デジタル版「実験論語処世談」(12) / 渋沢栄一

16. 人は他人に害を与ふる意無し

ひとはたにんにがいをあたふるいなし

(12)-16

 事に対しては、井上主義の悲観で差支ないのみならず、寧ろ井上主義で無ければならぬほどのものであるが、人に対してまでも井上主義を取るのはよろしく無いのである。私は人に対すれば、何時でも大隈主義で、他人には決して自分に害を与へる意志の無いものと観るのである。既に是れまで談話致せるうちにも申述べおけるが如く、如何なる人でも、決して相手に害を与へようとの心懸けで、態々出かけて来るものでは無い。何かの依頼事で来らるる人でも、別に私に害を加へる積で来らるるので無く、自分の力だけでできぬ事が、私の許に出て来れば、どうにか弁じ得らるるものと思はれるからである。又金銭上の合力を頼みに来られる人もある。今朝(大正四年十月十七日)も、斯る御仁が三四人自邸へ見えたのであるが、斯の種の人々とても私に害を与へようとの意志は毛頭無いのである。ただ、如何に自分が金銭に窮するからとて、別に労役もせずに、他人へ金銭上の合力を依頼しようといふのは、全く筋違ひである丈けで、別に私に損害を懸ける意志でも何でもなく、自分が窮乏した苦しさの余り、私を慈善家ででもあるかの如く思はれて、斯く合力を依頼に来られるものであらうと存ぜられるのである。
 私は、自分の家族を維持するに足るくらゐの資産丈けはあるが、然し、限りなき慈善を致し得るまでの資産家では無い。さればとて五拾銭や壱円の施しを致したからとて、一家の維持が立ち行か無くなるといふわけでも無いから、五拾銭壱円の合力を頼みに来たのなら贈るが可からうと申付けたのである。それでも是等の人々が私に損害をかけようとて自邸の玄関を訪はれたものとは思はぬのである。

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デジタル版「実験論語処世談」(12) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.32-45
底本の記事タイトル:二〇九 竜門雑誌 第三三六号 大正五年五月 : 実験論語処世談(一二) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第336号(竜門社, 1916.05)
初出誌:『実業之世界』第13巻第2-5号(実業之世界社, 1916.01.15,02.01,02.15,03.01)