16. 天命を知るべきのみ
てんめいをしるべきのみ
(67)-16
公伯寮愬子路於季孫。子服景伯以告曰。夫子固有惑志於公伯寮。吾力猶能肆諸市朝。子曰。道之将行也与。命也。道之将廃也与。命也公伯寮其如命何。【憲問第十四】
(公伯寮子路を季孫に愬ふ。子服景伯以て告げて曰く。夫子固より公伯寮に惑へる志あり、吾力猶能く諸《これ》を市朝に肆《さら》さん。子曰く、道の将に行はれんとするや命なり。道の将に廃れんとするや命なり。公伯寮それ命を如何にせん。)
本章は聖人は道を修むることに専念して道の行はるると否とは敢て問ふのでない。公伯寮は魯の人。市朝は尸を陳するに大夫以上は朝、士は市に於てするので茲に連言したのである。肆は尸を陳すること。(公伯寮子路を季孫に愬ふ。子服景伯以て告げて曰く。夫子固より公伯寮に惑へる志あり、吾力猶能く諸《これ》を市朝に肆《さら》さん。子曰く、道の将に行はれんとするや命なり。道の将に廃れんとするや命なり。公伯寮それ命を如何にせん。)
子路が季孫に仕へて居つた時に、公伯寮が子路を季孫に讒した。子服、景伯の二人は、子路に罪なきを知つて居るが為に、孔子に告げて曰ふには、季孫は寮の言に惑はされて居る。憎むべきは寮であるから吾々の権力を以て之れを殺し、市朝に肆さうと思ふと言つた。然るに孔子は、之れを論じて、上位の者に用ゐられて道の行はれんとするも天命である。用ゐられないで道の廃れんとするも天命である。決して人の為す所のものではない。季孫が寮の言を信じ、子路を斥くるのも矢張天命であるから、茲に敢て誅するに足らんのである、と説いたのであつて、取り立てて説明するまでもないことである。
- デジタル版「実験論語処世談」(67) / 渋沢栄一
-
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.597-609
底本の記事タイトル:三六九 竜門雑誌 第四三二号 大正一三年九月 : 実験論語処世談(第六十五《(七)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第432号(竜門社, 1924.09)
初出誌:『実業之世界』第21巻第4-7号(実業之世界社, 1924.04,05,06,07)