24. 狂、狷は共に極端
きょう、けんはともにきょくたん
(65)-24
併し之れは大体から見て云つたことで、劃然と之れは狂でそれは狷であると云ふことは出来ない。けれども、一方は進み、一方は守るに傾くものであるから、之れを一方に偏らせると孔子の中道を得ることは出来ないことになる。故に余り進みもしない又守りに陥ると云ふことのないやうにすべきである。
殊に今の時代に於ては中道を得ることに努むべきものと思はれる。何となれば、一方には進んで止まないと云ふやうなものがあるかと思ふと他方には守る方にのみ偏して居る。かうなつては社会は極端に走る事になつて、中道を得ないことになるからである。是等の事実は茲に明かにしなくとも世人の既に熟知して居ることであると思ふ。
- デジタル版「実験論語処世談」(65) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.561-575
底本の記事タイトル:三六五 竜門雑誌 第四三〇号 大正一三年七月 : 実験論語処世談(第六十三《(五)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第430号(竜門社, 1924.07)
初出誌:『実業之世界』第20巻第4-8号(実業之世界社, 1923.04,05,06,07,08)