デジタル版「実験論語処世談」(67) / 渋沢栄一

10. 誠実を以て人の情を知れ

せいじつをもってひとのじょうをしれ

(67)-10

子曰。不逆詐。不億不信。抑亦先覚者。是賢乎。【憲問第十四】
(子曰く。詐りを逆《むか》へず、信ぜざるを億《はか》らず。抑も亦先覚者は、是れ賢乎。)
 本章は、誠心を以て人の情偽を知るべきを説いたのである。逆は未だ至らないのを迎へること、億は未だ見ないで、思ひはかることである。人と交はるに用心深くして、彼の言ふことは詐りでないか、果して我を信ずるであらうかと推し測る事をせずに、寧ろ彼の誠実であるか偽詐であるかを先覚する事が賢と云ふものである、と説かれたのである。
 此の章は非常によい言葉だと思つて居る。私も始終このやうなことを思つてやつて来たが、今この章に当つて、自分の従来やつて来たことの誤りでないことを知つた。
 若し人に交はるに、あの人の言葉は偽りでないか、又自分の言ふことを果して信じて呉れるであらうかと云ふことを考へてやつて居つては、到底真実なる友達は出来るものでない。人の言ふことは真実として聞いて居つて、その言が道理であれば之を信じ、不道理であればこれを信じなければよい。決してこれは偽りでないかと云ふ疑ひを挟んで話しをする様ではいけない。断金の友であつても、一時の人であつても忠実に話しをして、之を信ずるかどうかと怪訝の目を以て応待すべきでない。或は自分を利用する為にやつて来るかも知れない、けれどもさうだらうと思つてせずに、忠実に話しをすればよい。そして間に於て果して彼は誠実であるか、偽詐であるかを看破し得るのが君子の道であつて、賢と称することが出来る。彼の逆億を敢て為すものは未だ以て賢と称することが出来るものでない。

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デジタル版「実験論語処世談」(67) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.597-609
底本の記事タイトル:三六九 竜門雑誌 第四三二号 大正一三年九月 : 実験論語処世談(第六十五《(七)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第432号(竜門社, 1924.09)
初出誌:『実業之世界』第21巻第4-7号(実業之世界社, 1924.04,05,06,07)