デジタル版「実験論語処世談」(67) / 渋沢栄一

6. 言ふは易く行ふは難し

いうはやすくおこなうはかたし

(67)-6

子曰。君子恥其言而過其行。【憲問第十四】
(子曰く。君子は其の言の其の行ひに過ぐるを恥づ。)
 本章は行ひの敏なるべきを説いたのである。
 而の字は皇疏本に之の字に作つて居るから、之れに従ふのがよいかと思ふ。
 言ふは易いが行ふのは難い。故に君子は常にその言を慎み、その行ひの伴はぬを恥ぢると説かれた。孔子は二千年の昔に誡められたが、今日も猶その言葉が当嵌まる。その言葉のその行ひに過ぎて居ることは大いに誡めなければならぬ。
 政府は国民の思想を強固にする為に、剛健質実、敦厚篤実、軽佻浮薄、虚偽譎詐などを云々して居る。その言ふことは尤もであるけれども、政府それ自身に於て果してその言の如きことをやつて居るかと云へば、決してさうでない。して見ればこれは、何ぞ烏の雌雄を知らんやと言ひ度い。
 政党なども口にこそ立派なことを言つて居るけれども、その為すことは譎詐百端、党利党益にのみ没頭して居る状態ではないか。之れでどうしてその行ひの立派ならむ事を人に責めることが出来よう。
 かう言へば、孔子の言葉によつて人を誹るやうであるけれども、少くとも自分は、言葉の行ひに過ぎるやうなことはせん積りである。人間も亦孔子の言はれたやうにあり度いものと思ふ。

全文ページで読む

デジタル版「実験論語処世談」(67) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.597-609
底本の記事タイトル:三六九 竜門雑誌 第四三二号 大正一三年九月 : 実験論語処世談(第六十五《(七)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第432号(竜門社, 1924.09)
初出誌:『実業之世界』第21巻第4-7号(実業之世界社, 1924.04,05,06,07)