デジタル版「実験論語処世談」(12) / 渋沢栄一

8. 節度ある人は残酷陰険

せつどあるひとはざんこくいんけん

(12)-8

 楽んで淫せず哀んで傷らず、其悪を疾んで其好きを忘れぬ人は、是れ節度のある人でなけれ無ければ[無ければ]斯る中庸は得られぬものである。然し又、節度のある人にも亦、人間たるの悲しさ、往々欠点を伴ふものである。一たび楽めば淫するほどになり、一たび哀めば傷るるまでになつて、極端に走り易い人にも亦棄て難い美点のあるもので、人情に篤く飽くまで他人の世話を焼いて何が何でも面倒を見てやらうと片肌ぬぎになるのは、斯る種類の人に多いものである。之に反し常に何事にも極端にならぬやうにと心懸け、走りかけても中途で考へるといふほどに飽くまで節度を重ずるのを以て、処世の方針とする人は、人情に薄く、事にも人にも深ハマリをせず、何となく冷淡で残酷な性情を有するものである。少し悪意に解釈する人の眼から観れば、陰険なところがあると曰はれても否むわけに参らぬやうな傾向を持つて居るのが、節度ある人の弊とでも申すべきものだらうかと存ずるのである。
 私は、青年子弟諸君に向つて人間は孔夫子の教へられたる如く、楽んで淫せず哀んで傷らず、人の悪を疾んでも猶ほ其の好きを知るほどの節度ある人物にならねばならぬものだと御勧めすると同時に、節度を守る弊に陥つて薄情となり、冷淡となり、残酷に流れるやうな事があつてはならぬと忠告したいのである。世の中と申すものは決して理智ばかりで渡れるものでは無い。そこに温かい人情がなければならぬものである。節度を守るに就ても矢張又中庸を得るのが大切である。節度を守る事も余り極端になつてしまへば、楽んで淫し哀んで傷れるのと大した差が無いことになる。ここが実際に臨み身を処するに当つて却々六ケしいところである。

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キーワード
節度, , 残酷, 陰険
デジタル版「実験論語処世談」(12) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.32-45
底本の記事タイトル:二〇九 竜門雑誌 第三三六号 大正五年五月 : 実験論語処世談(一二) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第336号(竜門社, 1916.05)
初出誌:『実業之世界』第13巻第2-5号(実業之世界社, 1916.01.15,02.01,02.15,03.01)