デジタル版「実験論語処世談」(65) / 渋沢栄一

2. 黒田清隆と鰻の蒲焼

くろだきよたかとうなぎのかばやき

(65)-2

 どんなにエライ人だからと云つて、何んでも皆知つて居るものでない。然るに樊遅は、孔子はどんな細かい事でも知つて居るであらうと思うて、稼、圃の事を問うて見た。処が孔子は、それは老農、老圃に及ばないと云はれた。併し又エライ人でも、その人の性質で能く細事を知つて居る人もある。
 今は故人だが黒田清隆と云ふ人があつた。先きに北海道長官を勤めて居つたが、明治二十一年伊藤内閣の後を引受けて内閣を組織した位の人であつた。そして薩摩の人で、大体の事には明い人で、少しも細事を知つて居るやうな人ではなかつた。
 処が黒田さんは色々細かいことを能く知つて居られた。確か伊藤内閣の時で、農商務大臣をして居られた時だと思ふ、私は製紙会社の事で、色々お話しをする必要があつて、大川平三郎を伴れてお会ひしたことがある。
 これまで製紙の材料と云へば、楮、三椏に限つて居るが、藁を以て製紙をすると云ふことであつた。米国などでは、麦藁で紙を作つて居るが、日本ならば米藁でも出来ると云ふ趣意のことを話したのであるが、その時は色々な質問を受けたものである。その時に話は遂に農業の事まで進んで行つた。殊に先きには北海道長官をして居られたので北海道の農業の事にまで進んだが、却々精しいものであつた。こんなエライ人でもその人の性質、又は境遇によつて農業の如き細事まで知つて居られるのである。
 又その時にお昼を食べたが、それは鰻であつた。処が、黒田さんは鰻に就ても精しい知識を有つて居られた。そして、この鰻は何処の出であるか知つて居るかと言はれたが、私はそんなことは知らないと云ふと、鰻は何処のものはよいとか、下り鰻はまづいとか、地廻り鰻はどうであるとか、養魚場の鰻はどうであるとか、川鰻はよいが、海鰻は悪いとか、鰻屋としては、竹葉亭はかう云ふ特長があり、太田屋はかうである、又たれはどうでなければならぬものだと言はれた。大局のみ摑へて仕事をなさる大手腕家とのみ知つて居つた私共は、こんな細事のことまで能く知つて居られたことには只々感心したやうな次第である。

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キーワード
黒田清隆, , 蒲焼
デジタル版「実験論語処世談」(65) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.561-575
底本の記事タイトル:三六五 竜門雑誌 第四三〇号 大正一三年七月 : 実験論語処世談(第六十三《(五)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第430号(竜門社, 1924.07)
初出誌:『実業之世界』第20巻第4-8号(実業之世界社, 1923.04,05,06,07,08)