デジタル版「実験論語処世談」(67) / 渋沢栄一

19. 屈原と漁父との問答

くつげんとぎょふとのもんどう

(67)-19

子撃於磬衛[撃磬於衛]。有荷簣而過孔氏之門者。曰。有心哉。撃磬乎。既而曰鄙哉硜[々]乎。莫己知也。斯已而己矣。深則厲。浅則掲。子曰。果哉。末之難矣。【憲問第十四】
(子磬を衛に撃つ。簣を荷うて孔氏の門を過ぐる者あり。曰く。心ある哉、磬を撃つや。既にして曰く。鄙なる哉。硜々乎たり。己を知ることなきや。斯に已まんのみ。深ければ則ち厲し、浅ければ則ち掲す。果なる哉、之れ難きことなし。)
 本章は前章と同じく、孔子の真意を知らぬことを云ふのである。
 磬は楽器、硜々は石の音にして、又専確の意、厲は衣を以て水を渉るを謂ひ、掲は衣を掲げて渉るを謂ふのである。果は果断、末は無である。
 孔子が嘗て衛に在つた時に磬を撃つたことがある。するとその時、偶〻簣を担つて孔子の門前を通つた者がある。そしてその声を聴いて世を憂ふる心のあるものである。(即ち世を憂ふる心があればそれが手に感じ、磬に感じてその心を知ることが出来る。)と云つたが、又曰ふには、その磬の音はかたくなで鄙しい。若し世人が自分を知らず用ゐることがなかつたならば、世を去つて一身を全うすべきである。何ぞ功果のないのに奔走して労苦する必要があらう、水が深ければ衣を持つて渉り、浅ければ衣を掲げて渉るではないかと。孔子は之れを聴いて、この人は世を見るに早速である。併し世の中をかう観て仕舞へば何でもないやうであるが、さう云ふものではない。又本当に自分の意を知つて居れば、こんなことは言はれぬ筈であると云はれた。
 荷簣の人が、孔子の天下の為に道を行はんことに労苦して居ることを笑つたのは、丁度、ある漁父が屈原の世に容れられず江〓[江潭]を彷徨して居たのを見て、聖人は万物にこり固まらず能く世と共に推移するものである。世人が皆濁つたならば、其の泥の波を挙げたらよいではないか。衆人が皆酔つたならば、その糟を喰ひ汁をすすつたらよいではないかと言つたのと似て居る。
 屈原はこれに答へて新に沐浴するものは必ず冠の埃を取り、衣の塵を払ふものである。自分の如き潔白なものは、世の中の汚きものを受けることは出来るものでないと云つた。屈原は漁父の之を容れるものでないことを知つて、滄浪の水清まば以て吾が纓を濯ふべく、滄浪の水濁らば以て吾が足を濯ふべしと云つて其処を去つたと云ふことである。此の漁父の如きも荷簣の人と同じ思想を持つて居る人で、又孔子の真意を知る人ではない。

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デジタル版「実験論語処世談」(67) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.597-609
底本の記事タイトル:三六九 竜門雑誌 第四三二号 大正一三年九月 : 実験論語処世談(第六十五《(七)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第432号(竜門社, 1924.09)
初出誌:『実業之世界』第21巻第4-7号(実業之世界社, 1924.04,05,06,07)