15. 平易婉曲なる論語の文章
へいいえんきょくなるろんごのぶんしょう
(65)-15
言葉が過激であると、一種の痛快味を覚えぬでもないが、併しそれは一時的のもので、決して持続性を有つものでない。処が、このやうなおとなしい言葉は、その当時は何となく物足りなさを感ぜぬでもないが、噛みしめて見ると段々甘みが出来る。之れが論語の幾時代を経過しても珍重せられる所以である。明治大帝などのお言葉の中にもこのやうなお言葉はあると思ふけれども、私などの之れを洩れ承る身分でないから知ることが出来ないが、要するに賢君にはかう云ふ言葉が多いものである。
一体に言葉の遣ひ方が過激に亘らないものは余韻のあるもので、余りきちんとして居る言葉は人を動かすことは少いものである。少しも余裕がないと窮屈の感を起すものである。
- デジタル版「実験論語処世談」(65) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.561-575
底本の記事タイトル:三六五 竜門雑誌 第四三〇号 大正一三年七月 : 実験論語処世談(第六十三《(五)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第430号(竜門社, 1924.07)
初出誌:『実業之世界』第20巻第4-8号(実業之世界社, 1923.04,05,06,07,08)