿碑除幕式ニ出席シ、謝辞ヲ述ブ。
大正5年10月7日
(1916年)
第57巻 p.595(DK570290k)
是日栄一、東京ヲ発シ、第一銀行頭取辞任披露ノタメ神戸ニ赴キ、八日、同地ニテソノ披露会ヲ開キ、引続キ大阪・京都・名古屋ニ於テ同様開催ノ予定ナリシモ、健康ヲ害シ、十四日帰京ス。
大正6年3月14日
(1917年)
第57巻 p.595(DK570291k)
是日栄一、東京ヲ発シ、聯合国傷病兵罹災者慰問会寄付金募集及ビ第一銀行頭取辞任披露ノタメ、神戸・大阪・京都・名古屋ノ各地ニ赴キ、二十三日帰京ス。
大正6年5月14日
(1917年)
第57巻 p.595-623(DK570292k)
是日栄一、東京ヲ発シ長野地方ニ赴キ、小諸・上田・長野・松本・岡谷・上諏訪ノ各地ニ於テ講演ヲナシ、十九日帰京ス。
大正6年6月8日
(1917年)
第57巻 p.623-624(DK570293k)
是日栄一、東京ヲ発シ千葉県船形町ニ赴キ、東京市養育院安房分院ニ於ケル、楽翁祭並ニ増築落成式・磨崖碑竣工式ニ出席シ、挨拶ヲ述べ、翌九日、安房中学ニ於テ講演ヲナシ、帰京ス。
大正6年7月8日
(1917年)
第57巻 p.624-627(DK570294k)
是日栄一、東京ヲ発シ群馬県高崎市ニ赴キ、同地高盛座ニ開カレタル報知講演会ニ出席、講演ヲナシ、即日帰京ス。
大正6年9月8日
(1917年)
第57巻 p.627-628(DK570295k)
是日栄一、東京ヲ発シ埼玉県浦和町ニ赴キ、同地武徳殿ニ開カレタル報知講演会ニ出席、講演ヲナシ、即日帰京ス。
大正6年10月6日
(1917年)
第57巻 p.628-630(DK570296k)
是日栄一、東京ヲ発シテ東北地方巡回ノ途ニ就キ、十八日間ニ亘リ、各方面ノ視察ヲナスト共ニ、各地ニ於テ、東北振興ニ関シ演説ヲナシ、二十三日帰京ス。
大正6年―昭和4年
(1917-1929年)
第57巻 p.630-631(DK570297k)
此間ニ於テ、栄一、屡々村社諏訪神社祭礼ニ列席ノタメ郷里血洗島ニ赴ク。
大正7年3月10日
(1918年)
第57巻 p.631(DK570298k)
是日栄一、東京ヲ発シ群馬県前橋市ニ赴キ、同市貴賓館ニ於ケル上毛孤児院主金子尚雄表彰祝賀会ニ出席、講演ヲナシ、即日帰京ス。
大正7年5月4日
(1918年)
第57巻 p.631-644(DK570299k)
是日栄一、東京ヲ発シ名古屋ニ赴キ、伊賀上野・山田・鳥羽・四日市ヲ経テ、九日帰京ス。
大正7年5月14日
(1918年)
第57巻 p.644(DK570300k)
是日栄一、東京ヲ発シ埼玉県松山町ヘ赴キ、同地城恩寺ニ開カレタル埼玉育児院第一回社員総会ニ出席、演説ヲナシ、即日帰京ス。
大正7年5月19日
(1918年)
第57巻 p.644-650(DK570301k)
是日栄一、東京ヲ発シ横浜ニ赴キ、横浜毎朝新報社主催講演会ニ出席、講演ヲナシ、即日帰京ス。
大正7年6月4日
(1918年)
第57巻 p.650-652(DK570302k)
是日栄一、東京ヲ発シ富山・高岡・金沢・福井等ノ各地ニ赴キ、十二日帰京ス。
大正7年12月8日
(1918年)
第57巻 p.652(DK570303k)
是日栄一、小室翠雲ノ招待ヲ請ケ、国府津ヲ経テ箱根湯本ニ赴キ、即日帰京ス。
大正9年4月2日
(1920年)
第57巻 p.652(DK570304k)
是日栄一、東京ヲ発シ静岡県鈴川町ニ赴キ、産業大会ニ於テ講演ヲナシ、三日帰京ス。
大正9年9月26日
(1920年)
第57巻 p.652-653(DK570305k)
是日栄一、埼玉県大里郡八基村ニ赴ク。途次、先キニ揮毫建碑ナリタル福島都三郎頌徳碑ヲ埼玉県児玉郡丹荘村元阿保ニ見、丹荘尋常小学校ニ於テ講演ヲナシ、次イデ八基村ニ於テモ同村教育会ニ於テ講演ヲナス。二十八日帰京ス。
大正10年4月10日
(1921年)
第57巻 p.653-665(DK570306k)
是日栄一、東京ヲ発シ、聖徳太子千三百年御遠忌法要ニ参列ノタメ奈良ニ赴キ、大阪・京都等ヲ経テ、十七日帰京ス。
大正10年6月16日
(1921年)
第57巻 p.665(DK570307k)
是日栄一、東京ヲ発シ千葉県船形町ニ赴キ、同地ニ於ケル東京市養育院安房分院開設十二周年記念会ニ出席、演説ヲナス。同夜、館山海岸ホテルニ、船形町其他ノ分院関係者ヲ招キテ晩餐会ヲ開ク。
大正10年9月27日
(1921年)
第57巻 p.665-666(DK570308k)
是日栄一、郷里血洗島ニ赴キ、村立青淵図書館ニ開カレタル、八基村青年団血洗島支部主催敬老会ニ出席、演説ヲナシ、二十八日帰京ス。
大正11年4月23日
(1922年)
第57巻 p.666(DK570309k)
是日栄一、東京ヲ発シ埼玉県不動岡村ニ赴キ、同地総願寺境内ニ建設セラレタル栄一揮毫来遊記念論語碑ヲ見、後、加須町ニ立寄リ、同町小学校ニ於テ米国旅行並ニ日米関係ニツキ講演シ、即日帰京ス。
大正11年4月25日
(1922年)
第57巻 p.666-667(DK570310k)
是日栄一、東京ヲ発シ中央銀行大会ニ出席ノタメ名古屋ニ赴キ、二十七日帰京ス。
大正11年6月12日
(1922年)
第57巻 p.667(DK570311k)
是日栄一、東京ヲ発シ福島県白河町ニ赴キ、南湖神社遷座式ニ列シ、翌十三日、鎮座祭ニ出席、更ニ共楽亭ニテ楽翁公頌徳ノ講演ヲナシ、帰京ス。
大正11年6月15日
(1922年)
第57巻 p.667(DK570312k)
是日栄一、東京ヲ発シ埼玉県川口町ニ赴キ、みつえ会主催ノ精神講話会ニ於テ、講演ヲナシ、即日帰京ス。
大正11年6月16日
(1922年)
第57巻 p.667-668(DK570313k)
是日栄一、東京ヲ発シ千葉県船形町ニ赴キ、東京市養育院安房分院ノ開設記念会ニ出席シ、十七日帰京ス。
大正11年7月2日
(1922年)
第57巻 p.668-676(DK570314k)
是日栄一、東京ヲ発シ埼玉県忍町ニ赴キ、同町商工会及ビ信用組合主催ノ講演会ニ於テ、講演ヲナシ、即日帰京ス。
大正11年7月9日
(1922年)
第57巻 p.676(DK570315k)
是日栄一、東京ヲ発シ埼玉県大宮町ニ赴キ、大宮遊園地ホテルニ開カレタル、同町青年団主催時事講演会ニ出席、自身ノ閲歴並ニ内外時事ニ関スル演説ヲナシ、即日帰京ス。
大正11年10月23日
(1922年)
第57巻 p.676-677(DK570316k)
是日栄一、故大隈侯爵記念事業後援会ノ要務ニヨリ東京ヲ発シ、大阪・神戸・京都・名古屋ヲ歴巡、二十八日帰京ス。
大正12年6月16日
(1923年)
第57巻 p.677(DK570317k)
是日栄一、東京ヲ発シ千葉県船形町ニ赴キ、東京市養育院安房分院ノ開設記念会ニ出席シ、十七日帰京ス。
大正13年4月3日
(1924年)
第57巻 p.677(DK570318k)
是日栄一、埼玉県大里郡八基村ニ赴キ、同村教育会総会ニ出席、演説ヲナシ、即日帰京ス。
大正13年10月27日
(1924年)
第57巻 p.677(DK570319k)
是日栄一、東京ヲ発シ福島市ニ赴キ、東北振興会支部聯合第一回大会後、同市公会堂ニ開カレタル市主催ノ招宴ニ出席、演説ヲナス。二十八日、白河町南湖神社ニ参拝、帰京ス。
大正13年11月9日
(1924年)
第57巻 p.677-678(DK570320k)
是日栄一、東京ヲ発シ千葉県北条町ニ赴キ、善導館開館式ニ列席シ、十日、東京市養育院安房分院ヲ視察ノ上帰京ス。
大正13年11月17日
(1924年)
第57巻 p.678(DK570321k)
是日栄一、東京ヲ発シ郷里八基村ニ赴キ、同村農会農政談話会ニ出席シ、十八日帰京ス。
大正15年9月27日
(1926年)
第57巻 p.678-679(DK570322k)
是日栄一、郷里血洗島ニ赴キ、諏訪神社ニ参拝ノ後、青淵図書館付属ノ記念書庫落成式ニ出席シ、
二十八日帰京ス。
大正15年11月6日
(1926年)
第57巻 p.679(DK570323k)
是日栄一、東京ヲ発シ埼玉県浦和町ニ赴キ、同地ニ建設セラレタル埼玉会館開館式ニ出席、祝辞ヲ述ベ、即日帰京ス。
昭和2年6月16日
(1927年)
第57巻 p.679(DK570324k)
是日栄一、東京ヲ発シ千葉県船形町ニ赴キ、東京市養育院安房分院ノ開設記念会ニ出席シ、十七日帰京ス。
昭和2年9月30日
(1927年)
第57巻 p.679(DK570325k)
是日栄一、東京ヲ発シ、静岡県修善寺ニ赴キ一泊、翌十月一日、下田町玉泉寺境内ニ建設セラレタル、タウンゼンド・ハリス記念碑除幕式ニ出席シ、演説ヲナス。二日帰京ス。
昭和2年10月22日
(1927年)
第57巻 p.680(DK570326k)
是日栄一、埼玉県大里郡八基村ニ赴キ、同村大字北阿賀野、稲荷神社境内ニ建設セラレタル桃井可堂碑除幕式ニ出席シ、八基尋常小学校ニ於テ演説ヲナス。次イデ栄一ノ米寿祝賀記念品献呈式挙行サル。二十三日帰京ス。
2節 外国旅行
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治42年8月19日
(1909年)
第57巻 p.681(DK570327k)
是日栄一、渡米実業団一行ト共ニ、横浜ヲ出航、九月一日シアトルニ上陸、アメリカ合衆国各地ヲ巡歴ノ上、十一月三十日サン・フランシスコヲ発シ、十二月十七日横浜ニ帰着ス。
大正3年5月2日
(1914年)
第57巻 p.681(DK570328k)
是日栄一、神戸ヲ出航、六日上海ニ上陸、南京・北京・天津・大連等ノ各地ヲ巡歴ノ上、六月二日旅順ヨリ乗船、四日下関ニ帰着ス。
大正4年10月23日
(1915年)
第57巻 p.681(DK570329k)
是日栄一、横浜ヲ出航、十一月八日サン・フランシスコニ上陸、アメリカ合衆国各地ヲ巡歴ノ上、十二月十八日サン・フランシスコヲ発シ、ホノルル経由、五年一月四日横浜ニ帰着ス。
大正10年10月13日
(1921年)
第57巻 p.681(DK570330k)
是日栄一、横浜ヲ出航、二十九日サン・フランシスコニ上陸、シカゴ、ニュー・ヨークヲ経テワシントンニ到リ、軍縮会議日本全権委員並ニ大統領ウォーレン・ジー・ハーディング其他ニ面会シ、各地ヲ巡歴ノ上、十一年一月十日サン・フランシスコヲ発シ、ホノルル経由、三十日横浜ニ帰着ス。
3節 避暑・避寒・保養旅行
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年―昭和5年
(1910-1930年)
第57巻 p.682-702(DK570331k)
是間栄一、毎年、避暑・避寒又ハ病後保養等ノタメ、大磯・湯河原・箱根・伊香保又ハ塩原ニ赴ク。
7章 実業界引退
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正5年7月25日
(1916年)
第57巻 p.703(DK570332k)
是ヨリ先栄一、古稀ニ際シ、第一銀行及ビ東京貯蓄銀行ヲ除ク関係諸会社ノ職ヲ辞セシガ、是年喜寿ニ達シタルヲ機トシ、是日第一銀行頭取ヲ、次イデ二十六日、東京貯蓄銀行取締役会長及ビ東京銀行集会所会長ヲ辞シ、実業界ヨリ全ク引退ス。
大正5年10月6日
(1916年)
第57巻 p.703(DK570333k)
是日栄一、帝国ホテルニ於テ、第一銀行頭取辞任披露会ヲ開キ、引退ノ挨拶ヲ述ブ。次イデ神戸・大阪・京都・名古屋ニ於テ同様披露会ヲ開キ、挨拶ヲ述ブ。
大正5年11月15日
(1916年)
第57巻 p.703(DK570334k)
是日、東京銀行集会所・東京交換所・東京銀行倶楽部ノ三団体連合シ、栄一ヲ東京銀行集会所ニ招キテ晩餐会ヲ開キ、多年銀行業ニ尽瘁セル栄一ノ労ヲ慰ム。栄一、出席シテ謝辞ヲ述ブ。
大正6年4月21日
(1917年)
第57巻 p.703-707(DK570335k)
是日、京浜間ノ実業家及ビ其他ノ有志四百余名ハ、栄一及ビ其一族ヲ帝国ホテルニ招待シテ、発起人総代中野武営、栄一ノ実業界ニ於ケル多年ノ功労ニ対スル感謝状ヲ朗読シ、且ツ記念品ヲ贈呈ス。
8章 雨夜譚会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正15年10月15日
(1926年)
第57巻 p.708-715(DK570336k)
是ヨリ先、栄一嫡孫敬三ノ主唱ニヨリ、栄一ノ回想談ヲ記録スルタメ、雨夜譚会企画セラレ、是日、飛鳥山邸ニ於テ、其第一回催サル。爾後昭和五年七月ニ至ルマデ、回ヲ重ヌルコト三十一回ニ及ブ。
9章 終焉
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和6年10月14日
(1931年)
第57巻 p.716-719(DK570337k)
是ヨリ先栄一、大腸狭窄症ノタメ、飛鳥山邸ニ於テ療養中ナリシガ、是日、邸内ニ於テ、東京帝国大学教授塩田広重執刀ノ下ニ腹部切開手術ヲ受ク。
昭和6年10月31日
(1931年)
第57巻 p.719-722(DK570338k)
是日、主治医入沢達吉ノ名ヲ以テ、栄一ノ容態ヲ親戚及ビ知人ニ通知シ、同時ニ、日本電報通信社ヲ通ジテ各新聞社ニ発表ス。
昭和6年11月1日
(1931年)
第57巻 p.723-728(DK570339k)
是日、皇后陛下ヨリ栄一ノ病気御尋トシテ、野菜一籠ヲ賜フ。二日、皇太后陛下ヨリ菊花・鶉卵・果物・牛乳ヲ賜フ。
昭和6年11月8日
(1931年)
第57巻 p.728-730(DK570340k)
是日栄一、長男篤二ヲ通ジテ、病気見舞ノタメニ来訪ノ郷誠之助・佐々木勇之助・石井健吾其他ノ財界有力者ニ告別ノ辞ヲ伝フ。
昭和6年11月9日
(1931年)
第57巻 p.730-733(DK570341k)
是日、天皇皇后両陛下ヨリ病気御尋トシテ、葡萄酒一打ヲ賜ヒ、又侍医ヲ差遣セラル。
昭和6年11月10日
(1931年)
第57巻 p.733-735(DK570342k)
是日栄一、特旨ヲ以テ位一級ヲ進メラレ正二位ニ叙セラル。
昭和6年11月11日
(1931年)
第57巻 p.735-738(DK570343k)
是日午前一時五十分、栄一逝ク。享年九十二、法諡シテ泰徳院殿仁智義譲青淵大居士ト曰フ。
同日午後、勅使並ニ皇后宮御使・皇太后宮御使ヲ飛鳥山邸ニ差遣セラル。
10章 葬儀・法要
1節 葬儀
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和6年11月14日
(1931年)
第57巻 p.739-743(DK570344k)
是日、勅使トシテ侍従本多猶一郎ヲ飛鳥山邸ニ差遣セラレ、御沙汰書並ニ祭資・幣帛・供物・生花ヲ賜ハリ、焼香セシメラル。次イデ皇后宮御使並ニ皇太后宮御使ヲ差遣セラレ、祭資又ハ生花ヲ賜ハリ、焼香セシメラル。
昭和6年11月15日
(1931年)
第57巻 p.743-756(DK570345k)
是日、青山斎場ニ於テ、栄一ノ葬儀執行セラル。勅使トシテ侍従本多猶一郎、皇后宮御使トシテ同宮事務官野口明、皇太后宮御使トシテ同宮事務官西邑清ヲ差遣セラレ、焼香セシメラル。
葬儀及ビ告別式終リテ、谷中ノ渋沢家墓地ニ埋葬ス。
2節 法要
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和6年11月17日
(1931年)
第57巻 p.757-766(DK570346k)
是日、飛鳥山邸ニ於テ、栄一ノ初七日法要営マレ、爾後百ケ日忌ニ至ルマデ各忌日ニ、飛鳥山邸又ハ上野寛永寺ニ於テ、ソレゾレノ法要営マル。十二月十五日ノ五七日忌ニ当リテハ、法要後、帝国ホテルニ於テ供養晩餐会催サル。
11章 遺言
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和6年12月2日
(1931年)
第57巻 p.767-769(DK570347k)
是日、栄一嫡孫敬三、東京区裁判所ニ於テ、栄一ノ遺言書ニ対スル検認ヲ受ケ、遺言ニ基キ、飛鳥山邸及ビ維持資金十万円ヲ、財団法人竜門社ニ寄贈ス。
12章 相続
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和6年11月19日
(1931年)
第57巻 p.770-771(DK570348k)
是日及ビ二十一日、栄一嫡孫敬三、深川区長並ニ宮内大臣宛ソレゾレ家督相続届ヲ提出ス。十二月一日、家督相続人トシテ襲爵仰付ケラル。
13章 追悼会
節 [--]
款 [--] 1. 社団法人国際聯盟協会追悼行事
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和6年11月11日
(1931年)
第57巻 p.772(DK570349k)
是日、社団法人国際聯盟協会、東京朝日新聞社講堂ニ於テ、東京市ト共同主催ニヨリ「平和記念日と渋沢子爵追憶の夕」ヲ開催シ、翌七年十一月十一日、栄一ノ一周忌ニ当リ、日本工業倶楽部ニ於テ、同様「平和記念日と渋沢翁追憶の夕」ヲ開催ス。尚、七年二月、同協会発行ノ機関誌『国際知識』ヲ「故子爵渋沢栄一翁追悼号」トシテ特輯ス。
款 [--] 2. 東京市養育院追悼会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和6年11月16日
(1931年)
第57巻 p.772(DK570350k)
是日、東京市養育院、本院・各分院・学校ニ於テ、栄一ノ追悼会ヲ催シ、是月発行ノ同院月報ヲ、追悼号トシテ特輯ス。尚、翌年十一月十一日ノ一周忌ニ当リ、同院井之頭学校、追悼式ヲ挙行ス。
款 [--] 3. 帰一協会追憶談話会
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昭和6年11月24日
(1931年)
第57巻 p.772-773(DK570351k)
是日、帰一協会、日本倶楽部ニ於テ、栄一ノ追憶談話会ヲ、昭和八年十一月十五日、追悼懇話会ヲ開催ス。
款 [--] 4. 財団法人二松学舎追悼会
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昭和6年12月1日
(1931年)
第57巻 p.773(DK570352k)
是日、財団法人二松学舎、同校講堂ニ於テ、栄一ノ追悼式ヲ挙行シ、二十日発行ノ校誌『二松』ヲ「青淵先生追悼号」トス。
款 [--] 5. 静寛院宮奉賛会国士館増上寺再建後援興勝会追悼会
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昭和6年12月2日
(1931年)
第57巻 p.773(DK570353k)
是日、増上寺ニ於テ、静寛院宮奉賛会・国士館・増上寺再建後援興勝会ノ共同主催ニヨリ、栄一ノ追悼会挙行セラル。
款 [--] 6. 基督教関係団体追悼会
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昭和6年12月9日
(1931年)
第57巻 p.773-779(DK570354k)
是日、東京基督教青年会館ニ於テ、基督教関係団体共同主催ニヨリ、栄一ノ追悼記念会挙行セラル。
款 [--] 7. 社団法人如水会追悼会
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昭和6年12月10日
(1931年)
第57巻 p.779(DK570355k)
是日、如水会、同会館大講堂ニ於テ、栄一ノ追悼会ヲ催ス。尚、是月発行ノ同会会報ヲ「青淵先生追悼号」トス。
款 [--] 8. 実業団体追悼会
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昭和6年12月11日
(1931年)
第57巻 p.780-792(DK570356k)
是日、東京市公会堂ニ於テ、日本経済聯盟会・日本工業倶楽部・日華実業協会・東京銀行集会所・東京商工会議所ノ共同主催ニヨリ、栄一ノ追悼会挙行セラル。
款 [--] 9. 社会事業団体追悼会
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昭和6年12月12日
(1931年)
第57巻 p.792-819(DK570357k)
是日、東京市公会堂ニ於テ、東京市及ビ財団法人協調会・財団法人中央社会事業協会・社団法人国際聯盟協会ノ共同主催ニヨリ、栄一ノ追悼講演会挙行セラル。
款 [--] 10. 財団法人竜門社追悼会
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昭和6年12月13日
(1931年)
第57巻 p.819(DK570358k)
是日、財団法人竜門社、帝国ホテルニ於テ、栄一ノ追悼会ヲ催ス。尚、同社発行ノ『竜門雑誌』第五百十八号・第五百十九号及ビ第五百二十号ヲ、ソレゾレ「青淵先生薨去彙報」・「青淵先生追悼会彙報」及ビ「青淵先生国際的追悼彙報」トシテ特輯ス。
款 [--] 11. 陽明学会追悼会
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昭和6年12月14日
(1931年)
第57巻 p.819(DK570359k)
是日、陽明学会、渋沢事務所ニ於テ、栄一ノ追悼会ヲ催ス。
款 [--] 12. 日本女子大学校追悼会
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昭和6年12月18日
(1931年)
第57巻 p.819(DK570360k)
是日、日本女子大学校、同校講堂ニ於テ、栄一ノ追悼会ヲ催ス。
款 [--] 13. 八基村追悼会
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昭和6年12月28日
(1931年)
第57巻 p.820(DK570361k)
是日、埼玉県大里郡八基村ハ、同村諏訪神社ニ於テ、栄一ノ帰天奉告祭ヲ執行シ、次イデ八基小学校ニ於テ、追悼会ヲ催ス。
款 [--] 14. 埼玉学友会追悼会
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昭和7年1月24日
(1932年)
第57巻 p.820(DK570362k)
是日、埼玉学友会、大塚市民館ニ於テ、栄一ノ追悼会ヲ催ス。
款 [--] 15. 財団法人修養団追悼会
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昭和7年3月26日
(1932年)
第57巻 p.820(DK570363k)
是日、財団法人修養団、明治神宮外苑日本青年会館ニ於テ、栄一ノ追悼会ヲ催ス。尚、六年十二月発行ノ同団機関誌『向上』ヲ「渋沢顧問追悼号」トシテ特輯ス。
款 [--] 16. 実業之世界社主催渋沢栄一翁七年祭記念時局大講演会
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昭和13年11月13日
(1938年)
第57巻 p.820-824(DK570364k)
是日、日比谷公会堂ニ於テ、実業之世界社主催ニヨリ、渋沢栄一翁七年祭記念時局大講演会開カル。
14章 記念事業
節 [--]
款 [--] 1. 財団法人渋沢青淵翁記念会ノ事業
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昭和8年1月12日
(1933年)
第57巻 p.825-831(DK570365k)
是ヨリ先、栄一ノ銅像建設、伝記ノ編纂刊行及ビ曖依村荘保存ノ援助等ヲ行フタメ、新タニ財団法人創設ノ議進メラレ、是日、当会ノ設立認可セラル。郷誠之助理事長トナリ、大橋新太郎及ビ佐々木勇之助常務理事トナル。
昭和8年11月11日
(1933年)
第57巻 p.831-836(DK570366k)
是日、栄一ノ三回忌ニ当リ、当会ノ記念事業トシテ常盤橋公園内ニ建設セル、栄一ノ銅像除幕式挙行セラル。
昭和12年11月11日
(1937年)
第57巻 p.836-841(DK570367k)
是ヨリ先、当会ノ記念事業トシテ小畑久五郎ニ編纂ヲ依嘱セル、栄一ノ英文伝記"AN INTERPRETATION OF THE LIFE OF VISCOUNT SHIBUSAWA"成ル。是日、栄一ノ七回忌ニ当リ、当会之ヲ墓前ニ報告ス。
昭和14年5月13日
(1939年)
第57巻 p.841-855(DK570368k)
是年、栄一ノ生誕百年ニ当ル。是ヨリ先、当会ノ記念事業トシテ幸田露伴ニ編纂ヲ依嘱セル「渋沢栄一伝」成リ、是日当会、之ヲ栄一墓前ニ報告ス。引続キ当会、財団法人竜門社ト共同主催ニヨリ、飛鳥山旧邸ニ於テ、「渋沢青淵翁記念実業博物館」ノ地鎮祭及ビ生誕百年記念祭ヲ挙行ス。
款 [--] 2. 渋沢青淵先生頌徳碑
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昭和8年12月11日
(1933年)
第57巻 p.855-863(DK570369k)
是日、渋沢青淵翁記念碑建設会ニヨリ、京城府奨忠壇公園内ニ建設セラレタル、栄一ノ頌徳碑除幕式挙行セラル。
款 [--] 3. 青淵先生由来之跡碑
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昭和12年3月16日
(1937年)
第57巻 p.863-865(DK570370k)
是日、埼玉県大里郡八基村青年団血洗島支部等ノ発起ニヨリ、同村ニ建設セラレタル「青淵由来之跡」碑除幕式挙行セラル。
款 [--] 4. 青淵翁誕生之地標石
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昭和15年3月16日
(1940年)
第57巻 p.865-866(DK570371k)
是日、栄一ノ生誕百年記念行事トシテ、血洗島青淵会ニヨリ、埼玉県大里郡八基村ナル栄一ノ生家門前ニ建テラレタル「青淵翁誕生之地」標石ノ修祓式執行セラル。
款 [--] 5. 内山峡詩碑
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昭和15年11月24日
(1940年)
第57巻 p.866-868(DK570372k)
是日、長野県南・北佐久郡有志ニヨリ、南佐久郡内山村ノ岩壁ニ鑿立セラレタル、「渋沢青淵先生内山峡之詩」碑ノ除幕式挙行セラル。
15章 雑資料
節 [--]
款 [--] 1. 自動車事故ニヨル負傷
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明治45年7月2日
(1912年)
第57巻 p.869-870(DK570373k)
是日栄一、駿河台下ニ於テ、乗用車ノ事故ニヨリ、顔面ニ軽傷ヲ負フ。
款 [--] 2. 肖像画
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大正2年3月1日
(1913年)
第57巻 p.871-873(DK570374k)
是日栄一、渋沢事務所ニ於テ、洋画家和田英作ニ、肖像画ノ制作ヲ依頼ス。
八年五月栄一、大磯ノ明石照男別邸ニ滞在中、第一銀行ノ依頼ニヨリ来邸セル和田英作ニ、肖像画ヲ描カシム。
款 [--] 3. 渋沢事務所ノ移転
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大正12年9月1日
(1923年)
第57巻 p.873-875(DK570375k)
是日、兜町渋沢事務所ハ、関東大震火災ニヨリ全焼セシタメ、一時飛鳥山邸内ニ移リ、十日、丸ノ内古河合名会社内ニ移転ス。翌十三年四月二十六日、兜町第一銀行新館内ニ移リ、更ニ、十五年三月二十一日、丸ノ内仲二十八号館ニ移転ス。
款 [--] 4. 本籍地ノ町名地番変更
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昭和6年8月1日
(1931年)
第57巻 p.875-876(DK570376k)
是日、栄一ノ本籍地、町名改称及ビ地番整理ノタメ変更セラル。
款 [--] 5. 国定教科書ニ掲載セラレタル栄一ノ小伝
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昭和14年4月
(1939年)
第57巻 p.876-878(DK570377k)
是月ヨリ使用ノ国定修身教科書巻六ニ、「自立自営」ト題シ、栄一ノ小伝掲載セラル。
款 [--] 6. 其他ノ雑資料
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第57巻 p.878-879(DK570378k)
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