デジタル版「実験論語処世談」(65) / 渋沢栄一

14. 公事を私事とする社会

こうじをしじとするしゃかい

(65)-14

冉子退朝。子曰。何晏也。対曰。有政。子曰。其事也。如有政。雖不吾以。其与聞之。【子路第十三】
(冉子朝より退く。子曰く。何ぞ晏《おそ》きや。対へて曰く。政あり。子曰く。其れ事ならん。如し政あらば、吾を以《もち》ゐずと雖も、吾其れ之れを与り聞かん。)
 本章は冉有に諷して季氏の擅横を抑へようとしたものである(冉子は冉有のこと)。冉有は季氏に仕へて居つたが、ある日役所から帰つて来ることが遅かつたので、孔子は之れに、何故に今日はこんなに遅い帰りであるかを問うた。すると冉有は、政があつたので遅れたのだと答へた。然るに孔子は冉有に言ふには、それは違ふであらう。若し本当に国政であるならば、私は今用ゐられないで居るけれども、その政務には参与すべきものである。私の知らぬ所を見ると、国政ではなくして季氏の私事であらうと。少しも知らぬ真似をして季氏の専横を諷したものである。
 このやうな例は独り冉有にのみ見る訳のものでなく、会社や銀行などにも多い事実である。その会社や銀行の重役などは支配人を自宅に呼んでやることが多い。そして公の事も私の事のやうに思うてやる。公の事を私の事のやうにやることは悪いことで、これが為に種々な弊害が出来たりする。
 公の事を私の事のやうにしてやると、其処に権利が伴つて来る。権利が出来ると道理のあることをも忘れるもので、之れは丁度一方を進めると他の一方が曲るものである。公の事は朝に於てすべきもので、私邸などでやるべきものでない。所謂公私を混淆すべきものでない。然るに、此の公私を混淆する銀行会社は、比々皆然りと云ふ有様である。今冉有の季氏に対する関係は、銀行会社にすると、冉有は専務取締役で、孔子は平取締役と云ふ形になつて居る。そして冉有は種々な機密にも参与して居るが、孔子は其名のみ有して居るやうなものである。そして之れが季氏の擅横の俑をなすべきものであるが為に、孔子は冉有を諷して之れを戒めたのである。

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デジタル版「実験論語処世談」(65) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.561-575
底本の記事タイトル:三六五 竜門雑誌 第四三〇号 大正一三年七月 : 実験論語処世談(第六十三《(五)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第430号(竜門社, 1924.07)
初出誌:『実業之世界』第20巻第4-8号(実業之世界社, 1923.04,05,06,07,08)