デジタル版「実験論語処世談」(65) / 渋沢栄一

9. 知つて且つ行ふの説

しってかつおこなうのせつ

(65)-9

子曰。苟有用我者。期月而已可也。三年有成。【子路第十三】
(子曰く。苟《いやし》くも我を用ひる者あらば、期月にして已に可なり。三年にして成る有らん。)
 本章は、諸侯が孔子を用ゐて十分にその才能を発揮さしたならば、必ず功を挙げる事が出来ると云ふ事を述べられたものである。併し之れと同時に、その反面に孔子は吾を用ゐるものがないと云ふことを嘆じられたのである。
 即ち孔子の言はるるには、誠に我を用ゐて国政を委任するの諸侯があつたならば、全る一年で略政治の事も緒につき紀綱を張ることも出来るが、それを三年やつたならば、治定まり功なり化が行はれるやうになると言はれた。孔子は単に一種の学問を教へると云ふのみに走るものでなく、事実を行ふこともやられたのである。
 要するに孔子の教への主とする処は、知り且つ行ふと云ふことで、王陽明の所謂知行合一を実際にやられて居つたのである、政治の成績を挙げるには、その国の王者が、単に論理ばかりでなしに実際に一般国民の為に仁政を行つたならば、その国は能く治つて行く訳である。即ち国民の苦痛を救ひ、楽しみを与へることは、孔子の常に考へて居られた事である。

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デジタル版「実験論語処世談」(65) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.561-575
底本の記事タイトル:三六五 竜門雑誌 第四三〇号 大正一三年七月 : 実験論語処世談(第六十三《(五)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第430号(竜門社, 1924.07)
初出誌:『実業之世界』第20巻第4-8号(実業之世界社, 1923.04,05,06,07,08)