デジタル版「実験論語処世談」(65) / 渋沢栄一

6. 国家社会匡救の孔子

こっかしゃかいきょうきゅうのこうし

(65)-6

子曰。魯衛之政。兄弟也。【子路第十三】
(子曰く。魯衛の政は兄弟なり。)
 本章は孔子は衛の国に望を有つて居つたのであるから、其政治は魯に似寄つて居るから変更することが容易であると言つたのである。これは面白味のある文句ではないやうに思はれる。又此処に兄弟と云ふことに就ては、細かに言へば学者として色々説を立てるかも知れないが、実際家としてはそんなことに拘泥して居つては、面白いものでない。で、此処に順序として魯・衛の両国の関係に就て説明しよう。
 魯は周公の後で、衛は康叔封の後である。そして此の両国の祖先は兄弟で最も睦しかつたし、又政治も能くて、之れも丁度兄弟のやうであつた。処が後世になつてから政治が衰へて徳化が行はれないやうだつたけれども、その遺風が未だあつたので、魯・衛が一変せば道に至らしむることが出来ると言はれたのである。
 元来孔子は相当の年輩になつてから世に立ち、国家社会の為に努力を払つて居つたのである。そして私の想像する処では、自己の栄達富貴などを図る為ではなく、人の人たる本分を尽すことにあつた。故に国家社会の治弊を匡救するに大なる勇気を払つたものであつて、決して自利や功名の為に政略を弄するものでなかつた。即ち国家社会を治めるには、権道ではなくして、王道でなければならぬことを希望したものと思ふ。
 政治は、自己の利益を図り功名を求めるものではいかぬ。一般人民の匡救もかうやつて初めて出来る。政を人に施すと云ふことは、一般人民に善を奨めるといふことに外ならぬからである。そして之れをなすにはその政治を能くやつて行かなければならぬ。若し政治にして正しく行はれると、上下和睦して太平を謳ふことになる。かうなることが政治の主眼でなければならぬ。
 自己の一身の利害得失を考へてやつて居つては、如何に政治の善美なることを望んでも望み得られるものでない。処が、自己の栄達、功名を望んで一般社会の為に図るやうなことは少い。殊に今日の政治家の状態はさうである。口には立派なことを言つて居つても、心は之に反して居る。之れなどは今の政治家の行為を見れば、直ぐ承服の出来ることであらう。
 之れに反して孔子などは、自己の富貴栄達ではなく、寧ろ自己の利益を忘れて国家社会の為に尽さうとした。尤も、孔子は学者ではないが、実際に政治をやらうとした。政治を事実の上に現はさうとした。彼は斉、魯、衛の国にあつて政治に尽さうとしたけれども、何処にも用ひられなかつた。衛には大ひに用ひられ努力をしようとしたが、矢張り大夫の連中が自己の意見に賛成をしなかつたが為に、遂に衛を去るの止むなきに立ち至つた。併し衛を去つても始終衛のことを考へて居られた。是は衛を救ふことが出来ると考へたからである。

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デジタル版「実験論語処世談」(65) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.561-575
底本の記事タイトル:三六五 竜門雑誌 第四三〇号 大正一三年七月 : 実験論語処世談(第六十三《(五)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第430号(竜門社, 1924.07)
初出誌:『実業之世界』第20巻第4-8号(実業之世界社, 1923.04,05,06,07,08)