デジタル版「実験論語処世談」(66) / 渋沢栄一

25. 大義名分の為に討つ

たいぎめいぶんのためにうつ

(66)-25

陳成子弑簡公。孔子沐浴而朝。告於哀公曰。陳恒弑其君請討之。公曰。告夫三子。孔子曰。以吾従大夫之後。不敢不告也。君曰告夫三子者。之三子告。不可。孔子曰。以吾従大夫之後。不敢不告也。【憲問第十四】
(陳成子、簡公を弑す。孔子沐浴して朝し、哀公に告げて曰く。陳恒其の君を弑す。請ふ之を討たん。公曰く。夫の三子に告げよ。孔子曰く。吾大夫の後に従ふを以て、敢て告げずんばあるべからず。君夫の三子者に告げよと曰ふと。三子に之きて告ぐ。可《き》かず。孔子曰く、吾大夫の後に従ふを以て敢て告げずんばあらず。)
 本章は君を弑するの大賊を討たなければならぬと孔子が云はれたのである。
 斉の大夫陳成子が其の君の簡公を弑した。この時は孔子が致仕して居つたけれども、天下の大事なりと信じたものだから、斎戒沐浴して入朝し、哀公に告げて云ふには、陳恒は其の君を殺したから、之れを討たなければならぬと。公は之れを断ずることが出来ず、夫の三子に告げよと言つた。孔子は出て歎じて言ふには、吾は彼等に従つて国政を執つたことがあるから、之れを告げなければなるまいと。それから三子に行つて陳恒討伐のことを告げたけれども、これは不可ぬと云つて承諾しなかつた。孔子は、吾は彼等に従つて国政を執つたことがあるから之れを告げなければならぬと言つて三子の不臣の心を警めた。
 この章は、単に事実を陳べたので、大して深い意味を有するものでない。
子路問事君。子曰。勿欺也。而犯之。【憲問第十四】
(子路君に事へんことを問ふ。子曰く、欺くなくして之を犯せ。)
 本章は孔子の語としては余り感服せん。この位のことは孔子を俟たなくとも知るべきである。余りに子供だましの如きものである。重きを置くに足らんかと思ふ。

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デジタル版「実験論語処世談」(66) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.575-592
底本の記事タイトル:三六六 竜門雑誌 第四三一号 大正一三年八月 : 実験論語処世談(第六十四《(六)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第431号(竜門社, 1924.08)
初出誌:『実業之世界』第20巻第9,10号,第21巻第1-3号(実業之世界社, 1923.09,11,1924.01,02,03)