デジタル版「実験論語処世談」(12) / 渋沢栄一

4. 天は霊的動物に非ず

てんはれいてきどうぶつにあらず

(12)-4

 「天」の果して如何なるものであらうかといふ事に就ては、私の関係して居る帰一協会などの会合でも屡々議論の起るところであるが、或る一部の宗教家中には、天を一種の霊的動物であるかの如くに解釈し、之を人格ある霊体とし、恰も人間が手足を動かして何か仕事をするやうに、絶えず其霊体を動かして、或は人に幸福を授けたり、不幸を下したりするのみならず、祈祷をしたり御すがり申したりすれば、天は之に左右せられて命を二三にするかの如く考へて居らるる方もある。然し「天」は是等の宗教家方の考へらるる如く人格人体を具へたり、祈祷の有無によつて幸か不幸の別を人の運命の上につける如きものでは無い。天の命は人の之を知りもせず覚りもせぬ間に、自然に行はれてゆくものである。素より天は手品師の如き不可思議の奇蹟なぞを行ふ者では無い。

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キーワード
, 霊的動物, 非ず
デジタル版「実験論語処世談」(12) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.32-45
底本の記事タイトル:二〇九 竜門雑誌 第三三六号 大正五年五月 : 実験論語処世談(一二) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第336号(竜門社, 1916.05)
初出誌:『実業之世界』第13巻第2-5号(実業之世界社, 1916.01.15,02.01,02.15,03.01)