17. 孔夫子の管仲観
こうふうしのかんちゅうかん
(12)-17
子曰。管仲之器小哉。或曰。管仲倹乎。曰。管氏有三帰。官事不摂焉得倹。然則管仲知礼乎。曰。邦君樹塞門。管氏亦樹塞門。邦君為両君之好有反坫。管氏亦有反坫。管氏而知礼。孰不知礼。【八佾第三】
(子曰く、管仲の器は小なるかな。或人曰く、管仲は倹なるか。曰く、管氏は三帰を有して官事摂せず、焉ぞ倹なる事を得ん。然らば則ち管仲は礼を知るか。曰く、邦君樹して門を塞げば、管氏も亦樹して門を塞ぎ、邦君両君の好みを為すに反坫あれば、管氏も亦反坫あり。管氏にして礼を知らば、孰れか礼を知らざらん。)
茲に掲げた章句は、孔夫子が斉の桓公の宰相を勤めた管仲を批評せられたる語である。私は、これまでも屡〻申述べおける如く、論孟の学者では無い。随て私が論語の章句に就て御話する処も、古くから支那に行はれた慣習、典礼、歴史などを考証して、過り無き解釈を申上ぐるといふわけには参らず、ただ、自分が日常世に処するに当り、如何に論語に拠つて進退去就を決し来つたかを御話するまでに過ぎぬのである。されば、菲徳の私が、自分の到らぬ意見によつて、僣上にも聖人の御心を忖度する如き嫌ひが無いでもなく、甚だ以て恐れ入る次第であるが、茲に挙げた章句に於て、孔夫子は管仲を非難せられて居らるるかの如くに思はれる。然し同じ論語のうちでも、憲問篇に於ては、全然、此の反対で甚く管仲を称揚せられ、「微管仲。吾其被髪左衽矣。」(管仲無かりせば、吾れ其れ髪を被り衽を左にせん)とまで仰せられて居る。今この二個所の章句を相対比して稽へると、孔夫子は二枚舌を使はれたかの如くに凡俗の眼よりは見えぬでも無い。(子曰く、管仲の器は小なるかな。或人曰く、管仲は倹なるか。曰く、管氏は三帰を有して官事摂せず、焉ぞ倹なる事を得ん。然らば則ち管仲は礼を知るか。曰く、邦君樹して門を塞げば、管氏も亦樹して門を塞ぎ、邦君両君の好みを為すに反坫あれば、管氏も亦反坫あり。管氏にして礼を知らば、孰れか礼を知らざらん。)
- デジタル版「実験論語処世談」(12) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.32-45
底本の記事タイトル:二〇九 竜門雑誌 第三三六号 大正五年五月 : 実験論語処世談(一二) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第336号(竜門社, 1916.05)
初出誌:『実業之世界』第13巻第2-5号(実業之世界社, 1916.01.15,02.01,02.15,03.01)