デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.13

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
5款 社団法人東京銀行集会所 東京銀行倶楽部
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正11年2月24日
(1922年)
第51巻 p.5(DK510001k)
是日、東京銀行倶楽部ニ於テ、栄一並ニ添田寿一頭本元貞ノ帰国歓迎会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正11年12月11日
(1922年)
第51巻 p.5-8(DK510002k)
是日、外務省情報部次長田中都吉ヲ招待シテ、東京銀行倶楽部第百八十二回晩餐会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正12年1月
(1923年)
第51巻 p.8-20(DK510003k)
栄一、是月発行ノ「銀行通信録」ニ『物質界及精神界に対する予の希望』ト題スル一文ヲ寄稿ス。
大正12年2月15日
(1923年)
第51巻 p.20-22(DK510004k)
是日、ポーランド国駐箚特命全権公使川上俊彦・東京商業会議所副会頭山科礼蔵ヲ招待シテ、東京銀行倶楽部第百八十四回晩会餐開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正12年6月20日
(1923年)
第51巻 p.22-24(DK510005k)
是日、東京市長永田秀次郎・同助役馬越俊雄等ヲ招待シテ、東京銀行倶楽部第百八十八回晩餐会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正12年11月
(1923年)
第51巻 p.24-35(DK510006k)
栄一、是月発行ノ「銀行通信録」ニ『大震災の追想と所感の一二』ト題スル一文ヲ寄稿ス。
大正12年12月25日
(1923年)
第51巻 p.35-36(DK510007k)
是日、大蔵大臣井上準之助・日本銀行総裁市来乙彦ヲ招待シテ、東京銀行倶楽部第百八十九回晩餐会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正13年4月
(1924年)
第51巻 p.37-42(DK510008k)
栄一、是月発行ノ「銀行通信録」ニ『復興第一年の年頭所感』ト題スル一文ヲ寄稿ス。
大正13年5月20日
(1924年)
第51巻 p.42-48(DK510009k)
是日、横浜正金銀行副頭取一宮鈴太郎ヲ招待シテ、東京銀行倶楽部第百九十四回晩餐会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正13年7月24日
(1924年)
第51巻 p.49-51(DK510010k)
是日、内閣総理大臣加藤高明他閣僚ヲ招待シテ、東京銀行倶楽部第百九十六回晩餐会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正13年7月
(1924年)
第51巻 p.51-56(DK510011k)
栄一、是月発行ノ「銀行通信録」ニ『加藤内閣に望む』ト題スル一文ヲ寄稿ス。
大正14年2月
(1925年)
第51巻 p.56-62(DK510012k)
栄一、是月発行ノ「銀行通信録」ニ『思想界の趨向を憂ひて』ト題スル一文ヲ寄稿ス。
大正15年10月26日
(1926年)
第51巻 p.62-64(DK510013k)
是日、東京銀行倶楽部第二百十七回晩餐会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
昭和2年6月14日
(1927年)
第51巻 p.64-67(DK510014k)
是日、前大蔵大臣高橋是清・大蔵大臣三土忠造ヲ招待シテ、東京銀行倶楽部第二百二十二回晩餐会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
昭和2年9月21日
(1927年)
第51巻 p.67-69(DK510015k)
是日、日本銀行総裁井上準之助ヲ招待シテ、東京銀行倶楽部第二百二十三回晩餐会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
昭和3年1月25日
(1928年)
第51巻 p.69-72(DK510016k)
是日、東京銀行倶楽部新年晩餐会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
昭和3年3月
(1928年)
第51巻 p.72-80(DK510017k)
栄一、是月発行ノ「銀行通信録」ニ『我国に於ける銀行創設の回顧』ト題スル一文ヲ寄稿ス。
昭和4年1月
(1929年)
第51巻 p.80-87(DK510018k)
栄一、是月発行ノ「銀行通信録」ニ『新年所感』ト題スル一文ヲ寄稿ス。
昭和5年1月
(1930年)
第51巻 p.87-95(DK510019k)
栄一、是月発行ノ「銀行通信録」ニ『年頭漫談』ト題スル一文ヲ寄稿ス。
昭和6年2月
(1931年)
第51巻 p.95-100(DK510020k)
栄一、是月発行ノ「銀行通信録」ニ『往時を回想して切に将来の社会に望む』ト題スル一文ヲ寄稿ス。
昭和6年11月15日
(1931年)
第51巻 p.100-104(DK510021k)
是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、東京銀行集会所・東京銀行倶楽部ヨリ各弔詞ヲ贈ル。尚、是月発行ノ「銀行通信録」ニ追悼文ヲ掲グ。
十二月十一日、日比谷公会堂ニ於テ、東京銀行集会所及ビ日本経済聯盟会・日本工業倶楽部・日華実業協会・東京商工会議所主催ニヨル「渋沢子爵追悼会」開催サル。
6款 金融関係諸会 1. 鰻会
○鰻会ノ成立ニ就イテハ資料ヲ欠クモ、明治中期以後金融界ト政界トノ連絡機関トシテ久シク存続シ、経済界ニ遺シタル業積少シトセズ。而シテ一面ニハ社交的機関タリシモノノ如ク、会自体ノ記録ハ存セズ。
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年7月8日
(1910年)
第51巻 p.105(DK510022k)
是日栄一、日本銀行集会所ニ開カレタル鰻会ニ出席ス。
6款 金融関係諸会 2. 京都銀行集会所
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第51巻 p.105-106(DK510023k)
--
6款 金融関係諸会 3. 名古屋銀行集会所
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第51巻 p.106(DK510024k)
--
6款 金融関係諸会 4. 鮟鱇会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年1月18日
(1911年)
第51巻 p.106-108(DK510025k)
是ヨリ先明治四十年一月十八日、鮟鱇会開カレ、栄一参加出席ス。是日栄一、日本銀行集会所ニ開カレタル当会ニ出席シ、爾後屡々当会ニ出席ス。
6款 金融関係諸会 5. 関西銀行大会懇親会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治45年4月16日
(1912年)
第51巻 p.108-112(DK510026k)
是日栄一、大阪ホテルニ開カレタル関西銀行大会懇親会ニ出席シ、演説ヲナス。
6款 金融関係諸会 6. 奥羽同盟銀行会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第51巻 p.112-113(DK510027k)
--
6款 金融関係諸会 7. 銀行員同攻会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正元年11月20日
(1912年)
第51巻 p.114-126(DK510028k)
是日栄一、東京銀行集会所ニ開カレタル銀行員同攻会ニ出席シ「明治年間に於ける銀行業の沿革」ト題シテ講演ヲナス。
6款 金融関係諸会 8. 大蔵大臣招宴関係
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第51巻 p.126-129(DK510029k)
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6款 金融関係諸会 9. 其他
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第51巻 p.129-130(DK510030k)
--
2節 手形
1款 東京手形交換所
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治42年12月20日
(1909年)
第51巻 p.131(DK510031k)
是日、銀行倶楽部ニ於テ当交換所及ビ東京銀行集会所・銀行倶楽部・東京興信所四団体主催ニヨル、渡米実業団京浜団員帰国歓迎会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
明治43年1月19日
(1910年)
第51巻 p.131-134(DK510032k)
是ヨリ先、前年七月七日ニ開カレタル当交換所第百四十回定式集会ニ於テ、栄一ノ当交換所委員辞任ノ件ヲ議シ、次期改選期迄留任ヲ請フベキコトニ協定シタルガ、是日開カレタル当交換所第百四十四回定式集会ノ改選ニ於テ、栄一再ビ豊川良平池田謙三ト共ニ委員ニ選バル。
明治44年1月6日
(1911年)
第51巻 p.134-143(DK510033k)
是日栄一、各地手形交換所代表トシテ、池田謙三ト連署シテ、商法改正意見ヲ司法大臣岡部長職・貴族院議長徳川家達・衆議院議長長谷場純孝・法制局長官安広伴一郎ニ提出ス。
明治44年1月20日
(1911年)
第51巻 p.143-152(DK510034k)
是日栄一、東京銀行集会所ニ開カレタル当交換所第百五十一回定式集会ニ出席シ、議長トシテ定例議事ヲ司宰シタル後、委員改選ニ際シ池田謙三・佐々木勇之助・三村君平ヲ指名ス。尚、先ニ委員ヲ退任セル豊川良平ニ感謝状並ニ記念品ヲ贈呈ス。次イデ新年宴会開カレ栄一演説ヲナス。
十二月三十日、栄一、創立以来委員・委員長トシテ尽力セル功ニ対シ当交換所ヨリ記念品ヲ贈ラル。
明治44年1月27日
(1911年)
第51巻 p.152(DK510035k)
是日、当交換所及ビ東京銀行集会所・銀行倶楽部主催ニヨル豊川良平慰労会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
明治44年6月21日
(1911年)
第51巻 p.152-153(DK510036k)
是日、東京銀行集会所ニ於テ当交換所・東京銀行集会所・銀行倶楽部主催、松尾・高橋新旧日本銀行総裁、三島・井上正金銀行新正副頭取送迎会開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
明治45年1月15日
(1912年)
第51巻 p.153-157(DK510037k)
是日栄一、銀行倶楽部ニ催サレタル、当交換所組合銀行新年宴会ニ出席シテ演説ヲナス。
大正5年1月18日
(1916年)
第51巻 p.157-164(DK510038k)
是日栄一、銀行倶楽部ニ催サレタル、当交換所組合銀行新年宴会ニ出席シテ演説ヲナス。
大正7年11月16日
(1918年)
第51巻 p.165-167(DK510039k)
是日栄一、東京銀行倶楽部ニ催サレタル、当交換所主催ノ休戦祝賀会ニ出席シテ演説ヲナス。
大正10年1月19日
(1921年)
第51巻 p.167-172(DK510040k)
是日栄一、東京銀行倶楽部ニ催サレタル、当交換所組合銀行新年宴会ニ出席シテ演説ヲナス。
昭和6年11月15日
(1931年)
第51巻 p.172-176(DK510041k)
是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、当交換所ヨリ弔詞ヲ贈ル。
2款 全国手形交換所聯合会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年10月23日
(1910年)
第51巻 p.177-180(DK510042k)
是日栄一、東京銀行集会所ニ開カレタル、全国手形交換所聯合懇親会ニ出席シテ演説ヲナス。
明治45年3月12日
(1912年)
第51巻 p.180-184(DK510043k)
是日栄一、帝国ホテルニ開カレタル、第十回全国手形交換所聯合懇親会ニ出席シテ演説ヲナス。
大正2年12月10日
(1913年)
第51巻 p.184-186(DK510044k)
是日栄一、帝国ホテルニ開カレタル、全国手形交換所聯合懇親会ニ出席シテ演説ヲナス。
大正7年4月4日
(1918年)
第51巻 p.186-189(DK510045k)
是日栄一、東京銀行倶楽部ニ開カレタル、第十五回全国手形交換所聯合懇親会ニ出席シテ演説ヲナス。
大正9年4月22日
(1920年)
第51巻 p.189-191(DK510046k)
是日栄一、東京銀行倶楽部ニ開カレタル、第十七回全国手形交換所聯合懇親会ニ出席シテ演説ヲナス。
3節 興信所
1款 株式会社東京興信所
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年9月14日
(1910年)
第51巻 p.192-193(DK510047k)
是日当所所長森下岩楠、ベルリンノシンメルフェング興信所主子息ハンス・シンメルフェングヲ帝国ホテルニ招待ス。栄一、当所評議員会長トシテ出席ス。尚、屡々評議員会ニ出席ス。
明治44年7月19日
(1911年)
第51巻 p.193-194(DK510048k)
是日栄一、当所評議員会ニ出席ス。尚、其後モ屡屡評議員会ニ出席ス。
明治45年2月2日
(1912年)
第51巻 p.194-195(DK510049k)
是日栄一、当所発起会員総会ニ出席シ評議員会長トシテ議事ヲ司宰ス。尚、屡々評議員会ニ出席ス。
大正2年2月13日
(1913年)
第51巻 p.195-197(DK510050k)
是日栄一、当所評議員会ニ出席シ、所員増給ノ件ニ付キ協議ス。尚、屡々評議員会ニ出席ス。
大正3年2月18日
(1914年)
第51巻 p.198-199(DK510051k)
是日栄一、当所評議員会ニ出席シ、次イデ三月三日、発起会員総会ニ出席、評議員会長トシテ議事ヲ司宰ス。
大正4年5月14日
(1915年)
第51巻 p.199-200(DK510052k)
是日栄一、当所評議員会ニ出席シ、理事堀井卯之助辞職並ニ後任理事選定ノ件等ニ付キ協議ス。
大正5年8月2日
(1916年)
第51巻 p.200-203(DK510053k)
是日栄一、当所評議員会長ヲ辞ス。翌六年六月、相談役就任ヲ懇請サレシモ辞シテ受ケズ。同年九月当所ヨリ記念品ヲ贈ラル。
大正9年2月5日
(1920年)
第51巻 p.203-206(DK510054k)
是日栄一、当所創立二十五年記念ニ当リ、所長佐藤正美ニ書翰ヲ送リ祝意ヲ表ス。
昭和6年11月15日
(1931年)
第51巻 p.206-207(DK510055k)
是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、当所ヨリ弔詞ヲ贈ル。
4節 保険
1款 東洋生命保険株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年7月20日
(1910年)
第51巻 p.208-219(DK510056k)
是ヨリ先、四十二年十月、尾高次郎当会社社長ニ就任シ、改革ヲ栄一ニ計ル。栄一株主トナリ、是日、当会社臨時株主総会ニ出席シ、重役改選ニアタリ之ヲ指名シ、且席上訓示演説ヲナス。又是ヨリ当会社ノ為メ尽力ス。
明治44年10月28日
(1911年)
第51巻 p.219-220(DK510057k)
是日、築地精養軒ニ於テ、当会社契約高一千万円祝賀会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正元年11月22日
(1912年)
第51巻 p.220-222(DK510058k)
是日、築地精養軒ニ於テ、当会社契約高二千万円祝賀会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正2年3月14日
(1913年)
第51巻 p.223-224(DK510059k)
是日、生命保険協会ニ於テ、当会社主催、第一銀行幹部招待会開カル。栄一出席シテ挨拶ヲナス。
大正2年9月24日
(1913年)
第51巻 p.224-228(DK510060k)
是日、帝国ホテルニ於テ、当会社契約高三千万円祝賀会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正3年4月6日
(1914年)
第51巻 p.228-229(DK510061k)
是日、築地新喜楽ニ於テ、当会社主催、第一銀行幹部招待会開カル。栄一出席シテ挨拶ヲナス。
大正3年6月11日
(1914年)
第51巻 p.229-230(DK510062k)
是日栄一、中国旅行ヨリノ帰途、広島ニ於ケル同市商業会議所主催ノ講演会ニ臨ミ、講演後、当会社代理店主幹・社員等ニ対シ一場ノ訓示ヲナス。
大正4年4月13日
(1915年)
第51巻 p.230-235(DK510063k)
是日栄一、当会社名古屋支部ノ代理店招待園遊会ニ臨ミ、演説ヲナス。
大正4年4月23日
(1915年)
第51巻 p.236-237(DK510064k)
是日、浜町常盤屋ニ於テ、当会社主催、第一銀行幹部招待会開カル。栄一出席シテ挨拶ヲナス。
大正5年11月13日
(1916年)
第51巻 p.237-239(DK510065k)
是日、日本橋倶楽部ニ於テ、当会社主催、第一銀行幹部招待会兼栄一喜寿祝賀会開カル。栄一出席シテ挨拶ヲナス。
大正6年7月20日
(1917年)
第51巻 p.239-243(DK510066k)
是日、上野精養軒ニ於テ、当会社七週年記念兼契約高四千万円祝賀会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正6年10月9日
(1917年)
第51巻 p.243-246(DK510067k)
是日栄一、新潟市ニ於ケル、当会社新潟県代理店聯合歓迎会ニ臨ミ、演説ヲナス。
大正7年6月16日
(1918年)
第51巻 p.246-254(DK510068k)
是日、帝国ホテルニ於テ、当会社契約高五千万円祝賀会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。次イデ翌十七日、当会社ニ於テ、祝賀会ニ出席ノタメ上京セル各地代理店主幹及ビ社員等ニ対シ、一場ノ訓話ヲナス。
大正9年2月8日
(1920年)
第51巻 p.254-255(DK510069k)
是ヨリ先、一月二十四日、栄一、鎌倉ニ当会社社長尾高次郎ノ病床ヲ訪フ。是月四日同人歿ス。是日、上野寛永寺ニ於テ葬儀執行セラレ、栄一列席シテ、会葬者ニ謝詞ヲ述ブ。
大正9年3月10日
(1920年)
第51巻 p.255-256(DK510070k)
是日栄一、日本橋花屋ニ於ケル、当会社招宴ニ出席ス。
大正9年10月4日
(1920年)
第51巻 p.256-276(DK510071k)
是日、芝増上寺ニ於テ、故当会社社長尾高次郎ノ追善法会営マル。栄一出席シテ来会者ニ謝詞ヲ述ブ。翌五日、帝国劇場ニ於テ、当会社組織更革十週年記念祝賀会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。次イデ六日、飛鳥山邸ニ於テ、栄一ニ対スル当会社ノ謝恩式及ビ園遊会開カル。栄一臨席シテ訓話ヲナス。
大正12年1月9日
(1923年)
第51巻 p.276-278(DK510072k)
是ヨリ先、十一年七月二十日、当会社臨時株主総会ニ於テ、定款ヲ改正シテ新タニ専務取締役制ヲ設ケ、二十七日木村雄次専務取締役ニ就任ス。是日栄一、木村雄次ニ書ヲ寄ス。
大正12年3月4日
(1923年)
第51巻 p.278(DK510073k)
是日栄一、当会社専務取締役木村雄次等ノ来訪ニ接シ、当会社業務改善ノ順序ヲ聞キ、訓示ヲナス。
大正12年10月27日
(1923年)
第51巻 p.278-283(DK510074k)
是日栄一、当会社専務取締役木村雄次ノ来訪ニ接シ、震災報告書ヲ受ク。
大正13年1月14日
(1924年)
第51巻 p.283-288(DK510075k)
是日栄一、当会社支店長会議ニ出席シ、訓話ヲナス。
大正13年5月30日
(1924年)
第51巻 p.288-289(DK510076k)
是月二十九日、大蔵大臣勝田主計ヨリ栄一ニ、当会社専務取締役木村雄次ノ転任ヲ要望スル旨ノ来書アリ。是日栄一、右ノ意向ニ副ヒ難キ旨ノ書翰ヲ発ス。
大正14年2月21日
(1925年)
第51巻 p.289-290(DK510077k)
是月二十日、木村雄次当会社社長ニ当選就任ス。是日栄一、ソノ来訪ニ接ス。
大正15年2月2日
(1926年)
第51巻 p.290-293(DK510078k)
是日栄一、当会社社長木村雄次ノ来訪ニ接シ、当会社ノ近況ヲ聞ク。
昭和2年1月6日
(1927年)
第51巻 p.293-295(DK510079k)
是日栄一、当会社社長木村雄次ノ来訪ニ接シ、取締役尾高豊作辞任ノ件ニ付キ報告ヲ聞ク。
昭和3年2月21日
(1928年)
第51巻 p.295(DK510080k)
是日栄一、当会社社長木村雄次ノ来訪ニ接シ、当会社ノ近況ニ付キ説明ヲ聞ク。
昭和6年11月15日
(1931年)
第51巻 p.295-305(DK510081k)
是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、当会社ヨリ弔詞ヲ贈ル。
2款 日本傷害保険株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年7月
(1911年)
第51巻 p.306-308(DK510082k)
是月、粟津清亮等ニヨリ、日本傷害保険株式会社設立セラル。栄一株主トナル。
3款 日本徴兵保険株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年9月20日
(1911年)
第51巻 p.309-311(DK510083k)
是ヨリ先、波多野承五郎等ニヨリ、日本徴兵保険株式会社ノ設立発起セラレ、是日創立総会開カル。栄一株主トナル。
4款 帝国火災保険株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治45年4月15日
(1912年)
第51巻 p.312-313(DK510084k)
是ヨリ先、根津嘉一郎等ニヨリ、帝国火災保険株式会社ノ設立発起セラレ、是日創立総会開カル。栄一株主トナル。
5款 東邦火災保険株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正4年5月20日
(1915年)
第51巻 p.314-315(DK510085k)
是ヨリ先、田健治郎等ニヨリ、東邦火災保険株式会社設立セラレタルモ、業務振ハズ。是日栄一、大株主会ニ出席シテ意見ヲ述ブ。
6款 扶桑海上保険株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正5年11月5日
(1916年)
第51巻 p.316-318(DK510086k)
是日栄一、扶桑海上保険株式会社発起人会ニ出席シ、座長トナリ、加藤正義外七名ノ創立委員ヲ指名ス。
大正6年11月10日
(1917年)
第51巻 p.318-321(DK510087k)
是日栄一、当会社発起人会ニ出席シ、取締役及ビ監査役ヲ指名ス。
7款 第一火災海上保険株式会社
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大正6年1月29日
(1917年)
第51巻 p.322-323(DK510088k)
是ヨリ先、坂田実等ニヨリ、第一火災海上保険株式会社ノ設立発起セラレ、是日創立総会開カル。栄一賛成人ノ一人タリ。
8款 東京海上火災保険株式会社
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昭和6年11月15日
(1931年)
第51巻 p.324(DK510089k)
是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、当会社ヨリ弔詞ヲ贈ル。
9款 関東大震災火災保険金支払問題
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大正12年10月4日
(1923年)
第51巻 p.325-336(DK510090k)
是ヨリ先栄一、内務大臣後藤新平・大蔵大臣井上準之助ニ面会シテ、関東大震火災罹災者ニ対スル火災保険金支払問題ニツキ意見ヲ述ブ。是日栄一、個人ノ資格ヲ以テ、農商務省ニ農商務大臣田健治郎ヲ訪ヒ、政府ニ於テ具体案ヲ示スベキヲ要請ス。
大正12年11月17日
(1923年)
第51巻 p.336-341(DK510091k)
是日栄一、大蔵大臣井上準之助ヲ訪問シ、火災保険金支払ノ件ニ関シテ懇談ス。
大正12年12月8日
(1923年)
第51巻 p.341-342(DK510092k)
是日、東京市長永田秀次郎、渋沢事務所ニ栄一ヲ訪ヒ、火災保険問題等ニツキ、臨時議会ニ於テ議会ト政府ト衝突ノ生ゼンコトヲ懼レ、ソノ回避ニツキ栄一ニ尽力ヲ請フ。栄一尽力ス。
大正13年1月14日
(1924年)
第51巻 p.342-353(DK510093k)
是日栄一、農商務大臣前田利定ト会見シ、政府ノ意向ヲ訊ス。三月ニ至リ、政府ノ責任支出並ニ会社側ノ出捐ニヨリ、当問題ハ解決スルニ至ル。
5節 諸金融機関
1款 復興建築助成株式会社
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大正14年1月2日
(1925年)
第51巻 p.354-359(DK510094k)
是日、東京市長中村是公、湯河原天野屋旅館ニ滞在中ノ栄一ヲ訪ヒ、復興建築会社設立ニツキ援助ヲ請フ。栄一、井上準之助ト議シ、志村源太郎ヲ其社長ニ推ス。志村辞シテ応ゼズ。
大正14年8月8日
(1925年)
第51巻 p.359-364(DK510095k)
是ヨリ先、東京市長中村是公、東京市ト復興建築株式会社トノ契約書案ヲ栄一ニ寄セテ意見ヲ徴ス。是日栄一、市長ニ書ヲ送リ、ソノ修正ヲ勧ム。十日、市長栄一ヲ訪ヒテ釈明スル所アリ。
大正14年12月17日
(1925年)
第51巻 p.364-366(DK510096k)
是日、復興建築助成株式会社創立総会開カル。栄一発起人タリ。
2款 其他 1. 大日本勧業会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第51巻 p.367(DK510097k)
--
2款 其他 2. 内外信託株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第51巻 p.368(DK510098k)
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2款 其他 3. 八基村信用組合
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第51巻 p.368(DK510099k)
--
2章 交通・通信
1節 海運
1款 日本郵船株式会社
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大正6年2月26日
(1917年)
第51巻 p.369-391(DK510100k)
是ヨリ先、当会社重役ト株主トノ間ニ増資配当問題ニ関シ紛争ヲ生ジ、株主側ハ臨時株主総会ノ招集ヲ請求シテ事態容易ナラザルモノアリ。是日栄一、和田豊治ノ慫慂ニヨリ中野武営ト共ニ之ガ調停ニ立ツ。又他方、土居通夫・片岡直輝ニ大阪方ノ調停役ヲ依頼シ、遂ニ双方係争者ノ無条件委任ノ受諾ヲ得、株主請求ニ係ル臨時株主総会ヲ無事閉会セシム。次イデ四月二十五日ノ臨時株主総会ニ於テ、中野武営外三名ノ新取締役当選シ、五月五日、栄一外二名相談役ヲ依嘱セラル。五月二十九日定時株主総会ニ於テ、増加配当案モ原案通リ可決セラレ、紛争落着シタルヲ以テ、翌三十日、栄一相談役ヲ辞ス。
大正13年10月15日
(1924年)
第51巻 p.391-437(DK510101k)
是ヨリ先、当会社内部ニ海員・陸員ノ反目アリテ屡々紛擾ヲ醸ス。是年九月、陸員幹部、会社ノ振起粛正ヲ社長伊東米治郎ニ要望スルヤ、夫等幹部十一名馘首ノ事アリ、陸員七百余名起チテ重役ニ辞職ヲ迫ル。是日、伊東社長辞職ス。玆ニ於テ栄一、郷誠之助・岩崎小弥太ト共ニ後任重役ノ銓衡ニ当リ、新ニ社長ニ白仁武就任シ、次イデ取締役ニ木村久寿弥太・大橋新太郎・各務鎌吉・土方久徴・原富太郎・菊池恭三就任ス。
大正15年1月18日
(1926年)
第51巻 p.437(DK510102k)
是ヨリ先、第一次世界大戦後、東洋汽船株式会社ノ経営困難トナリ、当会社ニ対シ合併ノ交渉アリ。栄一之ガ斡旋ヲ乞ハレ、尽力セシガ、両者ノ合併条件ニ懸隔アリテ成立ヲ見ザリキ。十四年、政府、北米及ビ南米両航路維持ノ為メ之ガ斡旋ニ当リテヨリ合併ノ機漸ク熟シ、再ビ栄一、郷誠之助。井上準之助ト共ニ合併ニ関スル調停ニ立チ、是日両会社ニ対シ調停案ヲ提示ス。二月二十二日仮契約ノ調印ヲ了ス。
2款 東洋汽船株式会社
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大正12年11月19日
(1923年)
第51巻 p.438-476(DK510103k)
是ヨリ先、海運界ノ不振ト外国船ノ圧迫ニ因リ、当会社ヲ日本郵船株式会社ニ合併スルノ議起リ、栄一之ニ関与シ来リシガ、是日栄一、当会社重役浅野総一郎・浅野良三・橋本梅太郎・高野省三等ヨリ当会社経営変革ニツキ援助ヲ請ハル。爾来尽力スル所頗ル多シ。
大正13年12月10日
(1924年)
第51巻 p.476-482(DK510104k)
是日栄一、当会社社長浅野総一郎以下重役十名ノ連署ニナル、当会社ト日本郵船株式会社トノ合併斡旋ノ懇願書ヲ受領ス。
大正15年1月18日
(1926年)
第51巻 p.482-500(DK510105k)
是日栄一、郷誠之助及ビ井上準之助ト共ニ、当会社ト日本郵船株式会社トノ合併ニ関シ調停案ヲ提示ス。両会社之ヲ受諾ス。其骨子ハ、当会社ノ桑港線及ビ南米西岸線ノ両航路権並ニ就航船八隻ヲ以テ第二東洋汽船株式会社ヲ設立シ、該会社ヲ日本郵船株式会社ニ合併スルモノニシテ、二月二十二日、合併仮契約ノ調印ヲ了ス。
大正15年3月5日
(1926年)
第51巻 p.500-503(DK510106k)
是日栄一、安田銀行代表結城豊太郎ヨリ、当会社ト日本郵船株式会社トノ合併成立ニツキ謝意ヲ表明セラレ、且記念品ヲ贈ラル。次イデ六月十二日、日本郵船株式会社社長白仁武・当会社社長浅野総一郎連署ニヨル礼状並ニ記念品ヲ受ク。
2節 陸運
1款 東京鉄道株式会社
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明治44年7月31日
(1911年)
第51巻 p.504-508(DK510107k)
是ヨリ先、東京市、東京鉄道株式会社ノ買収ヲ決定シ、両者間ニ仮契約書締結セラレ、是日政府ノ認可ヲ得。仍ツテ栄一、当会社相談役ヲ辞ス。
2款 函館馬車鉄道株式会社
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明治44年8月28日
(1911年)
第51巻 p.509-510(DK510108k)
是日、函館馬車鉄道株式会社、函館水電株式会社ニ合併シ、栄一、同会社ノ株主トナル。
3款 神戸電気株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正5年10月27日
(1916年)
第51巻 p.511-515(DK510109k)
是ヨリ先、神戸市、当会社ヲ買収セントセシモ、両者間ノ交渉整ハズ。神戸商業会議所会頭滝川儀作・兵庫県知事清野長太郎調停ニ起チ栄一ヲ仲裁者ニ擬シ、是日神戸市並ニ当会社ニ対シ、会頭及ビ知事ニ仲裁者ノ選定ヲ委任サレタキ旨ヲ諮ル。市会ハ是ヲ諒承シタルモ当会社ハ是ニ同調セズ。即チ栄一仲裁ノコト止ム。
4款 上武鉄道株式会社(秩父鉄道株式会社)
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年11月12日
(1911年)
第51巻 p.516-522(DK510110k)
是ヨリ先、当会社経営不振ニ陥リ、栄一ニ援助ヲ請フ。栄一、諸井恒平等ヲ派遣シテ調査セシメ、四十万円ノ優先株ヲ発行シ、予定線ノ敷設ヲ完成セシム。是日栄一、長瀞ニ於ケル其開通式ニ出席シ、演説ヲナス。
尚、当会社ハ大正五年二月、秩父鉄道株式会社ト改称ス。
5款 富士身延鉄道株式会社
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明治45年4月26日
(1912年)
第51巻 p.523-534(DK510111k)
是ヨリ先、小野金六・堀内良平等、富士駅ヨリ大宮・身延ヲ経テ甲府ニ至ル鉄道ヲ敷設センコトヲ計画ス。栄一、其企画ニ賛成シ、当会社創立ニ尽力ス。四十四年六月二十三日免許ヲ得、軽便鉄道法ニ依リテ指定セラル。是日、当会社成立ス。
6款 東京地下鉄道株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正6年1月16日
(1917年)
第51巻 p.535-542(DK510112k)
是日、早川徳次・坂本三郎、栄一ヲ訪ヒ、東京地下鉄道敷設計画ニ付キ詳述シテ、創立委員長タランコトヲ乞フ。栄一受ケザルモ、爾来早川徳次等ノタメニ種々斡旋後援スルトコロ多シ。
7款 鉄道関係諸資料 1. 越後鉄道株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第51巻 p.543(DK510113k)
--
7款 鉄道関係諸資料 2. 筑波鉄道株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第51巻 p.543-544(DK510114k)
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7款 鉄道関係諸資料 3. 目黒蒲田電気鉄道株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第51巻 p.544-545(DK510115k)
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7款 鉄道関係諸資料 4. 帝国鉄道協会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和6年11月15日
(1931年)
第51巻 p.545-546(DK510116k)
是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、当協会ヨリ弔詞ヲ贈ル。
7款 鉄道関係諸資料 5. 鉄道建設ニ関スル栄一ノ意見
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第51巻 p.546-552(DK510117k)
--
8款 大日本運送株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年11月23日
(1911年)
第51巻 p.553-563(DK510118k)
是ヨリ先、日下義雄・金子六蔵・井口正之等、大日本運送株式会社ヲ創立セントス。栄一請ハレテ其議ニ与リ、是日、目論見書及ビ定款案ヲ閲シ、後、屡々鉄道院当局ヲ訪レテソノ意向ヲ訊スナド、尽力スルトコロ多シ。尚、会社ハ成ラズシテ止ム。
3節 航空
1款 財団法人帝国飛行協会
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大正2年11月
(1913年)
第51巻 p.564-568(DK510119k)
是ヨリ先、栄一、日本航空協会評議員タリ。是年四月二十三日、右日本航空協会ト旧帝国飛行協会ト合併シ、当協会成立ス。是月栄一、当協会評議員ニ就任ス。翌三年九月、当協会財団法人トナリ、栄一引続キ評議員ニ就任ス。
大正5年4月10日
(1916年)
第51巻 p.568-569(DK510120k)
是日、アメリカ合衆国飛行家アート・スミス、青山練兵場ニ於テ宙返リ飛行ヲ公開ス。栄一、渡米中ノ関係ニヨリ花環ヲ贈ル。
大正5年6月2日
(1916年)
第51巻 p.569-573(DK510121k)
是日、当協会、国民飛行会、ニュー・ヨーク日本協会協賛会及ビ日米関係委員会ノ四団体合同主催ニ係ル、アメリカ合衆国飛行家アート・スミス送別晩餐会、帝国ホテルニ開カル。栄一出席シ、主催者ヲ代表シテ挨拶ヲ述ブ。
大正5年6月7日
(1916年)
第51巻 p.573-574(DK510122k)
是日栄一、近ク帰国セントスルアメリカ合衆国飛行家アート・スミスヲ、飛鳥山邸ニ招キテ送別午餐会ヲ催ス。
大正5年6月16日
(1916年)
第51巻 p.574(DK510123k)
是日、アメリカ合衆国飛行家アート・スミス、札幌ニ於テ墜落負傷ス。栄一、見舞金五百円ヲ贈ル。
大正6年1月24日
(1917年)
第51巻 p.574-576(DK510124k)
是日、芝離宮ニ於テ当協会総裁久邇宮邦彦王、当協会評議員其他ニ賜餐アリ、栄一参列ス。邦彦王、飛行奨励ノ令旨ヲ賜フ。栄一、令旨ニ副ハンガタメ実行委員ヲ設クルコトヲ発議ス。是月栄一、当協会特別委員ニ就任ス。
大正7年7月9日
(1918年)
第51巻 p.576-583(DK510125k)
是年六月二十四日、当協会、国民飛行会ト合併ス。是日、総理大臣寺内正毅、官邸ニ各大臣・陸海軍次官・陸海軍航空隊首脳者・貴衆両院議長及ビ各実業家ヲ招キテ午餐会ヲ開キ、飛行事業奨励ニツキ賛助ヲ要請ス。尚、資金募集実行委員トシテ栄一外六名ヲ委嘱ス。
次イデ七月十三日、飛鳥山邸ニ於テ右実行委員会開カレ、栄一出席ス。尚、九月経済委員及ビ理事ニ就任ス。
大正8年1月30日
(1919年)
第51巻 p.583-586(DK510126k)
是日築地精養軒ニ於テ、当協会主催フランス陸軍飛行将校団歓迎会開カル。栄一出席シ、当協会ヲ代表シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。是月二十五日、帝国劇場ニ於ケル東京市主催同飛行将校団歓迎招待会ニモ栄一出席ス。
大正8年2月1日
(1919年)
第51巻 p.586-589(DK510127k)
是日、栄一及ビ大隈重信・阪谷芳郎・金子堅太郎其他ノ後援ニヨリ、アメリカ合衆国女流飛行家ルス・ロー夫人、洲崎埋立地ニ於テ公開飛行ヲ試ム。栄一同所ニ赴キテソノ技ヲ観ル。次イデ十日、当協会ノ主催ニヨリ、築地精養軒ニ於テ同夫人歓迎晩餐会開カレ、栄一出席ス。
大正12年6月21日
(1923年)
第51巻 p.589-590(DK510128k)
是年二月二十六日、栄一、当協会理事会ニ出席シテ理事辞任ノ意ヲ述ブ。是日、正式ニ辞任シ、当協会顧問ヲ嘱託セラレ、在任歿年ニ及ブ。次イデ七月十五日、当協会ヨリ緑色有功章ヲ贈ラル。
昭和2年4月19日
(1927年)
第51巻 p.590(DK510129k)
是日栄一、賞勲局総裁ヨリ大正九年八月及ビ十年二月、当協会並ニ恩賜財団済生会ヘ金十一万五千円寄付シタル功労ニ対シ、曾テ授与セラレタル紺綬褒章ニ付スベキ飾版二個ヲ授与セラル。
昭和4年12月30日
(1929年)
第51巻 p.590-591(DK510130k)
是ヨリ先、栄一、当協会ヨリ米寿祝品ヲ贈ラル。
是日栄一、当協会評議員ノ重任ヲ承諾シ、在任歿年ニ及ブ。
2款 日本航空輸送株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和2年7月23日
(1927年)
第51巻 p.592-597(DK510131k)
是ヨリ先、栄一、大正十五年九月ヨリ井上準之助等ト航空会社設立ニツキ準備シ、政府マタ是月二十日、航空輸送会社設立準備調査委員会ノ組織ヲ閣議決定ス。是日逓信大臣望月圭介ノ招請ニヨリ、栄一及ビ井上準之助・団琢磨・木村久寿弥太・根津嘉一郎等同大臣官邸ニ参集シ、航空会社設立計画ニ付キ議ス。次イデ八月四日、栄一、逓信大臣ヨリ同委員会会長ヲ嘱託セラル。
昭和2年9月28日
(1927年)
第51巻 p.597-610(DK510132k)
是日、総理大臣官邸ニ於テ、第一回航空輸送会社設立準備調査委員会総会開カル。栄一、会長トシテ議事ヲ司宰シ、逓信大臣ヨリノ諮問事項ヲ議シ、詳細ハ更ニ特別委員ニヨツテ審議スベク、井上準之助外十二名ヲ任命ス。
尚、総会ニ先ダチ総理大臣田中義一、委員等ヲ招待シ、逓信大臣望月圭介ト共ニ挨拶ヲ述ベ、栄一之ニ対シテマタ挨拶ヲナス。
昭和2年11月11日
(1927年)
第51巻 p.610-621(DK510133k)
是日、逓信省ニ於テ、第二回航空輸送会社設立準備調査委員会総会開カレ、逓信大臣ノ諮問ニ対スル特別委員会ノ報告ヲ可決、逓信大臣ヘ答申書ヲ提出ス。栄一出席シテ議事ヲ司宰ス。
昭和3年6月29日
(1928年)
第51巻 p.621-624(DK510134k)
是ヨリ先、第五十五帝国議会ニ於テ、航空輸送会社補助金交付ノ件成立ス。是日、航空輸送会社設立準備調査委員会廃止セラル。尚、是月二十三日同委員会第三回総会開カレ、同委員会ノ実業家委員ハ、当会社発起人トナリ、設立準備ヲ進ムルコトニ決ス。栄一病気ノタメ出席セズ。
昭和3年7月10日
(1928年)
第51巻 p.624-637(DK510135k)
是日、団琢磨、木村久寿弥太・郷誠之助・大橋新太郎・橋本圭三郎・西野恵之助等ニヨリ当会社発起人小集会開カレ、次イデ二十日、発起人総会開カル。栄一病気ノタメ出席セザルモ、創立委員長トシテ之ニ与ル。
昭和3年8月1日
(1928年)
第51巻 p.637-638(DK510136k)
是日栄一、日本工業倶楽部ニ開カレタル当会社設立発起人小委員会ニ出席シ、発起人及ビ賛成人ノ割当株数ニツキ協議ス。
昭和3年10月20日
(1928年)
第51巻 p.638-641(DK510137k)
是日、日本工業倶楽部ニ於テ当会社創立総会開カル。栄一病気ノタメ出席セズ。創立副委員長西野恵之助議長トナリ議事ヲ司宰シ、当会社成立ス。栄一株主タリ。