デジタル版「実験論語処世談」(67) / 渋沢栄一

11. 自ら高く止つてはならぬ

みずからたかくとまってはならぬ

(67)-11

微生畝謂孔子曰。丘何為是栖々者与。無乃為佞乎。孔子曰。非敢為佞也。疾固也。【憲問第十四】
(微生畝、孔子に謂つて曰く。丘何すれぞ是栖々たる者か。乃ち佞を為すなからんや。孔子曰く。敢て佞を為すにあらず。固を疾《にく》むなり。)
 本章は、世の為に戦うて世を遁れる者と違ふと云ふことを説かれたのである。
 微生畝は孔子に向つて、丘は何をして居る、栖々として奔走して居るのは、巧言を以て人に佞するのではないかと。孔子は之に対つて、丘は敢て佞をなすものではないけれども、頑固にして融通の利かないことをしたくないからで、敢て高く止まつて居るのでない。
 今の時勢にして如何に能力が優れ、達識を有するの人であつても、それだからと云つて直に之に敬意を表することが出来るものでない。世を救ひ民を安ぜしむることでなければならないからである。そして世を救ひ民を安ぜしむる人は、自ら高く止まつて固陋に陥つては何も出来るものでない。
 故に、幾分でも此の社会の為に尽さうとする吾々の如き凡夫は、固陋に陥つてはいけない。朝に道を聞いて夕に死すとも可なりと云ふのは、固陋になることを誡めたのである。人の説も聞き、人にも聞かれると談ず。社会も之によつて利益するのである。

全文ページで読む

デジタル版「実験論語処世談」(67) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.597-609
底本の記事タイトル:三六九 竜門雑誌 第四三二号 大正一三年九月 : 実験論語処世談(第六十五《(七)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第432号(竜門社, 1924.09)
初出誌:『実業之世界』第21巻第4-7号(実業之世界社, 1924.04,05,06,07)