デジタル版「実験論語処世談」(67) / 渋沢栄一

7. 知仁勇の三は君子の道

ちじんゆうのみつはくんしのみち

(67)-7

子曰。君子道者三。我無能焉。仁者不憂。知者不惑。勇者不懼。子貢曰。夫子自道也。【憲問第十四】
(子曰く。君子の道なるもの三つあり、我れ能くするなし。仁者は憂へず、知者は惑はず、勇者は懼れず。子貢曰く。夫子自ら道ふ。)
 本章は知仁勇の三徳に就て説かれたものである。
 孔子は、君子の道は三つあるが、自分は之れを能くすることが出来ない。その三つと云ふのは、知仁勇である。仁者は人を愛して常に楽易である為に憂へない。知者は義を見ること明かであるから、事の是非善悪を知り、決してその処置に惑ふやうなことはない。勇者はその心道義に合して居るから、之れを懼れない、と。然るに子貢は、孔子の斯く言はれたのは、自ら謙遜したのであつて、自ら之れを能くされたのである。
 此の三つの君子の道は実に尊い処のものであり、且つ我之れを能くするなしと言はれたのは、謙遜しての事である。然るに当世の人々は自分で出来ないことも出来ると云うて少しも謙遜して言ふやうなことがない。お互に謙遜し合ふと云ふことは君子の交りである。知らぬものを知つた顔をして居るが、之れは孔子の道が廃れて来たと言はねばならぬ。
 孔子も言はれたやうに、知仁勇の三徳を行ふことは六ケしいもので人として煩悶が出来易いものである。故に一身の事に拘泥することなく、広い観念を有つやうになれば憂へることはない。併し憂へないと云ふことは六ケしいもので、どうしても煩悶苦悩に終る事が多い。この憂へると云ふことは人情であるかも知れないが、之れが為に道理を破るやうなことがあつてはならぬ。之れには博愛忠恕と云ふことが必要である。此の博愛忠恕があれば心配をせぬ。即ち道理を弁へ思ひやりが深ければ煩悶、苦悩がない。事の是非得失を明かにして居れば知者で惑ふことなく、疑懼恐懼に打勝つのは勇者でなければ出来ない。この三つは聖人の道であつて、之をなすことは六ケしい。孔子は謙遜して、能くすることが出来ぬとは其至難なるを言つたのである。

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デジタル版「実験論語処世談」(67) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.597-609
底本の記事タイトル:三六九 竜門雑誌 第四三二号 大正一三年九月 : 実験論語処世談(第六十五《(七)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第432号(竜門社, 1924.09)
初出誌:『実業之世界』第21巻第4-7号(実業之世界社, 1924.04,05,06,07)