デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.30

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

3部 身辺

1章 家庭生活
1節 同族・親族
1款 同族
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治6年8月13日
(1873年)
第29巻 p.5-8(DK290001k)
是日栄一、芝崎確次郎ニ命ジテ越生村ニ、養子平九郎ノ首級ヲ求メシメ、更ニ七年十二月黒山村ニ遺骸ヲ尋ネ之ヲ収メテ帰リ、上野寛永寺ニ於テ仏事ヲ営ミ、谷中ノ墓地ニ改葬ス。
明治7年1月7日
(1874年)
第29巻 p.8-12(DK290002k)
是日、栄一母ゑい逝ク。法諡シテ梅光院盛冬妙室大姉ト曰フ。同十六年十一月七日ニ至リ、先妣渋沢氏招魂碑ヲ谷中墓地ニ建ツ。
明治15年4月25日
(1882年)
第29巻 p.12-14(DK290003k)
是日、栄一長女宇多子、穂積陳重ニ嫁ス。
明治15年7月14日
(1882年)
第29巻 p.14-57(DK290004k)
是日栄一、夫人千代子逝ク。仏諡シテ宝光院貞容妙珠大姉ト曰フ。十月二十二日本葬ヲ執行ス。
明治16年1月18日
(1883年)
第29巻 p.57-58(DK290005k)
是日栄一、伊藤八兵衛五女かね子ヲ娶ル。
明治17年11月3日
(1884年)
第29巻 p.58-60(DK290006k)
是日、栄一二男敬三郎生マル。翌十八年四月二十三日夭逝ス。
明治19年12月26日
(1886年)
第29巻 p.60(DK290007k)
是日、栄一三男武之助生マル。
明治21年2月26日
(1888年)
第29巻 p.60-62(DK290008k)
是日、栄一二女こと子、阪谷芳郎ニ嫁ス。
明治21年11月1日
(1888年)
第29巻 p.62-63(DK290009k)
是日、栄一四男正雄生マル。
明治23年7月24日
(1890年)
第29巻 p.63-64(DK290010k)
是日、栄一三女愛子生マル。
明治25年10月5日
(1892年)
第29巻 p.64(DK290011k)
是日、栄一五男秀雄生マル。
明治26年12月
(1893年)
第29巻 p.64-67(DK290012k)
平九郎ガ討死ノ時帯ビタル小刀ハ広島藩神機隊隊長川合鱗三ノ所有ニ帰ス、是月鱗三右ノ小刀ニ一書ヲ添ヘテ栄一ニ贈ル。翌年六月、栄一感謝ノ一文ヲ草シ、菊地容斎画一幅ヲ添ヘテソノ厚意ニ報ズ。
明治28年4月14日
(1895年)
第29巻 p.67-71(DK290013k)
是日、栄一長男篤二伯爵橋本実穎妹敦子ヲ娶ル。
明治29年7月17日
(1896年)
第29巻 p.71-72(DK290014k)
是日、栄一六男忠雄生マル。翌三十年四月十一日夭逝ス。
明治29年8月25日
(1896年)
第29巻 p.72(DK290015k)
是日、篤二長男敬三生マル。
明治32年6月25日
(1899年)
第29巻 p.72-74(DK290016k)
是日栄一、尾高新五郎ト共ニ黒山村ニ至リ、養子平九郎戦死ノ跡ヲ弔フ。
明治32年7月7日
(1899年)
第29巻 p.74-76(DK290017k)
是日篤二並ニ穂積陳重欧米視察ノ途ニ就ク。栄一横浜ニ見送ル。翌三十三年五月十五日帰朝ス。
明治39年1月7日
(1906年)
第29巻 p.76-78(DK290018k)
是日阪谷芳郎第一次西園寺内閣ノ大蔵大臣ニ就任ス。二月十一日、渋沢・穂積両家之ガ祝宴ヲ飛鳥山邸ニ催ス。四月四日、栄一門下ノ有力者上野精養軒ニ祝宴ヲ催シ、栄一之ニ出席シテ総代佐々木勇之助ノ祝辞ニ対シ、答辞ヲ述ブ。四月七日阪谷芳郎、永田町大蔵大臣官邸ニ近親ヲ招ク。
明治39年11月15日
(1906年)
第29巻 p.78(DK290019k)
是日、財団法人穂積奨学財団ノ設立披露ヲ兼ネ、穂積陳重就職満二十五年祝賀会上野精養軒ニ開カル。栄一之ニ出席ス。
明治40年9月21日
(1907年)
第29巻 p.78-79(DK290020k)
是日阪谷芳郎男爵ニ叙セラル。十一月二十一日、大蔵大臣官邸ニ叙爵祝答礼宴ヲ開ク。栄一之ニ出席シテ祝詞ヲ述ブ。
明治41年4月15日
(1908年)
第29巻 p.79-82(DK290021k)
是日、阪谷芳郎欧米漫遊ノ途ニ就ク。栄一横浜ニ見送ル。同年十月二十四日帰朝、栄一新橋駅ニ出迎フ。
明治42年1月7日
(1909年)
第29巻 p.82-83(DK290022k)
是日、栄一三女愛子、明石照男ト婚約ノ式ヲ行フ。
2款 親族
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治32年2月15日
(1899年)
第29巻 p.84(DK290023k)
是日、栄一姉吉岡なか逝ク。
   ○栄一ノ姉妹左ノ如シ。
      なか
      栄一
      てい
   ○なかハ栄一ノ姉ニシテ、吉岡為三郎(後、十右衛門ニ改ム)ニ嫁ス。
   ○兄、妹ノ早世セルハ略ス。
明治32年4月27日
(1899年)
第29巻 p.84-85(DK290024k)
是日、尾高惇忠古稀祝賀ノ筵ヲ開ク。
   ○惇忠弟妹左ノ如シ。
     惇忠
     みつ
     こう
     長七郎
     千代(栄一夫人)
     くに
     平九郎(栄一養子)
明治34年1月2日
(1901年)
第29巻 p.85-90(DK290025k)
是ヨリ先、三十三年一月頃ヨリ尾高惇忠病ヲ得、深川区福住町九番地ノ渋沢邸別屋ニテ療養ニ努ム。栄一屡々病床ヲ見舞フモ是日逝ク。行年七十二。次イデ明治三十六年一月ニ至リ墓表ヲ建ツ。栄一墓誌銘ヲ撰シ、揮毫ス。
明治37年3月27日
(1904年)
第29巻 p.90(DK290026k)
是日、大川みつ子逝ク。
   ○尾高惇忠妹、大川修三ニ嫁ス。初メみち子ト称ス。栄一夫人千代子ノ姉ナリ。
明治39年4月14日
(1906年)
第29巻 p.90-93(DK290027k)
是日、栄一甥渋沢元治、外孫穂積孝子ト結婚式ヲ挙グ五月六日。上野精養軒ニ於テ披露ヲナス。栄一出席シテ祝詞ヲ述ブ。
   ○栄一トノ関係。
   〔中ノ家〕  なか
          栄一
          てい
              元治
          市郎
   ○市郎ハ須永伝左衛門二男、初メ才三郎ト称ス。入夫、中ノ家ヲ継グ。
明治39年9月20日
(1906年)
第29巻 p.93(DK290028k)
是日、尾高クニ子逝ク。
   ○尾高惇忠妹、尾高幸五郎ニ嫁ス。栄一夫人千代子ノ妹ナリ。
明治41年10月9日
(1908年)
第29巻 p.93-95(DK290029k)
是日、栄一外孫穂積重遠、児玉仲子結婚式ヲ挙グ。栄一出席シテ祝詞ヲ述ブ。次イデ同月二十五日、上野精養軒ニテ披露ヲ行フ。栄一出席シテ祝詞ヲ述ブ。
明治41年11月28日
(1908年)
第29巻 p.95-96(DK290030k)
是日、栄一外孫穂積光子、石黒忠篤ニ嫁ス。栄一婚儀祝宴ニ出席シテ祝詞ヲ述ブ。
明治41年12月14日
(1908年)
第29巻 p.96-97(DK290031k)
尾高次郎ノ長女綾子、永田甚之助ニ嫁ス。同月二十日里開キ披露宴アリ。栄一出席シテ祝詞ヲ述ブ。
   ○尾高次郎ハ惇忠二男。長男勝五郎ハ早世ス。
明治42年3月
(1909年)
第29巻 p.97-98(DK290032k)
是ヨリ先、栄一塚原蓼洲ニ嘱シテ、尾高惇忠ノ伝記ヲ編纂シ、是月刊行ス。
明治42年4月18日
(1909年)
第29巻 p.98-103(DK290033k)
是ヨリ先、四十一年十月、埼玉県大里郡八基村村社鹿島神社境内ニ建テラレタル尾高惇忠頌徳碑ノ除幕式、是日挙行セラル。栄一出席シテ追悼ノ演説ヲナシ、且ツ来会者ニ塚原蓼洲著「藍香翁」ヲ配付ス。
2節 健康
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治11年8月―同20年2月
(1878-1887年)
第29巻 p.104-107(DK290034k)
是間ニ於ケル芝崎確次郎日記ニ記載セラレタル、栄一ノ健康ニ関スル事項。
明治23年1月19日
(1890年)
第29巻 p.107(DK290035k)
是日栄一、風邪ノタメ第一銀行株主総会ニ欠席ス。
明治27年11月18日
(1894年)
第29巻 p.108-109(DK290036k)
是ヨリ先、栄一顔面上皮癌ヲ患フ。是日医師橋本綱常・スクリッパ立会ノ下ニ、高木兼寛刀ヲ執リテ切開手術ヲ施ス。
明治32年
(1899年)
第29巻 p.109-113(DK290037k)
渋沢栄一日記ニ記載セラレタル、栄一是年ノ健康ニ関スル事項。
明治33年
(1900年)
第29巻 p.113-119(DK290038k)
渋沢栄一日記及ビ八十島親徳日録ニ記載セラレタル、栄一是年ニ於ケル健康ニ関スル事項。
明治34年
(1901年)
第29巻 p.119-126(DK290039k)
渋沢栄一日記及ビ八十島親徳日録ニ記載セラレタル、栄一是年ニ於ケル健康ニ関スル事項。
明治35年
(1902年)
第29巻 p.126-129(DK290040k)
渋沢栄一日記及ビ八十島親徳日録ニ記載セラレタル、栄一是年ニ於ケル健康ニ関スル事項。
明治36年1月―同年10月
(1903年)
第29巻 p.129-134(DK290041k)
渋沢栄一日記及ビ八十島親徳日録ニ記載セラレタル、栄一ノ是間ニ於ケル健康ニ関スル事項。
明治36年11月20日
(1903年)
第29巻 p.134-138(DK290042k)
是日栄一、インフルエンザニ罹リ喘息ヲ併発ス、次イデ中耳炎ニ変ズ。十二月一日鼓膜切開ノ手術効ヲ奏シ稍快方ニ向フ。
明治37年3月6日
(1904年)
第29巻 p.138-145(DK290043k)
是日栄一、転地療養ノタメ東京ヲ発シ、国府津ノ国府津館ニ赴キ、四月二十四日帰京ス。
明治37年4月27日
(1904年)
第29巻 p.145-149(DK290044k)
是ヨリ先四月二十四日、転地先ナル国府津ヨリ帰京セル栄一ハ、是日再度発熱シ肺炎ニ冒サレテ臥床ス。
明治37年6月9日
(1904年)
第29巻 p.149-152(DK290045k)
是日栄一、天皇陛下ヨリ病中御尋トシテ菓子一折ヲ賜ハル。爾後回復ニ向フ。
明治37年8月11日
(1904年)
第29巻 p.152-154(DK290046k)
是日栄一、転地療養ノタメ東京ヲ発シ、箱根蘆ノ湯松阪屋別荘ニ赴キ、九月三日帰京、九月二十七日宮内省ヘ病気全快ノ御礼ニ出頭ス。
明治38年
(1905年)
第29巻 p.154-160(DK290047k)
渋沢栄一日記及ビ八十島親徳日録ニ記載セラレタル、栄一是年ニ於ケル健康ニ関スル事項。
明治39年
(1906年)
第29巻 p.160-163(DK290048k)
渋沢栄一日記及ビ八十島親徳日録ニ記載セラレタル、栄一是年ニ於ケル健康ニ関スル事項。
明治40年
(1907年)
第29巻 p.163-168(DK290049k)
渋沢栄一日記及ビ八十島親徳日録ニ記載セラレタル、栄一是年ニ於ケル健康ニ関スル事項。
明治41年
(1908年)
第29巻 p.168-173(DK290050k)
渋沢栄一日記及ビ八十島親徳日録ニ記載セラレタル、栄一是年ニ於ケル健康ニ関スル事項。
明治42年
(1909年)
第29巻 p.173-175(DK290051k)
渋沢栄一日記及ビ八十島親徳日録ニ記載セラレタル、栄一是年ニ於ケル健康ニ関スル事項。
3節 家庭教育
1款 克己学寮
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治41年
(1908年)
第29巻 p.176-179(DK290052k)
是年栄一、三男武之助・四男正雄・五男秀雄ノ学習ノタメ、青山南町六丁目ニ寄宿舎ヲ設ケ、克己学寮ト命名シ、横山徳次郎ヲ監督者トシ、遠藤柳作・篠原三千郎・蘆田均・帰山教正ヲ学友トス。
明治41年7月12日
(1908年)
第29巻 p.179-181(DK290053k)
是日栄一、克己学寮ノ監督者・温習教師・寮生及ビ親戚其他ヲ招キ、立川ニ至リ、多摩川ニ於テ鮎漁ヲ催シ、終ツテソノ夜帝国ホテルニ於テ晩餐会ヲ開ク。
4節 趣味
1款 茶事
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治32年6月19日
(1899年)
第29巻 p.182(DK290054k)
栄一、王子飛鳥山別邸内ニ茶室ヲ新築シ、是日同族ヲ招キ、益田克徳ノ斡旋ニテ茶室開キノ茶会ヲ催ス。
明治32年6月27日
(1899年)
第29巻 p.182(DK290055k)
是日栄一、徳川慶喜・井上馨ヲ飛鳥山別邸ニ招キ、新築ノ茶室ニ於テ午餐ヲ呈ス。
明治32年7月18日
(1899年)
第29巻 p.182-185(DK290056k)
是日、益田孝・下条正雄・馬越恭平・益田英作・浅田正文ヲ、翌十九日、大倉喜八郎・近藤廉平・梅浦精一・皆川四郎・高橋義雄ヲ、次イデ二十六日、佐々木勇之助・市原盛宏・佐々木清麿・西園寺亀次郎・清水泰吉・足立太郎ヲ飛鳥山別邸ニ招キテ、茶室披露ノ茶会ヲ催ス。爾後栄一、数年ニ亘リ時ニ同所ニ茶会ヲ開キ、又、招カレテ安田邸益田克徳・益田孝等ノ催セル茶会ニ出席ス。
明治38年7月22日
(1905年)
第29巻 p.185-188(DK290057k)
是日栄一、王子飛鳥山別邸ニ、徳川慶喜・伊藤博文・井上馨・桂太郎・益田孝・下条正雄・三井八郎次郎ヲ招キ、茶室ニ於テ午餐ヲ供ス。
尚是年、飛鳥山邸内茶室ニ於テ、外国貴賓ニ抹茶ノ手前ヲ見セシムル等ノ催ヲナス。
2款 和歌
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治26年10月月-11月
(1893年)
第29巻 p.189-190(DK290058k)
是月栄一、関西地方ニ旅行シ、名所旧跡ヲ訪ネテ、和歌ヲ詠ズ。
明治28年9月
(1895年)
第29巻 p.190-192(DK290059k)
是月栄一、青森県下三本木農場ヲ視察シテ帰リ、十月、京都ニ於ケル平安奠都記念祭ニ参列、次イデ十一月、九州地方ヲ巡遊シテ帰ル。是間、各地ノ名所旧跡ヲ訪ネテ和歌ヲ詠ズ。
明治28年―同34年
(1895-1901年)
第29巻 p.192-194(DK290060k)
栄一、是間ニ長男篤二ノ結婚ヲ祝ヒ、大倉喜八郎ノ観桜会ニ臨ミ、養子平九郎戦死ノ跡ヲ訪レ、井上馨ノ銅像除幕ヲ祝シ、或ハ自己ノ還暦ニ際シテ、和歌又ハ狂歌ヲ詠ズ。
明治35年5月15日
(1902年)
第29巻 p.194-196(DK290061k)
是日栄一、欧米巡遊ノ途ニ上リ、十月末帰朝ス。是間各地ニ於テ和歌ヲ詠ズ。
明治36年11月―同37年3月
(1903-1904年)
第29巻 p.196-216(DK290062k)
明治三十六年十一月下旬ヨリ栄一中耳炎ノタメ臥床、翌年三月国府津ニ転地療養ス。是間、和歌二百余首ヲ詠ジ、集メテ「室の小草」「磯の若菜」二巻トス。別ニ「忠臣蔵詠歌」二十四首、「詠史」十首アリ。
明治37年4月
(1904年)
第29巻 p.216-218(DK290063k)
栄一、転地先国府津ヨリ帰京後、肺炎ニ冒サレテ再ビ臥床、是間、和歌ヲ詠ズ。
明治37年6月9日
(1904年)
第29巻 p.218-219(DK290064k)
是日栄一、天皇陛下ヨリ病中御尋トシテ、菓子一折ヲ賜ハル。即チ和歌ヲ詠ズ。
明治37年8月
(1904年)
第29巻 p.219-220(DK290065k)
栄一、是月中旬ヨリ九月初旬マデ、箱根蘆ノ湯ニ転地療養ス。是間、和歌ヲ詠ズ。
明治37年10月14日
(1904年)
第29巻 p.220-221(DK290066k)
是日栄一、展墓ノタメ郷里血洗島ニ赴キ、老友ト会シ、ソノ感懐ヲ和歌ニ詠ズ。
明治37年10月21日
(1904年)
第29巻 p.221-223(DK290067k)
是日栄一、陰暦九月十三日ニ当ルヲ以テ、王子飛鳥山別邸ニ於テ、後ノ月見ノ宴ヲ開キ、中村秋香ヲ請ジ、一族ノ婦人ヲ招キテ歌会ヲ催ス。
明治37年11月月-12月
(1904年)
第29巻 p.223-224(DK290068k)
栄一、日露戦役ニ於テ戦死セル陸軍大尉横山富三郎・陸軍中尉吉田盛三郎ヲ悼ミ、又同戦役ニ従軍セル耳鼻咽喉科医賀古鶴所ヲ慰問シテ和歌ヲ詠ズ。
明治38年2月17日
(1905年)
第29巻 p.224-225(DK290069k)
是日栄一、高橋是清ノ欧洲行(外債募集)ヲ見送リテ新橋駅ニ赴キ、和歌ヲ贐ス。
明治38年5月―同40年10月
(1905-1907年)
第29巻 p.225-227(DK290070k)
是間栄一、徳川慶喜ヲ招待シ、足立少尉ノ戦死ヲ悼ミ、又ハ郷里血洗島ノ諏訪神社遷座式ニ列シテ和歌ヲ詠ズ。
明治41年8月
(1908年)
第29巻 p.227-228(DK290071k)
是月栄一、北海道ニ旅行シ、帰途仙台ニ立寄リ松島ニ遊ビテ九月初旬帰京ス。是間、和歌ヲ詠ズ。
3款 漢詩
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治6年―同41年
(1873-1908年)
第29巻 p.229-243(DK290072k)
栄一ノ漢詩ハ、初メ尾高惇忠ニ学ビタルモノニシテ、折リニ感懐ヲ托スルコト終生ニ及ブ。即チ、是間ニ於ケル作詩マタ少ナカラズ。
4款 囲碁・将棋
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治20年
(1887年)
第29巻 p.244-245(DK290073k)
栄一、若年ヨリ将棋・囲碁ヲ弄ス。囲碁ハ明治十七年頃、村瀬秀甫門人、林千治ニ学ビタルコトアリ、是年アタリヨリ二者共ニ止ム。
5款 演劇
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治13年―同36年
(1880-1903年)
第29巻 p.246(DK290074k)
栄一、是間ニ新富座・中村座・歌舞伎座等ニ於テ屡々観劇ス。
明治41年2月1日
(1908年)
第29巻 p.246-250(DK290075k)
是日栄一、明治座ニテ開催ノ駐独大使井上勝之助帰朝歓迎観劇会ニ出席シ、発起人ノ一人トシテ歓迎之辞ヲ述ベ、九代目市川団十郎ノ遺児翠扇・旭梅二女優ノ出演ヲ演劇改良ノ一端トシテ言及ス。
2章 栄誉
1節 恩賜・褒賞
1款 恩賜
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治37年6月9日
(1904年)
第29巻 p.251-252(DK290076k)
是日栄一、天皇陛下ヨリ病気御尋トシテ菓子一折ヲ賜ハル。
明治42年2月1日
(1909年)
第29巻 p.252(DK290077k)
栄一七十歳ノ高齢ニ達シタルヲ以テ是日、天皇陛下ヨリ御紋付御杯並ニ酒肴料ヲ賜ハル。
2款 褒賞
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治9年―同42年
(1876-1909年)
第29巻 p.253-258(DK290078k)
是間ニ栄一ガ内閣・賞勲局及ビ東京府其他ヨリ受ケタル褒賞六十六件ニ及ブ。
2節 叙位・叙勲
1款 叙位
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治21年5月15日
(1888年)
第29巻 p.259(DK290079k)
是日栄一、従四位ニ叙セラル。
明治33年6月20日
(1900年)
第29巻 p.259(DK290080k)
是日栄一、正四位ニ叙セラル。
明治42年6月30日
(1909年)
第29巻 p.259(DK290081k)
是日栄一、従三位ニ叙セラル。
2款 叙勲
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治25年7月19日
(1892年)
第29巻 p.260(DK290082k)
是日栄一、勲四等ニ叙セラレ瑞宝章ヲ授ケラル。
明治35年2月22日
(1902年)
第29巻 p.260-261(DK290083k)
是日栄一、勲三等ニ叙セラレ瑞宝章ヲ授ケラル。
明治39年4月1日
(1907年)
第29巻 p.262(DK290084k)
是日栄一、勲二等ニ叙セラレ、旭日重光章ヲ授ケラル。
3款 外国叙勲
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治22年6月8日
(1889年)
第29巻 p.263-264(DK290085k)
是日栄一、ドイツ皇帝ヨリ贈与サレタル王冠第三等勲章ヲ受領シ、佩用スルヲ賞勲局ヨリ允許セラル。
明治38年10月20日
(1905年)
第29巻 p.264(DK290086k)
是日栄一、韓国皇帝ヨリ贈与サレタル勲一等太極章ヲ受領シ、佩用スルヲ賞勲局ヨリ允許セラル。
明治40年12月19日
(1907年)
第29巻 p.264-265(DK290087k)
是日栄一、フランス共和国ヨリ贈与サレタルコンマンドール・ド・ロルドル・ナシオナル・ド・ラレジオン・ド・ノール勲章ヲ受領シ、佩用スルヲ賞勲局ヨリ允許セラル。
3節 叙爵
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治33年5月9日
(1900年)
第29巻 p.266-269(DK290088k)
是日栄一、華族ニ列シ男爵ヲ授ケラル。
明治33年5月18日
(1900年)
第29巻 p.269-281(DK290089k)
是日東京商業会議所、栄一ノ授爵ヲ賀シ賀宴ヲ開ク。是前後関係会社・団体又ハ個人ニテ祝賀会ヲ開キ或ハ祝詞ヲ呈スルモノ相継グ。
4節 伺候・参列
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治27年3月9日
(1894年)
第29巻 p.282(DK290090k)
是日栄一、宮中ニ於ケル大婚二十五年祝典ニ召サレテ参内ス。
明治27年10月16日
(1894年)
第29巻 p.282(DK290091k)
是日栄一、広島市ノ大本営ニ赴キ、天機ヲ奉伺ス。
明治28年5月19日
(1895年)
第29巻 p.282(DK290092k)
是日栄一、京都市ノ大本営ニ赴キ、天機ヲ奉伺ス。
明治30年2月7日
(1897年)
第29巻 p.282(DK290093k)
是日栄一、京都ニ於ケル英照皇太后御大葬ニ参列ス。
明治33年5月10日
(1900年)
第29巻 p.282-283(DK290094k)
是日栄一、宮中ニ於ケル皇太子殿下御成婚ノ祝宴ニ召サレテ参内ス。
明治34年5月5日
(1901年)
第29巻 p.283(DK290095k)
是日栄一、皇孫裕仁親王降誕拝賀ノタメ、東宮御所ニ伺候シ賀表ヲ上ル。
明治35年4月17日
(1902年)
第29巻 p.283-284(DK290096k)
是日栄一、浜離宮ニ於ケル観桜御宴ニ召サレテ参列ス。翌三十六年十一月十三日、赤坂離宮ニ於ケル観菊御宴ニ召サレテ参列ス。爾後、屡々両御宴ニ召サレテ参列ス。
3章 賀寿
1節 還暦
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治34年11月23日
(1901年)
第29巻 p.285-299(DK290097k)
是日栄一、王子飛鳥山別邸ニ於テ還暦内祝ノ園遊会ヲ催ス。
4章 同族会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治24年5月17日
(1891年)
第29巻 p.300-302(DK290098k)
是日栄一、家法ヲ作リテ同族会議ヲ興シ、之ヲシテ家政ノ要務ヲ議セシメ、且ツ同族ノ財産及ビ年年ノ出入ヲ監督セシム。又家訓三則ヲ定メテ同族ニ示ス。
明治22年―同25年
(1889-1892年)
第29巻 p.302-304(DK290099k)
是間ニ於ケル芝崎確次郎日記・執事日記ニ記載ノ渋沢家親族会ニ関スル事項。
明治32年―同42年
(1899-1909年)
第29巻 p.304-313(DK290100k)
是間ニ於ケル渋沢栄一日記ニ記載セラレタル渋沢家同族会ニ関スル事項。
明治32年―同42年
(1899-1909年)
第29巻 p.313-328(DK290101k)
是間ニ於ケル八十島親徳日録ニ記載セラレタル、渋沢家同族会ニ関スル事項。
5章 交遊
節 [--]
款 [--] 1. 徳川慶喜
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第29巻 p.329-338(DK290102k)
--
款 [--] 2. 伊藤博文
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第29巻 p.338-341(DK290103k)
--
款 [--] 3. 井上馨
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第29巻 p.341-348(DK290104k)
--
款 [--] 4. 大隈重信
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第29巻 p.348-349(DK290105k)
--
款 [--] 5. 大倉喜八郎
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第29巻 p.349-356(DK290106k)
--
款 [--] 6. 古河市兵衛
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第29巻 p.356-361(DK290107k)
--
款 [--] 7. 三井家
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第29巻 p.361-374(DK290108k)
--
款 [--] 8. 三野村利左衛門
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第29巻 p.374-375(DK290109k)
--
款 [--] 9. 清水家
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第29巻 p.375-382(DK290110k)
--
款 [--] 10. 浅野総一郎
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第29巻 p.383-385(DK290111k)
--
款 [--] 11. 岩崎家
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第29巻 p.385-387(DK290112k)
--
款 [--] 12. 西村勝三
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第29巻 p.387-391(DK290113k)
--
款 [--] 13. 益田孝
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第29巻 p.391-393(DK290114k)
--
款 [--] 14. 皆川四郎
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第29巻 p.393-395(DK290115k)
--
款 [--] 15. 梅浦精一
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第29巻 p.395-396(DK290116k)
--
款 [--] 16. 佐々木勇之助
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第29巻 p.396-397(DK290117k)
--
款 [--] 17. 園田孝吉
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第29巻 p.397-399(DK290118k)
--
款 [--] 18. 大橋新太郎
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第29巻 p.399-401(DK290119k)
--
款 [--] 19. 三遊亭円朝
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第29巻 p.401-402(DK290120k)
--
款 [--] 20. 其他ノ関係諸資料
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第29巻 p.402-434(DK290121k)
--
6章 旅行
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治9年9月1日
(1876年)
第29巻 p.435-436(DK290122k)
是日栄一、東京ヲ発シ前橋ニ赴キ、伊香保ヲ経テ九日帰京ス。
明治10年1月26日
(1877年)
第29巻 p.436(DK290123k)
是日栄一、益田孝ト共ニ東京ヲ発シ上海ニ赴キ、二月二十六日帰朝ス。
明治11年8月26日
(1878年)
第29巻 p.436(DK290124k)
是日栄一、東京ヲ発シ上州ニ赴キ、九月二日帰京ス。
明治13年4月25日
(1880年)
第29巻 p.436(DK290125k)
是日栄一、東京ヲ発シ大阪ニ赴キ、五月二十七日帰京ス。
明治17年5月28日
(1884年)
第29巻 p.437-440(DK290126k)
是日栄一、東京ヲ発シ四日市・敦賀・京都ヲ視察シ、六月十五日大阪紡績会社ノ開業式ニ出席シ、七月一日帰京ス。
明治19年5月26日
(1886年)
第29巻 p.440-444(DK290127k)
是日栄一、東京ヲ発シ四日市・伏木・新潟地方ヲ巡回シ、六月二十八日帰京ス。
明治19年7月26日
(1886年)
第29巻 p.444-445(DK290128k)
是日栄一、家族同伴日光中禅寺ニ赴キ、八月二日帰京ス。
明治19年12月8日
(1886年)
第29巻 p.445-448(DK290129k)
是日栄一、東京ヲ発シ京阪地方ヲ巡回シ、二十九日帰京ス。
明治20年11月8日
(1887年)
第29巻 p.448(DK290130k)
是日栄一、東京ヲ発シ上州磯部温泉ニ赴キ、十一日帰京ス。
明治23年1月7日
(1890年)
第29巻 p.448-449(DK290131k)
是日栄一、東京ヲ発シ大磯濤竜館ニ赴キ、二月一帰京ス。
明治23年4月14日
(1890年)
第29巻 p.449(DK290132k)
是日栄一、東京ヲ発シ関西地方ニ出張シ、五月四日帰京ス。
明治23年9月21日
(1890年)
第29巻 p.449-450(DK290133k)
是日栄一、東京ヲ発シ上州伊香保及ビ四万温泉ニ赴キ、二十四日帰京ス。
明治26年1月27日
(1893年)
第29巻 p.450(DK290134k)
是日栄一、東京ヲ発シ関西地方ニ出張、二月八日帰京ス。
明治26年10月27日
(1893年)
第29巻 p.450(DK290135k)
是日栄一、夫人同伴東京ヲ発シ、関西地方ニ出張シ、十一月十一日帰京ス。
明治27年10月13日
(1894年)
第29巻 p.450(DK290136k)
是日栄一、東京ヲ発シ広島ニ赴キ、天機ヲ奉伺シ、二十六日帰京ス。
明治27年12月29日
(1894年)
第29巻 p.451(DK290137k)
是日栄一、東京ヲ発シ大磯ニ赴キ、二十八年一月十二日帰京ス。
明治28年1月29日
(1895年)
第29巻 p.451(DK290138k)
是日栄一、東京ヲ発シ興津海水楼ニ赴キ、三月二日帰京ス。
明治28年5月18日
(1895年)
第29巻 p.451(DK290139k)
是日栄一、東京ヲ発シ京都ニ赴キ、天機ヲ奉伺シ、二十二日帰京ス。
明治28年9月6日
(1895年)
第29巻 p.451(DK290140k)
是日栄一、夫人同伴東京ヲ発シ、青森県下三本木農場ヲ巡察シ、十九日帰京ス。
明治28年9月23日
(1895年)
第29巻 p.452(DK290141k)
是日栄一、東京ヲ発シ名古屋ニ赴キ、十月五日帰京ス。
明治28年10月20日
(1895年)
第29巻 p.452(DK290142k)
是日栄一、平安遷都千百年記念祭ニ参列ノ為メ東京ヲ発シ京都ニ赴キ、二十五日マデ滞在、大阪・中国・九州地方ヲ歴巡シテ十一月十二日帰京ス。
明治29年1月1日
(1896年)
第29巻 p.452(DK290143k)
是日栄一、夫人同伴東京ヲ発シ静岡ニ赴キ、六日帰京ス。
明治30年2月5日
(1897年)
第29巻 p.452(DK290144k)
是日栄一、英照皇太后ノ大葬ニ参列ノ為メ、東京ヲ発シ京都ニ赴キ、十一日帰京ス。
明治31年4月23日
(1898年)
第29巻 p.453(DK290145k)
是日栄一、東京ヲ発シ韓国視察ノ途ニ上リ、五月三十日帰京ス。
明治32年3月12日
(1899年)
第29巻 p.453-454(DK290146k)
是日栄一、東京ヲ発シ浦賀ヲ経テ大磯ニ赴キ、二十三日帰京ス。
明治32年3月31日
(1899年)
第29巻 p.454-455(DK290147k)
是日栄一、東京ヲ発シ郷里血洗島ニ赴キ、四月二日帰京ス。
明治32年5月20日
(1899年)
第29巻 p.455(DK290148k)
是日栄一、東京ヲ発シ佐原及ビ成田ニ赴キ、二十一日帰京ス。
明治32年5月28日
(1899年)
第29巻 p.456(DK290149k)
是日栄一、東京ヲ発シ宇都宮ニ赴キ、二十九日帰京ス。
明治32年7月3日
(1899年)
第29巻 p.456(DK290150k)
是日栄一、東京ヲ発シ大阪ニ赴キ、七日帰京ス。
明治32年8月6日
(1899年)
第29巻 p.456-458(DK290151k)
是日栄一、東京ヲ発シ酒匂ノ松濤園ニ赴キ、八日帰京シ、十日大磯ノ濤竜館ニ赴キ、二十四日帰京ス。
明治32年9月9日
(1899年)
第29巻 p.458-459(DK290152k)
是日栄一、東京ヲ発シ高崎ニ赴キ、十日帰京ス。
明治32年10月14日
(1899年)
第29巻 p.459(DK290153k)
是日栄一、東京ヲ発シ浦賀経由、大磯ノ長生館ニ赴キ、十五日帰京ス。
明治32年10月22日
(1899年)
第29巻 p.459-460(DK290154k)
是日栄一、東京ヲ発シ大磯ノ長生館ニ赴キ、二十四日帰京ス。
明治32年11月19日
(1899年)
第29巻 p.460(DK290155k)
是日栄一、東京ヲ発シ大磯ノ長生館ニ赴キ、二十二日帰京ス。
明治32年12月17日
(1899年)
第29巻 p.460-461(DK290156k)
是日栄一、東京ヲ発シ大磯ノ長生館ニ赴キ、十九日帰京ス。
明治33年1月1日
(1900年)
第29巻 p.461-464(DK290157k)
是日栄一、東京ヲ発シ大磯ノ長生館ニ赴キ、十八日帰京ス。
明治33年3月24日
(1900年)
第29巻 p.464(DK290158k)
是日栄一、東京ヲ発シ大磯ノ長生館ニ赴キ、二十六日帰京ス
明治33年6月29日
(1900年)
第29巻 p.464-466(DK290159k)
是日栄一、東京ヲ発シ静岡ニ赴キ、三十日帰京ス。
明治33年8月11日
(1900年)
第29巻 p.466-469(DK290160k)
是日栄一、東京ヲ発シ大磯ノ長生館ニ赴キ、三十日帰京ス。
明治33年10月30日
(1900年)
第29巻 p.469(DK290161k)
是日栄一、東京ヲ発シ韓国視察ノ途ニ上リ、十二月十二日帰京ス。
明治34年1月1日
(1901年)
第29巻 p.469(DK290162k)
是日栄一、東京ヲ発シ大磯ノ長生館ニ赴キ、二日帰京ス。
明治34年4月25日
(1901年)
第29巻 p.469-493(DK290163k)
是日栄一、東京ヲ発シ長野・長岡・新潟・郡山等ヲ視察シ、五月四日帰京ス。
明治34年8月25日
(1901年)
第29巻 p.493-494(DK290164k)
是日栄一、東京ヲ発シ大磯ノ長生館ニ赴キ、九月一日帰京ス。
明治34年9月9日
(1901年)
第29巻 p.494(DK290165k)
是日栄一、東京ヲ発シ郷里血洗島ニ赴キ、十日帰京ス。
明治35年1月1日
(1902年)
第29巻 p.494-497(DK290166k)
是日栄一、東京ヲ発シ大磯ノ長生館ニ赴キ、十五日帰京ス。
明治35年5月15日
(1902年)
第29巻 p.497-498(DK290167k)
是日栄一、夫人同伴横浜出帆、欧米各地巡遊ノ途ニ上リ、十月三十一日帰京ス。
明治36年1月9日
(1903年)
第29巻 p.498(DK290168k)
是日栄一、東京ヲ発シ国府津ノ国府津館ニ赴キ、二十日帰京ス。
明治36年4月21日
(1903年)
第29巻 p.498-501(DK290169k)
是日栄一、夫人同伴東京ヲ発シテ大阪ニ赴キ、二十三日全国銀行大会ニ出席シ、且ツ第五回内国勧業博覧会並ニ関係銀行会社ヲ視察シ、三十日帰京ス。
明治36年8月18日
(1903年)
第29巻 p.501-502(DK290170k)
是日栄一、東京ヲ発シ銚子ノ暁鶏館ニ赴キ、二十三日帰京ス。
明治37年3月6日
(1904年)
第29巻 p.502(DK290171k)
是日栄一、東京ヲ発シ国府津ノ国府津館ニ赴キ、四月二十四日帰京ス。
明治37年8月11日
(1904年)
第29巻 p.502(DK290172k)
是日栄一、東京ヲ発シ箱根蘆ノ湯松阪屋別荘ニ赴キ、九月三日帰京ス。
明治37年10月15日
(1904年)
第29巻 p.502-503(DK290173k)
是日栄一、東京ヲ発シ郷里血洗島ニ赴ク。
明治38年1月4日
(1905年)
第29巻 p.503-505(DK290174k)
是日栄一、東京ヲ発シ大磯ノ長生館ニ赴キ、十四日帰京ス。
明治38年7月9日
(1905年)
第29巻 p.505-507(DK290175k)
是日栄一、東京ヲ発シ北越地方ニ赴キ、関係会社ヲ視察シ、十六日帰京ス。
明治38年8月12日
(1905年)
第29巻 p.507-509(DK290176k)
是日栄一、東京ヲ発シ箱根小涌谷ノ三河屋ニ赴キ、二十五日帰京ス。
明治38年12月26日
(1905年)
第29巻 p.510(DK290177k)
是日栄一、東京ヲ発シ神奈川県金沢ニ赴キ、二十七日帰京ス。
明治39年1月1日
(1906年)
第29巻 p.510-512(DK290178k)
是日栄一、東京ヲ発シ国府津ノ国府津館ニ赴キ、十日帰京ス。
明治39年6月8日
(1906年)
第29巻 p.512(DK290179k)
是日栄一、東京ヲ発シ韓国視察ノ途ニ上リ、七月十八日帰京ス。
明治39年8月12日
(1906年)
第29巻 p.512(DK290180k)
是日栄一、東京ヲ発シ箱根小涌谷三河屋ニ赴キ、二十八日帰京ス。
明治40年1月1日
(1907年)
第29巻 p.512-515(DK290181k)
是日栄一、東京ヲ発シ国府津ノ国府津館ニ赴キ、十六日帰京ス。
明治40年4月25日
(1907年)
第29巻 p.515-516(DK290182k)
是日栄一、東京ヲ発シ甲府ニ赴キ、二十七日帰京ス。
明治40年8月15日
(1907年)
第29巻 p.516-519(DK290183k)
是日栄一、東京ヲ発シ箱根小涌谷ノ三河屋ニ赴キ九月一日帰京ス。
明治40年9月22日
(1907年)
第29巻 p.519-520(DK290184k)
是日栄一、東京ヲ発シ大磯ノ梅浦家別邸ニ赴キ、二十六日帰京ス。
明治40年9月27日
(1907年)
第29巻 p.520(DK290185k)
是日栄一、東京ヲ発シ郷里血洗島ニ赴キ、二十八日帰京ス。
明治41年1月1日
(1908年)
第29巻 p.520-523(DK290186k)
是日栄一、東京ヲ発シ国府津ノ国府津館ニ赴キ、五日大磯ノ長生館ニ移リ、十四日帰京ス。
明治41年6月27日
(1908年)
第29巻 p.523(DK290187k)
是日栄一、東京ヲ発シ大磯ノ梅浦家別邸ニ赴キ、三十日帰京ス。
明治41年8月11日
(1908年)
第29巻 p.523-576(DK290188k)
是日栄一、家族同伴東京ヲ発シ、北海道各地巡覧ノ上、帰途三本木・仙台ニ立寄リ、九月六日帰京ス。
明治41年9月27日
(1908年)
第29巻 p.576-586(DK290189k)
是日栄一、東京ヲ発シ郷里血洗島ニ赴キ、二十八日帰京ス。
明治41年11月15日
(1908年)
第29巻 p.586-587(DK290190k)
是日栄一、東京ヲ発シ静岡ニ赴ク。
明治42年1月9日
(1909年)
第29巻 p.587-589(DK290191k)
是日栄一、東京ヲ発シ大磯ノ長生館ニ赴キ、二十五日帰京ス。
明治42年2月13日
(1909年)
第29巻 p.589(DK290192k)
是日栄一、東京ヲ発シ名古屋ニ赴キ、十五日帰京ス。
明治42年5月14日
(1909年)
第29巻 p.590-592(DK290193k)
是日栄一、夫人及ビ三女愛子ヲ同伴東京ヲ発シ、千葉県勝浦・小湊・北条・船形等ヲ巡回シ、十八日帰京ス。
7章 実業界引退
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治42年6月6日
(1909年)
第29巻 p.593-608(DK290194k)
栄一、古稀齢ニ躋リタルヲ期トシ、第一銀行及ビ東京貯蓄銀行ヲ除ク関係各会社ニ対シ、ソノ職任ヲ辞退セント欲シ、是日、東京瓦斯株式会社専務取締役高松豊吉外二十名ヲ兜町ノ事務所ニ招キテソノ意ヲ述ベ、関係六十一会社並ニ関係諸団体・学校等十七ニ対シ辞任書及ビ書状ヲ発送ス。
8章 住宅
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治6年7月8日
(1873年)
第29巻 p.609-613(DK290195k)
是日栄一、神田小川町裏神保小路ヨリ海運橋兜町二番地ニ移転ス。
明治9年8月26日
(1876年)
第29巻 p.613-616(DK290196k)
是日栄一、深川福住町四番地ニ移転ス。
明治21年12月6日
(1888年)
第29巻 p.616-618(DK290197k)
是ヨリ先明治十九年十二月起工セル兜町ノ新邸落成シ、是日栄一当邸ニ移ル。
明治34年5月10日
(1901年)
第29巻 p.618-622(DK290198k)
是ヨリ先明治十一年、栄一飛鳥山ニ土地ヲ購ヒ、別荘ヲ設ケ、専ラ招宴・接客ニ充テ来リシガ、三十一年五月ニ至リ家屋改築ニ着手、三十三年十二月落成、是日ヲ以テ兜町ヨリ移転ス。以後栄一専ラ当邸ニ起居シ、兜町邸ハ渋沢事務所専用トナス。
明治39年4月2日
(1906年)
第29巻 p.622-624(DK290199k)
是日栄一、篤二ノ新居トシテ三田綱町ノ子爵仁礼景助ノ土地家屋購入ヲ決ス。次イデ四十二年六月深川邸ノ家屋ノ一部移建ヲ加ヘテ新築竣功ス。
当邸ハ専ラ篤二ノ居住セシ所ナルモ、栄一ノ本拠トナス。
9章 雑資料
1節 遭難
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治25年12月11日
(1892年)
第29巻 p.625-632(DK290200k)
是日栄一、伊達宗城ノ病ヲ見舞ハントシテ馬車ニテ外出ノ途上、暴漢ノ襲撃ヲ受ケタルモ、馬ノ傷付キタルノミニテ、事ナキヲ得タリ。
明治34年6月10日
(1901年)
第29巻 p.632-633(DK290201k)
是日栄一、去ル明治二十五年十二月十一日栄一ヲ襲撃シタル暴漢ノ一人千木喜十郎、出獄後先非ヲ悔イテ謹慎セルヲ憐ミ、兜町ノ邸ニ招キ金ヲ与ヘテ将来ヲ戒ム。
2節 蓄音器吹込
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治39年12月
(1906年)
第29巻 p.634(DK290202k)
是月栄一、銀座ノ天賞堂ニ於テ、商業道徳ニ関スル演説ヲ蓄音器ノ音盤ニ録音ス。
3節 自動車乗用
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治42年6月30日
(1909年)
第29巻 p.635-637(DK290203k)
是ヨリ先、明治四十一年十月ヨリ栄一自動車ヲ乗用トス。
是日大磯ニ伊藤博文ヲ訪問ノ帰途、自動車事故ニヨリテ負傷ス。