デジタル版「実験論語処世談」(67) / 渋沢栄一

17. 宜しく機を見て去るべきのみ

よろしくきをみてさるべきのみ

(67)-17

子曰。賢者辟世。其次辟地。其次辟色。其次辟言。【憲問第十四】
(子曰く。賢者は世を辟け、其の次は地を辟く、其の次には色を辟く、其の次は言を辟く。)
 本章は、賢者は機を見て禍を辟けることの一様でないことを言ふのである。
 賢者は、時に用ゐられないので、道の行はれざるを見れば機を見て避け、敢て妄進するものでない。併しその避け方も一様でない。天下に道の行はれないことを知るや、伯夷、太公の如き、世を避けて出ない。百里奚の如き、虞を去つて秦に行つた如き、霊公が飛雁を見て色孔子にあらざるを知つて去られた如き、又衛の霊公が、孔子に陳を問ふのを聞いてその言の我に合はざるを知つて去つた如きは、皆その機を見たものと云ふことが出来る。
 この言を強ひて実例にとる訳でもあるまいけれども、実際上、現在に当嵌めることは出来ない。併し今日は本筋通の事が行はれないことは事実であるから、人の交りについて、この言を考ふることが必要であると思ふ。社交上、近親、上下の別がなくとも、機を見ると云ふことが必要でないとも限らんから、この場合禍を避くることを心懸くべきである。
子曰。作者七人矣。【憲問第十四】
(子曰く。作者七人。)
 本章は前章に続いて、機を見て禍を避けた人が七人あつたと云ふ。
 機を見て避けた者は七人あると云つて、賢者の世に用ゐられないを嘆ぜられたが、その七人は何人であるか茲に明かにして居ない。一説には、尭、舜、禹、湯、文、武、周公の七人なりと云つて居るさうである。併し茲にはそれ程詮索する必要もないと思ふ。

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デジタル版「実験論語処世談」(67) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.597-609
底本の記事タイトル:三六九 竜門雑誌 第四三二号 大正一三年九月 : 実験論語処世談(第六十五《(七)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第432号(竜門社, 1924.09)
初出誌:『実業之世界』第21巻第4-7号(実業之世界社, 1924.04,05,06,07)