デジタル版「実験論語処世談」(12) / 渋沢栄一

18. 公平なる孔夫子の人物評

こうへいなるこうふうしのじんぶつひょう

(12)-18

 然し一歩踏み込んで更に深く稽へると、或る処に於て管仲を非難し或る処に於て管仲を称揚せられて居るのが、孔夫子の決して一方に偏せぬ公平な考への方であつた事を明かにするものと謂はねばならぬ。普通の人ならば一たび賞める態度に出づると飽くまでも賞め、一たび非難する態度に出づると飽くまで非難するやうになりたがる傾きのあるものだが、孔夫子におかせられては決して斯る弊に陥られず、善を善とし悪を悪とし、好んでも能く其悪を知り、疾んでも能く其好きを忘れ給はなかつたのである。
 管仲は支那の世界が戦国にならぬ前の春秋の時代のうちに現れた政治家であるが、当時既に封建の弊竇甚しく、群雄諸方に割拠し、統一が天下に無かつたものである。この時に当り斉の桓公に仕へた管仲に果して周の天下を再興し、天下一統の実を挙げようとの意志があつたか什麽か、其辺のところまで今俄に断ずるわけには参らぬが、兎に角桓公を輔けて之を諸侯に覇たらしめ、一致団結の力によつて、蒙古族等の支那侵入を防ぎ、依て以て支那の文化を維持するを得せしめた功は決して没すべきでは無い。孔夫子は管仲の斯の功を称揚せられたのである。然し、管仲の遺著たる「管子」なんかを読めば、そのうちには「衣食足つて礼節を知る」などの語があるによつて知り得らるる如く、管仲といふ人は経済のことにも相当心得のあつた人物らしく思はれる。それだけ又、何処かに悪る細かいコセコセした処もあつたので孔夫子は之を管仲の短所なりと看て取られ、「管仲の器は小なる哉」と仰せられたものであるらしい。

全文ページで読む

デジタル版「実験論語処世談」(12) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.32-45
底本の記事タイトル:二〇九 竜門雑誌 第三三六号 大正五年五月 : 実験論語処世談(一二) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第336号(竜門社, 1916.05)
初出誌:『実業之世界』第13巻第2-5号(実業之世界社, 1916.01.15,02.01,02.15,03.01)