デジタル版「実験論語処世談」(65) / 渋沢栄一

1. 樊遅稼を問うて笑はる

はんちかをとうてわらわる

(65)-1

樊遅請学稼。子曰。吾不如老農。請学為圃。曰。吾不如老圃。樊遅出。子曰。小人哉樊須也。上好礼則民莫敢不敬。上好義則民莫敢不服。上好信則民莫敢不用情。夫如是則四方之民襁負其子而至矣。焉用稼。【子路第十三】
(樊遅稼を学ばんことを請ふ。子曰く、吾れ老農に如かずと。圃を為すを学ばんことを請ふ。曰く、吾れ老圃に如かずと。樊遅出づ。子曰く、小人哉樊須や。上礼を好めば則ち民敢て敬せざるなく、上義を好めば則ち敢て服せざるなく、上信を好めば則ち民敢て情を用ひざるなし。夫れ是の如ければ、即ち四方の民其の子を襁負して至らん。焉ぞ稼を用ひんやと。)
 本章は、樊遅は君子の道を学んで居ながら小人の事を問うたので、孔子は樊遅は小人であると咎めたのである。併し茲での小人と云うたのは、それ程憎む意志あつての事でない。而して茲での稼とは五穀を植ゑることを言ひ、圃とは菰菜を植ゑることを言ふので、言ひ換へれば、稼は事を言ひ、圃は地を云ふことになる。
 樊遅は孔子に対つて、稼を学びたいがどうすればよろしからうかと問うたのに対し、孔子はそれは永年稼事に従事して居つて経験の多い老農に及ばないから、老農に就て学んだがよいと答へられた。然るに樊遅は更に圃を学ぶにどうすればよいかと又尋ねた。すると孔子は、それは、永年圃事に従事して経験多い老圃に及ばないから、老圃に就て学んだが宜しからうと答へられた。
 孔子は樊遅が其処を退いた後、其場に居た門人達に謂ふには、樊遅は小人のやうに細事の事を言うて居る。が若し、上位にある者が礼を好むならば、民は之れに感じて礼を好むやうになる。又、上位にあるものが義を好めば、民は之れに感じて義を傚ふものである。上位にあるものが信を好めば、民は之れに化して誠実を以て上に事へるのである。かうあれば始めて四方の民が其の子を襁負して来るものである。何ぞ上位にあるものが稼のやうな細事を学ぶ必要があらうぞと戒められたのである。

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デジタル版「実験論語処世談」(65) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.561-575
底本の記事タイトル:三六五 竜門雑誌 第四三〇号 大正一三年七月 : 実験論語処世談(第六十三《(五)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第430号(竜門社, 1924.07)
初出誌:『実業之世界』第20巻第4-8号(実業之世界社, 1923.04,05,06,07,08)