デジタル版「実験論語処世談」(12) / 渋沢栄一

15. 私の人と事とに対する態度

わたしのひととこととにたいするたいど

(12)-15

 教育が普及して来たと聞けば、国民が皆智者になるから結構な事であるとて悦ばれるものは大隈伯である。大隈伯に対して如何に議論を吹きかけて来るものがあつても、伯は毫も是を意に介せず――争ひは国を富ますものである、なぞと曰つて悦ばれる。議会なぞでも伯は随分いろ〳〵の議論責めに遇はれる模様であるから、私が其に同情する積で――時には議員に難題を持ちかけられて御迷惑なさる事もあらうなぞと申すと、その時にも亦例の通り――争ひは国を富ますからとて毫も之に辟易せず、依然として悦ばれて居るのが大隈伯である。大隈伯が斯く何事に対しても楽観し、些かたりとも悲観せず、飽くまで悦んだ様子ばかりを見せて、苦しむとか困るとかいふ態を毫も示されぬのは、其間に多少無理があつて我慢し、斯く悲観的態度を示さぬやうに努めらるるにも因るだらうが、伯の性情が根本に於て井上侯なぞと異つて楽観的なるに基づくのである。
 私は、井上侯の如く凡らゆる事物人物に対して悲観的態度を取るものでは無い。さればとて又、大隈伯の如く総てが楽観的だといふわけでも無い。事に対しては井上侯の如く悲観的態度を取り、人に対しては大隈伯の如く楽観的態度を取るのを、私は私の本領として居るのである。事に対しては飽くまで悲観的態度を取つて、念の上にも念を押し、注意の上にも注意を加へ、万失敗を招かぬやうに用心して置かぬと、兎角事と申すものは敗れ易いものである。事に対して楽観の態度を取れば、人は什麽しても調子づいて来て注意が疎略になり、失敗せずに済む事にまでも失敗して、他人へも迷惑をかけ、自分も亦損害を招かねばならぬやうになるものである。これが私の、事に対しては井上主義を把る所以である。

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渋沢栄一, , , 態度
デジタル版「実験論語処世談」(12) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.32-45
底本の記事タイトル:二〇九 竜門雑誌 第三三六号 大正五年五月 : 実験論語処世談(一二) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第336号(竜門社, 1916.05)
初出誌:『実業之世界』第13巻第2-5号(実業之世界社, 1916.01.15,02.01,02.15,03.01)