デジタル版「実験論語処世談」(66) / 渋沢栄一

18. 形式よりもその形迹に見る

けいしきよりもそのけいせきにみる

(66)-18

子曰。臧武仲。以防求為後於魯。雖曰不要君。吾不信也。【憲問第十四】
(子曰く。臧武仲、防を以て魯に後を為さんことを求む。君を要せずと曰ふと雖も、吾は信ぜざるなり。)
 本章は臧武仲の行動を非難したものである。防は地名で、武仲の封邑である。
 臧武仲は曾つて罪を得たので邾に奔つたが、後又邾から帰つて来てその邑であつた所の防に入つた。そして祠を立てて祀を絶たないやうにし度いと請うた。この請ひが許されると邑を去るけれども、許されなければ防に拠つて叛かうといふ勢を示して脅迫した。この事は左伝にあるので、孔子は、防に祠を立てることを魯に求めたのは、形式からすれば脅迫ではないけれども、その形迹からすれば純然たる脅迫である。故に孔子は吾は之れを信ずることが出来ないと云つて、臧武仲の行動を大いに非難したのである。
 孔子は春秋を作り、各諸侯の行動に就て一々その善悪邪正を言葉の上に現した。形式上からすれば、罪悪にならないけれども一歩を進めれば罪悪になると云ふことを論じ、そしてその褒貶黜陟の言葉を文法巧みに用ゐて書いて居る。私は之れを能く読まないけれども、水戸義公が能く左氏伝を読まれたことを見たのであるが、之れによるも、左丘明が孔子の真髄を書いたものだと居つて居る。今日では能く筆誅とか春秋の筆法を以てすればとか云ふことを言つて居るのは、その文法の巧な為である。私は左伝の中にある文句で今以て記憶して居るのは隠公元年の項で、「夏五月、鄭伯克段于鄢」と云ふ句である。鄭伯は国君で、段は鄭の弟である。併し不義であるが為に弟を除いて段と書いた。君の身を以て臣下である弟を討つに二君の例を用ゐて書いたのは、段は強大俊傑で、相並ぶ程であつたことを証するものである。而して克つは国討と云ふ意味で非難したものである。この僅かの文句の中にも却〻意味深きことが含まれて居ることが判る。

全文ページで読む

デジタル版「実験論語処世談」(66) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.575-592
底本の記事タイトル:三六六 竜門雑誌 第四三一号 大正一三年八月 : 実験論語処世談(第六十四《(六)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第431号(竜門社, 1924.08)
初出誌:『実業之世界』第20巻第9,10号,第21巻第1-3号(実業之世界社, 1923.09,11,1924.01,02,03)