デジタル版「実験論語処世談」(65) / 渋沢栄一

21. 仁或は却て軽侮を受く

じんあるはかえってけいぶをうく

(65)-21

 己れさへ仁を行へば、夷狄でも之れを棄てることはないと言はれて居るが、之れは必ずしもさうとのみ云ふことは出来ない。己れがさうすれば、人も亦さうなることもあるが、又ならないこともある。個人と個人との間には或は能く行はれて行くこともあるけれども、国と国との間は仲々さう云ふ訳にのみ行くことが出来ない。
 支那人の心はどうであらうか、折角こつちが仁を以て彼に対しても彼は我に対する態度はどんなであらうか、寧ろ実際は我を侮蔑することがないだらうか。之れを卑近の例にとつて見ると、強い怒を見せて居ると恐縮して居るが、弱くして居ると軽蔑して来ると云ふことは能くあることである。支那の国なども、矢張りそんなものでないだらうか。
 故に仁を施すにも適度と云ふことを考へてやらなければならない。さうでないと折角の仁も何等功がないばかりでなく、反対の現象を呈すことがないとも限らぬ。
 併しながら国の政治や経済は、仁を基調として進むべきものであるが、忠を施したが為に侮慢を受けることもあるから、此の点は十分に心すべきである。

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デジタル版「実験論語処世談」(65) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.561-575
底本の記事タイトル:三六五 竜門雑誌 第四三〇号 大正一三年七月 : 実験論語処世談(第六十三《(五)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第430号(竜門社, 1924.07)
初出誌:『実業之世界』第20巻第4-8号(実業之世界社, 1923.04,05,06,07,08)