13. 人には完備は六ケ敷い
ひとにはかんびはむつかしい
(66)-13
或問子産。子曰。恵人也。問子西。曰。彼哉彼哉。問管仲。曰。人也。奪伯氏駢邑三百。飯疏食。没歯無怨言。【憲問第十四】
(或る人子産を問ふ。子曰く。恵人なり。子西を問ふ。曰く。彼か彼か。管仲を間ふ。曰く。この人なりや、伯氏の駢邑三百を奪ひ、疏食を飯ひ、歯を没するまで怨言なし。)
本章は、子産、子西、管仲の人物評である。子産は政をなすに決して寛ではないが、併しその心は民人を愛さうとすることが主となつて居る。子西は楚の公子で、字は申能と云ひ、楚王が死んだ時に自分は立たないで昭王を立て、そして政治を改革して大変に成績が挙つたけれども、楚の国が王を僣称したことを止めることが出来なかつたり、昭王が孔子を用ゐようとしたけれども、之れも阻んで止めた。然るに間もなく白公を召し用ゐた所から、遂に禍乱を招いたのであると云ふのが是等の人の事蹟である。(或る人子産を問ふ。子曰く。恵人なり。子西を問ふ。曰く。彼か彼か。管仲を間ふ。曰く。この人なりや、伯氏の駢邑三百を奪ひ、疏食を飯ひ、歯を没するまで怨言なし。)
或る人が子産はどんな人であらうかと云ふ問に対して、孔子は恵人とは云ふことが出来るけれども、まだ仁者と云ふことが出来ぬ。子西はと云ふと、彼は言ふに足らないものであると貶して仕舞つた。管仲はとの問に対しては、彼は仁者であると云つたのは、伯氏が罪があつたので、管仲之れを正してその有つて居る所の駢邑三百を取上げたので、非常に零落したけれども、死に至るまで管仲を怨むことがなかつたといふのである。
絶対に完全な人、何でも兼備して居る人は到底求めることが出来ない。多数の人は、一方に長じて居るかと思ふと、他方に短所を有つて居る。私なども一方には長じて居る所もあるかも知れないけれども、他方には短い所もある。今の世には事によると風呂敷を拡げ過ぎて実行の之れに伴はない者がある。知識のある人は実際少くはないけれども、厚く之れを行ふと云ふ徳行が欠けて居ることが多い。人に於て、長所短所のあるのは免れることの出来ないのは、今の社会ばかりでなく、矢張り孔子の時代にもあつたのでこの言をなしたものと思ふ。
- デジタル版「実験論語処世談」(66) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.575-592
底本の記事タイトル:三六六 竜門雑誌 第四三一号 大正一三年八月 : 実験論語処世談(第六十四《(六)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第431号(竜門社, 1924.08)
初出誌:『実業之世界』第20巻第9,10号,第21巻第1-3号(実業之世界社, 1923.09,11,1924.01,02,03)