デジタル版「実験論語処世談」(12) / 渋沢栄一

14. 井上侯と大隈伯との別

いのうえこうとおおくまはくとのべつ

(12)-14

 私は井上侯が何事に対しても其弊ばかりを列挙して説かれ、盛んに悲観説を唱道せらるるのを聞く毎に、常に之に反対したものである。楯には両面のあるもので、弊と共に必ずや又利もある。利害とか欠点長所とかは、恰も糾へる縄の如く、決して単独に存在するものでは無い。利の在るところには必ず害を伴ひ、害のあるところには必ず利が潜んで居る。人は欠点ばかりの人物であり得ぬやうに、美点長所ばかりの人物にも成り得ぬものである。会社組織は社会に利を与へ、産業の発達に貢献するに相違ないが、同時に弊が無いでも無い。会社を発起する者のうちには、株主の出資した他人の金銭を預つて置きながら毫も事業を進捗せず、株金を着服私消してしまふ者もある。又、親しく事業の経営に当つても、少しくプリミアムでも付いて株式の値段が高くなつたと看て取るや否や、直に我が持株を売り抜いて後難を避くるに汲々とし、自ら発起した事業に対して、毫も誠意を持たぬ者もある。甚だしきに至つては、会社を発起する当初から世人を欺瞞して株金を寄せ集め、之を私消せんと目論む者さへある。孰れも慨はしい現象たるに相違ないが、これは唯、会社の弊を挙げたのみで、かく弊の多いやうに、会社は又絶大の効益を社会に与ふるものである。井上侯は、何事にも弊害のある方面のみを看て、社会に与ふる利益を看過せられる癖があつたから、私は常に侯に向ひ、事物の良い方面をも御覧になるやうにと御勧め申したものである。
 是に至ると、大隈伯は井上侯と全く其態度を異にし、これは又頗る楽観的で、何事に対しても其弊や害を看られず、その社会に及ぼす効益を挙げて悦ばるる傾向がある。

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井上馨, 大隈重信,
デジタル版「実験論語処世談」(12) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.32-45
底本の記事タイトル:二〇九 竜門雑誌 第三三六号 大正五年五月 : 実験論語処世談(一二) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第336号(竜門社, 1916.05)
初出誌:『実業之世界』第13巻第2-5号(実業之世界社, 1916.01.15,02.01,02.15,03.01)