デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.13

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
○第二節ハ「米国加州日本移民排斥問題」トシテ同問題ヲ主軸トシタル資料ヲ収録セルガ、アメリカニ関係アル諸団体ヲモ含メテ編成セリ。又、第三節「国際団体及ビ親善事業」ニ収録シタル団体中ニモ、一部移民問題ニ関係ノ存スルモノアリ(「太平洋問題協議会」「太平洋問題調査会」等)、コレラハ移民問題トシテ参照ヲ要スルモノナリ。
○尚渋沢子爵家ニ所蔵サレタル資料ニハ、大正十二年ノ関東大震災ニ際シ焼失セルモノ多ク、為メニ本資料編纂ニ当リ、外国人関係ノ往復書翰ヲ新タニ蒐集収録セリ。所蔵者ガ外国人ニシテ(COPY)トアルハソレヲ示ス。
3款 日米関係委員会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和2年1月14日
(1927年)
第35巻 p.5-24(DK350001k)
是日当委員会主催アメリカ合衆国人ウィリアム・イー・グリフィス歓迎午餐会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一、病気ノタメ出席セズ、阪谷芳郎代リテ挨拶ス。次イデ五月九日、栄一日本女子大学ニ於ケル同夫妻招待会ニ臨ミ挨拶ヲ述ブ。サラニ六月九日、上野公園自治会館ニ開カレタル講演会ニ臨席ス。
昭和2年4月4日
(1927年)
第35巻 p.24-35(DK350002k)
昨冬来日セルジェームズ・エッチ・フランクリン中国旅行ヲ了リテ再度渡来ス。仍ツテ是日、当委員会、歓迎懇談会ヲ飛鳥山邸ニ開キ、栄一、歓迎ノ辞ニ加ヘテ合衆国千九百二十四年移民法ノ非ナルヲ説ク。
昭和2年4月27日
(1927年)
第35巻 p.35-37(DK350003k)
是日、当委員会主催、会員新渡戸稲造帰朝歓迎午餐会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
昭和2年5月16日
(1927年)
第35巻 p.37-40(DK350004k)
是日、当委員会小委員会主催アメリカ合衆国人スタンレー・ハイ招待午餐会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ催サル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
昭和2年6月14日
(1927年)
第35巻 p.40(DK350005k)
是日、当委員会主催アメリカ合衆国近東孤児救済会事務総長兼国際救済会会長チャールズ・ヴィ・ヴィックレー招待午餐会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ催サレ、栄一出席ス。
昭和2年6月24日
(1927年)
第35巻 p.40-43(DK350006k)
是日、当委員会主催ニュー・ヨーク総領事斎藤博及ビサン・フランシスコ総領事武富敏彦招待午餐会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
昭和2年11月10日
(1927年)
第35巻 p.43-56(DK350007k)
是日、当委員会主催アメリカ合衆国人ハーヴェー・エッチ・ガイ招待晩餐会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ合衆国内ニ於テ出生シタル日本人ヲ指導スルノ件ヲ談ズ。次イデ十二月一日、当委員会主催ガイ招待懇談会同所ニ催サレ、栄一出席ス。
昭和2年11月30日
(1927年)
第35巻 p.56-62(DK350008k)
是日、当委員会主催アメリカ合衆国クラーク大学歴史学教授ジョージ・エッチ・ブレークスリー歓迎晩餐会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。十二月一日、国際連盟協会主催同人招待会同所ニ開カレ、同ジク出席ス。
昭和2年12月22日
(1927年)
第35巻 p.62-64(DK350009k)
是日、当委員会主催、アメリカ合衆国人ジョン・ダブリュー・ウッド招待茶会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一病気ニヨリ出席スルヲ得ズ、阪谷芳郎代リテ司会ス。
昭和3年2月7日
(1928年)
第35巻 p.64-66(DK350010k)
メソジスト監督教会監督アメリカ合衆国人ハーバート・ウェルチ近ク同教会大会ニ出席ノタメ、合衆国ニ帰航スルニヨリ、是日当委員会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ送別午餐会ヲ開キ、兼ネテ日米問題ニ付協議ス。栄一病気ニヨリ出席スルヲ得ズ、阪谷芳郎代理ス。
昭和3年2月25日
(1928年)
第35巻 p.67-69(DK350011k)
是日、当委員会昭和二年度収支計算書並ニ昭和三年度収支予算書ヲ発送ス。
昭和3年3月7日
(1928年)
第35巻 p.69-71(DK350012k)
是日、当委員会主催アメリカ合衆国人ジョージ・ダブリュー・コールマン招待茶話会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ催サレ、栄一出席ス。
昭和3年4月5日
(1928年)
第35巻 p.71-77(DK350013k)
是ヨリ先栄一、アメリカ合衆国ニュー・ヨーク日本協会幹事ダグラス・エル・ダンバー夫妻来遊ニツキ尽力スル所アリ。是日、当委員会主催同夫妻招待茶話会丸ノ内東京会館ニ開カレ、栄一出席ス。
昭和3年4月10日
(1928年)
第35巻 p.77-78(DK350014k)
是日原田助、アメリカ合衆国ハワイノ実業家フランク・シー・アサートンガ、同地ロータリー倶楽部ニ於テ、同国千九百二十四年移民法修正ノ必要ヲ説キタル要旨ヲ、栄一ニ報ズ。
昭和3年4月30日
(1928年)
第35巻 p.78-81(DK350015k)
是日、当委員会主催アメリカ合衆国人ジェームズ・ダブリュー・ジェンクス招待晩餐会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ催サル。栄一病気ニヨリ出席スルヲ得ズ、阪谷芳郎代リテ司会ス。
昭和3年5月4日
(1928年)
第35巻 p.82-84(DK350016k)
是日、当委員会主催アメリカ合衆国人ハリ・エドマンド夫妻歓迎晩餐会、麹町区華族会館ニ開カル。栄一病気ニヨリ出席スルヲ得ズ、阪谷芳郎代リテ司会ス。
昭和3年5月28日
(1928年)
第35巻 p.84-88(DK350017k)
是日、全東京大学委員会ハ、アメリカ合衆国ハワイ大学ノ親善旅行学生班ヲ迎ヘ、東京朝日新聞社講堂ニ於テ、国際親善会ヲ開ク。栄一其挙ヲ賛シ当委員会ヲ通ジ金五十円ヲ寄附ス。
昭和3年6月18日
(1928年)
第35巻 p.88-89(DK350018k)
是日、当委員会幹事ハアメリカ合衆国人ルイス・ラタム・クラークヨリ息女結婚式ノ通知ヲ受ケタル栄一始メ当委員会会員ニ対シ、祝品贈呈ノ件ニ就イテ書状ヲ発ス。
昭和3年7月3日
(1928年)
第35巻 p.89-90(DK350019k)
是日、当委員会主催アメリカ合衆国人ジョセフ・ダブリュー・ホール一行招待茶会、神田学士会館ニ催サル。栄一病気ニヨリ出席セズ、阪谷芳郎代リテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。
昭和3年9月13日
(1928年)
第35巻 p.90-93(DK350020k)
是日、当委員会主催アメリカ合衆国駐箚特命全権大使出淵勝次送別晩餐会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。ナホ開会ニ先立ツテ小委員会ヲ開ク。
昭和3年9月26日
(1928年)
第35巻 p.93-105(DK350021k)
是日、当委員会主催、アメリカ合衆国人世界基督教青年会東洋部主任フレッチャー・エス・ブロックマン送別懇談会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
昭和3年12月7日
(1928年)
第35巻 p.105-109(DK350022k)
是日、当委員会主催前アメリカ合衆国駐箚全権大使松平恒雄招待茶会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
昭和3年12月12日
(1928年)
第35巻 p.109(DK350023k)
是日当委員会、アメリカ合衆国サン・フランシスコ日本人基督教青年会館建築ノ件ニ関シ、永楽町渋沢事務所ニ於テ、小委員会ヲ開キ、寄附金ノ事ヲ談ズ。後、栄一尽力シテ金二万三千五百円ノ醵金ヲ得。
昭和4年1月27日
(1929年)
第35巻 p.109-112(DK350024k)
是日、当委員会主催アメリカ合衆国ワシントン大学教授ハーバード・エッチ・ガウエン歓迎午餐会開カル。栄一病気ニヨリ出席スルヲ得ズ、阪谷芳郎代リテ司会ス。
昭和4年3月4日
(1929年)
第35巻 p.112-114(DK350025k)
是日、当委員会主催アメリカ合衆国合同基督教宣教協会会長エフ・ダブリュー・バーナム招待午餐会開カル。栄一病気ニヨリ出席スルヲ得ズ、阪谷芳郎代リテ司会ス。
昭和4年5月7日
(1929年)
第35巻 p.114-120(DK350026k)
是日栄一、ニュー・ヨーク米日関係委員会幹事シドニー・エル・ギューリックニ一書ヲ送リテ、アメリカ合衆国千九百二十四年移民法改正ノ希望ヲ述ブ。
昭和4年5月18日
(1929年)
第35巻 p.120-122(DK350027k)
是日、当委員会ハアメリカ合衆国新聞記者団一行十二名ヲ、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ請ジテ歓迎午餐会ヲ開ク。栄一病ニヨリ出席スルヲ得ズ、阪谷芳郎代リテ司会ス。
昭和4年5月30日
(1929年)
第35巻 p.122-127(DK350028k)
是日、当委員会小委員会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ、来ル十月京都ニ開カルル第三回太平洋問題調査会ニ、ステートメントヲ発表スルノ件ニ就イテ協議ス。
昭和4年6月11日
(1929年)
第35巻 p.127-132(DK350029k)
是日、当委員会、小委員会ヲ丸ノ内渋沢事務所ニ開キ、安部清蔵・佐藤定吉及ビ山室軍平等ヲ招キテ、アメリカ合衆国出生日本人問題ニ付キ協議ス。
栄一出席ス。
昭和4年7月11日
(1929年)
第35巻 p.132(DK350030k)
是日、当委員会小委員会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ、ブラジル共和国サン・パウロ聖州義塾塾長小林美登利ノ提議セル、同義塾援助ノ件ヲ協議ス。後、栄一之ニ対シテ寄附ヲナシ又有力者ニ小林ヲ紹介ス。
昭和4年10月4日
(1929年)
第35巻 p.132-140(DK350031k)
是日、当委員会主催アメリカ合衆国サン・フランシスコ米日関係委員会委員ロバート・エヌ・リンチ及ビチャールズ・シー・ムーア並ニ同国ハワイ大学教授原田助歓迎午餐会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
昭和4年11月11日
(1929年)
第35巻 p.140-146(DK350032k)
是日、アメリカ合衆国サン・フランシスコ米日関係委員会会長ウォレス・エム・アレグザンダー並ニフランク・シー・アサートン等ト東京当委員会委員数名トニヨリ、日米問題協議会ヲ丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開ク。栄一出席シテ会議ヲ指導ス。
昭和4年11月14日
(1929年)
第35巻 p.146-153(DK350033k)
是日、当委員会主催アメリカ合衆国人フランク・シー・アサートン夫妻ソノ他数氏歓迎晩餐会、芝公園内紅葉館ニ催サル。栄一医師ノ戒告ニヨリ出席セズ。次イデ二十五日、栄一、アサートンヲ飛鳥山邸ニ招キ、移民問題ニツキ懇談ス。
昭和5年4月8日
(1930年)
第35巻 p.153-154(DK350034k)
是日、当委員会主催アメリカ合衆国人ホバート・ポーター、バートン・ヘボン夫人等歓迎午餐会、丸ノ内日本工業倶楽部ニ開カル。栄一病気ニヨリ出席セズ、阪谷芳郎代リテ挨拶ヲ述ブ。
昭和5年5月24日
(1930年)
第35巻 p.154-166(DK350035k)
是ヨリ先五月二日、栄一、アメリカ合衆国特命全権大使ウィリアム・アール・キヤッスルヲ東洋拓殖ビルディング内同国大使館ニ訪ヒ、日米両国ノ関係ニ付キ懇談ス。是日、当委員会主催同大使送別午餐会、丸ノ内東京会館ニ開カレ、栄一出席ス。二十七日、大使帰国スルニ付キ、帝国ホテルニ同大使ヲ訪ヒ、惜別ノ辞ヲ述ブ。
昭和5年7月5日
(1930年)
第35巻 p.166-172(DK350036k)
是ヨリ先五月下旬、アメリカ合衆国下院ニ於テ移民委員長アルバート・ジョンソン、同国千九百二十四年移民法修正ノ意ヲ表明ス。次イデ六月、ハワイ、ホノルル商業会議所国際関係委員会ハ同法修正ノ賛成決議ヲナシ、更ニロス・アンジェルスニ開カレタル外国貿易協議会マタ同様ノ決議ヲナス。是日栄一、飛鳥山邸ニ阪谷芳郎・新渡戸稲造頭本元貞等ト会シ、ハイラム・ジョンソンニ対シ、日米問題ニ関シテ一書ヲ送ルベキヤ否ヤヲ協議シ、延引ニ決ス。
昭和5年10月17日
(1930年)
第35巻 p.172-175(DK350037k)
是日、アメリカ合衆国サン・フランシスコ米日関係委員会会長ウォレス・エム・アレグザンダー、栄一ニ一書ヲ寄セ、同国千九百二十四年移民法修正ノ近キニアルベキコトヲ報ズ。
昭和5年10月28日
(1930年)
第35巻 p.175-177(DK350038k)
是日、当委員会小委員会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ、太平洋沿岸諸国実業家大会開催ノ提案其他ニ関シテ協議ス。
昭和5年11月10日
(1930年)
第35巻 p.177-184(DK350039k)
是日栄一、日本労働総同盟会長鈴木文治ノアメリカ合衆国ヨリ帰朝セルヲ機トシ、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ招待会ヲ催シ、当委員会関係者ヲ招待ス。次イデ十二日、鈴木文治、丸ノ内渋沢事務所ニ来訪ス。
昭和6年4月25日
(1931年)
第35巻 p.184-185(DK350040k)
アメリカ合衆国ポートランド商業会議所ハ、アトランティック・シティニ於ケル全米商業会議所大会ニ、同国千九百二十四年移民法修正決議案ヲ提出スベシトノ報道ヲ得、是日栄一、当委員会ヲ代表シテ、ポートランド商業会議所ニ謝電ヲ発ス。
昭和6年5月19日
(1931年)
第35巻 p.185-196(DK350041k)
是ヨリ先、二月十日、当委員会小委員会ヲ丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開キ、栄一出席シテアメリカ合衆国ニュー・ヨーク日本協会理事ハーバート・エス・ヒューストン来訪ノ件其他ヲ協議シ、更ニ是日、同小委員会ヲ開キ、栄一出席シテヒューストン来訪ニ関シ協議ス。
昭和6年6月12日
(1931年)
第35巻 p.196-208(DK350042k)
是日、当委員会主催ハーバート・エス・ヒューストン歓迎会、丸ノ内東京会館ニ催サル。栄一欠席ス。次イデ十九日、ヒューストンヲ飛鳥山邸ニ招キ、当委員会小数委員ト共ニ懇談会ヲ開ク。
昭和6年8月5日
(1931年)
第35巻 p.208-233(DK350043k)
是日、当委員会主催ハーバート・エス・ヒューストン送別茶会、飛鳥山邸ニ開カル。栄一病気ニヨリ出席スルヲ得ズ。孫渋沢敬三代リテ接待ス。
昭和6年12月4日
(1931年)
第35巻 p.234-244(DK350044k)
是ヨリ先十一月十一日、栄一歿ス。仍ツテ是日、当委員会委員有志相諮リ、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ会シテ栄一ノ遺志ヲ継ギ、且ツアメリカ合衆国サン・フランシスコ、ハワイ及ビニュー・ヨークノ三米日関係委員会ノ希望ヲ斟ミ、当委員会ヲ存続スベキ事ヲ申合ハス。翌昭和七年一月二十二日会員総会ヲ同所ニ開キテ之ヲ決議ス。
3款 日米関係委員会 其他関係諸資料
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年9月6日
(1911年)
第35巻 p.245(DK350045k)
是日栄一、アメリカ合衆国スタンフォード大学総長デーヴイッド・エス・ジョルダンヲ飛鳥山邸ニ請ジテ午餐会ヲ開キ日米問題ニ付懇談ヲナス。
大正13年4月25日
(1924年)
第35巻 p.245-249(DK350046k)
アメリカ合衆国議会ニ於テ千九百二十四年移民法通過セルニヨリ、在留日本人農業者ノ窮迫甚シ。是日同国ノ太平洋沿岸聯合日本人会ハソノ決議ヲ以テ、是等農業者救済ノタメ栄一ノ渡米ヲ乞フ。六月十九日同国サン・フランシスコ日本人会会長牛島謹爾重ネテ渡米ヲ乞フ。行カズ。
大正15年3月19日
(1926年)
第35巻 p.249-252(DK350047k)
是日栄一、アメリカ合衆国バルチモア市、バルチモア・サン紙外事課長フェリクス・エム・モーレーヲ飛鳥山邸ニ引見シテ、国際問題ニ関スル談話ヲナス。
大正15年10月14日
(1926年)
第35巻 p.253(DK350048k)
是日、アメリカ合衆国インターナショナル通信社社員サーサル・ヒューストン飛鳥山邸ニ栄一ヲ訪問シ、合衆国排日問題ヲ談ズ。
昭和2年3月8日
(1927年)
第35巻 p.253-256(DK350049k)
是日、アメリカ合衆国監督教会日本監督ノフランク・エッチ・スミス、小畑久五郎ニ、昨年同国リヴァーサイドニ於テ催サレタル会議ニ於テ、排日派ノ人士ニヨリテ、栄一等ガ合衆国千九百二十四年移民法ニ対シ既ニ何等ノ不満ヲ抱カズトノ陳述書ノ発表セラレタル旨ヲ報ズ。栄一、小畑久五郎ヲシテ、スミスニ返答セシメ、栄一ハ同法制定後一日ト雖モ之ニ対スル不満ヲ忘レザルモノナルコトヲ明ラカニス。
昭和3年8月8日
(1928年)
第35巻 p.256-257(DK350050k)
是日栄一、帰国中ナルアメリカ合衆国特命全権大使チャールズ・マックヴェニ一書ヲ寄セ、マックヴェガ過日サン・フランシスコニ於テ同国千九百二十四年移民法ヲ改正シ日本国民ニモ亦比率ヲ適用スベシトノ意見ヲ発表セルニ対シ謝意ヲ表ス。
昭和6年9月
(1931年)
第35巻 p.257-258(DK350051k)
是月、金子堅太郎飛鳥山邸ヲ訪フ。栄一病ヲ押シテ面会シ、アメリカ合衆国千九百二十四年移民法改訂ノ希望ヲ述ブ。
4款 日米関係委員協議会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正8年4月17日
(1919年)
第35巻 p.259-263(DK350052k)
是日、アメリカ合衆国サン・フランシスコ米日関係委員会会長ウォレス・エム・アレグザンダー並ニ会員ロバート・エヌ・リンチノ両人ト、日米関係委員会会員数人トニヨリ、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ於テ、翌大正九年、日米関係委員協議会開催ノ件ニ就キテ打合セヲ行フ。栄一病気ノタメ出席スルヲ得ズ。
大正9年1月10日
(1920年)
第35巻 p.263-267(DK350053k)
是日、日米関係委員会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ本春東京ニ於テ、日米関係委員協議会開催ノ件ヲ議ス。是ヨリ三月ニ至ルマデ其準備ニ斡旋ス。
大正9年3月16日
(1920年)
第35巻 p.267-281(DK350054k)
是日、アメリカ合衆国サン・フランシスコ米日関係委員会会長ウォレス・エム・アレグザンダー一行、日米関係委員協議会開催ノ目的ヲ以テ来朝ス。栄一、アレグザンダーヲ東京ステーション・ホテルニ訪フ。十七日、東京商業会議所主催歓迎午餐会麹町区内山下町華族会館ニ開カル。栄一出席シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。二十日大谷嘉兵衛主催一行招待午餐会、同夕丸ノ内帝国劇場ニ於テ横浜正金銀行主催一行招待晩餐会、二十二日外務大臣官邸ニ於テ内田康哉主催一行招待午餐会開カレ、栄一之等ニ出席ス。同夜栄一、一行ヲ飛鳥山邸ニ招ジテ晩餐会ヲ開ク。二十四日日本橋倶楽部ニ於テ高田商会主催一行招待晩餐会、二十七日麹町区永田町内閣総理大臣官邸ニ於テ原敬主催一行招待茶会、同夕麹町区内山下町帝国ホテルニ於テ一行主催留別会開カレ、栄一之等ニ出席ス。三十一日、兜町渋沢事務所ニアレグザンダー送別午餐会ヲ催ス。四月二日、栄一横浜ニ赴キ、一行中ニ在リテ死去セルバーカー夫人ニ哀悼ノ意ヲ表ス。四月六日、一行中ノローヤル・エー・オズボーン、如水会館ニ於テ講演ヲナシ、栄一臨席ス。
大正9年3月17日
(1920年)
第35巻 p.281-315(DK350055k)
是日ヨリ二十四日マデ、丸ノ内東京銀行集会所ニ於テ日米関係委員協議会開カレ、アメリカ合衆国カリフォルニア州ニ於ケル排日問題対策並ニ両国親善増進ニ関シテ協議ス。栄一毎回出席ス。
5款 日米有志協議会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正9年3月28日
(1920年)
第35巻 p.316-326(DK350056k)
是年四月、フランク・エー・ヴァンダーリップ等一行、日米有志協議会開催ノ目的ヲ以テ渡来スルニヨリ、是日栄一、内閣総理大臣原敬ヲ官邸ニ訪レ、同大臣並ニ他ノ有志者ト共ニ一行ノ歓迎其他ノ協議ヲナス。四月七日、米賓歓迎会組織ニ関スル協議会、丸ノ内東京商業会議所ニ開カレ、栄一出席ス。米賓歓迎会成立シ、栄一会長ニ推サレ、歓迎会員中協議会ニ出席スベキ協議委員十七名ヲ依頼ス。同十五日、右協議委員ヲ丸ノ内東京銀行倶楽部ニ集メ協議会ニ関スル打合会ヲ開ク。同二十二日、東京商業会議所ニ接待員打合会ヲ催ス。翌二十三日、内閣総理大臣官邸ニ一行歓迎ニ関スル打合会ヲ開ク。翌二十四日、都下ノ新聞記者ヲ帝国ホテルニ招待シテ、米賓ノ歓迎ニ対シテ其協力ヲ求ム。
大正9年4月24日
(1920年)
第35巻 p.326-359(DK350057k)
是日、フランク・ェー・ヴァンダーリップ一行横浜ニ入港ス。同夜栄一、帝国ホテルニテ晩餐ヲ共ニス。二十五日朝ヴァンダーリップヲソノ宿舎ニ当タル三田綱町渋沢邸ニ訪フ。同夜、米賓歓迎会主催晩餐会、華族会館ニ開カル。栄一出席シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。二十六日東京商業会議所楼上ニ於テ東京商業会議所主催一行歓迎午餐会、同夕丸ノ内東京銀行倶楽部ニ於テ日米協会主催一行歓迎晩餐会開カレ、栄一出席シテ演説ヲナス。二十七日芝公園内紅葉館ニ於テ近藤廉平主催一行歓迎午餐会、午後アメリカ合衆国大使館ニ於テ同国特命全権大使ローランド・エス・モリス主催アフタヌーン・レセプション、同夕三田綱町三井家別邸ニ於テ三井八郎右衛門主催一行歓迎晩餐会、二十八日東京帝国大学ニ於テ一行中ノジヤコブ・シー・シャーマン博士講演会、午後首相官邸ニ於テ内閣総理大臣原敬主催一行歓迎茶話会、同夕三田浅野総一郎邸ニ於テ同人主催一行歓迎晩餐会、二十九日赤坂区葵町大倉喜八郎邸ニ於テ同人主催一行歓迎午餐会開カレ、栄一之等ニ出席ス。三十日朝、栄一三田綱町邸ニヴァンダーリップヲ訪ヒ、正午、飛鳥山ニ一行招待午餐会ヲ開キ、宴畢リテ一行ヲ案内シテ日本女子大学校ヲ参観セシム。同夜、外務大臣官邸ニ於テ外務大臣内田康哉主催一行歓迎晩餐会開カレ、栄一出席ス。五月十九日、一行中ノジユリアン・ストリート飛鳥山邸ニ来訪ス。
大正9年4月26日
(1920年)
第35巻 p.359-449(DK350058k)
是日ヨリ丸ノ内東京銀行倶楽部ニ於テアメリカ合衆国人フランク・エー・ヴァンダーリップ外十二名及ビ日本側協議委員ニヨル日米有志協議会開カル。栄一出席シ、座長トシテ当会議開催ノ由来ヲ述ベ、引続キ毎回出席、カリフォルニア州日本移民問題其他ニ就キ意見ヲ述ブ。五月一日相互ニ覚書ヲ提出シテ会議ヲ解ク。
大正9年5月14日
(1920年)
第35巻 p.449-468(DK350059k)
是日アメリカ合衆国人フランク・エー・ヴァンダーリップ一行横浜ヨリ帰国ノ途ニ就ク。九月二十二日、帝国ホテルニ於テ米賓歓迎会報告会及ビ接待員慰労会開カレ、栄一出席シテ謝辞ヲ述ブ。
6款 ニュー・ヨーク日本協会協賛会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年10月5日
(1911年)
第35巻 p.469(DK350060k)
是日、ニュー・ヨーク日本協会協賛会ニ評議員設置ノ相談会、帝国ホテルニ開カレ、栄一出席ス。
明治45年6月
(1912年)
第35巻 p.469-471(DK350061k)
是月栄一、ニュー・ヨーク日本協会ノ事業ヲ賛助スル目的ヲ以テ高橋是清・豊川良平・早川千吉郎他実業家二十余名ニ謀リ当会ヲ組織シ、ソノ名誉委員長ニ選バル。後、名誉会長タリ。
明治45年6月29日
(1912年)
第35巻 p.471-473(DK350062k)
是日栄一、カーネギー世界平和財団派遣ノアメリカ合衆国ハーバート大学名誉総長チャールズ・ダブリュー・エリオットヲ、東京蚕業講習所ニ案内シ、次イデ飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ開ク。
明治45年7月9日
(1912年)
第35巻 p.473-485(DK350063k)
是日、当会主催アメリカ合衆国人チャールズ・ダブリュー・エリオット歓迎晩餐会、帝国ホテルニ開カル。栄一当会ヲ代表シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。
大正元年12月13日
(1912年)
第35巻 p.485-486(DK350064k)
是日栄一、当会ヲ代表シテ、アメリカ合衆国カーネギー平和財団ヨリ派遣セラレタルハミルトン・ダブリュー・メービーノ接見会ヲ華族会館ニ催ス。
大正3年9月25日
(1914年)
第35巻 p.486-487(DK350065k)
是日、当会主催アメリカ合衆国経済協会会頭ヘンリー・シー・アダムズ招待午餐会、帝国ホテルニ開カル。栄一出席シ、主催者ヲ代表シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。
大正4年2月26日
(1915年)
第35巻 p.487(DK350066k)
是日、当会主催アメリカ合衆国人シドニー・エル・ギューリック及ビ同国シカゴ大学神学部長シェラー・マシュース送別晩餐会、帝国ホテルニ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正5年6月2日
(1916年)
第35巻 p.487(DK350067k)
是日、当会等主催アメリカ合衆国ノ飛行家アート・スミス送別晩餐会帝国ホテルニ開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
大正5年9月5日
(1916年)
第35巻 p.487(DK350068k)
是日、当会等主催アメリカ合衆国鋼鉄会社取締役会長エルバート・エッチ・ゲーリー歓迎晩餐会帝国ホテルニ開カル。栄一出席シ、主催者ヲ代表シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。
大正6年4月19日
(1917年)
第35巻 p.487-489(DK350069k)
是日、当会主催アメリカ合衆国ニュー・ヨーク日本協会会長リンゼー・ラッセル歓迎晩餐会帝国ホテルニ開カル。栄一出席シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。
大正6年5月30日
(1917年)
第35巻 p.489(DK350070k)
是日、横浜正金銀行頭取井上準之助、ニュー・ヨーク日本協会会長リンゼー・ラッセルヲ、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ招待シテ午餐会ヲ開ク。栄一出席ス。
大正6年7月5日
(1917年)
第35巻 p.489(DK350071k)
是日、当会等主催、遣米特命全権大使石井菊次郎及ビベルギー駐箚帝国特命全権公使安達峰一郎送別晩餐会、日本橋倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ主催者ヲ代表シテ開会ノ辞ヲ述ブ。
大正6年11月3日
(1917年)
第35巻 p.489(DK350072k)
是日、当会等ノ主催ニテ、アメリカ合衆国ハワイノ実業家フランク・シー・アサートンノ歓迎ヲ兼ネ、日本基督教青年会代表欧洲戦場慰問使日疋信亮・山本邦之助送別晩餐会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
大正10年9月24日
(1921年)
第35巻 p.489-490(DK350073k)
是日、当会主催アメリカ合衆国ニュー・ヨーク日本協会幹事ウォーデン夫妻招待午餐会、飛鳥山邸ニ開カレ、栄一出席ス。
昭和2年12月16日
(1927年)
第35巻 p.490-491(DK350074k)
是ヨリ先、当会名誉書記小野英二郎死去ス。是日栄一、当会名誉会長トシテ弔詞ヲ贈ル。又ソノ後任ヲ一宮鈴太郎ニ託ス。
昭和3年4月5日
(1928年)
第35巻 p.491(DK350075k)
是日、日米関係委員会主催アメリカ合衆国ニュー・ヨーク日本協会幹事ダグラス・エル・ダンバー夫妻招待茶話会、丸ノ内東京会館ニ開カレ、栄一出席ス。是ヨリ先、栄一其来遊ニ付斡旋スル所アリ。
7款 大日本平和協会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治45年2月7日
(1912年)
第35巻 p.492-498(DK350076k)
是日当協会理事会開カレ、栄一、名誉評議員ニ推挙セラル。
明治45年3月7日
(1912年)
第35巻 p.498-501(DK350077k)
是日栄一、当協会ニ金五百円ヲ寄附ス。
明治45年5月18日
(1912年)
第35巻 p.501-506(DK350078k)
是日、当協会主催ヘーグ・デー、基督教青年会館ニ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正2年10月24日
(1913年)
第35巻 p.506-507(DK350079k)
是日、当協会横浜支部発会式同市指路教会ニ挙ゲラル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正3年4月18日
(1914年)
第35巻 p.507(DK350080k)
是日、当協会主催イギリス国人アルフレッド・エッチ・ブラウン招待会築地精養軒ニ開カル。栄一出席シテ、オーストラリア洲ニ於ケル排日思想除去ノ方法ヲ協議ス。
大正3年6月16日
(1914年)
第35巻 p.507-508(DK350081k)
是日、当協会例会ニ於テ、当協会本年度下半期ノ経費金五百円ヲ栄一及ビ佐竹作太郎ノ醵出ニ俟ツコトニ決ス。
大正3年10月13日
(1914年)
第35巻 p.508-509(DK350082k)
是日、当協会主催アメリカ合衆国カリフォルニア州平和協会会長アラン等招待晩餐会、日本橋倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
大正3年12月8日
(1914年)
第35巻 p.509-510(DK350083k)
是日、当協会例会ニ於テ、当会ノ刊行セル平和論集ノ刊行費ニ対スル栄一ノ寄附金ヲ二十円ト定ム。
大正4年2月9日
(1915年)
第35巻 p.510-516(DK350084k)
是ヨリ先、当協会及ビ在日米国人平和協会ヨリ代表者各十五名ヲ以テ日米関係調査委員会ヲ組織ス。是日第一回ノ会合ヲ開キ、栄一其委員ニ選バル。
大正4年5月3日
(1915年)
第35巻 p.516-517(DK350085k)
是日、当協会副会長阪谷芳郎、同理事ギルバート・ボールズ、添田寿一、宮岡恒次郎兜町邸ニ栄一ヲ訪ヒ、日支問題ニ関シテ論議ス。
大正4年10月14日
(1915年)
第35巻 p.517-519(DK350086k)
是ヨリ先、栄一渡米ヲ決ス。仍ツテ是日、当協会及ビ在日米人平和協会ヨリ成レル日米関係調査委員会ノ主催ニヨリ送別午餐会帝国ホテルニ開カル。栄一出席シテ答辞ヲ述ブ。当協会ハ栄一ニ当協会ノ意見伝達ノコトヲ託ス。
大正5年1月24日
(1916年)
第35巻 p.519(DK350087k)
是ヨリ先、一月四日、栄一、アメリカ合衆国ヨリ帰国ス。是日栄一、帝国ホテルニ日米関係調査委員招待午餐会ヲ開キ、先ニ出発ニ際シテ当協会ヨリ依嘱セラレタル意見伝達ノ報告ヲナス。
大正5年2月10日
(1916年)
第35巻 p.520(DK350088k)
是日、当協会総会ニ於テ役員改選セラレ、栄一引続キ名誉評議員ニ選バル。
大正5年2月28日
(1916年)
第35巻 p.520-525(DK350089k)
是日、当協会及ビ在日米人平和協会共同主催アメリカ合衆国人フランシス・ティー・クラーク招待晩餐会、中央亭ニ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正6年2月14日
(1917年)
第35巻 p.525-530(DK350090k)
是日、当協会副会長阪谷芳郎、同理事ギルバート・ボールズ、同宮岡恒次郎、兜町渋沢事務所ニ栄一ヲ訪ヒ、当協会ト在日米人平和協会トノ共同事業タル、日米関係調査委員会及ビ通信機関ニ関シ、日米関係委員会トノ提携問題ヲ談ズ。
大正6年5月23日
(1917年)
第35巻 p.530-536(DK350091k)
是日、当協会、日米関係調査委員会ヲ丸ノ内中央亭ニ開ク。栄一出席シテ中国ニ対スル日米共同出資説ヲ述ブ。後、ギルバート・ボールズ夫妻送別晩餐会ニ移ル。
大正8年2月4日
(1919年)
第35巻 p.536-537(DK350092k)
是日、当協会、日米関係調査委員会ヲ帝国ホテルニ開ク。栄一出席ス。
大正8年6月19日
(1919年)
第35巻 p.537-538(DK350093k)
是日、当協会役員等東京銀行倶楽部ニ会シテ、朝鮮騒擾事件ニ付懇談ス。栄一出席シテ、金子堅太郎、海軍中将八代六郎ト共ニ、閣僚ヘノ忠言ヲ依頼サル。
大正9年4月12日
(1920年)
第35巻 p.538-539(DK350094k)
是日、当協会主催台湾留学生招待園遊会、飛鳥山邸ニ開カル。栄一臨席シテ演説ヲナス。
大正10年4月18日
(1921年)
第35巻 p.539-540(DK350095k)
是日、当協会副会長阪谷芳郎ハ国際聯盟協会会長タル栄一及ビ副会長添田寿一ニ対シ補助金ノ支出ヲ求ム。六月二十三日ニ至リ添田寿一ヨリ其公表機関ニ対シ毎月二百円支出ノ通知ヲ得。
大正10年5月18日
(1921年)
第35巻 p.540-541(DK350096k)
是日、当協会主催第二十三回ヘーグ・デー、当協会理事ニシテ且功労者タルギルバート・ボールズノ病気全快祝賀会ヲ兼ネテ、如水会館ニ開催サル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正11年5月5日
(1922年)
第35巻 p.541(DK350097k)
是日、当協会総会如水会館ニ催サレ、阪谷芳郎当協会会長ニ選挙セラル。栄一出席ス。
大正11年11月11日
(1922年)
第35巻 p.541(DK350098k)
是日、東京市及ビ当協会他六団体ヨリ成ル、平和運動日本聯盟ノ主催ニテ、第四回平和記念大会ヲ日比谷公園ニ開ク。栄一臨席シテ演説ヲナス。
大正14年5月1日
(1925年)
第35巻 p.542-547(DK350099k)
是日当協会解散シ、其事業ヲ国際聯盟協会ニ移ス。
8款 日米協会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正6年2月22日
(1917年)
第35巻 p.548-553(DK350100k)
是日、当協会組織協議会麹町区内山下町華族会館ニ開カレ、栄一出席シテ演説ヲナス。金子堅太郎・高峰譲吉及ビ栄一ノ発起スル所ナリ。四月十三日、創立会同所ニ催サレ、栄一名誉副会長ニ選出セラル。次イデ同月二十四日、執行委員会帝国ホテルニ開カル。
大正6年5月11日
(1917年)
第35巻 p.553-559(DK350101k)
是日、当協会発会式、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ於テ挙行セラル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正6年7月6日
(1917年)
第35巻 p.559(DK350102k)
是日、当協会主催遣米特命全権大使石井菊次郎送別会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
大正6年10月2日
(1917年)
第35巻 p.559-560(DK350103k)
是日、当協会ハアメリカ合衆国ニ特派セラルベキ帝国政府財政経済委員長目賀田種太郎及ビ其一行ヲ、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ招待シテ送別晩餐会ヲ開ク。栄一出席シテ送別ノ辞ヲ述ブ。
大正6年11月30日
(1917年)
第35巻 p.561-565(DK350104k)
是日、当協会主催アメリカ合衆国新任特命全権大使ローランド・エス・モリス歓迎晩餐会東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。
大正7年2月12日
(1918年)
第35巻 p.565-567(DK350105k)
是日、当協会会長金子堅太郎ノ斡旋ニヨリ、アメリカ合衆国大使ローランド・エス・モリス府下野方村願正寺ノ第一回遣米使節正使新見豊前守正興ノ墓ニ詣ズ。栄一及ビ阪谷芳郎、当協会名誉副会長トシテ参列ス。
大正7年3月26日
(1918年)
第35巻 p.567-571(DK350106k)
是日、当協会主催前アメリカ合衆国駐箚特命全権大使佐藤愛麿及ビ同国特派財政経済委員長目賀田種太郎外委員一行帰朝歓迎、並ニ新任同国駐箚特命全権大使石井菊次郎送別晩餐会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正7年12月21日
(1918年)
第35巻 p.571(DK350107k)
是日、当協会主催アメリカ合衆国人ダブリュー・ディー・ホイールライト招待午餐会、東京銀行倶楽部ニ開カル。
大正8年9月20日
(1919年)
第35巻 p.571-572(DK350108k)
是日、当協会主催ニテアメリカ合衆国上院議員セォドール・イー・バートン他六名ヲ東京銀行倶楽部ニ招待シテ午餐会ヲ催ス。栄一出席ス。
大正8年11月19日
(1919年)
第35巻 p.572-573(DK350109k)
是日、当協会主催石井菊次郎及ビアメリカ合衆国人名士歓迎晩餐会東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席ス。
大正9年3月19日
(1920年)
第35巻 p.573-574(DK350110k)
是日、当協会主催アメリカ合衆国モルガン商会総務トマス・ダブリュー・ラモント招待晩餐会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正9年4月26日
(1920年)
第35巻 p.574-575(DK350111k)
是日、当協会主催アメリカ合衆国フランク・エー・ヴアンダーリップ一行歓迎晩餐会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正9年9月6日
(1920年)
第35巻 p.575-576(DK350112k)
是日、当協会主催アメリカ合衆国議員団歓迎園遊会、小石川区後楽園ニ催サレ、栄一出席ス。
大正9年11月24日
(1920年)
第35巻 p.576-583(DK350113k)
是日、当協会ハアメリカ合衆国カリフォルニア州ニ於ケル、日本人排斥問題善後策ヲ講ズルタメ、当協会ノ特別委員トシテ近ク帰国セントスル合衆国人イー・ダブリュウ・フレーザー及ビジェー・アール・ゲーリー並ニ帰国スベキ当協会副会長ビー・ダブリュー・フライシャーヲ、麹町区内山下町華族会館ニ招待シテ送別午餐会ヲ開ク。栄一出席シテ演説ヲナス。次イデ十二月十六日、当協会日米関係協議会丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ両委員ノ帰米ニ関シテ協議ス。
大正10年3月22日
(1921年)
第35巻 p.583-584(DK350114k)
是日、当協会主催神田乃武渡欧送別会、日本工業倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
大正10年4月7日
(1921年)
第35巻 p.584-588(DK350115k)
是日、当協会主催特別委員ジェー・アール・ゲーリー帰朝報告会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテゲーリーニ対シテ質疑ヲナス。六月十四日、内閣総理大臣原敬主催ゲーリー及ビ同委員イー・ダブリュー・フレーザー招待晩餐会、麹町区永田町同官邸ニ開カレ、栄一出席ス。七月七日、当協会主催両委員歓迎兼アメリカ合衆国人ポールトネ・ビゲロー送別晩餐会丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正10年7月15日
(1921年)
第35巻 p.589-590(DK350116k)
是日、当協会執行委員会、日本工業倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。席上ビー・ダブリュー・フライシャーノアメリカ合衆国排日問題ニ関スル談話アリ。
大正10年10月8日
(1921年)
第35巻 p.590(DK350117k)
是日、当協会主催渡米会員送別会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
大正11年5月11日
(1922年)
第35巻 p.590-595(DK350118k)
是ヨリ先、一月三十日、栄一アメリカ合衆国ヨリ帰朝ス。是日、当協会主催ワシントン会議帝国全権委員・栄一及ビ英米訪問実業団各一行ノ帰朝歓迎晩餐会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
大正11年9月29日
(1922年)
第35巻 p.595-596(DK350119k)
是日、当協会主催アメリカ合衆国サン・フランシスコ日本協会会長フランシス・ビー・ルーミス、エルマー・エー・スペリ夫妻及ビジョン・ピー・アイリッシェ夫妻歓迎午餐会、日本工業倶楽部ニ開カル。
大正12年7月24日
(1923年)
第35巻 p.596-597(DK350120k)
是日、当協会主催アメリカ合衆国特命全権大使サイラス・イー・ウッズ歓迎晩餐会、帝国ホテルニ開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
大正12年10月1日
(1923年)
第35巻 p.597-599(DK350121k)
是日、当協会第三十四回執行委員会帝国ホテルニ催サル。栄一出席シテ、アメリカ合衆国ニュー・ヨーク日本協会ヨリ当協会ニ対シ、大震災応急救援ノタメ寄贈セラルル義捐金十万弗ノ処分法ヲ議シ、栄一発議シテ之ヲ大震災善後会ニ交付セシムルコトニ決ス。十月十一日当協会ヨリ右金員ヲ善後会ニ引渡ス。
大正12年10月1日
(1923年)
第35巻 p.599-602(DK350122k)
是日、当協会主催アメリカ合衆国フィリピン総督参謀長陸軍少将フランク・アール・マッコイ一行歓待執行委員午餐会、帝国ホテルニ催サレ、栄一出席ス。
大正13年1月15日
(1924年)
第35巻 p.602-603(DK350123k)
是日、当協会主催アメリカ合衆国前大統領故ルーズヴェルト夫人歓迎並ニ同国大使官付武官バーネット夫妻送別晩餐会、丸ノ内日本工業倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正13年8月7日
(1924年)
第35巻 p.603-610(DK350124k)
是ヨリ先七月二十二日、当協会会長金子堅太郎アメリカ合衆国千九百二十四年移民法ノ制定ニヨリ感ズル所アリテ辞任ヲ表明ス。仍ツテ是日、栄一書ヲ金子ニ送リ慰留セシモ容レズ。
大正13年12月12日
(1924年)
第35巻 p.610-611(DK350125k)
是日、当協会主催新任アメリカ合衆国特命全権大使エドガー・エー・バンクロフト歓迎晩餐会、帝国ホテルニ開カル。
大正14年5月13日
(1925年)
第35巻 p.611(DK350126k)
是日栄一、当協会会長徳川家達ニ書翰ヲ発シ、静岡県下田在柿崎ノ玉泉寺本堂修繕ニ関シ、当協会ヨリ寄附金ノ補助ヲ希望ス。
大正15年6月2日
(1926年)
第35巻 p.611-612(DK350127k)
是日、当協会名誉会長金子堅太郎、去ル五月三十一日アメリカ合衆国大統領カルヴィン・クーリッジノ行ヘル演説ニ関シ栄一ニ書翰ヲ送ル。
大正15年6月24日
(1926年)
第35巻 p.612(DK350128k)
是日、当協会ハ、当協会ノ募集ニ係ル玉泉寺本堂修理保存ニ対スル寄附金六千六百余円ヲ、当協会会長徳川家達ヨリ栄一ニ交付ス。
昭和2年9月22日
(1927年)
第35巻 p.612-613(DK350129k)
是ヨリ先、栄一発議シテ静岡県下田在柿崎ノ玉泉寺修理ノタメ当協会ヨリ寄附金ヲ得。是日、当協会第十九回円卓午餐会帝国ホテルニ催サレ、栄一出席シテ修繕ノ経過ヲ報告ス。
昭和2年11月1日[10月1日]
(1927年)
第35巻 p.613(DK350130k)
是日、玉泉寺修繕落成式、ハリス記念碑除幕式ト共ニ同寺ニ於テ挙行セラル。栄一出席シテ演説ヲナス。
9款 其他関係諸団体 1. ハワイ、ホノルル米日関係委員会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正12年5月29日
(1923年)
第35巻 p.614-617(DK350131k)
是ヨリ先、アメリカ合衆国人アーサー・エル・ディーンノ発議ニヨリハワイ、ホノルル米日関係委員会組織サレントシ、指命委員ノ指示ヲ栄一ニ求ム。依ツテ是日、栄一書ヲフランク・シー・アサートンニ送ツテ同人ヲ推挙ス。
9款 其他関係諸団体 2. シアトル日本協会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正12年11月1日
(1923年)
第35巻 p.617-619(DK350132k)
是日栄一、アメリカ合衆国シアトル日本協会名誉会員ニ推挙セラル。
大正14年2月5日
(1925年)
第35巻 p.619-624(DK350133k)
シアトル日本協会ノ発議ニヨル東洋実業視察団ハジェームズ・エス・ギブソンヲ団長トシテ去ル一月二十七日シアトルヲ発ス。是日栄一、外務次官出淵勝次ヨリ右ニツキ報告ニ接ス。
9款 其他関係諸団体 3. 南部カリフォルニア日本協会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正14年6月4日
(1925年)
第35巻 p.624-626(DK350134k)
是ヨリ先栄一、アメリカ合衆国南部カリフォルニア日本協会名誉会員ニ推挙セラル。是日、ソノ通知発セラル。
9款 其他関係諸団体 4. サン・フランシスコ米日関係委員会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第35巻 p.626-629(DK350135k)
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