デジタル版「実験論語処世談」(66) / 渋沢栄一

14. 貧しきを恥とせよ

まずしきをはじとせよ

(66)-14

貧而無怨難。富而無驕易。【憲問第十四】
(貧しくして怨みなきは難し。富みて驕るなきは易し。)
 本章は貧に処して怨なきは困難であり、富んで驕らずに居ることは容易いと云ふのであるが、実際は貧しいと怨むことも多く、富むと驕り易くもなるから、私から言ふと貧富共に難いと言はねばならぬ。併し貧しくても怨まないと云ふことが、貧を楽しむと云ふことであつてはならぬと思ふ。貧しいものも勤めれば富となることが出来るのに、自らその貧に甘んじて居ることはいけない。寧ろ貧を恥かしいものであると云ふことでなければならぬ。
 中には大いに富まうとしても、病気や其他色々な不幸が続いたが為に働くことも出来ず、止むなく貧乏になつて居るものもあらう。けれども、働きさへすればその労力に対して必ず報酬があるから、強ひて富みを求めようと焦らなくとも、自ら富が生ずるものである。然るに世の中には、富の平等を得なければならぬと云ふので、社会主義を論ずるものもあるけれども、是等は此の道理を考へずして居つたものと思ふ。貧といひ、富といふことはどの位の標準にしてよいものか、三井、三菱の富と比べれば、私などは貧の内に這入らなければならないが、併し長屋などに這入つて居るものと比べると富の方であらう。家も自分のものであり、別に借金がある訳でもないし、人に迷惑をかけたり、人から物を貰つたりするやうなこともないから、貧とは言へなからうと思ふ。
 尤も学者などの中には、貧窮して居るが少しも之れを怨むなく、己れを安じて居る者も多い。又名を言ふことは遠慮するけれども、幕府の家来で可なりの地位まで進み、私なども色々世話になつたこともある人だが、最終に事が能く行かなかつたので貧しくなつた。私は之れを世話したこともあるが、貧しくなつたからと云つて、食ふことが出来ないと云ふ程ひどくなつたのではない。けれども、かう云ふ逆境に陥つても、之れは自分の天命だと云つて諦めて居た。そして人にこびを呈してどうかして貰ふと云ふやうなこともしない、所謂天をも恨みず、人をも怨みずと云ふ態度を取つて居つた。この人などは貧しうして怨みなき人と云ふべきである。
 又、富んで驕らん人と言へば、森村市左衛門、三井の三野村利左衛門、古河市兵衛などはこの種の人と言へよう。

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デジタル版「実験論語処世談」(66) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.575-592
底本の記事タイトル:三六六 竜門雑誌 第四三一号 大正一三年八月 : 実験論語処世談(第六十四《(六)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第431号(竜門社, 1924.08)
初出誌:『実業之世界』第20巻第9,10号,第21巻第1-3号(実業之世界社, 1923.09,11,1924.01,02,03)