デジタル版「実験論語処世談」(66) / 渋沢栄一

17. 節度を得るに心掛けよ

せつどをうるにこころがけよ

(66)-17

子問公叔文子於公明賈。曰。信乎。夫子不言不笑不取乎。公明賈対曰。以告者過也。夫子時然後言。人不厭其言。楽然後笑。人不厭其笑。義然後取。人不厭其取。子曰。其然豈其然乎。【憲問第十四】
(子、公叔文子を公明賈に問うて曰く、信なるか、夫子言はず笑はず取らずとは。公明賈対へて曰く。以て告ぐる者過てり。夫子時にして然して後に言う、人其の言ふを厭はず、楽しんで然して後に笑ふ、人其の笑ふを厭はず、義にして然して後に取る、人其の取るを厭はずと。子曰く。其れ然り豈其れ然らんや。)
 本章は公叔文子の人となりを批評したものである。公叔文子は衛の大公公孫枝のことである。公明賈も矢張り衛の人である。夫子とは孔子を言はないで文子を言ふのである。
 孔子は公明賈に対つて、公叔文子の事を問うて曰ふには、世間では文子は言はない、笑はない、取らないと云ふ批評を下して居るが、之れは果して本当であるかと言はれた。公明賈は之れに対へて云ふにはそれは告げる者の過ちである。文子とて言はない、笑はない、取らない者ではない。唯夫子は言ふべき時に於て初めて言ふけれども、其の他には言ふことがない。故に人は、その言ふことを厭ふやうなことがない、心に楽んで後始めて笑ふので、巧笑、諂笑、嘲笑と云ふものがないから、人はその笑ひを厭ふことがない。又義であるか、不義であるかを見極め、そして義に合つて後に取るから、人は其の取ることがあつても之れを厭ふことがない。即ち言ふにしても、笑ふにしても又取るにしても紊でないから、人は之れを見て、言はない、笑はない、取らないと言つたのであらうと。然るに孔子は、之れを聴いたが直ちに信じないで、はアさうかね、まさかそれ程でもあるまいと疑問を残して置かれた。
 若し公明賈の言の如きものであつたならば、文子は殆ど聖人の至れる処まで達したものと云ふことが出来る。即ち言はず、笑はず、取らずと云ふ事は此の章句に於て重要なるものであつて、而も亦人の至れるものはかうならなければならぬ。併し、之れは却て至難なものである。丁度紊りに言はぬ人は多弁にはならぬけれども、下らんことを云ふと多弁になつて仕舞ふ。けれども之れに節度があれば多弁であつても、言はないやうに思はれる。笑ふにしても亦さうである。取るにしてもさうである。正くして取り、正しからざれば取らず、と云ふ様にならなければならぬ。得に義を思ひ、取るに理あつて取るのでなければならない。斯の如き人であつて始めて聖人と云ふべきものである。
 吾々も常に斯くあり度い、節度の正しきに従ひ度いと希望して居るけれども、之れを完全することが出来ない。此の考へが何時でも事の大小に拘らず適用することが出来れば、謂はゆる心の欲する処に従つて其の規矩を踰えないことになると思ふ。

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デジタル版「実験論語処世談」(66) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.575-592
底本の記事タイトル:三六六 竜門雑誌 第四三一号 大正一三年八月 : 実験論語処世談(第六十四《(六)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第431号(竜門社, 1924.08)
初出誌:『実業之世界』第20巻第9,10号,第21巻第1-3号(実業之世界社, 1923.09,11,1924.01,02,03)