デジタル版「実験論語処世談」(12) / 渋沢栄一

19. 孔夫子は管仲を責めず

こうふうしはかんちゅうをせめず

(12)-19

 孔夫子が斯く「管仲の器は小なる哉」と評せられたのを耳にしたる或人は、その意外なる批評に不審を懐き、「然らば器の小なる丈けに管仲には倹約の長所があつたのではあるまいか」と孔夫子に御尋ねに及ぶと「いや、倹約でも無い、管仲は却々の贅沢家で、三帰台と称せられた別荘を所有せるのみならず、官事と称せらるる一人の家臣をして諸事を兼摂せしめ、間に合はすべき処に多数の家臣を置き、夫々分担によつて家事を宰せしむることにして居る。これによつて観れば倹約の人であるとは謂ひ得べきで無い」と御答へになつたものだから、或る人は更に「若し倹約で無かつたとしても、器が小さかつた丈けに礼を知る点に於て管仲は優れて居つたやうに思ふが、如何なもので厶らうか」と重ねて問ひ返したのである。之に対し孔夫子は又「いや、管仲は礼をも弁へぬ男である。我が仕へる君公即ち邦君が、樹を門に植ゑて目かくしにせらるるのを見れば、直ぐ之を真似て我が門にも樹を植ゑ、又君公が隣国との親善を厚うし、両国君主の好みを完うせん為め宴を開く際、酒杯を置く台として反坫といふものを作られたと聞けば、自分でも其の反坫なるものを作つたりなぞして居る。是れ、人臣の身を以て君主を凌ぐ僣上の沙汰で、礼を弁へたるものと謂ひ得べきで無い」と孔夫子は答へられ、管仲の欠点は飽くまで之を欠点とし毫も曲庇せらるるやうなことは無かつたのであるが、之を以て一概に孔夫子が管仲の欠点を指摘して之を責められたものと思うてはならぬのである。

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デジタル版「実験論語処世談」(12) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.32-45
底本の記事タイトル:二〇九 竜門雑誌 第三三六号 大正五年五月 : 実験論語処世談(一二) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第336号(竜門社, 1916.05)
初出誌:『実業之世界』第13巻第2-5号(実業之世界社, 1916.01.15,02.01,02.15,03.01)