デジタル版「実験論語処世談」(65) / 渋沢栄一

3. 井上さんの料理自慢

いのうえさんのりょうりじまん

(65)-3

 井上さん(馨)も大臣までなさるやうな大人物で大きなことのみなさる方であるのに、半面には大の料理通で、却〻精しいものである。殊に単なる料理通ではなく、御自身で庖丁を取つて料理をなさるのだから本物である。
 私なども時々招待されて井上さんの料理の御馳走になつた。かう云ふ時には能く料理の事を説明されて、甘いだらうと云ふことを言はれる。能く判らんこともあるけれども、結構だと云つて賞めて置きました。若しまづいなど云ふと御機嫌が悪いから――併し、なんといつても御自慢なさる丈あつて上手なものである。私なども幼年時代に能くお給仕に出て、料理はどんなものであるか位は知つて居つたものであるが、井上さんのは御自分で料理なさるものだから、それには及ぶものではなかつた。
 人には各長所があつて、どんなエライ人であつても、何んでも知つて居るものではない。又知り得るものでない。併し黒田さんや井上さんのやうな、大人物でも時には細かい事を能く知つて居る事もあるものである。それでも長所に向つて問ふことはよいものである。然るに樊遅は孔子に対して稼を問うたと云ふが如きは、孔子の長所を没却した質問と言はなければならぬ。これ樊遅の常識に富んで居らぬ証拠である。

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キーワード
井上馨, 料理, 自慢
デジタル版「実験論語処世談」(65) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.561-575
底本の記事タイトル:三六五 竜門雑誌 第四三〇号 大正一三年七月 : 実験論語処世談(第六十三《(五)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第430号(竜門社, 1924.07)
初出誌:『実業之世界』第20巻第4-8号(実業之世界社, 1923.04,05,06,07,08)